生きるために、盛る。
「事実を盛る」
これに罪悪感を覚える必要はあるのか。
結論としては、ない。
文章を書くこと自体、盛る行為に等しい。
なぜ盛るのだろうか。
言葉を積み上げた先に、本当の自分が浮き彫りになるからか。
いや、浮き彫りにはならない。
実際は、外殻をまとって、鎧みたいになる。
本当の自分は、底に埋まる。
なぜ盛ってまで、身を守るのか。
生きる為だろう。
盛らねば、生きれぬ。
生きるなら、盛る。
文章上は、過去をひた隠す。
私の話だ。
胸を張れる、過去がない。
あったとして、他人を説得するほどの熱はない。
『私が楽しかった過去』
『私が辛かった過去』
たった二行で説明できる事実を、盛る。
『過去』を2000文字に拓く。
盛るために、日々文章力を研いでいる。
ところが、急にむなしくなる。
久しぶりの朝の散歩で、なんとなく鼻歌を歌ってみた時。
グレイテスト・ショーマンの「This is Me」。
音程だけ取る。
楽しい。
愉快だ。
だんだんと乗ってくる。
グルーヴ感に身を任せる。
うろ覚えで歌詞をつぶやく。
ヒくほど爽快だった。
途中、すれ違った何人かにはヒかれただろう。
でも気にしない。
盛らずとも、十分に楽しいではないか。
ただ道で歌う。
それだけで浮足立った。
理由を拓き、盛ることはできる。
でも、しない。
私は、文章を盛れる。
盛ることに関しては、得意。
盛って、生きてきた。
鎧がなければ、戦場に居られないと思い込んでいる。
『戦場』も、思い込みだ。
戦場であってほしいと。
私が盛るために、世の中は戦場たれ、と。
そういえば。
これまで、天衣無縫に過ごしたことがあったかな。
「繕わずには、生きれない」
そう思い込んできたが、本当か。
試したことはなかった。
なら、やってみる。
この文章は、その一環。
事実を盛らずに、生きれるか。
いざお立合い。
猫暮がこういう文章書いてるときは何かしらの影響を受けているときです。『生き方』なんて大仰なテーマで語れるほど私の執筆歴は長くないので、とにかくいろんな書き方を試している最中。実験している最中。
とりあえず今一番読みたい本は、近藤 康太郎さんの『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』です。き、気になります。
