名古屋の市街地にぽっかりと空いた穴。
名二環を通ったことはあるだろうか。
これは日本三大都市、名古屋の市街地をぐるりと囲う環状高速道路だ。
その西側、甚目寺のあたりに、「それ」はある。
南向きに運転していると、突如として左右の防音壁が切れて景色が良く見える場所がある。
そこからは名古屋の街並みが綺麗に見えて、好きな風景の1つなのだが、それがおかしい。

普通の高速道路ならば、「そんな場所くらいあるでしょ?」で終わりだ。
でもよく考えてみてほしい。
ここは名古屋の町中だ。
防音壁がいらないということはすなわち防音するべきモノ――住宅やオフィスなど――が存在しないということ。
名古屋の町中に、そんな場所があるのは普通なことではない。
そこで、これについて調べてみた。
航空写真をみてみよう。北東から南西へ向かう筋が、名二環だ。

この場所だけ、市街地にぽっかりと穴が空いているのがわかるだろう。
名二環の中でこの上を通る部分が、例の景色がいい場所だ。
なぜ?
既出の通り、周囲は市街地に囲まれている。これだけ都市が広がっているのに、この一帯だけは農地になっているのは変だ。何かしら開発の手が入りそうなものだが…
となると、ここは開発制限区域なのか?
そう思い調べるも特にそのような記述はない。何なら市はこの地域の開発を推進しているようだ。
現在に要因がないとなると、恐らくそれは過去にある。国土地理院地図を開き、過去の航空写真を遡った。
結論から言うと、ビンゴだった。
以下に、現在と過去の航空写真を並べてみよう。


滑走路だ。
1945-1949年頃の画像に写っていた。それ以前のデータは、ない。
この時点で解体中の様子なため、それ以前に使われていたのだと推測がつく。
更に、この周辺地域は当時街ではなく、田園地帯であったこともわかる。当時から開発に取り残されていたわけではなさそうだ。
では、この滑走路は何なのか。
「清須市 飛行場」で検索をかける。
するとWikipediaの1つの記事と、1本のブログ記事がヒットした。
――清須飛行場。旧大日本帝国軍が造成した軍用滑走路だ。
この跡地がこの空間であることで間違いなさそうだ。
もう1本、先述のブログ記事を開く。
この筆者は実際に現地を訪れ、そこにはまだいくつかの遺構が残っていることを突き止めた。
やはりこの空間は甚目寺飛行場だ。
となると、もう一つ疑問が残る。
「なぜこの場所は開発されていないのか。」
もう空港は解体されているのだから住宅街になってもいいではないか。
なんと、この用地を手に入れた時の大日本帝国軍は半ば無理やり農民を退去させたらしい。
その後土地を取り戻した農民たちは怒りながら、「2度とこの場所を渡さない」と、輪になって誓った。
その結果として、80年経った今でもその「穴」が残っているというわけだ。
ここまでが事の顛末だ。当時の農民たちはもうほぼいなくなり、この誓いの空き地は徐々に開発され始めている。
当時の飛行場の名残が、農民たちの怒りが、時間とともに消えていっている。それが悪いこととは思わないが、私は一種の哀れみのようなものを感じた。
ただ、景色が見える。
それだけのことでも深掘りすれば興味深い過去が発掘できる。
忘れられかけていた記憶を、私の、あなたの、人々の好奇心が掘り起こすことができれば、それはきっと素晴らしい財産になる。
主語も述語も大きくなってしまったが、私は今回の調査を通じてそういう感傷性を見いだしたのだ。
完
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