須賀川の坂を下る風を、まだ覚えている
最近、なぜか故郷のことをよく思い出す。
年を取ったからだと言われれば、それまでなのかもしれない。
でも、ふっと浮かぶのは、
須賀川の坂道だ。
須賀川は、
どこへ行くにも坂が多い町だった。
友達の家に遊びに行くにも坂
学校に行くにも坂
自転車で出かければ、
帰りはだいたい自転車を押して登ることになる。
子どもの頃は
「なんでこんな坂ばっかりなんだ」と思っていたけれど、
おかげで足腰は強くなった気がする。
水泳が好きだった私は、市民プールにもよく通った。
行きはもちろん坂で、
まあまあ大変だった。
でも、泳いで帰るころには、
あの下り坂が待っている。
汗をかいた体に風が当たると、
それがなんとも気持ちよかった。もしかすると、
今でもバイクに乗るのが好きなのは、あの頃に坂を下る風の気持ちよさを覚えてしまったからかもしれない。
須賀川といえば、祭りの記憶も強い。
年間を通していろいろな祭りがあった。
小学校の頃の鼓笛隊パレードもよく覚えている。
子どもの頃は、そういうものがずっと続くような気がしていた。
でも、中学校を卒業した頃から、家の景色は少しずつ変わっていった。
都市計画の関係で引っ越しがあり、その頃に親も離婚した。
そこからは父との二人暮らしになった。
高校生の頃には、家の中の空気も、自分の気持ちも、なんとなく落ち着かなくなっていて、とにかく早く家を出たいと思っていた。
高校を卒業して、福島を出た。
最初は埼玉の会社に就職した。
学校の先輩がいたから少しは安心かと思ったが、その先輩は先に辞めてしまい、現場では先輩と馬が合わず、ついには喧嘩までして会社を辞めた。
高校の先生が会社訪問に来た時には、私はもう辞めた後だった。
その後、学校に呼ばれて何度か話をしたけれど、結局また福島に戻るのではなく、東京の会社に就職した。
今思えば、あの頃の私は、故郷に帰りたくなかったというより、とにかく前に進みたかったのだと思う。
帰る場所が嫌だったわけではない。
ただ、家のことも、自分の気持ちも、うまく言葉にできないまま、福島を出るしかなかった。
その東京の会社の出張で、神栖に来た。
そこで彼女ができて、結婚して、子どもができた。子どもが幼稚園に通う頃、会社から東京に戻る話があったが、条件的に厳しく、その会社は辞めた。
それからいろいろな仕事をした。
長く続かない時期もあったが、
知り合いの塗装会社の社長に声をかけられ、塗装屋の社員として働き始めた。
もともと埼玉や東京でも建設関係の仕事で現場監督をしていたので、塗装の現場に入っても、顔見知りの職人さんが多く、そこは少し安心できた。
気がつけば10年以上勤めていた。
ある朝、社長から突然「辞めて独立してほしい」と言われた時は、何を言っているのかよく分からなかったが、結局そのまま独立した。
その後もしばらくは元の社長の下で仕事を続けたが、コロナ禍のあと仕事が減り、今は別の会社の下請けとして何とかやっている。
正直、何度も危ない時はあった。
会社として厳しい時期も何度もあったし、もう駄目かもしれないと思ったこともある。
それでも何とか踏ん張って、
今も神栖で暮らしている。
両親は、二人とも私が二十代のうちに亡くなった。
結局、二人とも死に目には会えなかった。
今となっては、福島に行っても実家があるわけでもなく、待っている人がいるわけでもない。
故郷なのに、もう「帰る場所」と呼べる場所はない。
最近は、家族のことを考えることも増えた。
両親は離婚し、私も離婚した。
そして子どももまた、家庭の難しさを抱えることになった。
もちろん、それぞれに事情があって、単純にひとまとめにできる話ではない。
それでも、こういうことが続くと、これはいったい何なんだろうと思う時がある。
家族というものは、思っているほど同じ形のまま続いていくものではないのかもしれない。
それなのに、ここ数年、なぜか前より福島が近くなった。
きっかけのひとつは、コロナだった。
どこにも行けず、家にいる時間が増えて、なんとなくFacebookを見ていたら同級生を見つけた。
少しやり取りをしただけなのに、そこから「他の同級生は元気かな」と思うようになった。
去年はInstagramで、須賀川の松明あかしのクラウドファンディングを知って、少しだけ応援した。
それからだろうか、インスタにも福島の情報がよく流れてくるようになった。
祭りの写真、町の景色、懐かしい名前、そんなものを見ているうちに、昔の記憶が少しずつ近くなってきた。
最近では、Instagramで高校の後輩たちが校歌を歌っているのを見かけた。
懐かしいなと思って眺めていたら、気づけば自分も一緒に口ずさんでいた。
何年も歌っていなかったはずなのに、体のどこかにちゃんと残っていたらしい。
若い頃は、故郷を振り返る余裕なんてなかった。
福島を出て、埼玉へ行って、東京へ行って、神栖に流れ着いて、仕事をして、結婚して、子どもができて、生活を回すだけで精一杯だった。
故郷を懐かしむのは、もっと落ち着いた人がすることだと思っていた。
でも、年を取ると、どうもそうでもないらしい。
故郷が気になるのは、昔に戻りたいからではない。
戻れるとも思っていない。
ただ、自転車を押して坂を登っていた頃の自分も、早く福島を出たいと思っていた高校生の自分も、神栖で何とか会社を続けている今の自分も、ちゃんと同じ人生の続きなのだと、どこかで確かめたくなるのかもしれない。
父の日には、子どもに回転寿司をごちそうになった。
少しほろ酔いになっていたせいか、店でサグラダ・ファミリアが完成したという話になった。
私は昔から、子どもたちに「死ぬ前に一度でいいからサグラダ・ファミリアに行ってみたい」と言ってきた。
その流れで、また懲りもせず「お父さんが死ぬ前に、一回くらい連れて行ってくれ」と言ってみた。
返事は、実にあっさりしたものだった。
「無理」
まあ、そうだろう。
私だって、そんな簡単にスペインまで連れて行ってもらえるとは思っていない。
でも、父の日に回転寿司をごちそうになって、そんな馬鹿なお願いをして、それを笑いながら断られる。
そういう時間が今の自分にはちゃんとある。
須賀川の坂を下る風を、私は今でも覚えている。
帰る場所はもうなくても、消えてしまったわけではない。
故郷というのは、戻る場所というより、年を取った頃にふいに風みたいに吹いてくるものなのかもしれない。
もし本当にいつかサグラダ・ファミリアに行ける日が来たら、その時はたぶん、スペインの空の下で、また須賀川の坂道を思い出すのだと思う。
