会社が自発的なつながりを支えていた時代

ブラックボックスの話が続いたので、少しコーヒーブレイクのような話を書いてみたい。

最初に入った会社は、社員同士のつながりをかなり大事にしてくれる会社だった。

今の感覚で見ると、少し昔の日本企業らしい文化だったのかもしれない。

ただ、それは単純に社員旅行を強制するようなものでも、飲み会を強制するようなものでもなかった。

社員同士が自発的に集まる活動を、会社が制度として支えてくれていた。

一定数以上の社員が集まる活動で、写真などを添えて申請すれば、会社が費用の一部をかなり負担してくれた。

私は当時、野球部と軽音部に所属していた。

野球部では球場のレンタル費。

軽音部ではスタジオ代やライブ費用。

ライブ後の打ち上げ。

社員同士の旅行。

合宿のような活動。

そうしたものに対して、会社が一定の補助をしてくれた。

他にも、ゴルフ、テニス、ダイビングなど、いろいろな活動があった。

今思うと、かなりありがたい制度だった。

当時は単純に、福利厚生の一つとして受け取っていた気がする。

遊びに近い活動に会社がお金を出してくれる。

社員同士で集まるきっかけを作ってくれる。

それくらいの感覚だった。

でも、今になって振り返ると、そこにはもう少し別の意味もあったのかもしれない。

会社が支えていたのは、飲み会や旅行そのものではなかった。

社員同士が、部門や世代を越えてつながる余白だったのだと思う。

仕事だけをしていると、関わる人はどうしても限られる。

同じ部署。

同じプロジェクト。

同じ会議に出ている人。

同じ業務フローの中にいる人。

もちろん、それだけでも仕事は進む。

しかし、会社の中には、自分の仕事だけでは出会わない人がたくさんいる。

別の部門にいる人。

違う製品に関わっている人。

昔の仕組みを知っている人。

自分とはまったく違う専門性を持っている人。

そういう人たちと自然に知り合う場が、当時は会社の中にあった。

野球をする。

スタジオに入る。

ライブをする。

旅行に行く。

打ち上げで少し話す。

その場では、仕事の話をしていなかったかもしれない。

けれど、一度顔を知っているだけで、あとから仕事で相談しやすくなることがある。

「あの人なら知っているかもしれない」

「あの部署に知り合いがいる」

「あの時話した人に聞いてみよう」

そう思える相手がいることは、仕事の中で意外と大きい。

仕様書に書かれていないことがある。

設計書に残っていない判断がある。

古い仕組みの理由を、資料だけでは追いきれないことがある。

そういう時に、最後に頼りになるのは、人とのつながりだったりする。

もちろん、今の時代に同じ形をそのまま戻せばよいとは思わない。

参加の自由。

家庭の事情。

働き方の多様化。

ハラスメントへの配慮。

コンプライアンス。

考えなければならないことはたくさんある。

昔のやり方が、そのまま今に合うとは限らない。

ただ、あの制度が単なる親睦費だったのかというと、少し違う気もしている。

社員同士が自発的に集まり、会社がそれを支える。

その結果として、部門を越えた関係ができる。

仕事では見えない人柄を知る。

困った時に相談できる相手が増える。

そういうものも、会社の中にある見えない資産だったのではないかと思う。

今いる部門は、これまでに複数回、親会社が変わる経験をしている。

その中で、制度も、文化も、会社の空気も少しずつ変わってきた。

それ自体が良い悪いという話ではない。

会社が変われば、仕組みも変わる。

時代が変われば、求められる形も変わる。

ただ、その変化の中で、社員同士が自然につながる余白は、少しずつ受け継がれにくくなったのかもしれない。

ブラックボックスになるのは、コードや仕様書だけではない。

人と人の間にあったつながりも、失われると見えなくなる。

誰が何を知っているのか。

誰に聞けばよいのか。

どの人が、どんな経験を持っているのか。

そうした情報は、組織図には載らない。

業務フローにも載らない。

でも、仕事を進める上では確かに意味があった。

昔の会社文化を美化したいわけではない。

社員旅行や飲み会を復活させたいという話でもない。

ただ、会社が人と人のつながりに投資していた時代があった。

そして、そのつながりが、仕様書に残らない知識や、部門を越えた相談のしやすさを支えていたのかもしれない。

そう考えると、失われたのはイベントそのものではない。

人と人が自然につながるための余白だったのだと思う。

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