たんぽぽパン

先生の少し歪んだ顔と画用紙いっぱいのタンポポ
それが私の校外写生の記憶だ
雄大な山脈と造形が見事な小堂
小学生の子どもたちに先生が
見せたかったのはそんな風景
その為の校外写生だった
各自、散らばりベストショットを
探して画用紙に描く
それぞれが美しいと感じた景色を
描くことを期待して
だけど、私が美しいと思って
描いたのは地面にあった一輪のたんぽぽ
四方に葉を伸ばし
風に揺れる黄色い花びら
それを美しいと思い
画用紙いっぱいにおおきく描いた
それが私にとっての嘘のない景色

書き終えて教室に戻り
生徒たちは一人づつ
先生に手渡しする
私の絵をみた時の
先生の少し歪んだ顔
私はなぜ先生がそんな顔をするのか
わからなかった
でも、その後にみんなの描いた絵が
教室の後ろに張り出された時に気づいた
私だけだった
たんぽぽを描いたのは
みんなが描いたのは
雄大な山脈と造形が見事な小堂
なぜ、みんな
あのたんぽぽの美しさを
見ないのだろう?
描いていないのだろう?
その時はそう思った
だけど、今なら分かる
先生は生徒たちに
雄大な山脈と造形が見事な小堂
あの景色を見せたかったのだと
そして大多数の生徒たちは
先生の思う通りに
景色を描いた
私以外は

その風景を思いだしたのは最近のこと
美しい景色をみて
誰かと共有したい
語りたいと思い話し始めても
誰にも共感してもらえない

それは私の人格の問題だと思っていた
好意を持っていない相手の話は
共感しづらいだろう
だから
共感してもらえないのだと思っていた

だけど少しずつ
そうではないのかもしれないと思うようになった

私はたぶん
見ている場所が少し違う

目立ちたいわけでも
独創性を出したいわけでもない
ただ
みんなが山を見ている時に
足元のたんぽぽを見てしまう
それだけなのだと思う

そんな私だから一人で過ごすことが多くなった
一人で出来ることを探していて
見つけたことが
自分が文章を書くことと
人が書く文章を読むこと

毎日、あちらこちらと人の文章を尋ね歩く
共通のイベントを言葉にしている人をみつけて
可愛らしく素直な文章を読み
くすぐったくなるような軽やかさに
心がふわりと舞う
微笑ましく思う

文章の中には
みんなが感じたことを
上手く言葉にしてくれるものがある

その人は
美しい景色が見える場所に
展望台を作り

ここからの景色は美しいよと
手を引いてくれる

するとみんなは
その展望台に上がり
歓声をあげる

私は
その文章を書けないだろう

その人とも
みんなとも
同じものが見えないのだから

私の文章は
帰り道の歩道橋の上や
夜の駐車場で
ゆっくり歩きながら
ぼそっと呟く
私、ここからの景色好きなんだよねという
独り言
そして、もし誰かが聞いていたら
あっ本当だね、けっこういいかもねと
やさしさで返してもらう
そんな文章だ

この孤独から抜けだしたくて
みんなに届く文章を書きたいと
試行錯誤した
でも、その可愛らしく素直な文章も
みんなが思ったことを言葉にする文章も
それはその人が紡ぎ出したカタチなのだ
私がそれを真似ても
そのカタチにはならない
それは小麦粉を練ってパンを焼くのに似ている
だれもが日々を重ね、怒りや悲しみ
しがらみや憧憬を持ちながら
愛する人と出会い
別れてゆく
その人なりの道のり
それがその人のパン生地だ

それはその人だけが焼けるパン
可愛くて素直なパンを焼く人は
可愛い店内に笑顔の接客
きっと多くの人が買い求めるだろう
展望台をつくれる人のパンは
何種類ものパンに立派な店内
大勢の人が並んでも買い求めるだろう

私はどうだろう
私がこだわって焼くパンは
いつもいつも変なパンだ
店主の私が張り切って
並べるが
夕方までに売り切れになることはない
そんな
たんぽぽパンだ

だけど、焼くことを
やめられない
明日は今日よりも良い一日になると
良い一日にしてみせると
思ってしまう
つまづきながら
膝を擦りむきながら
歩くことをやめたくない

きっと明日には
だれでもない私が
私を待っているのだ

あの雄大な山脈と
造形の見事な小堂

私には
描けなかった絵がある

それでも私は
あの日
画用紙いっぱいにたんぽぽを描いた

誰かが見落としたものを
私は美しいと思ってしまう

だから今日も
パンを焼く

世界の片隅で

本当だね
けっこういいかもね

そう言ってくれる誰かに届くように

チュンパン屋のたんぽぽパンを





#創作大賞2026 #エッセイ部門

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