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ハイドン全交響曲解説 #013 4本ホルンの威力 その1 第13番

ハイドンの294歳の誕生日に。
生誕300年祭まで、あと6年。

副楽長ハイドンの最高傑作2選    

米国の音楽学者スタパートが著した新たなハイドン伝に、次のような印象的な一節があります。

……この時期【訳注:ニコラウスがパウル・アントンから爵位を継いだ時点(1762年)から前任の楽長であるウェルナーの死(1766年)まで】においてハイドンが最高の状態を示した交響曲を、単一楽章でなく全楽章を対象に選ばなくてはならないとしたら、第31番か第13番のどちらかとなるだろう。3曲ある四本のホルンを持つ交響曲のうちの2曲だ。

Calvin R. Stapert,Playing before the lord: the life and work of Joseph Haydn  ,Wm.B.Eerdmans Publishing Co,2014,p.61
邦訳書未刊行につき翻訳は本稿執筆者による

同感です。楽長に昇進する前にニコラウス侯のためにハイドンが書いた作品中、《ホルン信号》の愛称を持つ人気作の交響曲第31番(1765年)と実力において肩を並べる傑作は、今回取り上げる交響曲第13番をおいてほかにないのです。

どちらもホルン4本を用いる異例の大編成曲なのは、偶然ではありえません。偏愛するこの楽器の魅力を存分に引き出すべく書いた意欲作だったからこそ、会心の作となったのです。


交響曲第13番 ニ長調 (Hob.Ⅰ:13)

現存する自筆譜に作曲年が記載されており、エステルハージ侯爵家副楽長時代の1763年に書かれたと確定済みです。さらには、ホルンを通常の倍の4本必要とする異例の楽器編成が幸いして、侯爵家にホルン奏者が4名在籍した同年8月から12月の間に初演されたことも判明しています。規格外の要素はこれに留まらず、フルート1本とチェロのソロが加わって華やかさを添えています。

この作品の楽器編成で問題となるのは、ティンパニ・パートの正当性です。現存する自筆譜には最下段にティンパニのパートが書き込まれていますが、その筆跡は明らかにハイドンのものとは異なります(ロビンス・ランドンの Haydn Chronicle and worksⅠ所載の図版30に冒頭部の写真が掲載されています)。そのため、識者の間では「この作品はティンパニのない状態で成立していたが、のちにハイドンが保管する自筆譜に第三者がティンパニ・パートを加筆した」とする見解で一致をみています。では、このパートは正当性を持つのでしょうか。

ここからは解釈の問題となります。

否定論:他者が書き込んでいるからには、このパートを作曲したのはハイドンではない。したがって正当性はない。
肯定論:たとえ他者の作曲だとしても、ハイドンは手元に残していた自筆譜の余白に書き込ませる労をとっている。したがって正当なパートとみなしてよい。

歴史研究に心得のある者として、私は肯定論を支持します。自筆原稿にわざわざ記入させる行為は、作者公認にほかならないからです。そもそも、当時は作品を書き下ろしたのちに現場処理で変更を加えるくらいのことは日常茶飯事だったはずなので、ハイドンとしてはあまり頓着せず追認したとみるのが自然だと思います。

同じ年に書かれた前作第12番とは異なり、第3楽章にメヌエットを置く四楽章の交響曲です。第4楽章にモーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》(1788年)の第4楽章とほぼ同じ主題を用いていることで、今日でもハイドンの初期交響曲のなかでは比較的知られた存在となっています。

第1楽章 アレグロ・モルト

弦が奏するファンファーレ主題を7本の管がテヌートの持続和音で支える印象的な始まり(譜例1)。室内楽風な作風が支配的なハイドンの初期交響曲群にあって、例外ともいえる外向的曲想です。4本ホルンの威力もさることながら、最上声部として加わるフルートが輝きを添えます。

譜例1 第1楽章冒頭

楽章を通してフルートが独立して動く場面は少なくなく、この作品が規格外の特別編であることを印象付けます(譜例2)。最上声部としてフルートが1本加わっただけで、こうもオケの響きが変わるものなのですね。

譜例2 第1楽章「提示部」のフルートの活躍

前作第12番同様、いわゆる「第2主題」が冒頭主題とのコントラストを強調することはなく、あっさり先へ進みます(譜例3)。推進力あふれるこの楽章では、これこそベスト。さすがのバランス感覚と喝采を送りたくなります。

譜例3 第1楽章「第2主題」

いわゆる「再現部」は、意表を突いて弱奏で始まります(譜例4)。その直後、ここまで一貫して弦が受け持ってきたファンファーレ主題を4本のホルンの斉奏が引き継ぎます(譜例4の赤囲み)。いかにも金管楽器向きなファンファーレ主題をホルンに吹かせずにとっておいたのは、この決定的瞬間のためだったのです。

譜例4 第1楽章「再現部」

実はこの作品では、ホルンは4本ともD管なのです。後世の一般的流儀では、異なる調の楽器を組み合わせて曲のいろんな場面で様々な和音を吹かせるのですが、ハイドンはそうしていません。おそらく、ホルン4本による豪壮なファンファーレによるクライマックスが、初めから構想の中核にあったのでしょう。そう考えたくなるほど印象的な場面です。

第2楽章 アダージョ・カンタービレ

弦の伴奏に支えられ、チェロのソロが大活躍する協奏曲風の楽章(譜例5)。いや、これはチェロ協奏曲そのものですね。基本的には旋律に頼りすぎずに曲を書く流儀のハイドンですが、その気になれば流麗なアダージョも書けたのだと納得させられます。

譜例5 第2楽章冒頭

第3楽章 メヌエット

堂々たる風格を備えるメヌエット(譜例6)。規格外に大きな構想を持ち、祝祭感を改めて強調します。

譜例6 第3楽章メヌエット主部

トリオではフルートのソロが大活躍(譜例7)。交響曲としては破格なことに、他の全声部を休ませて単独で妙技を披露する場面も多く、楽しませてくれます。

譜例7 第3楽章トリオ(中間部)

第4楽章 アレグロ・モルト

モーツァルト最後の交響曲《ジュピター》の最後の楽章とほとんど同じ楽想で始まります(譜例8の黄色表示)。対位法を含意するバスの絡みから、こののちフーガのように展開されることが暗示されます。ところがそれに続くのは、管による非対位法的な楽想(譜譜例8の青色表示)。本稿冒頭に掲げたスタパートのハイドン論でも指摘されている通り、この茶化すような合いの手は、曲が必要以上に衒学的になるのを防いでいます。

改めて思うのですが、これは深謀遠慮に基づく措置です。作曲の職人としての矜持の発露と祝典的な通俗性、これら相反する要素を無理なく同居させているのです。

このやり取りが音程を変えて繰り返されたのち、予想に違わず対位法的に展開していきます(譜例8の赤囲み)。ホルンも主題提示に参加して高揚感を高めます。

譜例8 第4楽章冒頭

この楽章でも、性格のはっきりした「第2主題」は登場しません。冒頭主題に対照的な二つの楽想のせめぎ合いが含まれているのですから、新たな主題を割り込ませないのは理にかなっています。

後半に入り「展開部」でも、「せめぎ合い」は続きます(譜例9)。それでも緊張感を次第に高めていきます。

譜例9 第4楽章「展開部」

誰もが《ジュピター》を思い出さずにはいられない、こんな緊迫した場面さえ登場します(譜例10)。ここでも4本ホルンの威力は絶大です。

譜例10 第4楽章「展開部」の到達点

楽章の終わりが近づくと、弦の四声部が1小節遅れで順に重なっていく大技を見せます(譜例11)。じっくり耳を傾けたい名場面です。

譜例11 第4楽章「再現部」のストレッタ

先行する個性的な三つの楽章を受け止め、さらなる高みへと押し上げるために、もっと個性の強いフィナーレ楽章を置いた、といったところでしょうか。このまま緩むことなく幕引きとなります。お見事。


他人の空似ではあっても……

「モーツァルト最後の交響曲《ジュピター》(1788年)の原型のような作品」というのが、21世紀の今日、この交響曲に貼られたレッテルです。この件について私見を記しておきます。

ハイドンの交響曲第13番は、ドイツ語圏内で筆写譜の形で広まり、1777~78年にはパリで海賊出版されています。普及という点では、同様の運命をたどった何十曲ものハイドンの交響曲の一つという位置づけになります。決して話題作だったわけではありません。したがって、モーツァルトがこの作品の譜面を見て模倣したとする解釈も、可能性としては成立するのですが、あまりに牽強付会にすぎると判断せざるを得ません。もっと合理的な説明が必要でしょう。

この件を巡る議論でよく見かけるのが、「この主題は当時よく知られた常套句だった」とする言説です。モーツァルトは他の作品でも同じ主題を何度も使用しているので、これはその通りだと思います。さらに、《ミサ・ブレヴィス》ヘ長調(K.192)のクレドでフーガ主題として使用していることから、モーツァルトは早くからこれを対位法書法における常套句と認識していたと断言してもよさそうです。

一見したところ、J.Sバッハ(1685ー1750)ならあまり使わないような主題なので首をかしげる方が多いかもしれません。でも、ハイドンもモーツァルトも、バッハの作品を知るようになるのは後年のことです。作曲術の学習期にはバッハから影響を受けてはいません。だとしたら、二人がともに対位法を駆使して活用したこの主題の源泉は?

時に見かけるのが、「フックス流対位法に由来するのではないか」とする言説です。それはその通りなのですが、実はもう少し踏み込んで解答を提示できると考えます。

ウィーンの聖シュテファン大聖堂や宮廷で楽長を務めたヨハン・ヨーゼフ・フックス(1660-1741)の『グラドゥス・アド・パルナッスム』(1725年)は、当時、広く知られた対位法教本でした。モーツァルトは少年期に学習し、円熟期に至っても弟子に教える際に使ったとされます(Robbins Landon,1990 ,The Mozart Compendium, p.84)。ハイドンが青年期にこれを独習したことは、本連載#003にて詳述した通りです。

この件を巡る議論で論及されたことはないようですが、実はフックスのこの教本には、こんな範例が掲載されているのです。

Alfred Mann,1971,The Study of Counterpoint from Johann Josepf Fux's GRADUS AD PARNASSUM, p.66
c.f. はラテン語の Cantus firmus 、すなわち「定旋律」を指す

フックスの教本に集中して取り組んだ経験のあるハイドンが、対位法的構想に基づいて交響曲第13番を書くに当たり、これを思い浮かべなかったはずはないと思います。モーツァルトにとっても、生涯にわたり記憶に留めていた作曲上の雛形だったと考えて差し支えないでしょう。

以上、ハイドンの13番とモーツァルトの《ジュピター》の類似は、当時の作曲家が等しく共有したフックスの遺産から、ともに楽想を汲み取った結果と結論づけてよいと考える次第です。両者間に直接の影響関係はなかったにせよ、類似は決して偶然ではなかったのです。

締めくくりに、是非ともお伝えしておきたいことがあります。ここまで長文を連ねてきた源泉の謎よりも、ずっと大切な話、それは「有名作との類似に一喜一憂したりせず、音楽そのものを楽しめばそれでよい」ということです。

そもそもの話、初期のハイドンと円熟期のモーツァルトを比べたところで、何か得るものがあるとは思えません。このハイドンの交響曲は掛け替えのない独自の魅力を湛えています。《ジュピター》の名を借りずとも、十分に聴くに値する作品だと信じます。


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