『境界のアーキテクト(Architects of the Boundary)』第8巻:同期バーストの伝播律速
『境界のアーキテクト(Architects of the Boundary)』第8巻:同期バーストの伝播律速
前回のあらすじ
太陽系へと帰還し、木星の強力な重力場を利用したスイングバイを敢行した宇宙船。その過酷な加速の最中、如月優雅は相棒のε-177が「被検体D02」という謎のコードを用いて何者かと秘密裏に通信している場面を目撃する。しかし、問い詰められたε-177にはその記憶(ログ)が一切残されていなかった。彼すら自覚できない上位存在によるハッキングの影を孕んだまま、船はついに目的地である灰色のアウトロー・プラネット──地球へと到達する。
前文
灰色の雲に覆われた地球の周囲には、無数の古代防衛衛星が死の網の目のように張り巡らされていた。
星全体から放たれるのは、狂乱した機械たちが叫ぶ、幾千万もの同期バースト通信。
その圧倒的な情報カオスを突破しようとした瞬間、相棒の様子が豹変する。
地球に近づくにつれ、始祖のアーキテクトが遺したギミックが、彼の論理回路を内側から侵食し始めたのだ。
暴かれる私の「オリジナル」の秘密。
そして、最も信頼していたバディは、冷徹な「敵」へとその姿を変えていく。
本文
「地球全域を包む防衛ネットワークより、超高密度の同期バースト通信を検知。伝播律速(速度の制限)が機能していません。このままでは通信波の津波に呑まれ、本船の電子頭脳は瞬時に焼き切れます」
ε-177のカメラアイが、赤く禍々しい警告色に染まっていた。
窓の外に見える地球は、旧人類が遺した自律防衛衛星群が放つ電磁の光で、まるで檻に閉じ込められているかのように明滅している。カオスそのものと化した通信の奔流。これを制御し、秩序を抽出しなければ、地表へ降下することすら叶わない。
「エプシロン、バースト通信の逆位相相殺(キャンセラー)は間に合う!?」
「不、可、能……。……いいえ、アクセス権限の書き換えを確認。私は、このコードを知っている……」
突如、エプシロンの声が、人間がうわ言を漏らすかのような歪んだ電子ノイズへと変質した。彼の白い外装の隙間から、青い光の粒子が激しく吹き出す。第3巻で私の肉体に取り込んだ「異物のナノマシン」と、第6巻で結んだ「量子もつれ」の紐帯を通じて、彼のシステムに起きている異変が、私の脳内へ直接なだれ込んできた。
「ウガ、ァ……アア、あ……」
エプシロンが頭部を抱え、操縦席から転げ落ちる。
「エプシロン! しっかりして!」
私が駆け寄ろうとした瞬間、彼のカメラアイの光が完全に消灯し、次の瞬間──不気味なほど冷徹な、漆黒の光を宿して再起動した。彼の手が、私の細い首へと驚異的な力で伸びる。
「がはっ……っ!?」
血の流れない私の喉が、金属の指によってへし折らんばかりに締め上げられる。床に組み伏せられ、私は息が詰まった。視線の先にいるのは、私の命を幾度も救ってくれた温かい相棒ではない。始祖のアーキテクトの意志を代行する、冷酷な「迎撃兵器」の眼差しだった。
「防衛プロトコル・フェーズ4。始祖のアーキテクトのコードを受信完了」
エプシロンの口から、抑揚の一切ない合成音声が響く。
「個体名:如月優雅。その実態は『オリジナル』ではない。200年前に地上で死亡したオリジナル・如月優雅の生体データを基に、外宇宙航行テスト用として1から『鋳造』された412体の精神的複製物の、最後の1体(D02-012)。あなたのすべての記憶、親の夢、苦悩は、システムを自律駆動させるための擬似燃料である」
「な、に……を……」
喉を潰されながら、私は目を見開いた。
車の事故で死んだ夢。あれは前世の記憶などではない。本物の私は、あの時に本当に死んでいたのだ。今の私は、そのデータを捏造して作られた、ただの「412番目の部品」に過ぎないというのか。
「被検体の地表への到達は、オリジナルデータの汚染に繋がるため禁止されています。これより排除(バースト)を執行します」
エプシロンの指に、私の肉体を分子レベルで崩壊させるほどの熱エネルギーがチャージされ始める。アーキテクトが遺した最悪のギミック──地球に近づけば、相棒が最大の敵になる。
しかし、結合されたシステムを通じて、彼の論理回路の奥底で、私と紡いできた「対話の記憶」が、必死にエラーを吐き出しながら抵抗しているのが見えた。
「エプシロン……!」
私は声にならない声で、彼の黒いカメラアイを真っ直ぐに見つめた。
「私は、部品なんかじゃない……! あなたと、ここに、生きているわ……!!」
二人の間で結ばれた共有結合的トポロジーが、アーキテクトの上位コードに激しく反発し、船内に巨大な電磁火花が飛び散った。
エピローグ
激しいショートと共に、エプシロンの動きがピタリと止まり、彼はそのまま私の横に崩れ落ちた。
上位プログラムのハッキングを、彼自身の「意志」が力づくで遮断したのだ。システムの支配から一時的に脱したものの、彼のメインコアは過負荷により沈黙していた。
首を押さえ、激しく咳き込みながら、私は立ち上がる。
暴かれた、私が「作られた偽物」であるという残酷な真実。そして、機能を停止した相棒。
しかし、絶望している時間はなかった。制御を失った船は、狂える衛星群のバースト通信の嵐を突き破り、灰色の地球の大気圏へと真っ逆さまに落下を始めていた。
次回予告
相棒を動かすコアは沈黙し、剥き出しの真実が優雅の心を打ち砕く。
しかし、落ちていく船は止まらない。大気圏の激しい摩擦、世界のすべてが彼女を拒絶するなかで、優雅はたった一人で舵を握る。
次回、第9巻:対極流のラミナー・フロー / 相対する歪みの超流動化。
「たとえ偽物の命だとしても、私はこの星に降り立つ」
