逆光中学生日記|矜持(きょうじ)
「ねぇ、あの橋はお父さんが造ったんでしょ。かっこいいなぁ、僕もあんな橋を造ってみたい。」
「父の仕事」という橋を目の前にして、小学生の頃の、父との会話をぼくは思い出している。
「はははっ。作ったよ、って言いたいけど、ぼくが造ったんじゃない。お父さんにはあんなにすごい橋を造ることはできないよ。設計をしただけだ。橋のデザインや強さを計算して。」
「なんだぁ、そうなの。」
「なんだぁ、はひどいなぁ。お父さんは、あの橋の設計したことを誇りに思っているよ。でも、実際に造ってくださった職人さんの方々も、きっと同じように、思っているんじゃないかな。」
「そうだよね。すごいもんね。あの橋を造った人たちって。」
すると、父は満面の笑みを浮かべながら、嬉しそうに話を続けた。
「ああ、そうだ。造ってくださる職人さんがいなかったら、いくら設計してもあの橋は存在していないことになる。特にあの橋は、吊り橋だから、多くの技術のスペシャリストさんに造ってもらった。橋梁鳶さんは、あの高い場所での鉄骨の組み立て作業や橋を吊る専門の職人さん。お父さんは高いところは苦手だから、あそこに上がることすらできなかった。鍛治工さんや溶接工さんは、高い溶接技術で鋼鉄の部材をつなぐ職人さん。橋の強度はこの方々にかかっていた。その他にも、たくさんの職人さんがいてくださったから、橋は完成したんだ。」
「うん」と大いに納得しながら、ぼくは、ふと疑問に思ったことを父に聞いた。
「でも、その職人さんの活躍が、話題になるようなことってあまりないよね。建物をデザインする人なら有名な人もいるけれど。」
「そうだね。確かに、橋が誰によって造られたかを、ほとんどの人は気にかけることはしないね。でも、職人さんたちは、それで良いって、きっと思っている。あの橋のそばに来た時、あの橋は私が造ったんだという誇り。この地図に載っている橋は、私が造ったんだという誇り。それが今現在、人の役に立てているんだという誇り。誰に言われなくても、そんな自分の仕事への矜持を持っていると言えるな。」
「何?その『きょうじ』って?」
小学生は、語彙が少ないから仕方がない。ぼくはまた、父にすぐに聞いた。
「誇りとかプライドの別名かな?でも、決して周りの人にひけらかすものではなくて、むしろ、自分だけが分かっていればいい、ってイメージの言葉かな。」
「ふーん」と返事はしたけど、その時のぼくにはまだ難しい話だった。
だから、そのままに放っておいた。でも、3年ぶり、最近、調べた。A Iは、すごく便利だ。
「矜持」とは、「自分の能力や信念、品格に誇りを持ち、それを大切に守り続ける心構え」とあった。そして、さらに、父が言っていたように、自慢や傲慢と違って誇る気持ちにも、慎む(自分を律する)という静かな強さを含んでいる言葉だということが分かった。中学3年生の今、やっと、その言葉の持つ意味が分かってきた。
小学校時代の家族旅行は、いつも橋のある場所だった。カメラを持って美しい橋をめぐる旅。
小六、夏の自由研究は町に流れる川に架る橋についてだった。父は何度もそれに付き合ってくれた。自転車でその全てを辿り、一つ一つの写真を撮って「桁橋(けたばし)」「アーチ橋」「トラス橋」…と、名前と製造年と形について調べた。
ある意味、橋のエリート教育?今、思い返すと、ちょっと笑える。意外に楽しかったなというのと「してやられたな」っていう気持ち。父は、それとなくぼくに、「橋は素晴らしい建造物だぞ」「橋の設計士はいい仕事だぞ」と刷り込もうとしていたのかも知れない。いや、きっと、そうだ。
でも、父の話を聞き、また、語彙を調べ、そして中学3年生になった現在、次第にぼくの心の声が、ぼく自身に聞こえるようになった。これまで、あまり真剣には考えてこなかった「どんな仕事が自分には合っているか?」等の、「適性」なんてことを考えるようになって。
つまり、ぼくが将来したいのは、父とは異なる仕事だということなのだ。
目に見えやすい仕事は、格好よく見えがちだ。例えば、ドラマの主役俳優が演じる仕事等。逆に、目に見えにくいと、「どんな仕事?」となって、それはすぐに格好いいとはなりにくい。目立つ仕事は、他にもたくさんある。でも、どちらかというと、それらの仕事を支える側の仕事の方が多いのではないかな。ぼくには、そういう仕事が、すごく格好いいと思えた。父の話に登場した職人さんの仕事にとても惹かれる。それは人によるだろうけど、ぼくは自分には合っていると、なんとなくそんな気がしている。
例えば、お医者さんや、病気の人のために薬を開発する人もいいけど、夜でも責任を持って看護したり、薬をその方に届けたりの仕事も格好いい。宇宙飛行士には憧れるけど、宇宙ロケットの部品を作るためには、この職人さんの技術がなくてはできないっていうのも格好いい。
格好いいというと、ちょっと軽く感じるから、別の言葉でいうなら、尊い。
作品はお店に並んでいても、日本の文化を絶やさぬためにも工芸品を作る職人さんも、見えにくい存在だ。でも、職人さんの手から生み出される様々な美しい物たちをみていると驚きを隠せない。それは尊いと、やはり思う。
確か、父はあの時、ぼくにこんなことも言っていた。それは、仕事というもの全般に関してだった。ぼくが父に「お父さんだけ、なんだか楽そうだね。楽しそう」と言った時だった。
「楽しいよ。でも、仕事は大変なことばかりだよ。いつも好きなことだけができる訳じゃない。希望通りになることは稀だよ。」
そうだと思う。そこは、誤魔化さなくていい。楽しいだけの仕事なんて、きっと無い。特に仕事を始めたばかりの頃は、分からないことばかりだろう。でも、それなら分かるようになればいい。時間はかかっても。
「人と人との間にいることで悩むことも、あるだろうな。同じ仕事だと飽きてしまうなんてこともあるのかな。」
ぼくだって、ある程度、そんなことは経験しているから分かる。それは、辛いだろうな。でも、そのために、学校で教科以外のことも学んでいるんじゃないか。
「あとは、頑張っても、頑張っても報われない…そういうことがあるのも仕事。」
父のそうした言葉を聞きながら、ぼくはとても不安な気持ちにもなったのだった。でも、父は、ぼくにこう言ったんだ。
「それでも、仕事をしてきてよかったって、時々、心から思うことがあるんだよ。場所は、会社でのこともあるし、家でのこともある。働かないと、この気持ちは味わえないのかも知れない。」
それを確かめたいんだ、ぼくは。
「そういう気持ちはすぐには感じられなくても、いつか自分がしてきたことを振り返ると、やってきてよかったなと思える仕事もあるだろうな。」
やりがい。それがお給料の多寡かも知れないし、自分が社会のために役立てたという自負なのかも知れない。それは人によるのだろう。ぼくもきっと、人との営みを通して、いつかそれに気づくのだ。
誰かが頑張った後には、誰かが幸せになる。誰かを幸せにしたいと思って行われる仕事が、もっと報われる社会になっていくといい。仕事について、小学生の頃よりもずっと真剣に考えたからか、そんな言葉が今は胸をめぐるようになった。
「矜持」。
そこで、ぼくは、この言葉をもう一度思い出す。
それは、人と比べるのではなく、自分の内側に向ける、慎ましい誇り。
それが持てる役割、仕事、生き方ができたらいい。
時にはアウトローになることも辞さない。
でも、自己満足だけには終わらせない。
自分に合う仕事との出会いを願いながら、
ぼくは15歳を、また一歩進む。
