2026年夏、被災地再訪記(1)ー宮城県東松島市野蒜(のびる)ー
東松島市は、日本三景の一つとして有名な松島のすぐ東に位置します。市域の沿岸部西端にある野蒜(のびる)地区は、「奥松島」の名で呼ばれる景勝地の入り口として知られてきました。しかし、東日本大震災において市域沿岸部は被災し、特に野蒜地区は甚大な被害を受けました。

市域の36%が浸水し、家屋被害は14,579棟に及びました。1,110人もの市民が犠牲となり、今なお23人が行方不明のままです(以上は東松島市 2021『東日本大震災 復興記録誌 ダイジェスト版』による)。沿岸部を走るJR仙石(せんせき)線が受けた津波被害は衝撃的でした。
東松島市については、発災翌日に撮影された詳細な記録映像が公開されています。仙石線の車両が直角に曲がった状態で脱線している映像を、「東松島」「野蒜」の地名とともに憶えていらっしゃる方も多いと思います。
復興支援当時、私は東松島市に直に関わる機会はありませんでした。それでも石巻、女川方面への行き帰りには、いつも市域を通りました。こんな光景をよく目にしたものです。街に沈む夕日が美しかったのは、ここが多くの建物を失い遮蔽物がなくなった被災地だったからにほかなりませんでした。

野蒜再訪
2026年6月24日、仙台から「仙石東北ライン」に乗車。被災したJR仙石線の復旧に伴って沿線市町の復興支援を目的として2015年5月に運行を開始した、ちょっと珍しい路線です。
この地域では、沿岸部の仙石線と、それより内陸側の東北本線が並行して走っています。しかし、仙石線はあまりスピードを出せない路線。なので、仙石線の仙台ー松島間では東北本線を走行したのち、短い接続線を経由して仙石線に入り石巻へと向かう経路を新設したのです。復興途上で実現した、夢のような快挙でした。途中から目的地の違う別路線に乗り入れるので、私は今でも戸惑うことがあるのですが。

仙石線と東北本線では電化方式が異なるため、走っているのはハイブリッド気動車です。震災復興には困難がつきものですが、本気になれば乗り越えられない障害などありません。私から見てこの車両は、その象徴みたいなものです。
津波の被害が特に大きかった区域に位置する野蒜駅で下車します。震災後に内陸側の高台に移転した新駅です。2015年5月30日、新線の開業に伴い営業を再開。駅舎は今なお真新しい印象ですね。

自衛隊松島基地が近いので、たまたまこんな光景を目にしました。

駅前の新しい街並みを眺めてから、地下の連絡通路を歩いて沿岸部を目指します。

震災復興時に使われたベルトコンベア土砂運搬道を活用した地下道とのこと。
これを抜けると、沿岸部を見渡せる高台に出ます。

高台からの眺望。疎らながら新しい住宅が建っています。この辺りには居住制限がかかっていないようですね。
中央奥に小さく見えている白い建物が本日の目的地です。

さらに下りると「東日本大震災復興記念公園」があります。

本日の目的地は、公園内の「震災遺構 JR仙石線旧野蒜駅プラットホーム」と「震災復興伝承館」です。

奥は「震災復興伝承館」(奥)
先に掲げた記録映像の13:54-15:30 に、この地点の発災翌日の被災状況が収められています(陰惨な映像なので特にお薦めはしませんが、余裕のある方はご覧ください)。
震災遺構のすぐ前で手を合わせてから、観に行きます。

被災した駅のプラットホームが震災遺構として残され、公開されています。入場無料。
一般に震災遺構として整備されるのは、学校など大きな公共施設です。被災した駅のプラットホームを選んだのは、やや異例とも言えます。しかし、発災当時、JR仙石線の惨状がインパクトを残した東松島市としては、これは理にかなった選択だったと思います。

この日は団体のお客様あり。自衛隊の若い方々でした。研修の一環だったのでしょうね。

よく見ると、津波で線路が曲がってしまっています。

プラットホーム上の標識なども、津波の傷跡を留めています。

すぐ隣には「東松島市震災復興伝承館」があります。旧野蒜駅の駅舎を改修した施設とのこと。

2016年10月にオープン。恥ずかしながら私は初めて来ました。この建物を襲った津波の高さは3.7mだったそうです。

入場無料。パネル展示が充実しています。2階にて映像上映を行っていたので、自衛隊の皆さんと一緒に観ました。

全国から市に派遣された方々全員のお名前の掲示もあります。

実物展示もあります。住民の生活を一変させた時間を指し続ける時計。

2階から内陸側を眺めると、手前に旧駅、はるか遠方に新駅を目にすることができます。駅がここからあそこへ移転したとなると、街の姿が一変するのは避けがたかったはずです。

奥中央やや左の切通し状の部分が新野蒜駅
少し沿岸部を歩いてみます。震災遺構より海側には、人の住む気配は感じられません。保安林が続きます

10分も歩くと海に出ます。防潮堤は、あまり高くないですね。

おかげで海がよく見えます。やはりここは「奥松島」。名の通った景勝地だけのことはあります。

再訪を終えて
穏やかで美しい海を眺めていると、ここが被災地であることを忘れてしまいそうになります。多分それは、この土地が私にとって常に通過点に過ぎなかったからなのでしょう。
とはいっても、この先にある「奥松島縄文村」まで足を延ばして考古学三昧に耽る気にはなれません。ましてや、観光遊覧船に乗って名勝を見物する気にもなれそうにありませんでした。
宮城県在住15年目となる私ですが、未だに被災地とのかかわり方は難しいと感じます。一市民として今の生活を楽しめばよいと頭では分かってはいるのですが、今に残された震災の爪痕を目にするたびに、いつも同じことを思います。これは時間が解決するような問題ではないのかもしれませんね。
震災は今も現在進行形なのです。
