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お手玉


あのお手玉の中にはいったい何が詰まっていたのだろう。


小学校一年生か、それよりもう少し前だったと思う。
母はカタカタとミシンを鳴らして、私の服や家の中の細々としたものをよく作っていた。
母は料理も上手で、煮魚でも唐揚げでもなんでも美味しかった。「おいしい」と言えば嬉しそうに何度もお皿によそってくれるので男兄弟と競うように食べていた。

母が作ったものの中にお手玉があった。お手玉は細かい目で手縫いされていた。いくつものお手玉が飾られるでもなく、遊びに使われるでもなく家のあちらこちらに放ってあった。私はお手玉遊びがあまり好きではなく、正直ありがたいと思った事は一度もなかった。

その頃住んでいたのは、東京北区のとある場所で4棟並んだ2軒長屋のうちの1軒だった。
子供心に茶色い杉板張りの外観はいかにも粗末に見え、掃いても掃いてもポロポロと剥がれ落ちるキラキラを含んだ繊維壁も掃き出し窓のある暗いトイレも全部好きになれなかった。
ただ、小さな家のわりにしっかり広い庭があって、父はその庭をとても気に入っていたと後から聞いた。

長屋には一棟ごとに手押し井戸があった。ところどころ緑青のついた柄の部分を上から下に力いっぱい振り下ろすと押した回数分だけバシャッバシャッと水が出てくるのだ。泥遊びやドクダミで遊んだ時に友達とかわるがわる押して手を洗ったのだが、水はとても透き通っていて冷たかった。水道とは違って不規則に手のひらで跳ねる水の手触りが楽しくて、いつも周り中を水浸しにしたものだった。

日陰の井戸周りには晴れた日でもなんとなくジメジメとした空気があった。這う虫も多かったからあまり好んで行くことはなかったがよく覚えているのは艶々の玉をつけた数珠玉の草が生えていたことだ。他の草より少し背が高く、硬い茎から小指の先ほどの雫型の粒がいくつも飛び出すようについていた。茶色の艶玉はそれなりにインパクトはあったが、ままごとのおかずにするほどの魅力はなかった。

ある時、赤っぽい縮緬花柄のお手玉から茶色い糸が垂れているのに気がついた。なんとはなしに手に取ると糸がほつれ、縫い目の間に隙間が開いていた。
ぐぐっと人差し指を入れぐずぐずと意味もなく縫い目を広げてみる。そのうちコロリと茶色い粒が現れた。小さな穴から次の一つを絞り出し、穴を広げてまた一つ。茶色い粒は濃い茶色から少しねずみ色のものまで様々で、どんな色があるのかといじくりまわしているうちに結局お手玉は大きく口を開け、全てを吐き出してしまった。
わたしは母に「ごめん」でもなく、部屋の端に残骸を押しやって、その出来事を忘れてしまった。


去年の秋、台風が去った後に用水路のメダカは流されてしまっただろうかと田んぼの畦を歩いていると、
強風で薙ぎ倒された草の間に凛々しく立つ背の高い草が見えた。近づいてみると見覚えのある雫型の粒が茎の節目からこぼれるように這い出している。まだ数珠の実は色づく前で、黄緑色だったが艶っとした感じは昔見たあれだった。
「あ、数珠玉だ」
とひとりごちると同時に赤い花柄の縮緬が頭をよぎった。

母はあのお手玉をどうしたんだろう。


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