さあ、生きようか
なに食べたい?なにがしたい?なにがすき?
こういう質問が苦手。
そっか、答えがないからか。
誰かの正解を見つけるのは得意で、正解らしきルートを辿って過ごしてきた。
お金は貯めるといいよって言うから、お年玉もコツコツ真面目に貯金した。
そしたら、自分のためにお金を使えなくなった。
人へのプレゼントは簡単に買えるんだけどね。
友達に会ったときに、フィナンシェを手土産にあげた。
「私も人を喜ばせられる人になる!」って言われた。
喜ばせられる人か、いいね。
人にお金を使うのは、やっぱり悪くない。
誕生してから30年目にして、ようやく気付いた。
わたし、自分で決めたかったんだって。
自分のことなのに30年付き合うまで分からないなんて。
そりゃ、3年程度付き合った人のことなんて分からなくて当たり前だ。
自分を知るのはおもしろい。
どうしてあのとき、もやっとしたんだろう。
どうしてあのとき、いらっとしたんだろう。
さらっと飲み込んだ感情に向き合ってみる。
そしたら、すとんと腑に落ちることがある。
時には涙もいっしょに。
負の感情に向き合うのは疲れるのに、なぜ深掘りするんだろう。
そんなことも深掘って考えた。
行き着いた答えは、自分が世界をどう見ているのか、納得したいから。
"自分"っていい研究材料だ。
人の感情には向き合わない。
答えのない曖昧なことは考えても仕方がない。
そうは思いつつ、深掘ってしまうこともある。
どうしてあの人は、あんな言い方をしたのだろう。
そんな言い方をすると怖いよねって言い方を平気でする人がいる。
怖いよねって思ってないのか、怖がらせたいのか。
いや、どうやらどちらでもなさそうだ。
ただ、自分の発する言葉が相手にどう届くかまで考えていないだけ。
それって無意識にやるものだと思ってた。
自分の当たり前が他人の当たり前とは違うということか。
人間って複雑でおもしろい。
自分が正しいと思い込むのは良くないけど、自分に自信もたなきゃやってられない。自分が一番の理解者だから。
だけど、それは他人を否定するための自信じゃない。
死にたいわけじゃないけど、もう死んでもいいなって思うことがある。
それは多分本当であり、嘘である。
犬も、バッタも、タンポポも、生き物は生きようとする。例外なく。
言葉を持つからといって、その前提は揺るがない。
ただこういうときは、空っぽなのかもしれない。
たっぷり溜め込んだあらゆる感情をいっぺんに捨てたら、無になる。そんな感じ。
生きる意味ってなんなんだろう。
誰かが言った。
「人は皆いつかは死ぬんだから。」
かつては、永遠だと錯覚してしまう今にもいつかは終わりがあるのだから、今やるべきことをやろうと鼓舞する捉え方だったような気がする。
だけど、今は死という逃げ道を選択できるとも捉えられる。
死は選択肢ではない。
この世にはたくさんの生き物がいる。その中で私たちは人になった。
人として生きる権利を得たのなら、その義務を果たさなければならない。
人生って何のためにあるんだろう。
答えのない問題は考えないようにしているはずなのに、考えてしまう。
それなら、一か月は何のためにあるんだろう。一週間は。今日という一日は。
今日を続ければ一週間になる。
一週間を続ければ一か月になる。
一か月を続ければ一生になる。
一生で成し遂げたいことを今日始めていなきゃ、いつ成し遂げるのか。
今日一歩でも進んでなきゃ、いつその先に歩き出せるのか。
人生ってそういうことかもしれない。
自分で決めるのはまだまだ下手くそで、誰かの正解をカンニングしたくなることもあるけど、誰かの正解は私の正解ではないから。
さあ、生きようか。とことん自分と向き合って。
この永遠が自然におわりを迎えるまで。
