あの頃一番言ったのは
大学に通わずにいた間も、当然のことながら生活は続いていた。
大学の敷地に足を踏み入れることはなくとも、近所のコンビニやスーパーマーケット、果ては居酒屋…。そういう場所に行くことは多少の抵抗こそあれど、大学に向かうほど苦痛ではなかった。居酒屋の喧騒と煙草の匂いは苦手だったが、酒さえ飲んでしまえば気にもならなくなった。当時は煙草も苦痛だったのかと思うと、少しだけ笑えた。
あの頃一番言った言葉は何だっただろうか。
ふと気になった。言葉を綴るようになってから、自分が生きてきた日々のある瞬間にどんな言葉を話していたのかが、すごく気になるようになった。
「死にたい」と口にする回数は、実はそこまで多くなかった。一人暮らしであったし、そうした気持ちを吐露する相手もいなかった。だから、幾ら心で思っていても、言葉にはしていなかった。したとしても、無駄だった。
では「ごめんなさい」だろうか。それも違う気がする。そもそも、ごく限られたコミュニティの中に生きていたので、誰かに謝る機会すらなかったように思う。
「できない」とか「無理」というような言葉のような気もしていたが、当時はそもそも何かに挑戦なんてしていなかった。やっていたことと言えば自分が興味を持てることに限った勉強で、できそうにもないことにはチャレンジすらしなかった。
では、いったい僕が一番言っていた言葉は何だろうか。その答えは、あまりにもありふれていた。「ありがとう」だったのだ。
とはいえ、家族や友人への感謝ではなかった。通っていたスーパーやコンビニ、居酒屋の従業員への「ありがとう」が、おそらくあの頃の暮らしに満ちていたのだ。
ちなみに、ではあるが僕が「ありがとう」を言うのは、別に良く見られたいからではない。馴染みの店や通いたいと思った店を居心地のいい空間にしたいと思っていたからだ。最低限のマナーとして、というのも勿論ある。自分が訪れる場所に対して敬意を持つ。この習慣だけは、今も継続している。
というわけで、あの頃の鬱屈していた僕は、意外にも「ありがとう」を一番多く言っていたようだ。だからこそ、僕にとって挫折や絶望と結びつきかねなかった盛岡という場所が、今もいとおしいまま存在するのだと思う。あの頃の挫折だけが盛岡の記憶に残らなかったのは、きらきらとした記憶が残っているのは、意外にも自分のおかげなのかもしれない。
そう思ったら、少しだけ自分を褒めてあげたくなった。あの頃の僕よ、たくさん「ありがとう」を言ってくれていて、ありがとう。
きっと、自分が好きだと思う場所に限ったことではないのだろう。好きだと思う人にも、できるだけ「ありがとう」を伝えること。それが回りまわって、いつかその人とのお別れのときに、煌いてくれるのではないか。
だから、今日は伝えようと思う。
これを読んでくれた全ての人に「ありがとう」。
でも、できるだけ長い間、僕と一緒にいてね。
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