仏教とはどういう教えなのだろうか?(8/11回)
「インドには仏教以外にも様々な教えがある」という、考えてみればごく当たり前のことを意識しながら、仏教の特徴について確認してきた。ここで、今まで述べてきたことのまとめも兼ねて、「四法印」について確認したい。これは他宗教と仏教とを区別する、謂わば仏教の旗印である。
「四法印」は①諸行無常②諸法無我③一切皆苦④涅槃寂静の四つより成る。なお、「四法印」よりも「三法印」の方が良く使われている用例であろう。日本では①②と④で三法印とする事例が多いが、東南アジアのテーラワーダ仏教で大事にされている『ダンマパダ』では①②③とまとめている。
先に「仏教は二つの世界を説く」と述べた。我々が生きる迷いの領域と、ブッダが目覚めた悟りの領域。③「一切皆苦」とは迷いの領域を言い当てた言葉であるし。④「涅槃寂静」とは悟りの風光を言い当てた言葉である。この③「一切皆苦」の領域から④「涅槃寂静」の風光を目指していこうというのが仏教の基本路線となる。
それでは、どのようにして歩んでいくのだろうか。③「一切皆苦」の迷いの世界は、我々の「道理に対する無知(無明)」を根源とし、その無知に基づく心のはたらき(煩悩)によって行為(業)をおこなうことにより陥る。逆に「道理」を体得すれば、因果関係の連鎖反応により煩悩は停止し、さとりの風光に見えることが出来る。①「諸行無常」②「諸法無我」とは、この道理を指す。
それでは「諸行」と「諸法」とは何だろうか? 実は、この素朴な問いが「アビダルマ」と呼ばれる教義学が生まれる大きなきっかけの一つである。結論から言えば「諸行」とは「形成作用に基づくすべて」であり、形作られたもの全般を指す。言い換えれば、因果関係の制約化にある全てである。インドにおける因果関係とは「甲があれば乙がある。甲が無ければ乙がない。こうした関係性において、甲は原因であり、乙は結果であると言いうる」というとのであった。であれば、乙の存在如何は乙の存在如何によって左右される。こうした因果関係に基づく全ては移ろいゆくものである。健康然り、社会制度然り。しかし、そこに「変わらぬもの」を期待して、よりどころにしようとするから、人は苦悩するのである。
「諸法」は「諸行」よりも広い領域であり「すべての存在」となる。逆の見方をすれば、仏教は「無常ならざる存在」を想定していることになる。それは「虚空(空間)」であり、「さとり」の領域である。そうした領域全てに「実体的な【私】」を探してみようとしても、そこには無い。しかし、無いものを観念の中で創り上げ、それに基づき行動をするからこそ、さまざまな矛盾がそこに生まれ、生老病死に代表される苦悩が生まれてくるのである。
(未完)
