森友学園問題めぐる文書不開示、保身を図る霞が関はどっちを向いて仕事をしているのか?

 森友学園に関する財務省文書が不開示となっている問題で、大阪高裁が不開示とした決定を取り消す判決を出し、国側が上告を断念した。至極当然の判決であるとともに、政府の対応も“一般常識”に照らした判断と評価できる。この決定を受け、同省は、誠意ある対応をするかどうかが今後の焦点となる。
 文書不開示の問題は常に、そもそも、公務員はだれのために仕事をしているのか、という疑問にたどり着く。また、何のために文書を作成しているのか、という目的の問題も横たわる。いずれも、主権者である国民のことを前提にしていることは今更言うまでもない。公務員は全体の奉仕者として国民のために仕事をし、その成果はすべて国民に帰結し、当然、業務内容(文書を含む)はすべて原則公開なはずだ。
仮に非公開とせざるを得ないのは、公開することによって国民がかえって不利益を受ける場合に限定されるべきであり、公務員自らの責任逃れや保身のために非公開とすることは絶対に許されない。安全保障や外交問題など他国を巻き込む場合であっても、「●年後」というように時限的に公表すべきだ。要は、国見の評価を受けない公務員の言動というのはあってはならないし、民主主義に背く行為と言わざるを得ない。
 しかも、森友学園問題の場合、文書改ざん疑惑まで浮上している。この文書が公になって困るのは、国民ではなく、改ざんに関与した輩だけだ。これこそ、文書開示により、国民の評価を仰ぐべきではないか。森・加計問題は、霞が関の広い部分に影響を与えた案件だけに、その全容を明らかにすることこそが、(国家)公務員に課せられた責務なはずだ。
筆者も情報開示請求をし、非開示となったことがある。ある刑事案件をめぐる法務(検察)、厚労両省と警察庁が交わした、とされる関連文書だ。両省(警察庁には請求していない)それぞれに開示請求した。結果は、今後の犯罪捜査に影響を与えることなので開示しない、という結論だった。両省とも文言がかなりかぶっており、両者で打合せした印象を受けた(その点、法務省は暗に認めている)。だが、こうした両省で口裏を合わせたことで、筆者が求める文書があるのだ、ということが推察される。情報開示に関する第三者委員会に不服申し立てしたが、結論は変わらなかった。
 実はここで、問題が生じる。当該文書があるかどうかは別として、3省庁による合意内容というのは、全国紙にすでに報道されているのだ。この点については、情報開示請求する前に厚労省担当官に事実関係を問いただしていた。同担当官は「新聞報道は事実だ」と認めている。仮に、今後の捜査に影響するために情報不開示とした内容が報道機関にリークされた、となれば、情報漏洩で国家公務員法違反になるのではないか。一方、同違反案件ではないのであれば、そもそも不開示とした決定が間違っているのではないか。二律背反している状態をどう受け止めるのか。
 それに法務省や警察庁は捜査機関だが、厚労省は捜査機関ではなのに「捜査…」云々を理由とするのはおかしなものだ。もちろん、これによっても、3者つるんでいることの証となるのだが。決定文書の内容をある元厚労省幹部に見せたところ「(断る理由としては)関係ないね」(少なくとも厚労省の部分に関しては)と話していた。ある霞が関の担当官は「本当にやばい、という問題は仮に文書があったとしても、文書がない、と回答する」とうぞぶいていた。全否定しなかった厚労・法務両省は、“尻を隠さなかった”だけ、愛嬌?があるのか。
 それにしても有識者らで構成する第三者員会も事務局が提示した案件をそのまま追認するだけの機関でしかないようで、存在意義が問われる。