虎渓用水の上で。
虎渓用水、と言われて一番最初に思い浮かぶのは何ですか。
ふむふむ。なるほど。
あー、そう来ましたか!
はいはい確かにそれもありますね。
はい、タイムアップ!
えー皆様のご回答を集計すると、………
「何も思い浮かばない。ってゆーか何だよ虎渓用水って。」
……となりましたね。
……………………………。
………はい。
虎渓用水は、土岐川から導水した水路であり、もともとは灌漑用水として使用されていた。
現在では多治見盆地の市街化により利用されなくなり、暗渠として残っている。
今回は、そんな虎渓用水について実際に上を歩いてみる。
まずは下の画像をサクッと見てほしい。文字はそんなに読まなくていいので。

https://www.tajimi-bunka.or.jp/lib/wp-content/themes/lib/image-local-pdf/kawa16.pdf
画像を見てわかる通り、現在の虎渓用水は北からおおよそ3本存在することがわかるだろう。
今回はその中でも上の2本を基軸に据えていく。
水源地
何はともあれ全ての始まりを見に行こう。
そう、水源だ。
虎渓用水の水源は盆地から土岐川の数キロ上流、永保寺庭園のあたりにある。
なぜそれほど上流に作られたのか。
実は多治見盆地は土岐川が貫く水面高よりかなり高い。だから盆地内を流れる部分からの引き入れができなかったのだ。水ってな、高いところから低いところにしか動かんねん。
そういった理由で、水面高が事足りる場所だったのが上流部のここだったわけだ。


永保寺入口付近からすこーしだけ見える。
この堰と水門が虎渓用水の始まりだと推測される。
……見にくい…。
この場所で用水内に入った水は、約400メートルものトンネルをくぐる。
100年以上前にその長さのトンネルを掘るのは相当な大工事であったことだろう。そのレベルの大事業が必要になるほど、水不足に悩んでしまっていたのだろう。
さて、そのままトンネルをくぐった先には小さな池がある。

弁天池だ。
約400平方メートルの小さな池だが、その中に神社があり、ここがこの街の農業にとって本当に重要な場所だったのだと分かる。

そして国道を渡る。
ここから3本の水路に分かれるのだが、今回は前述の通り北の2本を歩く。ここでは上下に呼び分けるが、まずは下の水路から歩いていく。

看板もある。ふむふむ。
下の水路


国道19号から曲がり、暗渠の上を歩く。灰色のコンクリート蓋がそれだ。

確かに水が流れている。

道と交差する所だけ10センチほど盛り上がっている。
橋があった跡だろうか。
ん? これは………

井戸だああああああああ!!!!!!
確実にここに水が流れている証拠だろう。エウレーカ。

またもや用水沿いに神社。
やはり重要なものだったのだろうな。

夕焼けの中をまっすぐ、まっすぐ進んでいく。
この道を進んだ先には…

画像左側、多治見駅へと向かう大きな道路が出てきた。
ここで「上」のルートと合流するため、再び遡り、「上」を進んでいこう。
上の水路
さて、弁天池から再出発だ。

国道19号を進んでいくと、大型商業施設が立ち並ぶ一角が出てくるが、ここには昔池があった。
長池だ。
残念ながら、国土地理院地図の最も古い画像でもその存在は既に消えてしまっていた。おそらく明治期から昭和初期にかけて存在したのだろう。
そしてバロー文化ホールを越えて先ほど出てきた道に入り、しばらく進むと精華小学校が出てくるが、その目の前の歩道沿い。
ここに虎渓用水が流れ続けている証拠が残っている。

井戸だああああああああ!!!!!!
そして、

看板だあああああああ!!!!!!!
ってこれさっき弁天池にあったものと同じじゃね?
ま、いいや。
そこから虎渓用水広場へ向かって歩を進めた。その道中でこんなものを見つけた。

これ、完全に虎渓用水に関連してるよなあ…でも看板とかないからよくわからない。
川への合流
そして、

虎渓用水広場あああああ!!!!!!
駅前にこのような安らげる広場があるのはなかなか珍しい。
一般的にはロータリーと停留所とタクシーレーンで駅前というものは埋め尽くされてしまうからだ。
その点多治見駅は駅から0歩でせせらぎに包まれることができる。
なんて素晴らしい場所なのだろう。
実際にこの広場は「まちなか広場大賞」「グッドデザイン賞」を取っている。
なんて素晴らしい場所なのだろう。
おそらく、
「虎渓用水、と言われて一番最初に思い浮かぶのは何ですか。」
と最初に言われ、この場所が出てきた人も多いのではないかと思う。
そんな虎渓用水広場を抜けると、あとは大原川へ向かって一直線だ。
県道沿いをひたに進むと、橋の下に水門があるのが見えた。

ここで、虎渓用水は大原川に合流する。
その直後に大原川は土岐川へ合流し、この水の旅は終結を迎えた。
まとめ
そんなところで、今回はお終い。
虎渓用水沿いを巡っていて一番印象に残っているのは、神社の多さだ。
この水路が当時の農民にとって重要なものだったことを表しているだろう。
この水の流れが、そのまま時の流れを表している。
流れ流され進んでいく時の中で、虎渓用水は灌漑から観光や憩いへと姿を変えて親しまれ続けている。
その「流れ」がこれからも途切れないことを、ささやかに願っている。
完
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