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やまへのみち

私は山へ行く。

行くこととなった。

いや、「行く羽目になった」という方が適切か。

きっかけは、義父から登山へのお誘いを受けたことだった。

「うん、断ろう」

普段は優柔不断な私が、まさかの即断即決。キモチイイ。
そもそも、必要のない苦行を自ら実行するという選択肢は、私の行動規範に存在しないのだ。

ただ、無下に断るのも忍びないので、その場は
「考えておきます」
とだけ伝えて、後日改めて断ることにした。

……それがいけなかった。

横でその話をじっと聞いていた妻が、こう言い出したのだ。
「無茶しないか見張りを兼ねて、しっかり者のあなたも是非一緒に付いて行ってほしいな」

なん……だと……?

「しっかり者」
経験上、面倒な仕事を振られるときに出てくるこの常套句に、私の心は反射的に警戒モードに入る。
この単語が人生に出現するときは碌なことがない。

なお、妻は「絶対に行かない」と宣言済み。
なのに、私のことは行かせる気満々だ。

そんな経緯もあり、ものは試しとして参加することになったわけである。

私も登山経験が全くないわけではない。 が、今回登る山は、なんと標高2000m超えのデカい山だった。 少し調べたが、全くもって初心者向けじゃない山だ。

優しくない。

人生で行ったことのある山は、最大でも標高1300m弱くらいの私にとって、完全な初挑戦である。
当初は「普通の運動靴で行けばいいか」ぐらいに思っていた。
しかし、以前の登山で「装備を整えて大正解だった」と感じた経験から、靴を求めてショッピングセンターのスポーツ用品店へ向かった。

駐車場に車を止めてお店に入ると、土日の割に店内は落ち着いた様子。
店前付近の車の台数の方が人より多いくらいだ。

みんなフードコートへは行っても、スポーツ用品店は「選ばれしもの」しか行かないんだな、と再認識した。

私もフードコートの方がいい。

通路で、やたら日に焼けてガタイの良い青年や、活発そうなサッカー少年といった「異世界人」たちの脇をすり抜けて、登山靴コーナーへ。

人が少ないおかげで店員さんを独り占めしてしっかりと靴を選び、自腹で約2万円を払い靴を入手した。

自腹で、約2万円を支払った……。

2万円あればフードコートなんて目じゃない。
カニ・刺身付きの海鮮食べ放題だっていける。
海鮮食べ放題に行きたいところだが、身の安全には替えられない。

ともあれ、装備類は一通りこれで大丈夫になった。あとは以前の登山で使った装備があるので活用することとする。

残る問題は、自分自身だ。

一応少しは運動もしているつもりだが、登山というとからっきしである。
せめて坂を登る動きに慣れたいと考え、どこかいいところがないかと思案すると、我が家にほど近い良さそうな道があったのを思い出した。

幹線道路からほど近い上り坂の道路。
ちゃんとアスファルトで舗装され、車も通れる道だ。
入ったことはないが、どこかへ抜けられる道と聞いたことがあるので、まあ問題ないだろうと思い、早朝の涼しいうちに散歩がてら歩きに行くこととした。

道路を進むこと10分程、早速道の両脇が林になっていく。
朝の澄んだ空気が気持ちよく、鳥の声だけが聞こえてくる。
さらに登っていくと林の木々がさらに増え、なんか道もちょっと暗い……。

率直に言って、ちょっと怖い。

苔むしたコンクリート製の土砂止めのような物も出てきた。
こういう構造物って普段の生活にない。
ああいう非日常的なものを見ると、なんとなく不気味に感じて苦手だ。

そしてとにかく、人も車も全くいない。進めば進むほど心細くなってくる。 進んでいると、カーブの途中に何か看板があった。

「熊出没注意」

怖い。
そのイラストがメチャクチャ怖い。
しばらく立ち尽くして考えた。

もう少し進もうか? 帰ろうか?

再度看板をチラ見する。
何度見てもメチャクチャ怖い。
殺気全開で咆哮を上げているような熊のイラストなのだ。 そして、気付く。

――熊対策用品なんて持っていない。

熊の目撃情報があった地域でもないし、山に入るわけでもない、幹線道路の近くの道路だからと、そこまで考えが及ばず、クマよけの鈴すら持ってきていなかったのだ。
割と市街地にまで熊が出る時代。
こんな寂しい場所、熊がいても全然おかしくないと思った。

その瞬間から、世界が一変した。

立ち止まってるのに勝手に心拍数が上がる。
静かなただの道路が、急に危険地帯に感じられる。

帰ろう……今すぐ。

そこからはとにかく早足で元来た道を引き返していった。
途中、近くの林なんかにも目をやり警戒しつつ早歩き。
どこまでいっても静かだ。

ふと振り返る。

何かいないか、変な音はしないか確かめながら降りていく。
まるでゲリラが潜伏しているかもしれない森を警戒しながら抜けるような気持ちで、キョロキョロしながら逃げてきた。

時間にして、約20分くらいだろうか?
ようやく民家のあるところまで戻ってきた。

まだ緊張が抜けきらず、妙な浮遊感を感じたまま幹線道路沿いを歩いていた。
頭が追い付いていないのだろうか。

今の私には、道路を走る車の方が、むしろ異物のように感じられた。


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