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【読了】日本に憧れたアメリカ人と長崎通詞の交流と日本の開国『海の祭礼』吉村昭

江戸時代、日本は鎖国政策をとっていて、長いこと中国とオランダとだけしか交流を持っていませんでした。
長崎通詞である森山栄之助が、鎖国中の日本に不法に上陸した青年、ラナルド・マクドナルドから英語を学んでいく話を描きながら、ペリー来航5年前の日本が歴史の大きなうねりの中で鎖国から開国へと踏み出す歴史的な背景が描かれています。

ラナルド・マクドナルドは白人の父親とネイティブアメリカンの母親を持つアメリカ人です。
彼はその出自によって、白人中心のアメリカ社会で生きていくことに苦労していました。実の父親でさえ、彼を差別していたんですね。
元々とても頭の良い人だったようです。よく勉強もしていました。
彼は、物欲にまみれた白人の社会より、精神的な豊かさを持つ母方のネイティブアメリカンの生き方に惹かれます。
彼は、同時に神秘の国、日本について知り、日本人を身近に感じるようになります。そして、ついに単独日本へ行くことを決意します。
これは、日本からしたら、違法なんですが…。

マクドナルドが上陸したのは、北海道ですが、その後彼は長崎に送られます。
鎖国政策をとっていた日本では、このように対処するしかありません。
唯一交流のあったオランダ船に乗せて、できるだけ早く日本から出国させる方針です。
長崎に送られたマクドナルドは、ここで長崎通詞、森山栄之助と出会うのです。

森山通詞はすでにオランダ語が堪能だったようですが、当時はまだ英語に明るい通寺はいませんでした。
森山はマクドナルドから英語を学ぼうと決心します。
マクドナルドもまた、日本語を習得しようと励みます。

この辺りのやり取りは、語学を学ぶ者にとって心を打つものだと思います。
まずは、人体の各部の名称を知る。
それを覚えてから範囲を広げていく。
単語の発音を聞いて、さらに紙に書いてもらいそれを覚える。
どうやら通詞たちの英語は、オランダ語訛りが強かったらしく、発音に関してはマクドナルドに徹底的に修正されました。
彼の口の動きをよく見て、何度も自分で真似をして発音を学んでいきます。
マクドナルドは、教える才能に長けていました。

その頃、日本には「諳厄利亜語林大成」(あんげりあごりんたいせい)という英和辞書があったそうです。その語数は約6000語。結構たくさんありますね。
ちらっと国書データベースでのぞいてみましたら、いや、素晴らしい辞書でした。
例えば、
absence 又 absent の項目には、
不在 又 退去

とあります。それも、達筆な文字で美しく書いてありました。

よくぞここまで!美しい文字です「諳厄利亜語林大成」より

森山は、「諳厄利亜語林大成」の単語を一語ずつマクドナルドに発音してもらい、それをかたわらに片仮名で書きとめていった。マクドナルドの発音を何度もくり返して口にし、夜、家にもどってからも、おそくまで発音練習をする。道を歩いている時も、絶えず英語を口にしていた。

『海の祭礼』吉村昭(文春文庫)

もう、必死に英語を身につけようとする森山通詞の熱意がすごい!
国の未来がかかっていますから、それはもう力が入るってもんです。
その一方、

森山をはじめ通詞たちが何度もマクドナルドに注意されるのは、Lがふくまれている単語の発音だった。 「ソレハRダ。Lハチガウ」  と言って、マクドナルドは発音してみせる。

『海の祭礼』吉村昭(文春文庫)

このくだりを読んで、オランダ語に堪能な当時のエリートの通詞さんたちも、私と同じだった!と恐れ多くも親しみを持ってしましました。

森山通詞たちは、英語のレッスンの最中は英語で話し、日本語は一切使わなかったとか。
これは、本当にもどかしく、辛い取りくみではありますが、語学学習には必要な態度です。
他にやりようがないので、自然にイマージョンメソッドに近い形での学習になりました。

そして何よりも、家では「諳厄利亜語林大成」の筆写をしたそうです。
筆写、すなわち書写しは、コピー機のない当時の学問の基本でした。

その後、マクドナルドさんはアメリカに帰国、その回想をもとに
"Japan, Story of Adventure of Ranald McDonald" という本にまとめられました。
その中で、森山通詞たちのことをこんなふうに語っています。

「彼らは驚くほど英語が上達した。その理由は、彼らがこの課業にまじめに取組んだこと、また彼らのもの分りのよさや学識の広さは、なみなみならぬものであり、あるものなどは驚異的であったこと、にある。彼らの心は並外れて鋭敏であり、かつて私はうぬぼれて『目から鼻に抜けるほどだ』と自負していたが、その私をはるかに凌駕するほどである。  彼らは私の知るかぎり、生来もっとも賢い国民だといいたい」(富田虎男訳)

『海の祭礼』吉村昭(文春文庫)

実は、この作品で、森山栄之助通詞とラナルド・マクドナルドの直接の関わりはおそらく3分の1くらいなんです。
マクドナルドは1年と数ヶ月日本に滞在した後、アメリカに帰国してしまいます。
あとは、そうして身につけた英語を駆使して、その後何度も日本に開国を迫るアメリカ、イギリス、フランス、ロシアなどの欧米諸国と幕府の間に立ってその使命を全うする、森山通詞の生き方が描かれます。

ペリーが浦賀に来航した。それが日本の開国のきっかけとなった。

歴史ではざっくりまとめられてしまいがちな開国への歴史の流れが、この作品にはこれでもかというほど詳しく書かれています。
武力をチラつかせて脅しや恫喝に近い物言いをしてくる、そうした国々に屈することなく、冷静に、誠実な態度で言うべきことはしっかりと言う、交渉役の林大学頭の言葉も印象に残りました。
この言葉を通訳する森山通詞はどう感じていたのでしょうか。

激動の時代を生きた晩年の森山通詞は、精魂尽き果てしてまったのでしょう。

森山は、これまで接してきた多くの外国人の顔をぼんやりと思いうかべることが多かった。それらのほとんどは、本国の強大な軍事力を背景に居丈高な態度をとり、思い出すだけでも不快であった。その中でラナルド・マクドナルドの記憶のみは、かれの気持をなごませた。人なつっこい眼と、口もとをゆるめて笑う顔がなつかしかった。

『海の祭礼』吉村昭(文春文庫)

あの鎖国の時代に、日本人と異国人がこのような関係を築いたことは驚きですが、同時にいつの時代も人と人はこのように分かり合えるんだなと感じました。

通詞という江戸時代の仕事についての興味から読み始めた本ですが、言語だけでなく、蝦夷地、鯨漁、江戸の藩政、長崎の出島、西洋諸国の思惑など様々な出来事を含んだ上、開国の歴史の裏側が詳細に述べられていて、大変勉強になりました。

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