MECEは、何も決めない ―1,980円の「板挟み解消法」を、値札ごと読んだ
1,980円を払った。
有料部分は約4,458字。
今回の記事は、MECEという思考技術を使えば、意見の対立による板挟みから卒業できると説明している。
無料部分に並んでいる約束は、かなり大きい。
板挟みで誰かから疎まれたり、胃を痛めたりする日々から卒業できる。対立する両者から信頼を得られる。一度身につければ、仕事、夫婦、子育て、noteなど、あらゆる場面で使い回せる。人生を変えるかもしれない。極論、100万円でも安い。
その技術が、1,980円で売られている。
MECEは、存在しない理論ではない。
情報や論点を、互いに重ならず、全体として漏れがないように整理するための考え方である。複雑な問題を一つの塊として眺めるより、要素に分けたほうが、何が足りず、どこが重複しているのかを確認しやすくなる。
実際、記事内にあるMECEの基本説明は、おおむね妥当だと思う。
今回見るのは、MECEが正しいかどうかではない。
その整理法が、本当に「板挟みを解消する技術」と呼べるところまで届いているかである。
今回読む記事
作者:営業fafa|note業界No.1営業マンさん
価格:1,980円
有料部分:約4,458字
今回も、作者本人から企画へ応募いただき、内容や結論に触れる可能性について事前に了承を得ている。
ただし、今回は単なるMECEの解説記事としては読まない。
作者は「note業界No.1営業マン」を名乗っている。記事内でも、自分が実際に使った販売文を、MECEによる成功例として提示している。
ならば、内容だけでなく、誰に向けて、どの価値を、どのように売ったのかまで商品として読む必要がある。
この記事は、何を売ったのか
この記事が売ったのは、「モレなく、ダブりなく分ける」というMECEの基礎知識だけではない。
無料部分で提示された商品は、対立を整理する方法ではなく、対立を解消し、板挟みから卒業する方法である。
記事では、対立する意見を要素に分解すれば、それぞれが何を求めているのかが見えるようになり、全員が納得できる形へ再構築できると説明される。
その技術を持つ人は、利益相反を「天国行きの切符」に変え、両者からの信頼を勝ち取れるという。
ここまで約束するなら、MECEの意味を正しく説明しただけでは足りない。
何を全体として扱うのか。どの切り口で分けるのか。どの粒度まで細かくするのか。分けたあとに何を優先し、何を諦めるのか。
板挟みを本当に解消するには、整理の前と後にある判断まで必要になる。
「三つの棚」は、本当にMECEなのか
記事の後半では、有料記事を売りたいクリエイターと、できれば金を払いたくない読者の対立が扱われる。
記事は、読者が買わない理由を三つの棚に分ける。
一つ目は必要性。「これは自分の問題ではない」。
二つ目は信頼性。「その解決策や作者は本物なのか」。
三つ目は対価性。「その価格に見合う価値があるのか」。
そして、この三つをすべてクリアしてなお買わない理由は、人間の心理構造上存在しないと説明する。
この記事が自ら提示した成功例である。
ならば、まずこの三分類そのものが、記事の説明するMECEになっているのかを見ればいい。
たとえば、「無料で同じ内容を読める記事がある」という理由は、必要性が低いとも言えるし、金を払うほどの対価性がないとも言える。
「作者の売り方が嫌い」という理由は、作者への信頼性の問題でもあり、その商品に金を払いたくないという対価性の問題でもある。
「今は読む時間がない」も、現時点での必要性が低いとも、時間を含めたコストに見合わないとも分類できる。
一つの理由が、複数の棚に入る。
三つの棚が販売文を考えるうえで便利なことと、三つの棚がMECEであることは別である。
漏れについても同じだ。
後で買うつもりだった。支払手段がなかった。ほかの買い物を優先した。単に忘れていた。記事を買うこと自体ではなく、作者との関係を維持するために買った。
棚の意味を広げれば、これらもどこかに収納できるだろう。
ただし、どんな理由でも後から収納できる棚は、漏れがないのではない。
定義が広すぎて、反証できないだけかもしれない。
相手の武器を、相手の記事自身へ向けてみる。
そこで最初に見えたのは、記事が成功例として提示した分類が、記事の掲げる基準に耐えていないことだった。
このズレは、記事が先に扱った夫婦の実例を見ると、さらに分かりやすい。
キャンバスの端を、誰が決めたのか
記事は、MECEで最も重要なのは、分ける対象の全体がどこまでなのかを明確にすることだと書いている。
記事内の言葉を借りれば、最初に「キャンバスの端」を決めなければならない。
全体が定義されていなければ、何をもって「漏れがない」とするのかも決められない。
ところが、「私と仕事、どっちが大事?」という実例へ入ると、この工程が消える。
そこで突然、妻から見た夫の役割が、経済的支援と情緒的支援の二つに分けられる。
しかし、今回扱う全体は、本当に「妻から見た夫の役割」なのか。
妻の不満なのか。夫婦間の約束なのか。仕事と家庭の時間配分なのか。今日一日の予定なのか。結婚生活全体の話なのか。
それが寂しさなのか、約束違反なのか、育児負担なのかでも、必要な分類と解決案は変わる。
記事は、キャンバスの端を決めることが最重要だと説明した。
そして実例では、その端を説明せずに描き始めた。
MECEの難しさは、世界を漏れなく分けることだけではない。
どこまでを世界と呼ぶかを、先に決めなければならないことである。
岩の中に、レゴの境界線は入っていない
範囲を決めても、次に粒度の問題が残る。
記事では、感情に包まれた大きな問題を「巨大な岩」にたとえ、MECEによって小さなレゴブロックへ分解すると説明している。
分かりやすい比喩である。
ただし、岩の中に最初から正しいレゴの境界線が入っているわけではない。
何を一つの要素として扱うのか。どの違いは無視してよいのか。どこから先を同じ棚に入れるのか。
それを決めるのはMECEではない。
人が目的に応じて引いた分割線に、重複や漏れがないかを点検するのがMECEである。
「経済的支援」と「情緒的支援」という二分類も、唯一の正解ではない。
夫婦や家族の役割には、家事、育児、介護、身体的なケア、安全の確保、意思決定、約束の履行、親族との調整などもある。
それらを経済か情緒のどちらかへ入れることはできるかもしれない。
しかし、何でも収納できる棚が、優れた分類とは限らない。
「粒度の問題だ」と言われれば、その通りである。
だからこそ、なぜその粒度を選んだのかを説明する必要があった。
盤面を整理したあと、誰が駒を動かしたのか
範囲を決め、粒度を選び、問題を分けたとしても、まだ解決はしていない。
記事の実例では、夫婦の役割を経済と情緒に分けたあと、次の前提が置かれる。
仕事には行かなければならない。これは変えられない。
この前提は、MECEから導かれたものではない。
作者が仕事を固定条件にしたのである。
妻の要求を情緒的支援と解釈した。
その不足は昼休みの連絡で代替できると判断した。
週末の予定を立てれば補償できると考えた。
MECEが行ったのは、盤面の整理だ。
その盤面でどの駒を動かすかは、作者が決めている。
MECEを使えば、衝突している要素を見えやすくし、見落としを減らし、選択肢を考えやすくすることはできる。
その価値は小さくない。
ただし、何を優先するか、誰が譲るか、どの条件を固定するか、何を代替可能とみなすかまでは教えてくれない。
整理の前には、範囲と粒度を決める判断がある。
整理の後には、優先順位を決める判断がある。
MECEは、そのどちらも引き受けない。
「三つの棚」も同じである。
必要性・信頼性・対価性という区切りについて、何を購買理由の全体とみなし、どの粒度で境界を引いたのかを、記事は説明しないまま完成した分類として置いている。
さらに、その三つが埋まれば購入へ至ると判断したのも、MECEではなく作者である。
板挟みには、完成図がないこともある
「仕事か妻か」という二択を、収入、時間、愛情、信頼、約束、緊急性、将来への影響へ分ければ、最初の二択では見えなかった選択肢が現れることはある。
その意味で、MECEは板挟みの中身を見つめる助けになる。
記事の価値も、本来はここにあると思う。
しかし、整理すれば必ず全員が満足する答えが出るわけではない。
予算が足りない。時間が足りない。要求が両立しない。一方を選べば、もう一方が傷つく。妥結しても、誰かの不満が残る。
記事は、問題をパズルにたとえている。
パズルには完成図があり、すべてのピースには正しい位置がある。
だが、板挟みには、完成図そのものが存在しないこともある。
ときには、すべてのピースを美しく収めるのではなく、何を捨てるかを決めなければならない。
板挟みが苦しいのは、問題が整理されていないからだけではない。
整理したあとも、誰かが決めなければならないからである。
私は、記事の設計どおりの顧客ではなかった
記事は、自分の販売文を三つの棚の成功例として提示している。
冒頭で板挟みの苦しさを示し、読者に必要性を感じさせる。
マッキンゼーや十年の営業経験を置き、信頼性を作る。
一生苦しむコストと比べれば100万円でも安いと説明し、価格への抵抗を反転させる。
そして、読者が有料部分まで進んだこと自体を、その設計が成功した証拠として扱う。
だが、私は板挟みを解消したくてこの記事を買ったわけではない。
MECEを学びたかったわけでもない。
1,980円が、ノウハウの対価として安いと思ったわけでもない。
作者本人が批評企画へ応募し、記事の商品設計を値札込みで読むと面白そうだったから買った。
私が買ったことで分かるのは、この記事が一件売れたことだけである。
三つの棚が埋まったことまでは分からない。
母数は一件だ。この一件だけで、人間の購買行動全体を否定できるとは思わない。
ただ、「購入された」という結果と、購入者がなぜ買ったのかは分けて考える必要がある。
なお、記事は自分の販売文を振り返る場面で、
一生ストレスを抱えるコストと比べれば、100万円でも安い。それがたった1,000円です
という趣旨の説明をしている。
今回の記事の価格は、1,980円である。
自分の商品を教材として使うなら、ここは合わせておいてほしかった。
売れた理由は、MECEだけではない
ここまでなら、この商品はMECEの初歩を大きく包装して売った記事という評価で終わる。
しかし、作者は「note業界No.1営業マン」を名乗っている。
ならば、誰に売っているかまで見なければならない。
普段、MECEやロジカルシンキングに触れる機会がなく、すでに作者を信頼している読者にとって、この1,980円が必ずしも高いとは限らない。
その読者が受け取るものは、MECEの情報だけではない。
難しい概念を日常語で知ることができる。夫婦やnoteの事例で理解できる。問題を分けて考える入口を得られる。好きな書き手から教わり、作者やほかの読者と共通の言葉を持つことができる。
価格を支えているものには、初心者向けの翻訳、読みやすさ、作者への信頼、関係性への参加、この人から学びたいという指名価値も含まれている。
それ自体は、商品として何もおかしくない。
むしろ、自分の読者がどこまで知っていて、どの言葉なら届くのかを理解し、その読者に合わせて商品を設計している。
無料部分の営業設計も強い。
多くの人が経験する悩みを置き、放置した場合の損失を大きくする。マッキンゼーや管理職研修という権威を置き、作者自身の十年の経験も重ねる。100万円という基準を先に示し、1,980円を小さく見せる。
さらに、「高いと思うなら購入しない方がよい」と読者を選別することで、買う側に、自分は価値の分かる人間だという感覚まで持たせる。
有料部分では、その販売文自体を教材として開示する。
営業記事としての完成度は高い。
ただし、この商品が売れたことは、MECEが板挟みを解消する普遍的な技術であることを証明しない。
売れたことが証明するのは、理論の普遍性ではない。
売り手が、自分の顧客をよく知っていたことである。
営業力が、理論を実力以上の場所まで運んでいる。
1,980円は、何に支払ったのか
費用対効果は、買い手によって変わる。
MECEを知らず、普段こうした思考法に触れない人にとっては、問題を分解して考える入口として一定の価値がある。
難しい概念を、夫婦やnoteの例へ翻訳したことにも価値はある。
作者を信頼し、この人から学びたい読者なら、関係性や指名価値まで含めて1,980円を支払うことも、不合理ではない。
一方で、すでに問題を前提、制約、目的、利害、優先順位、妥結点に分けて考えている人にとっては、内容の多くが既知である。
私の場合、今回の企画がなければ購入しなかったと思う。
だから、一律に高いとは言わない。
ただし、「MECEを日常語で学ぶ入口」としての1,980円と、「板挟みから卒業できる、一生ものの最強の武器」としての1,980円は、同じではない。
記事に書かれているのは、主に整理の方法である。
範囲を決めること。
粒度を選ぶこと。
優先順位を置くこと。
妥結できない場合に、誰が何を引き受けるかを決めること。
板挟みを本当に解消するには、整理の前にも、整理の後にも判断が残る。
前半の整理法は、記事に書かれていた。
後半の決定は、購入者に残されている。
総評
MECEは、板挟みの中身を見えやすくする。
対立を塊のまま抱えず、要素へ分けるだけでも、見えるものは増える。
ただし、見えたものをどう扱うかまでは決めない。
この記事は、整理の前に置いた前提と、整理の後に置いた価値判断まで、MECEの成果として売った。
売れたことが示したのも、MECEがあらゆる板挟みを解消することではない。
作者が、自分の商品を買う読者をよく知っていたことである。
1,980円で、MECEがどう売られるのかを読んだ。
そして、MECEだけでは決まらないことを確かめた。
前半は、記事に書いてあった。
後半は、買ったあとに自分で考えた。
板挟みから卒業できたかは分からない。
ただ、この記事と私のあいだにあった1,980円については、ずいぶん整理できた。
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この構造整理やレイヤー観測が刺さったら、チップで投げてもらえるとうれしいです。