旅という情緒
旅は好きだ。
知らない景色、知らない歴史、知らない文化。
自分の周りにはまだ未知が広がっていると認識させてくれるから。

旅は好きだ。
教科書に書いてあったことを再確認できる。
長浜までは晴れていたのに、敦賀に入った瞬間雨に打たれた時、フェーン現象を再認識した。


雲仙普賢岳の麓にある博物館、がまだすドームで、火山災害の恐ろしさを体感した。



昔、ある本で読んだことがある。
「旅行と読書は人間にとって最高のインプットだ」と書いてあった。
その通りだと思う。
読書は勿論、素晴らしいインプットだ。
それは他人の冒険を自分に疑似体験させるツールだからだ。
自分にはできないことを、人の体験で補う。
それに対して旅は、自分の物語だ。
自分の冒険を、自分の体験としてインプットする。
それは旅でしか得られない知見だ。
旅先で初めて現実味を帯びる現実がある。
それこそが旅の楽しみなのだ、と感じる。
知見を得る街
さて、ひとえに旅と言ってもその目的地は様々だ。
絶景を見に行くのもよし。
美味しい地場料理をたらふく食べてもよし。
そんな中で私は、歌舞伎町をお勧めする。



都民がこの街にどのような認識を持っているのかは知らないが、おそらく地方の民にとって歌舞伎町は旅行先ではないだろう。
歌舞伎町は、汚い。
ここで働いている方には申し訳ないが、やはり外からこの街を見た時、外面的にも内面的にも汚い街とされる。
しかし、日本の中で特に「暗い」この街を知ることは私の中で新しい価値観を生み出した。
それは歌舞伎町のみならず、あいりん地区や新世界、甚目寺などを歩いたときにしか気付けない。
トー横は、掃き溜めじゃない。
歓楽街は、汚点じゃない。
あいりん地区は、象徴じゃない。
それぞれの街には、それぞれの生活がある。
一つ一つの建物に、一人一人の人生がある。
そこで生きるという選択をすること自体は、悪じゃない。
その「悪」は、他人が決めつけたレッテルだ。
外から遠目で眺めるのではなく、
実際に中に入って、歩く。
それだけの行為が、私の、貴方の知見を増やす。
…そう感じた。
旅とは、人生が交錯する瞬間だ。
目の前を2両編成の列車が通って行った。
それだけのことが、とてつもなく感慨深く感じる。

列車はたくさんの人のたくさんの一瞬を運んで、私の前を通り過ぎる。
たくさんの人生のたくさんの世界線が1秒間だけ交錯する。
その事実が、とてつもなく美しく感じるからだ。
旅とは、人生が交錯する瞬間だ。
それは勿論一瞬だけの話ではない。
鹿児島の銭湯で同じ湯釜に入った年配の方とお話させて頂いたりした。
近江塩津駅の階段で出会った方と米原までご一緒した。


それらの経験、つながりは私の世界を形作っている。
地元の人と出会い、同じ旅人と出会い、話し、語り、つながる中でえも言われぬ高揚感を覚えるのだ。
それは非常に欣快で、自らの畢生を左右するものにすら見えてくる。
そのつながりは、旅でしか味わえない。
SNSでもなく、同僚でもなく、「今この場所でたまたま話した」つながりだからだ。
旅という情緒は、この知識と知見とつながりという三要素で構成されている。
少なくとも私はそう思う。
だから、旅に出てほしい。
日帰りでいい。
自分の知らない土地を気ままに歩く時、貴方の世界はきっと、
花開くだろうから。
その目的地が多治見であることも、多治見推しとしては願っておく。
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