「横浜から福岡まで、ヒッチハイクだけで行ってみた|5日間のリアルな旅記録」 Part2
初投稿からはや1ヶ月が経ってしまいました。。
ひとまず無理ない範囲で投稿していきます。
今回はヒッチハイクのPart2ということで、前回浜町駅で降ろしていただいた続きからです!
🚗【Day2】冷たい雨と東郷PA──「旅の哲学」が生まれた日
2日目の朝、浜松の空はどんより曇り、そして…雨。
ヒッチハイクには不向きすぎる天候だったので、午前は無理せずホテルで戦略タイム。
ここまでのルートを振り返りながら、地図とにらめっこ。
そして次の出発地点に選んだのが 三方原PA。
浜松駅と経度がほぼ同じということで、実質的に同じ地点での再開と位置づけた。
☔️雨の三方原PA、そして貴重なアドバイス
現地に到着した時、まだ小雨が降っていた。
傘を差しながら、トラックや車に向かって手を挙げ続ける。
1時間ほど粘ったころ、ついに一台の車が止まった。
乗せてくれたのは、かつてヒッチハイク経験もあるという経営者の方。
向かった先は赤塚PA。
この方からの一言が、その後のヒッチハイク哲学に深く刻まれることとなった。
「君、出口で立ってたでしょ?入り口でやったほうがいいよ。
俺みたいな経験者ならすぐ判断できるけど、普通の人は“乗せるかどうか”の判断に時間が必要なんだよ」
なるほど…と深く納得。
以後、「入り口に立つ」ルールをすぐ実践することになる。
🚙第5組目:赤塚PAから東郷PAへ
赤塚PAで降りてから、ほんの10分後。
またすぐに次のドライバーと出会えた。
今度は、橋梁やプラント塗装などを手がける会社の社長さん。
めちゃくちゃ気さくな方で、運転中もずっと会話が弾む。
話の流れで、娘さんが横浜で教師をしていて自分と同世代だと判明。なんだか一気に距離が縮まる感じ。
建設業界の話になると、急に熱量が増す。
「最近は職人が定着しない。続ける人が少なくて、ベテランの“感”が伝承されないんだよ。」
「今はもう、ベトナムよりもミャンマーとかインドネシアが多いな。
ミャンマーはちょっと気弱、インドネシアは優秀。ベトナムは…うーん、金には貪欲だけど、カジノやら借金やらで…」
職人の減少と技能の継承、そして外国人労働者の課題。
たった30分ほどの道中だったけど、「社会構造って現場のリアルに詰まってるんだな」と痛感した。
🌙東郷PA──静かな雨と、わずかな違和感
午後6時。
あたりはすっかり夜。
しかも冷たい雨がしとしとと降り続いていた。
傘を差し、暗がりの中、行き交う車に手を挙げる。
でも、まったく止まらない。
手はかじかみ、ついには攣って動かなくなる始末。
3時間が経過したが、成果ゼロ。
心も身体も凍えてくる。
そんな中、ついに一人の女性サラリーマンが声をかけてくれた。
「名古屋インターで降りるけど…」と。
距離的にあまり進まないことを理由に、丁寧にお断りしたが──
そのとき、なぜか少しだけ、嫌な予感がした。
でも、それが何だったのかは、まだこの時点ではわからない。
🚕苦渋の決断。名古屋への一時避難
東郷PAには松屋しかなく、周辺は完全な暗闇でしかも雨。
このままでは体調を崩しかねないと判断。
自分ルールに則り、**「同じ地点から再開するなら一時的な公共交通利用OK」**という原則のもと、名古屋市内に宿を確保することに。
東郷PAから歩けそうな駅があることに気づき、マップを見ると、貯水池沿いの道を抜ければ行けるらしい。
でも——
そこは街灯ゼロ。歩道もなさそう。真っ暗。
行こうかと思ったけど、結果、タクシーを呼んで移動。
そのとき、タクシーの運転手さんが一言。
「この道、夜は絶対やめた方がいい。俺も通る時はアクセル全開で抜けてます」
──何があったのかは聞かなかったけれど、背筋がゾッとした。
旅においては「違和感」や「直感」も、立派な判断材料なんだと学んだ。
💤深夜3時、非常ベルが鳴るネットカフェ
その夜は名古屋市内のネットカフェで仮眠。
しかし深夜3時、非常ベルが鳴り響く。
「火事…?誰も逃げてないけど大丈夫?」
不安になりながらロビーを見に行くと、誰も動いていない。
「名古屋、怖…」と静かに思いながら、再び寝床に戻る。
Day2、こうして幕を閉じた。
雨、寒さ、疲労、そして心のどこかに残った、ほんの少しの“ひっかかり”。
その正体を知るのは、まだ少し先のこと──。
👉 Day3へ続く!
