食用菊が床に舞い散った!
『巨大なちらし寿司の上に飾られた食用菊をうちわであおいで舞い上げる』という飲食店のパフォーマンスは是か非か、そんな論争をSNSで目にした。
食用菊をパフォーマンスの道具とするのか、食品と考えるのか、色々な人たちがそれぞれの立場でそれぞれの意見を述べていた。
「食べられるものを床に散らすのは食品ロスだ」「生産者への敬意が感じられない」「食材を粗末に扱うな」・・・。
食品派がそう述べると、
「いやいやこれは食と芸術を融合した演出なのである」「客の記憶に残るパフォーマンスを提供して何が悪い」・・・。
パフォーマンス派がそう弁明する。
そこへ今度は、『だったら』と、別の主張が入ってくる。
「だったら、節分の豆まき、大相撲の塩まき、プロ野球のビールかけは、どうなんだい?」
食用菊が、節分の豆と大相撲の塩とプロ野球のビールと同じカテゴリーだとすれば、食用菊をまくことの何が問題なのか?パフォーマンスと食品を融合させた新たな派閥が疑問を投げかけてくる。「それに、生産者だって、食用菊を買ってもらえたらいいんだし・・・」
この論争が結局どこへ落ち着いたのかは知らないが、この騒ぎをぼんやり眺めていたら、私の脳裏に遠い昔の記憶がはっきりとよみがえってきた。
私の父は岩手県出身だ。母は長崎だ。遠く離れた県同士の男女が縁あって神奈川で出会い、結婚し、私と弟は誕生した。岩手と長崎が両親の故郷なので、小学生の頃の夏休みは、毎年どちらかの故郷へ交互に行くのが決まりだった。去年は岩手だったから、今年は長崎だな、と幼い私は夏休み前になるとワクワクした気持ちで夏の訪れを心待ちにしていた。
しかしそれも小学生の頃までで、中学になると、夏休みは塾や部活動が優先され、高校になれば、祖父、祖母とのお別れが帰省の機会になっていた。成長するにつれだんだんと岩手にも長崎にも行かなくなっていた。
私が高校生の頃に長崎の祖父母が亡くなり、母の実家は空っぽになって、数年後には家は解体され、更地になった。何年かに1回、母は墓参りで帰省しているが、私が行くことはほとんどなくなってしまった。
父の実家はまだある。祖父母はもうこの世にいないが、叔父夫婦が暮らしているので、岩手にはいつでも遊びに行ける気でいる。といっても、実際に遊びに行く機会はほとんどないまま月日が流れ、気付けば私は結婚し子供がいる年齢になっていた。両親はもう帰省する側ではなく、たくさんの孫を引き連れた娘や息子を出迎える側になっている。母の実家はもうないし、父の実家に行くことももうないだろう、そんな考えがふと頭をよぎり、長崎も岩手も、思い出がだんだんと遠ざかっていった。
子供が幼稚園に入った頃だった。父が癌であることが分かった。末期ではなかったが、父にとって、残された人生を考えるきっかけになったのだろう。元気なうちに岩手に帰って墓参りがしたいと言い出した。父の口からそんな言葉が出てくるとは意外だったので、父の余生が急に近付いてきて、私を脅かしにきたかのような感覚に陥った。聞けば、私たち家族と一緒に旅行したいらしい。断る理由などもちろんなく、その年の夏休みに十数年ぶりに岩手を訪れることになった。私にとっては子連れでは初めての帰省になる。岩手には大人数で押しかけたにもかかわらず、叔父夫婦は嫌な顔一つせず私たちを温かくもてなしてくれた。
岩手に行くと毎回たくさんの手作り料理が食卓に並ぶ。その中の一つにせんべい汁がある。お菓子として売られている南部せんべいを、鶏や魚介、野菜、キノコなどのだしで煮込んだ、青森県八戸地方を中心とした郷土料理で、父の大好物である。父は岩手出身だが、青森に近い土地柄もあって、なじみ深いのだろう。私もせんべい汁が大好きだし、初めてせんべい汁を食べた子供も夫もおかわりするくらい、とてもおいしい郷土料理なのだ。父は、せんべい汁を食べて満足そうである。その姿を見て私も嬉しかった。
それから、岩手に行くと必ず食卓に上がる一品がある。食用菊のお浸しである。私に食べられる菊があると教えてくれた偉大な料理だ。菊って食べられるんだ、と知った時の感動は今でも覚えている。だけど、それを食べようと思ったことは一度もない。私に限らず、子も、母も、それから父でさえ、食用菊のお浸しを食べている場面に出くわしたことがない。せんべい汁に比べれば明らかに低い位置に食用菊のお浸しが控えめに存在していた。
ところが、食用菊のお浸しを初めて食べて、すぐに「美味しいね、おかわり」と茶碗を差し出す者が現れた。夫である。夫が食用菊のお浸しを、うまい、うまい、と声を弾ませ、目を輝かせて食べていたのだ。夫の食べっぷりに私の胸は高鳴った。素晴らしい存在の登場だ!ついに身近に食用菊の消費者が現れたのだ。
私は興奮とともに、ひと安心した。なぜならば、岩手に帰省すると、叔父夫婦が決まって大量の食用菊をお土産に持たせてくれるからだ。
私の父も、母も、私も、それから弟も、食用菊は食べない。だから、お土産に持たされても困ってしまう。いらない、とは言えないから、もらった食用菊は家の冷蔵庫にしまわれたまま、日にちだけが過ぎていく。私は食用菊の成れの果てを毎回見届けていた。だから、今回の久々の帰省でもそうなると思っていた。だが、もうお土産の食用菊に心を痛める必要はないのだ。我が家に突如現れたダークホース。新人ながら予想外の働きを見せた夫によって、頂いた食用菊はすべてお浸しに変え、我が家は食用菊の食品ロスと無縁な家庭になった。
SNSをほんの少しにぎわせていた食用菊のパフォーマンスを見て、心を痛めた人や、怒った人や、同情した人や、ただの野次馬が、あぁだこうだ口合戦しているのを横目で見ながら、私は、はるか彼方に置き忘れた追憶にふける。小学生の頃、岩手に遊びに行って、いとことたくさんの思い出を作って、そして、最後の日、神奈川の自宅に戻る日の早朝、叔父の奥さんが、「これ、車で食べな」と大きなおにぎりを作ってもたせてくれた。お土産は、おにぎりの他にもたくさんあって、南部せんべいや、手作りの梅干しや、それから食用菊が丁寧に包装されて車にしまわれた。狭い車の中で、握ってくれたおにぎりを夢中で弟と頬張ったことは、良い思い出だ。まだ元気だった祖父母が、私たちの車が見えなくなるまで手を振り続けてこれたことも、今となっては宝物の記憶だ。それから食用菊は、叔父さんたちが「お土産に」と持たせてくれたとても温かい気持ちがこもったおもてなしの品だ。それを、食べるか食べないかは別にして、私にとって食用菊は、記憶の中に大切にしまわれている。
