50代。働きはじめて迎えた、ひとり暮らしの静かな休日。特別なことは何もない。
2026年8月15日(土)
目覚ましをかけずに起きた朝。それは、つい2週間前までの無職生活と同じ朝のように見える。
ゴミ回収車の音を耳にして、咄嗟にゴミ袋を掴み、寝ボケまなこで斜めになって家を飛び出した。
おうおう、待たれ待たれ!!
この暑い時期は一度たりともゴミ捨てをパスできない。その後数日に渡る地獄と同居しないために。
どうにか滑り込みセーフを果たし、次に、溜まっていた洗濯物に手をつける。連日のゲリラ豪雨で外干しを諦め、先送りにしていたツケだ。
洗面台でおしゃれ着を手洗いし(この令和に『おしゃれ着』とはなんぞや)、そのすぐ側で満杯の洗濯機が忙しなく回る。
干し終わったら、『サボりまくったリング』がかろうじてついていないトイレの掃除に移行する。
そして、キッチン部分の床を這いつくばって雑巾掛け。洗剤のついた雑巾、水拭きの雑巾、乾拭きの雑巾と3度かけるが、暫くすると池乃めだかになって、「今日はこれぐらいにしといたるわ!」と、雑巾を握りしめたまま冷たい床にへたり込む。
ああ、これだけで既にどっと疲労感。やろうと思っていたことの3分の1も終わっていないが。

久しぶりに食べた。
これが発売された当時、
日本は辛いものブームだったよね。
「辛さ30倍」もあった記憶。
「休みだからって手を抜かない」んじゃなく、
堂々と手を抜く!エヘン!
先日までの1年間の無職生活は、いわば終わりのない夏休みを過ごしていたわけだが、そこには「ウエーい!夏だぜー!」というショートパンツのパリピの様相は皆無だった。
どこにも繋がっていない私は、スペースシャトルのミッションで、命綱をつけないまま宇宙空間を浮遊することに成功したブルース・マキャンドレス2世だった。
漆黒の宇宙と青い地球の間に、ポツンと一人で浮かんでいるインパクトのある写真は、「歴史上最も孤立した、最も恐ろしい一枚」として、今でも時々見かけることがある。
そんな『無』とも言える空間から、「十五、十六、十七と、あたしの人生暗かった」と藤圭子の歌声をBGMにして、貞子のようにズルズルと這い出てきたところ。

…なんて焼きません。
スーパーで買ったチーズケーキに、
ベランダのエディブルフラワー&ミントです…。
掃除に疲れ果て、部屋の片隅でスマホを開く。
キャンドルを灯した長テーブルを小川の中にセットして、一流のシェフを呼び、大勢で食事を楽しむ海外のInstagramが流れてくる。こういう楽しみ方は、実に羨ましい。
だが今となっては、「休日を存分に楽しまなくては!ガルルルル!!」と喉を鳴らして外へ飛び出ていく気力も金もない。
先日の休みは、ちょっとだけよあんたも好きねと、14時ごろ軽い午睡のつもりでベッドに横になったのに、目が覚めた時には21時を過ぎていた。
昔なら「やっちまった!」と青ざめただろう。しかし、「いやぁ、よく寝て、十二分に休息を取った。贅沢な休みの日だなあ」と大満足だった。

夕方散歩に行こうと思っていたのに、
いびきまでかく寝姿に挫折。
明日朝行くからいいか。
そういえば、入社前の健康診断で計測したところ、身長が1.5cm伸びていた。この歳で⁈測り間違いか?
いや、3月に他のクリニックで測った時も、「ヨガ、始めました?1.5cm伸びましたね」と看護師さんに言われていたので伸びたことは確実だ。
50代にして、リラックスしすぎからの第三次成長期の到来だ。
この勢いなら6年後には更に10cm以上背が伸び、いずれ鴨居に頭をぶつける私の未来。そんな老女……いや、そんなわけあるか!
「休日を有効に使う」「休みを無駄にしない」という言葉は、呪いのように思える。
「特別な体験を消費する日」や、キラキラした「エンジョイ」を追い求めるのは、いったい誰のためなのだろう。休むための日にまで、成果や満点回答を求められたら息が詰まってしまう。
小川で優雅に食事を楽しもうが、三度拭きした床の上でへたり込んでいようが、流れる時間の価値に上も下もないはずだ。
重力のある現実へ、無事生還した貞子より。

ステーキを焼いて、
ペペロンチーノを作り(要は具なしパスタ)、
ピカールの「ノアゼット」を揚げただけ。
━日々の暮らしはInstagramでも。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートしても良くってよ。