人の時間の流れについて
例えば、あなたが道を歩くとする。
その時、あなたはどのくらいのスピードで進むだろうか。
東京駅で京葉線に乗り換える時、多くの人は動く歩道の上を歩き、それが終わると大股で滑るように歩くだろう。
でも、田園のあぜ道を歩む時、きっとそのスピードはもっとゆっくりなはずだ。
少なくとも私はそうだ。
都市と田舎。なんなら性格や日時によって、社会のスピードは変わる。
しかし今、それに変革が起こっている。これは米国の研究なのだが、米国の都市ではここ20年で歩く人のスピードは10%上がったらしい。おそらく日本にも当てはまるだろう。
社会の高速化は、Z世代的な「タイパ」という言葉にもよく表れているだろう。
おそらく、タイパがいい、というのはいいことだ。効率的に物事が進めば、推し活の時間を作れるし、SNSに専念することも、他の仕事をこなすこともできるだろう。実際それが社会の潮流となりつつある。
そしてその傾向は前述の通り都市部において顕著だ。
私は多治見民だ。多治見は都会とも田舎とも取れる地方都市だ。
もちろん時間の流れも適度だ。
だから名古屋や東京に来た時、そのスピードが速いと感じ、
逆に離島や笠置の棚田の中を歩く時、その遅さをくつろぐ。
行けば体感できるレベルで速度が違うのである。
そんな社会で、果たして幸福を享受できるだろうか。
電子メールや新幹線などの発達により、労働はやることが多くなった。
タイパの悪い娯楽は消えていった。
ついにはタイパがいいことを売りにする小説まで出てくる始末だ。
一度立ち止まって、周りの景色を見てほしい。
あなたの周りには何が見えるだろうか。
朝日に照らされ煌めくビル群か、
昨日の雨が残った草原か、
車窓の中で動き続ける住宅街か、
海の向こうに見える入道雲か、
その立ち止まる時間が、私たちに幸福を与えるのだと、私は思う。
都市の中で生きていて、それが難しくて疲弊した時、多治見か、もっと田舎へ来てほしい。
時計は要らない。
あなたの周りに流れる時間と景色と音楽を、全身で受け取ってほしい。
いちど、立ち止まって。
完
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