現地現物では見えない未来
「現地現物」という言葉がある。
現場に足を運び、実物を見て、事実から判断する。
製造業においては極めて重要な姿勢だ。机上の空論ではなく、現場に宿る真実から出発するという態度である。
既存商品の改善において、これは圧倒的に強い。
ここが使いにくい
ここが壊れやすい
ここが高すぎる
ユーザーの声を拾い、原因を特定し、改善を重ねる。
このプロセスは合理的で、再現性があり、組織的にも運用しやすい。
だが、ここに一つの問いがある。
それだけで、未来は生まれるのだろうか。
人は経験していないものを評価できない
人間は、自分が体験したことのないものを正確に評価できない。
これは能力の問題ではない。構造の問題だ。
1979年、ウォークマンが登場したとき、市場調査の結果は決して明るくなかったと言われる。
録音できないのは不便だ
スピーカーがないのはおかしい
既存のカセットプレイヤーという枠組みで評価すれば、当然の反応だ。
しかしソニーは、「録音機能の有無」ではなく、「音楽を持ち歩く体験」に価値があると考えた。
実際に社員に装着させ、山手線に乗せたという逸話がある。
説明するのではなく、未来の光景を現実空間に出現させたのである。
市場はそれを“要求”していなかった。
だが、一度体験すると、評価軸が変わった。
スマホとフリック入力の違和感
2007年に登場したiPhoneも同様だ。
物理キーボードがない。
画面を直接触る。
フリック入力という新しい操作。
当初は「打ちにくいのではないか」という声も多かった。
もしその時点でユーザーアンケートを重視していれば、「やはり物理キーボードが必要」という結論になったかもしれない。
しかし今、フリック入力に違和感を持つ人はほとんどいない。
人間は慣れる。
そして慣れたものを「自然」と呼ぶ。
つまり、評価基準そのものが書き換わったのだ。
改善と創造は別の行為
ここで整理すると、改善と創造は根本的に違う。
改善は、既存の前提の中で精度を高める行為だ。
創造は、その前提そのものを変える行為だ。
改善には現地現物が効く。
だが創造は、現場の声からは生まれにくい。
なぜなら現場の声は、常に「現在の困りごと」だからだ。
もっと軽くしてほしい
もっと安くしてほしい
もっと速くしてほしい
これはすべて、今ある枠組みの中での最適化要求である。
誰も、
「まだ存在しない行動様式」
については具体的に語れない。
ドラクエが市場を教育した構造
1986年に発売されたドラゴンクエストも象徴的だ。
当時、日本でRPGは一般的ではなかった。
「レベルアップ」や「経験値」という概念も広く共有されていたわけではない。
もしいきなり自由度の高い複雑なRPGを出していたら、混乱しただろう。
しかし実際は違った。
Ⅰ:目的は明確。操作は単純。
Ⅱ:仲間が増え、世界が広がる。
Ⅲ:職業と自由編成。完成形へ。
段階的に市場を教育したのである。
これはユーザーの声から生まれたというより、
「こうすれば理解できるはずだ」という設計思想の産物だ。
マーケットエデュケーションという視点
ソニーの盛田昭夫が語った「マーケットエデュケーション」という言葉は、この構造を端的に表している。
市場は最初から欲しがっているわけではない。
だが、体験すれば理解する。
ここで重要なのは、
"市場の声を無視することではなく、市場の声の射程を理解すること"だ。
市場は「現在の最適化」については雄弁だが、「未来の前提変更」については沈黙している。
違和感から始まる常識
ウォークマンは奇異だった。
スマホも不安視された。
RPGも難解だと思われていた。
だが今、それらは日常の風景である。
本当に大きな変化は、最初は小さな代替に見える。
ウォークマンは「携帯型カセット」に過ぎなかった。
iPhoneは「ボタンのない電話」に見えた。
しかし後から振り返ると、それは行動様式の再設計だった。
マーケットエデュケーションとは、
製品を売る行為ではない。
新しい常識を社会に定着させるプロセスである。
現地現物のその先へ
現地現物は否定されるべきではない。
むしろ改善においては不可欠だ。
だがもし、目指すのが「前提を変えること」ならば、
必要なのはもう一段上の視座である。
市場が言っていること
市場がまだ言語化できていないこと
この二つを区別すること。
そして、ときには違和感を引き受けること。
未来は、現場の声の中には直接は存在しない。
しかし、未来を受け入れる準備は、常に社会のどこかに眠っている。
それを見つけ、設計し、提示する。
そこにこそ、創造の仕事があるのだと思う。
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