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涙の代わりに、シャワーを浴びた。—自分の気持ちを隠してしまう人へ

「感情を隠す」って、生きるための防衛本能だったはずなのに、
気づけば、自分の心まで隠してしまってる人がいる。
そんな人に届いたら嬉しいです。



『涙の代わりに、シャワーを浴びた。』

泣いてたのかどうかも
もう、わからない

シャワーの音で隠したのか
涙の温度が、わからなかったのか

誰もいない部屋でさえ
僕はまだ
感情を隠していた

ずっと平気なフリしてた
本当の顔、どこに置いてきた?

誰かに見せるための笑顔
誰にも見せないための仮面

それを、
どっちも身につけたまま
僕は今日も生きてる




🌧️ エッセイ

『涙の代わりに、シャワーを浴びた。』

いつからだろう。
泣きたいときに、泣けなくなったのは。

誰かに「泣くな」と言われたわけじゃない。
それでも、涙を見せることが“よくないこと”のように思えた。
だから僕は、泣きたいときにはシャワーを浴びるようになった。
水の音が、全部をかき消してくれるから。
涙の温度と、水の温度の違いさえ、もうわからなくなる。

でも気づいた。
僕は人がいない部屋でも、誰も見ていない場所でも、
“感情を隠す癖”が抜けなくなっていた。

嬉しいときも、悔しいときも、腹が立ったときも、
感情が表に出ることが怖くて、
“何も感じてないふり”をするようになった。

それは、誰かに迷惑をかけたくないからかもしれない。
嫌われたくなかったのかもしれない。
あるいはただ、もう傷つきたくなかったのかもしれない。

でも、その「隠すこと」がいつのまにか習慣になって、
「本当の気持ちを、誰にも話せないまま」
僕の心だけが、どこか遠くに置き去りになっていった。

笑ってるようで笑ってない。
怒ってるようで怒ってない。
泣きたいのに泣けない。

そんな自分が、鏡の中でぼんやりと、毎日少しずつ壊れていくのを、
僕は気づかないふりをしてきた。

でも、
今日のシャワーの音が、なんだかいつもよりもうるさく感じた。
心の中で誰かが叫んでた。
「もう、隠さなくていいよ」って。

たとえうまく言えなくても、
誰にも理解されなくても、
涙が出るなら、それだけで十分だ。

感情は、なくすものじゃない。
押し殺すものでもない。

ちゃんと、味わっていい。
感じていい。

泣けるってことは、生きてるってことなんだ。

誰にも見せなくてもいい。
でも、自分だけには、ちゃんと見せてあげてほしい。

涙を流せたその日が、
君にとって「戻ってこれた日」になるかもしれないから。

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