“昔は怒られてた”って言う人、今も怒ってますけど。
昔は怒られてたんだよ』 って言われた瞬間、思った。
“あなた、今も怒ってますけど?”
あの人が怒っているとき、 怒りの内容が正しいかどうかなんて、 もはや関係なくなる。
声の大きさ、言い方、目線、溜息。 全部が“怖さ”として、こっちに刺さる。
理不尽だとか、怒る必要ないとか、 そんなことを言う余裕もなくて、 ただ、“萎縮”して、時間が過ぎるのを待つだけ。
ふとした休憩時間、 あの人が言った。
「私も昔は、めっちゃ怒られてたよ〜」
……いや、それって、 いま怒ってる免罪符になります?
『昔は怒られてたから、今怒ってる』
それってつまり、 “怒りの連鎖を止める気はないです”ってことでは?
“怒られてた人”が、 “怒る側”にまわっていく。
ずっと続くこの無限ループに、 誰も何も違和感を持たない。
でも、それ、 ほんとに“教育”ですか?
私はいつも思う。 怒られた記憶って、 「正しかったこと」より 「怖かった人の顔」だけが残ってる。
それってたぶん、 “伝える”じゃなくて“支配する”ってことなんじゃないかって。
🧷たとえば、あのときの私はこんなふうに限界だった。
👉 「ごめん、今日のあの人は、ちょっと無理だった。」
「私も怒られてたから」って言う人。
今、“誰か”を怒ってるとき、 その顔は“昔、あなたを怒った人”と そっくりかもしれませんよ。
もし、この記事に少しでも共感してくれたら。 私のことを少しだけ知ってもらえたら嬉しいです。 👉 少しでも知ってもらえればと思い、自己紹介です。
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