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50代ひとり暮らし。ご機嫌な居留守。

2026年6月25日(木)

日ちを書いて仰天した。もう6月も後半ではないか。
歳を取ると、時間の経過が竜宮城並みに早い。このままでは乙姫様の策略にまんまと飲み込まれ、次に鏡を覗いた時には、おばちゃまを飛び越しておばあちゃまになっているのではないだろうか。

家計がいよいよ雀(すずめ)の涙。
いや、乾いて出ないスルメの涙。
かつて、「我に仕事を与えたもう!!」とガニ股で天を仰ぎ、熱望して叫んでいた時とは裏腹の重い腹をヨイショと持ち上げ、この3週間は清く正しく就活している。
既に息切れしているが。

昨年退職してからは、仕事をしないことを選び、十分に楽しんだ。
世間はそれを、「孤立」や「停滞」という言葉で哀れむかもしれない。
心電図に例えれば、ひたすら同じレベルの横線が続くだけ。神谷明の声色で、「お前はもう死んでいる」と、淡々と私に呟く人もいるだろう。

しかしそんな日々を、これほど愛おしく思ったことはない。
これまでずいぶん長いこと、自分の外側に答えを探していた気がする。
よくある「他人と比べる」とか「嫉妬」といった感情ではなく、ただ目が外を向いていた。それが苦しさの正体だったのだ。
だからこそ、この無職期間はただのブランクではなく、視線を自分の内側の小さな世界へと引き戻し、「自分が何をしたいのか、何が心地いいのか、何が気楽か」だけを、頑固一徹なラーメン屋を見習って徹底的に追求した。
最高のスープができあがり、外には大行列ができている。そんな極めて贅沢で、必要な実験期間だった。
特別なことは何もない日々が、心に凪を連れてきた。

なーんてカッコつけて書いているが、ただ「ぐうたら生活」を満喫したという報告である。

今年お初のスイカ。
ウハウハと喜ぶ50代。食べたがる犬子。
2人の攻防戦。

この期間は、これまで以上に友人関係を絞り込んだ。
別れ際、「じゃあね」と言って後ろを向いた瞬間に、思わず「ふぅー」とため息が漏れる相手とは、もう時間を共有しない。
そのため息は、クロレッツのようなさわやかミントではなく、鼠(ねずみ)色の排気ガスだ。会う前よりもガソリンがだいぶ減っている。
人脈だとか、誰からも好かれる自分でいることの「広さ」に必死だったが、今の私にはそんなスペースはない。たくさん持つことよりも、少しのものや限られた人との関係を、自分のリズムで深く味わいたいのだ。

そんな人間関係の引き算をしていくと、ある問いの虚しさにも気づく。 「あの人は、なぜあんなことを言ったのか」 。
相手を理解しなければ関係が終わってしまう。我慢してでも納得しなければ居場所がなくなってしまう。あの頃の私は、そんな切迫した呪縛の中にいた。
でも世の中には、理解できない人も、理解できない出来事も、どうしても答えが出ないこともある。 白か黒かの二択ではなく、その間には一色では表せない無数の濃淡があっていいのだ。

そしてやたらと世間は、前を向くことやまっしぐらに上を目指すことを求める。けれど、右肩上がりに伸びていくような「成長」なんて、今の私には必要ない。
鬱だった頃、起き上がることすらままならない中で、世間の言う「心を前向きに」なんていう言葉は、鋭利な凶器でしかなかった。
あの時の私をギリギリのところで支えたのは、上を向くことではなく、ただ「今日を生き延び、明日へ命を繋ぐこと」だけだった。 その「継続」こそが、どれほど凄まじいタフさを必要とするものだったか。ただ今日を、明日を、自分のまま確実に繋いでいく。
そのうち勝手に心が上向きになる時が来るから、「前向き」は早いうちに足元に脱ぎ捨てて忘れること。

それから、この経験にはどんな意味があるのか。あの出来事から何を学ぶべきなのか。失敗にも、遠回りにも、世間は「あの経験には意味があった」と言いたがる。でも本当にそうなのか?
意味なんて分からない。分からないけれど、朝、公園のベンチでおにぎりを食べたら最高だった。
今日のファッションのコーディネートが自分で素敵だと思えて、1日中いい気分だった。
思い切って買った、ちょっと高めのがんもどきが美味しかった。
そんな「気分の良さ」は確かなのだ。それが「生きる」ということではなかろうか。

鯛をカルパッチョにした。
泡とか白を開けちゃいたかったなぁ。
次男のお土産のビノ・ノワール。
これ、アペロじゃなくて昼ごはんって驚くよね。

充実より凪。広さより深さ。答えより保留。成長より継続。意味より実感。

書き並べてみると、ずいぶん後ろ向きな人のようだが、本人はけっこう満足してご機嫌に暮らしている。


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