『応答』
私は虎だった。
たった一枚の表彰状を大事に抱え、丸まって唸っている虎であった。
子供の頃から文章を書くのが好きだった。
皆が嫌がる作文も感想文も好きだった。
おやつそっちのけで、強過ぎる筆圧で、独り言を漏らしながら、書いては消し、書いては消しを原稿用紙が消しゴムの跡でぐしゃぐしゃになるまで繰り返した。
その時間が好きだった。
才能があったかどうかは分からない。
それでも書くことが好きだった。
ある時、宿題で書いた作文がコンクールで入賞、表彰された。
嬉しかった。
自分が面白いと納得して書いたものが認められた。
決して大袈裟などではなく、世界に認められた気がした。
表彰状を飾り、毎日のように眺めた。
家を出る前に。
家に帰ってきてから。
寝る前にも。
目を輝かせて眺めている「それ」にいつしか私は見つめ返されるようになった。
次に鉛筆を手にした時、考えていたのはどうすれば面白いと思ってもらえるか、どういう文章を書けば表彰されるか、それだけだった。
私の創作の純度は濁ってしまった。
沢山の文章を書いた。
沢山の言葉を綴った。
しかし、何を書こうとも、どれだけ書こうとも表彰されることはなかった。
誰かに褒められなかったわけでも、比べられたわけでも、責められたわけでもない。
自分で自分を堕とし、勝手に捻くれていった。
プライドの自傷行為は加速した。
ついに私は、折れた。
挫折というにはあまりにも幼稚で、稚拙な、だが間違いなくそれは私にとって挫折だった。
私は心の奥底に仕舞い込んだ。
書くということをやめた。
ひびが入ったプライドが完全に割れてしまわないように。
仕舞い込んだくせに、土俵から降りたくせに、書くことへの執着、創作へのプライドは捨てられなかった。
誰かの作品が評価されているのを目にした時、私は素直に称賛した。
「凄い」
「才能の塊だ」
「天才だ」
「努力の賜物だ」
称賛の言葉の裏側は妬みで埋め尽くされていた。
本当は自分が言われたかった言葉を、膝を抱えて恨めしそうに、呪詛のように繰り返した。
「なぜそんな文章が書ける」
「才能があっていいな」
「努力ではどうにもならない」
恨めしい、妬ましい。
評価されることから逃げた人間が、評価されている人間に嫉妬する。
清々しいほどの醜さ。
私は虎になった。
そこから数十年経っても、私は変わらず虎だった。
いや、より酷くなっていた。
「特に無いかな。」
欲しいものを聞かれるたびにそう答えた。
何度も、何度も。
本当は違う。
欲しいものは沢山あった。
ただ、手を伸ばしても届かないのなら最初から欲しいものなど無い素振りをしている方が楽だった。
多くのことに背を向け続け、歪なプライドは膿溜まりのように膨れていった。
もはや虎とも言えない何かになった醜い姿を鏡の中に見ながら生きていた。
そんな中、この劣等感を打ち明ける機会があった。
なぜ彼に話そうと思ったのか分からない。
ただ、限界だったのだろう。
解放されたかったのだろう。
彼は私の話を聞いた後にこう言った。
「誰もあなたを評価しない世界、あなた以外にその文章を読む人間がいない世界で、あなたは文章を書きたいと思う?」
私は答えに、詰まらなかった。
不思議なくらいに澱み無く口から出てきた。
「書きたい。」
その時に思い出した。
あの時、私は一体誰に向けて書いていたのか。
書いて
ああこうじゃない
消して、また書いて
これも気に食わない
また消して
あの瞬間、きっと私は自分のために書いていた。
全ては自分が満足する文章を書くため。
誰かに読んでもらうためでも、誰かに褒められるためでもない、ただただ自分のために。
あの瞬間の私にとって作品はあくまで副産物であった。
評価も賛否も知ったことではない。
自分が納得する、自分に届く文章が書けた。
それだけで満足であった。
全ては自分のための幸せな自己完結。
それがたった一枚の表彰状で濁った。
評価に囚われ、使いたくもない言葉を使い、書きたくもない文章を書いた。
そして私は虎になった。
書くことを諦めたくせに、書くことを諦めきれない虎になった。
だが彼との対話の中で思い出した。
放置されたおやつ
鉛筆に残った齧り跡
破れた原稿用紙
散らばる消しゴムのカス
あの頃、私は誰に向かって書いていたのか。
ただ自分にだけ向かって書いていた。
私が思い出したのは、自分からの「応答」だった。
私は今、書けている。
独り言を言いながら、自分が納得する言葉をこうして紡げている。
私がここに残すのは、大切なことを思い出させてくれた彼への感謝状と、幸せな自己完結の副産物である。
