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職業訓練 デザインより 言葉や漢字! 仮分数 or 過分数?

職業訓練 Formation professionnelle
第129日目  le 129e jour 

WEBマーケ・デザイン
これが自分に合わないと
分かっただけでも 意義があったのか?
デザインの前に 誤字脱字が気になるのだ

ふとしたことで、漢字の表記で
喧嘩勃発した
仮分数 過分数 論争

AIの答えを鵜呑みにする相手に対し
AIの答えは検証しないと信じない婆

↑ このnoteも参照にしながら
相手を論破しようとしたが、、、手ごわい

確かに、毎日新聞の校閲センター 好き❤だが
参考にさせてもらってはいるが

GeminiはGeminiで、
もっともらしく答えてくるし
怪しすぎ
(私は信じなかった・・・)

算数教科書の歴史と分数の記述の変遷

1. 明治後期〜大正時代:計算と規律重視の『黒表紙(くろびょうし)』時代日本初の国定算術教科書である『尋常小学算術書』は、表紙が黒かったため「黒表紙」と呼ばれていました。
「過分数」の登場: この時代に「過分数」という用語が公式に使われていました。
特徴: 「計算の習熟」と「数理の厳密さ」が徹底的に重視された時代です。分数概念は日常生活から離れた抽象的な「計算の操作(割り算の商のような扱い)」として導入されたため、当時の子どもたちにとっては非常に難解でした。

2. 昭和初期:子どもの心理に寄り添った『緑表紙(みどりびょうし)』時代1935(昭和10)年から登場した、画期的な国定教科書です。
「過分数」の継続: 依然として「過分数」という用語が使われていました。記述の違い: 黒表紙への反省から、詰め込みを排し「子どもの生活や心理」を重視する形へ180度転換しました。分数を教える際も、いきなり計算から入るのではなく、「1個のリンゴを等分に分ける(分割分数)」という、子どもの目に見える具体的な生活シーンから導入する記述に改められました。

3. 戦時中:国家のための理数教育『水色表紙(みずいろびょうし)』時代太平洋戦争中の1941(昭和16)年、国民学校の設立に伴い登場した教科書です(低学年用は『カズノホン』)。
用語の混乱期: 「過分数」が使われる一方で、徐々に用語の見直しが始まります。記述の違い: 算術という教科名が「算数」に変わったのはこの時です。戦意高揚や軍事・生産活動に役立つ「理数的な知識」の育成が目的となり、分数の問題も生活の彩りは消え、物資の配給や生産効率の計算といった、戦時色の強い実用的な記述が目立ちました。

4. 戦後(現代):民主主義と国際基準の『検定教科書』時代戦後、学習指導要領が制定され、国が1つの教科書を決める「国定制度」から、民間が作り国が審査する「教科書検定制度」へと移行しました。
「仮分数」への統一: 戦後の指導要領改訂に伴い、「過分数」という言葉は完全に廃止され、「仮分数」へと統一されました。
記述の違い: グローバルな数学の基準に合わせ、分数の定義を「真分数」「仮分数」「帯分数」の3つにすっきりと整理しました。

Geminiの回答

↑いかにも、という感じで答えてくるGemini

怪しいので、証拠を探す
論文や当時の教科書をPDF化したもの・・・
片っ端から検索する

どんどん調べていくと
仮分数ではなく、假分数にいきついた
お! 突破口が開けたぞ!
そうだ、当時は旧字体ではないか?

旧字は、会意形声。人と、叚(カ)(かり)とから成り、「かり」の意を表す。教育用漢字は、もと反の異体字であるが、日本では假の略字として用いられていたもの。

https://www.kanjipedia.jp/kanji/0000636700

は、漢字検定だと準1級レベルなのね・・・
で、今度は假分数で徹底的に検索をかけていく

尋常小学算術書 第五学年 教師用

↑ 広島大学のデジタルアーカイブにたどり着く

ここのPDFでは21ページ、
算術書では35ページにあった!

分子ガ分母ヨリ小ナル分數ヲ眞分數トイヒ
分子ガ分母ヨリ大ナル分數或ハ分母ニ等シキ分數ヲ假分數トイフコト

https://dc.lib.hiroshima-u.ac.jp/da/ja/5611

当時の教科書も 表紙の色によって 黒・緑・水色
通称があるのね

日本の数学教育学の年表を見つけた

1873(明治6)年・・・文部省編纂「小学算術書」出版(コールバーン「算数第一教程」に基づく)

米国より文部省学監としてD.マーレイが招聘され、米国での数学教育の経験を生かして努力を続けた。

明治10年頃・・・数学三千題流の算術が流行

1879(明治12)年・・・学校令公布で小学校初等科(3年)、中等科(3年)、高等科(2年)に。

1886(明治19)年・・・学校令公布で尋常小学科(4年)、高等小学科(4年)に。

1888(明治21)年・・・東京帝国大学教授寺尾寿「中等教育算術教科書」

1895(明治28)年・・・東京帝国大学教授藤沢利喜太郎「算術条目及び教授法」

この頃から藤沢が数学教育の中心的存在に。

1905(明治38)年・・・国定教科書「尋常小学算術書」(黒表紙教科書)出版(同年4月より使用)

1907(明治40)年・・・義務教育年限の延長にともない黒表紙教科書第一次修正

1911(明治44)年・・・中学校数学科教授要目改正

1918(大正7)年より・・黒表紙教科書第二次修正

数学科教員協議会 (12月20日~24日、於東京高等師範学校講堂)

1919(大正8)年・・・日本中等教育数学会成立

同会機関誌「日本中等教育数学会会誌」創刊

1923(大正12)年・・・雑誌「算術教育」創刊

1924(大正13)年・・・黒表紙第三次修正(メートル法実施に伴う修正)

1930(昭和5)年・・・雑誌「数学教育」「学校数学」創刊

1935(昭和10)年・・・国定教科書「小学算術」(緑表紙教科書)出版始まる(昭和15年完成)

1940(昭和15)年・・・第22回日本中等教育数学会総会での討論から数学教育再構成研究会発足(9月)

1941(昭和16)年・・・中等学校数学新教授要目調査委員会発足(2月)

陸軍教育総監部「中等学校理数科教科書ニ対スル陸軍要望事項」(8月)

1942(昭和17)年・・・国民学校理数科算数用教科書「カズノホン」「初等科算数」(水色表紙教科書)出版(昭和19年まで)

「中学校教授要目中数学及理科ノ要目改正」(文部省訓令第4号)発令(3月)

1943(昭和18)年・・・中学校数学1種検定教科書「数学 第一類・第二類」出版

日本中等教育数学会が日本数学教育会と改称

1946(昭和21)年・・・暫定教科書「中等数学 第一類・第二類」発行

https://www.juen.ac.jp/math/resource/nenpyo.html

一応自分用にリンクを残しておく
假分數を見つけたPDF ↓8ページに分數の定義
も、そういや旧字体ね も そうやし)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f4/NDL914464_%E5%B0%8B%E5%B8%B8%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E7%AE%97%E8%A1%93%E9%80%9A%E8%A7%A3_%E7%AC%AC6%E5%AD%A6%E5%B9%B4.pdf

以下の3ページにも載ってるな 明治時代か・・・

http://www.wasan.jp/zassi/M38-t9.pdf

分數と言っても、商分数分割分数
検索を進めれば進めるほど 沼っていくが

学生当時「数学」を捨てて
文系に逃げたので、
表現に興味はあっても、
それ以上は踏み込むまい・・・
蕁麻疹がでてきそうだ
ここから先は 理系の方々に委ねよう

分数について(その5)-学校で学んだ分数を巡る話題

↑ 分数について興味深い記事
その5だけ載せておくが、その1から存在する

一応、ウイキでも確認
英語表記も確認

絶対値が 1 より小さい分数を真分数(しんぶんすう、英: proper fraction)という。すなわち、分子の絶対値が分母の絶対値より小さな分数を真分数と呼ぶ。 他方、真分数でない分数を仮分数(かぶんすう、英: improper fraction)という

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E6%95%B0

数学教育年表からしても、
米国を参考にしてるので
英語から和訳されたとしても
proper と improper
適切な、正しい と その反対語
和訳の際に 真と仮を あてたんだろうな・・・

確かに、分子がでかい
頭でっかちで過剰な
「過分数」の方が イメージ浮かぶけど
でも 結論は「仮分数」なんだよな・・・
例えば
真性の反対は仮性だしなぁ・・・

たがか、「か」分数
数時間も使ってしまった 
寝よ 寝よ

あ、そうそう 上の画像アップする際
フォトショップの機能 試してみた
(一応、職業訓練で使ってるソフト
実践しなくちゃねぇ)

ポイントは「選択範囲の反転」と
「ぼかし(ガウス)」ね

仕上がりの質は 重要じゃない
習うより慣れろっす


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