巡り巡って

十歳までは、父がいた。

父はとてもスパルタだった。

勉強も、遊びも、スポーツも、話し方も、マナーも。できるようになるまで、短時間で徹底的に叩き込まれる。

怖いと思うこともあった。

でも、不思議と嫌ではなかった。

努力した分だけ、自分が昨日より少しできるようになる。

その感覚を、父は何度も体験させてくれた。

飴と鞭のお手本みたいな人だった。

父は科学と数学が好きだった。

専門家ではなかったけれど、身の回りの現象を科学で説明したり、数学をゲームみたいに楽しませたりするのが上手だった。

私はその時間が大好きだった。

ところがある日、父は腹痛を訴えた。

胃潰瘍だと言われて入院し、その後、十二指腸癌だと分かった。

それから三か月後、父はいなくなった。

長かったのか短かったのか、今でもよく分からない。

私はその頃には、すっかり科学好きの子どもになっていた。

学校の先生にも恵まれ、理科は得意だった。

本当は理系へ進みたかった。

でも、母子家庭だった我が家には、その学費は重かった。

文系を選んだ。

その日を境に、高校の時間割から科学も物理も化学も消えた。

少しだけ、世界が遠くなった気がした。

それから何十年も経った。

自分の仕事が少し落ち着き、自分の人生にも少し余白ができた頃、ふと、もう一度科学を勉強してみようと思った。

気づけば研究者と話す機会が増え、大学へ通い、科学に囲まれた毎日になっていた。

そのときだった。

思いがけない感覚に気づいた。

父と一緒にいるような気がする。

もちろん、本当にそんなことがあるわけではない。

ただ、科学者たちと話していると、ときどき父が言いそうな言葉が、そのまま返ってくる。

きっと、それだけのことなのだ。

でも、その「それだけ」が、私には少し嬉しい。

人生は前に進むだけだと思っていた。

けれど、巡り巡って、昔の時間が、まったく別の形で帰ってくることもあるらしい。

父に教えられた科学を、貧困で一度失った。

大人になって戻ってきたら、父も少し戻ってきた。

そんなことを知ったので、ここに書き記しておく。



#創作大賞2026 #エッセイ部門

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