右手のない妻に、加賀屋がしてくれたこと
僕の妻には右手がない。
生まれつきだという。
耳奥の骨も作られなかったので片耳が聴こえにくいし、心臓にも穴が空いていて、子供の頃に何度も手術をしたそうだ。
そんな妻と僕がマッチングアプリで出会って結婚した話はいつかするとして、とにかく片手がないのはとても不便だ。
片手一本の生活は、日常生活の全てに制限がかかってしまう。
なかでも『結ぶ』という動作は片手では非常に難しい。
靴ひもを片手で結ぼうとすれば、その難しさがすぐにわかると思う。
器用な人ならば、片手でも靴紐が結べるかもしれない。
だけど、浴衣の帯を片手で結ぶのはさらに難しい。
僕ら夫婦は温泉が好きだ。
温泉旅行に出かけると二人の心がウキウキになる。
けれど妻と温泉旅館に行くと、浴衣の着付けが問題になる。
部屋では妻の帯を結ぶお手伝いができるのだけど、さすがに女湯の脱衣所でそれはできない。
妻が大浴場から部屋に戻ってくるときは、帯が不格好にずれてしまっている。
この不格好にずれた状態も、妻が脱衣所の壁に寄りかかり、人の何倍もの時間をかけて懸命に結んだものだ。
いつしか僕は、片手でも帯がしっかり締められるような浴衣があれば、温泉旅行がさらに楽しめるのにな……と思っていた。
2020年。
そんな僕らが、石川県の加賀屋という旅館に宿泊することになった。
日本一の旅館と呼ばれている、とても大きな旅館だ。
きっかけは、コロナだった。
親族を集めて結婚報告の食事会をする予定だったのだけど、中止になって予算が浮いた。
せっかくだから、二度と泊まれないようなすごい旅館に泊まろう。そういうことになった。
いわば、第二の新婚旅行。
僕にとっても、妻にとっても、夢のようなイベントになる気がしていた。
昔、加賀屋がテレビで特集されていた時、宿泊したお客さんが色とりどりの浴衣から着たいものを選んでいるのを見かけた。
この大旅館ならば、とんでもない数の浴衣があって、その中には片手でも身に着けやすいものがあるかもしれないと僕は考えた。
そこで、宿泊する一か月ほど前に、妻に内緒で加賀屋に電話をした。
「妻の体にハンデがあり、左手しか使うことができないのですが、そういった人でも身に着けやすいような浴衣はございますでしょうか。
もしございましたら、部屋に用意していただけますと大変助かります」
落ち着いた声の担当者さんは、僕のわがままをすべて聞いてくれたうえで少々お待ちくださいと言った。
保留音をしばらく聞いて回答を待つ。
残念ながら、加賀屋にも片手で着脱しやすい浴衣は存在しなかった。
そういった特別な浴衣は一着もないという。
けれど、「宿泊する部屋のお付きの者が浴衣の着脱の介添ができますので、お申し付けください」という回答をいただいた。
心遣いをありがたく感じた。
宿泊の1週間前、電話が鳴った。
加賀屋からの着信で、こんなことを尋ねられた。
「奥様のウエストサイズはおいくつでしょうか?」
唐突な質問に面食らう。
申し訳ないが、僕は妻のスリーサイズは全く知らない。知っている情報として、妻の身長と体型を伝えることにした。
電話を切って、考えた。
どうしてこんな電話をくれたのだろう。
もしかして、何かが見つかったのかもしれない。
僕は思わず、もう一度スマホの着信履歴を見た。
諦めていたはずの気持ちが、少しだけざわついた。
妻との旅行の日がやってきた。
この旅行は2泊3日の予定で能登半島を旅行する。
初日はレンタカーで砂浜を走ることができる千里浜を駆けて、北に向かった。
この日の宿泊は輪島。
夕食は輪島港で水揚げされた魚の美味しいお店で舌鼓を打ち、妻と「美味しいね」と語り合った。
あの1週間前の着信以来、加賀屋からの電話はなかった。
妻は僕がやりとりをしていることすら知らない。
秘密にしておきたいという気持ちもあったし、期待させるだけ期待させてしまい、やはり浴衣が用意されていなかったというのも悲しい。
妻はこれまでの人生で、僕とは比べものにならないほど落胆やもどかしさ、期待が潰えた時の絶望を味わってきたと思う。
それについての不満を一度も口にしたことがなかったのは、この頃から尊敬していた。
だからハードルは上げることなく、『なにかあったら良いな』くらいにしておきたかった。
何もなかったとしても、加賀屋が僕のわがままに応えてくれようとしただけでも十分だと思った。明日はそういったものは抜きにしても、日本一の旅館を2人で楽しもうと思い、寝ることにした。
旅行2日目。
天気は良くて、絶好の観光日和だった。
輪島の朝市を見て回り、お土産に輪島塗の夫婦箸を買った。
能登半島の海岸線をレンタカーで走り、能登島水族館でジンベエザメの水槽に圧倒された。
水族館から能登島大橋を渡って、加賀屋のある和倉温泉に到着。
旅館での宿泊が今回の旅行の目的だったので、チェックインまで辺りをブラブラと散歩する。
和倉温泉のシンボルである加賀屋は、七尾湾沿いの一等地に建っていて、見上げるほど大きい。
湾内の穏やかな海をほとんどの部屋から望めるそうだ。
加賀屋の敷地の中にはいくつもの建物があるのだけど、その中でも一番高い建物が、雪月花。今日、僕たちが泊まる場所だ。

近くを散策していると、出勤途中の仲居さんたちが大勢、自転車をこぎながら加賀屋に向かっていく。巨大旅館ならではの光景だった。
チェックインの時間になったので、駐車場から荷物を持って向かう。
すると、加賀屋の敷地に入る前に係の人がやってきて、荷物を持ってくれた。
感心する間もなく、敷地の中では仲居さんたちが列をなして「いらっしゃいませ」「ようこそお越しくださいました」とおもてなし。
さすが、全国の温泉旅館おもてなし部門で何度もトップに立つだけのことはある。
ロビーはこれまで泊まったどの旅館よりも広くて、眺めがよく、開放感があった。
チェックインを済ませると、僕たちの担当の仲居さんが、先ほど預けた荷物をカートに載せて部屋まで案内してくれた。
館内を移動しながら気さくに話しかけてくれる。
後で知ったのだけど、お客さんと話しながらその人の体型を見て、最適な浴衣を後で用意してくれるらしい。匠の技だ。
館内を歩きながら、その広さに驚く。
ロビーのある1階部分から歩いていける距離に、複数の土産物屋、酒屋、輪島塗のお店、伝統工芸品店、バー、ラウンジ、カラオケルーム、更に劇場ではお抱えの劇団までが公演してる。
館内に温泉街が丸ごと入っているという、想像を超えた規模だった。
しかも朝には広い廊下で市が立つらしい。
館内で朝市が楽しめるというのだから驚くばかり。
仲居さんの説明を聞きながら歩いていくと、エレベーターにたどり着いた。
客室に入る前に、スカイラウンジで休憩ができるという。
カードキーを入れて高層階のボタンを押すと、外が見える展望式のエレベーターが一気に上昇していく。
館内の天井を彩っていた何メートルもありそうな加賀友禅の飾り付けをさらに上へ越えて、和倉の町が見渡せる展望が開けたところでエレベーターは止まった。
スカイラウンジでひと休みしてから、客室へ通される。
ロビーに入ってからあらゆる規模に圧倒されっぱなしなのだけど、部屋の規模は桁違いだった。
部屋に入ってから靴を脱ぐまでの玄関部分だけでも、何畳あるだろうか。
壁には日本屈指の日本画家の書が飾られ、棚には絢爛豪華な工芸品が並んでいた。
どれくらいするのだろう、自分が何年働けば買えるのかな、という庶民らしい考えが浮かぶ。
お宝レベルの芸術品に恐縮するばかりだった。
だけど、本当の宝物は、部屋の畳の上に置かれていた。
浴衣だった。加賀屋が用意してくれた、女性用のものだ。
「こちらが、りんりん様のためにご用意させていただきました浴衣です」
そう言うと、仲居さんは浴衣を手にとって僕たちに見せてくれた。仲居さんが何かを言っているのだけど、僕はこのあたりの記憶がちょっとあやふやだ。
確かなことは、この浴衣が妻のために作ってくれた『特別なもの』だったということ。
浴衣にはマジックテープが妻の体型に合わせて何か所か縫い付けられていて、左手だけでも着脱できるような工夫が満載だった。
帯はマジックテープなので浴衣の美しい結び目がなくなってしまうのだけど、そこも考えてくれていた。
リボン結びと髪留めを組み合わせたパーツを帯に挟み込むことで、浴衣の結び目が現れて、とても自然に浴衣を着ているように見える工夫がされていた。





いつからこの浴衣を作ってくれていたのかはわからない。
僕が初めて電話をした1ヶ月前だろうか。
それとも加賀屋から電話のあった1週間前だろうか。
だけど、たった1日、たった1泊しか宿泊しない僕と妻のために、そのためだけに特別な浴衣を作ってくれていたことに、僕はこれ以上ないほど感動し、胸が熱くなった。
大人になるといろいろな感覚が鈍ってくる。感動というものからなんとなく縁遠くなっていくような日々を送っていた。
そんな僕、そして妻に、最大級の感動を加賀屋は届けてくれた。
まだ事情がわからず驚く妻に、僕は1ヶ月前からの話を手短にした。
話を聞くうちに、妻の表情がみるみる変わっていった。
驚きが、理解に変わり、理解が、喜びに変わった。
目が少しうるんで、口元がほころんで、最後はもう言葉にならなくて、ただ何度もうなずいていた。
これまで満足にできなかったこと、自分ひとりで浴衣をしっかり身につけることができるかもしれない。
旅館に泊まるたびに人の手を借りなければならなかった浴衣の着替えを。
それがどれほどうれしいことか、僕には想像しかできないけれど、妻の顔を見れば十分だった。
だけど、本当に片手だけで身につけることができる浴衣なんてあるのだろうか。わずかな不安が頭をもたげてきた。
加賀屋が作ってくれた特別製の浴衣、なんとか上手に着られますように。
仲居さんの説明を受けながら、妻が浴衣をひとりで身につけていく。
テープの位置を確かめて、袖を通す。
帯の位置を合わせて、身を捻って背中に手を回す。
ひとつひとつの動作に迷いながらも、左手だけで懸命に進めていく。
僕と仲居さんは手を出さずに見守っていた。
結び目のパーツを帯に挟み込んで、最後に襟元を整えて、妻はふうっと息をついた。
その仕上がりは、これまで妻がひとりで着た浴衣とは比べ物にならないほど、きれいで整っていた。
ひとりでやりきった。
浴衣を目にしてから妻が身につけるまで、僕は何度「ありがとうございます」と言っただろう。数えきれないくらい頭を下げた。
左手一本で着られる浴衣を用意する。言葉にすればそれだけのことだけど、どれだけの人の手がかかっているのだろう。
「どなたが作ってくださったのですか?」
僕の問いに、仲居さんは「リネン室の和装担当の者です」とだけ答えてくれた。
その静かな答えが、なんだかとても加賀屋らしいと思った。
さらに、「こちらは古い浴衣を手直ししたものですので、お土産にお持ち帰りください」という言葉までいただいた。
もちろんそれは謙遜だろう。あれだけの工夫が詰まった浴衣を『古いもの』と言ってのけるあたりが、またすごい。
この浴衣があれば、夫婦で、いや妻はひとりでも浴衣を着ていろんな温泉に出かけられる。間違いなく旅の楽しみがひとつ増えた瞬間だった。
一通りの説明を終えて仲居さんが部屋を出てからは、広い室内を探検したり、部屋からの絶景を堪能した。
けれど、さっきの浴衣の感激があまりにも大きくて、何をしていても余韻が消えない。
気がつくと、僕はまた妻の浴衣を手に取って眺めていた。
夕食は、これまでの人生で最も豪華絢爛な食事になった。
僕たち夫婦の名前が達筆でつづられた、夕食のお品書き、お祝い膳としてのたくさんの蟹、新鮮この上ない刺身、どう作っているのか想像もできないような素晴らしい品々が次々と運ばれてくる。
最上級の輪島塗の漆器と九谷焼の器に盛り付けられていた。
こんな素晴らしい食事はこれまでの人生で食べたことがなかったし、その後も食べたことがない。
でもこの時の僕は、目の前の料理の味よりも、妻のために特製の浴衣を用意してくれた感動の方を味わっていた。
自分のわがままを聞いてくれただけではなく、想像していたはるか上のことを加賀屋はしてくれた。
片手で着脱ができる浴衣を用意しておく。
言うのは簡単だけど、一泊するだけの客にここまでしてくれるとは思いもしなかった。
おもてなしの極致。日本一の旅館は伊達ではない。
僕の薄給ではなかなか来ることはできないだろうけど、一生ひいきにしていきたいと強く思った。
食事中、ふすまが開いて、きれいな女性が顔を出した。
加賀屋の女将さんだった。
女将さんは、新婚の僕たちにお祝いを述べてくれて、「お食事の味付けはいかがですか?」と問いかけてくれた。
僕は椅子から立ち上がってこう言った。
「お食事も大変美味しくいただいているのですが、妻のために特製の浴衣を作ってくださいましてありがとうございます。とても感激しています。ご担当者さまにはよろしくお伝えください」
少し言葉に詰まったけれど、言いたいことはすべて伝えることができたと思う。
女将さんは少し驚いた様子だったけれど、恐縮しながら部屋を後にした。
食後に大浴場へ向かうとき、妻はあの浴衣を手に取った。
2回目の着用になると、迷いがなかった。
袖を通して、テープを合わせて、体をねじって、帯のパーツを挟み込む。
1回目よりもずっとスムーズで、ほとんど時間もかからなかった。
改めて見て、感心するばかりだった。
身長とおおよその体型しか伝えていなかったにもかかわらず、妻の体にぴったり合っている。あの短い期間でこれだけのものを仕上げた人がいる。そのことが、また胸に迫ってきそうだ。
お土産屋さんが並ぶエリアは、温泉街の中心のような賑わいで、たくさんの人が行き来していた。浴衣姿の妻はその中を、ごく自然に歩いている。
妻の浴衣が、たった一人のために作られた特別なものだということには誰も気が付かない。
でも、それがいい。誰にも気づかれないということが、この浴衣の何よりの出来栄えなのだから。
翌朝。
朝食を食べた後、チェックアウトまでの時間を部屋で過ごす。
館内の探検にでも行こうかなと思ったのだけど、部屋の中からの眺望だけで満足感がじわじわと満ちていく。
チェックアウトまでまだ1時間以上ある。そんな時、窓際に綴り箱を見つけた。

僕は日本一の旅館の最高の部屋で、最後の1時間をお礼の手紙を書くことに使うことにした。もちろん、浴衣を作ってくれた人々に向けて。
僕はシャレにならないほどの悪筆なのだけど、それでもこの旅館で感動したこと、胸にあふれた気持ちを素直に紙に走らせた。
どうか、この感謝が浴衣を作ってくれた人へ届きますように。
筆を置いて横を見ると、妻は大事そうに浴衣をバッグにしまっていた。丁寧に、丁寧に、折りたたんで。
予想もしていなかった最高のお土産を持って、僕たちは加賀屋を後にした。
夢のような時間から現実に戻って、数ヶ月が経った。
近くの温泉旅館に行くことになったとき、妻は待ってましたとばかりにあの浴衣を準備した。
旅館の客室に着くなり、ひとりで手早く着替えて、浴衣姿で大浴場へ向かっていく。その後ろ姿はなんだか嬉しそうだった。
それから旅行のたびに、妻はあの浴衣を持っていくようになった。
加賀屋がプレゼントしてくれた、たった一着の浴衣。
妻はきっと、この先もずっとあの浴衣を持って旅に出るだろう。
これまでも、そしてこれからも。
僕の妻には右手がない。
できないこと、不便なことはまだまだ多い。
それでも、浴衣を一人でちゃんと着れるようになった。
出来ることが一つ増えた。
妻の可能性を広げてくれた加賀屋には、本当に感謝しかない。
僕たち夫婦はこれからずっと、加賀屋をひいきにしていくだろう。
妻のあとがき
こんにちは。妻のりんりんです。
夫からこの時の話を改めて聞かせてもらって、私の知らなかったこと、気づかなかったことがたくさんありました。
夫は加賀屋に泊まることをずっと楽しみにしていたようです。
テレビで日本一の旅館として紹介されていたのを覚えていたらしく、加賀屋に行けばなんでもある、と思っていたみたいで、それで浴衣のリクエストをしたのだそうです。
夫と加賀屋さんのやりとりについて、私は何も知りませんでした。
だから部屋に通されて、畳の上に置かれた浴衣を見たときも、最初はなんだろう?くらいにしか思いませんでした。
でも、私のためだけに作ってくださった浴衣だと知って、言葉にできないくらいの感動が込み上げてきました。
温泉旅館に行くたびに、帯が上手に結べない私のことを夫がずっと気にしていたというのにも驚きました。
見ていないようで、よく見ていたんですね。
身につけ方も一度覚えてしまえば簡単で、壁に体を押しつけて何度も試行錯誤しながら帯を無理やり巻きつけていた、あのストレスから完全に解放されました。
私の体に合わせて作られているので、ぴったり。
鏡を見たとき、生まれて初めて自分ひとりで浴衣を着ることができたんだと思いました。うれしくて、しばらく鏡の前から動けませんでした。
夫と同じく、私もなるべく加賀屋さんに出かけたいと思って、それから毎年のように足を運びました。
加賀屋さんの素晴らしいご配慮で、浴衣を作ってくださった方にもお会いすることができて、ささやかながらお礼を伝えることもできました。
ですが、2024年の元旦に、すべてが変わってしまいました。
未曽有の震災で、加賀屋は長いお休みに入ったままです。
もう二度と行くことができないのかな、と夫婦で落ち込んでいましたが、加賀屋は再開に向けて動いていると聞きました。
もし再開されるのなら、私たち夫婦は必ず足を運びます。
あの浴衣を持って。
※この記事は、夫と私の共同制作記事です
