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【第2回】「私さえ我慢すれば…」同居4ヶ月で10kg激減した私と、お向かいのおばちゃん

前回の初投稿を読んでいただきありがとうございました。
義実家から子どもを抱えて逃げ出したあの日、私の人生はガラリと変わりました。

今回は、「なぜ、県内トップ強豪校の主将までやった体育会系の私が、そこまでボロボロに追い詰められてしまったのか」、そのきっかけとなった出来事をお話しします。

今振り返ると、原因は明確でした。 私が勝手に開催してしまった、終わりのない【良い嫁キャンペーン】です。

同居が始まる前、姑からよく「義兄の奥さん」の愚痴を聞かされていました。
「義兄嫁は気が利かない」
「田舎には住みたくないと言われた」と。

そして、私には「何かあったら遠慮なく言ってね」という優しい言葉。

大学で心理学を専攻していた私は、無意識に先回りして色々考えてしまったのです。
「私は絶対に揉めたくない。完璧に気の利く『良いお嫁さん』になろう」

そう心に誓って始まった同居生活。 でも、お姑さんの「遠慮なく言ってね」を真に受けてしまったことが、すべての歯車が狂い出す始まりでした。


同居開始から、ずっと気になっていたことがありました。 干してある私の下着や、家族3人分の靴下の「向き」が、いつの間にか変えられているのです。わざわざ触られている不気味さ。

ある日、出先で雨が降り、姑が洗濯物を取り込んでくれていました。
私はきちんとお礼を伝えた上で、フラットに、本当にサラッとこう言ったのです。

「洗濯物、取り込んでもらってありがとうございます。生意気なこと言うんですが、干してあるやつはわざわざ触らなくて大丈夫ですよ〜!」

その瞬間、すでに晩酌をしていた姑の顔が、一瞬で【鬼の形相】に変わりました。

そこからは、怒涛の嫌味のオンパレード。 かなりの酒豪でそう簡単に酔わない人なだけに、その冷徹な悪意がリアルに突き刺さります。

その間、リビングにいた義父も旦那も、完全に見て見ぬふり(正しくは、聞こえていないふり)。
私は察しました。この姑は、こうやって男ども(旦那は男3人兄弟の末っ子)を自分の支配下にしてきたんだ、と。

当時、私の実家は複雑な事情を抱えており、疎遠になっていました。
私には簡単に「帰る場所」がなかったのです。

部屋に充満する、強烈な不機嫌オーラ。
姑は、飼い犬や、まだ幼い私の子にまで、私への嫌味を吹き込み始めました。

その異常な空気に耐えきれず、私はそれぞれが寝室に入ったのを確認し、姑がリビングに1人になるのを待って、謝罪しに行きました。

涙の演出を自分に課し、形だけでも謝って、この場をやり過ごすしかない。

すると姑は、勝ち誇ったようにこう言いました。
「あなたのためだからね。あなたには帰るとこなんてないんだからね。かわいそうにね」

旦那にいたっては、起きていてすべてが聞こえているはずなのに、指一本動かさず、何も助けてくれませんでした。

その夜、私は寝室で、旦那に「ここを出るため(同居解消)にはどうしたらいいか」と泣きながら相談しました。
しかし旦那は、寝そべり、タバコを吸いながら、こう言い放ったのです。

「最低でも2年かな〜。俺、親から金借りちゃってるし〜」

……パチン、と音がして、私はここで「呪い」にかかってしまいました。

「お姑さんの機嫌を損ねず、私さえ我慢すれば、私さえ耐えれば、衣食住には困らない。2年後には、また3人で穏やかに笑って暮らせるはず」

そんな自己暗示の呪いです。
ここから、私の「良い嫁キャンペーン」は、狂気を孕んで強化されていきました。


私のベースにあるのは、バリバリの体育会系マインドです。 過酷な練習にも、どんな理不尽な状況にも、「根性と忍耐」で耐え抜いてきた自負がありました。

だから、その後の生活でどれだけ理不尽なことがあっても、脳内で勝手にブラック変換してしまったのです。

「これくらい、大したことない」
「私がもっと動けばいいだけ」
「私さえ我慢すれば、みんなが丸く収まるんだから」

姑の顔色を伺い、先回りして動き、自分の感情にはぶ厚いフタをする。
一歩足を踏み入れたそこは、いつの間にか、息の吸い方も分からなくなるような監獄でした。

体育会系特有の「耐える美学」。これが、完全に裏目に出ました。 根性があるからこそ、心が「もう無理!」と悲鳴を上げているのに、体が動かなくなる最後の瞬間まで耐え続けてしまった。

気づいた時には、同居からわずか4ヶ月。
鏡に映る私は10kgも痩せこけ、目は虚ろで、笑い方も忘れていました。

それでも、子どもの前だけは、なんとか満面の笑顔で接していました。

そんな私の変化に、実は陰ながら気づいてくれていた人がいました。
お向かいに住む、姑より年上のパワフルなおばちゃんです(パワフルすぎておばあちゃんとは言えないくらい笑。いつも名前で呼ばせてもらっていました)。

おばちゃんは私を見かけると、いつも物陰に連れていってくれました。 義両親に見えないよう、聞こえないように、私の手を握ってこう言ってくれたのです。

「頑張らなくていいんだぞ。無理するな。手抜くところは手抜くんだぞ。そんでちゃんと食え、寝ろ。しんどい時は逃げろ」

あの時の言葉に、どれだけ救われたか分かりません。

「がんばる方向」を間違えると、人間はここまで一瞬で壊れるのだと、身をもって知りました。

そして同居から4ヶ月後。 お向かいのおばちゃんが言ってくれた「逃げろ」という言葉が、現実になる時がきます。

私たちの関係を、完全に、修復不可能へと崩壊させる「とある大事件」が起こるのです。

(第3回につづく)

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