半神の少女 第11話「12人の半神」
第11話「12人の半神」
アレスの宮殿
アレスは玉座で1人うつむいていた。固く握られた拳がわずかに震えている。
アレス
「俺は……どうすればいい……」
戦いの神としての使命、そして1人の父親としての想い、その2つの感情が、彼の心を引き裂いていた。
神宮寺家 リビング
テーブルの上には、湯気を立てるたこ焼きのパックが置かれている。
祥雲は目を輝かせながら、爪楊枝でたこ焼きを1つ口に運んだ。
祥雲
「熱っ!」
ヘルメス
「おいおい、一気に食うなよ?よく冷ましてから食うんだ」
ヘルメスは呆れたように笑いながらも、どこか嬉しそうだった。
佳織はその様子を見て、何も言えずにいた。目の前にいるのは本物の神。それなのに、親子の会話はあまりにも普通だった。
祥雲
「でも、たこ焼きがこんなに美味しいの、初めて知ったよ!」
ヘルメス
「それはついさっき、本場大阪で買ってきたたこ焼きだ」
祥雲
「ありがとう、パパ!」
その言葉にヘルメスは一瞬だけ目を丸くする。そしてすぐにいつもの軽い笑顔に戻った。
ヘルメス
「どういたしまして……それとな、祥雲」
祥雲
「ん?」
ヘルメスは少しだけ表情を引き締めた。
ヘルメス
「お前のママから、言伝を預かってる」
祥雲
「ママから?」
祥雲の手が止まる。
ヘルメスはゆっくりとうなずいた。
ヘルメス
「ああ。『ちゃんと食べて、ちゃんと寝なさい。無茶をするなとは言わない。でも、自分の命を軽く扱うことだけは許さない』だって」
祥雲は黙って聞いている。
ヘルメス
「それから……『あなたが選んだ道なら、ママは止めません。でも、帰ってきなさい。必ず、生きて帰ってきなさい』ってさ」
リビングが静まり返る。
祥雲は手元のたこ焼きを見つめたまま、少しだけ唇を噛んだ。
祥雲
「……ママらしいな」
ヘルメスは苦笑する。
祥雲
「……ありがとう、パパ。ママの言葉、ちゃんと受け取った」
ヘルメスは穏やかに笑う。
ヘルメス
「ならいい。お前は速い。誰よりも遠くへ行ける。でもな帰る場所があるってのは忘れるな」
祥雲は小さくうなずく。
祥雲
「うん。ちゃんと帰るよ」
佳織はそのやり取りを見つめながら、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
神と人間。離れていても、親と子の絆は確かにそこにある。
神宮寺家 佳織の部屋
佳織はベッドに腰掛け、窓の外をぼんやり眺めていた。今日1日で感じた、今までにない数の神気。世界中から集まってきた半神たち。そのことが頭から離れない。
佳織
「半神たちが東京の街に……これって偶然なのかな~?」
蓮、月菜、大悟、海斗、愛梨、祥雲、冬子――全員との出会いを思い返しながら、佳織は静かに微笑む。
そして立ち上がり、窓を開ける。夜風が優しく部屋へ吹き込んだ。
佳織は満天の星空を見上げる。
佳織
「でも……これで、ようやく12人そろうかもしれないんだよね?」
の言葉には、不安よりも期待が込められていた。
あと4人。まだ顔も知らない仲間たち。けれど不思議と会える気がしていた。
ヘスティアの宮殿
暖かな炉の火が絶えることなく燃え続ける、ヘスティアの宮殿。
その柔らかな炎を見つめながら、ヘスティアは穏やかに微笑んでいた。
宮殿には、冥界の王・ハデスが訪れている。ヘスティアが両手を袖に収めたまま、静かに口を開く。
ヘスティア
「半神が4人も日本に集まるの?」
ハデスはゆっくりとうなずく。
ハデス
「ああ。思ったよりも早く……12人が揃うな」
ヘスティアは炉の前へ歩み寄る。
燃え盛る聖なる炎の中には、東京にいる佳織の姿がぼんやりと映し出されていた。
窓辺に立ち、夜空を見上げる娘。その姿を見つめながら、ヘスティアは優しく目を細める。
ヘスティア
「佳織……もう少しよ。あなたは1人じゃない」
ハデスも炎の中の佳織を一瞥すると、小さく口元を緩めた。
ハデス
「仲間とは、不思議なものだ。血よりも強い絆で結ばれることもある」
短くそう言い残すと、ハデスは踵を返し、宮殿の出口へ向かう。その背中にヘスティアが柔らかく声をかけた。
ヘスティア
「ハデス、もう行くの?」
ハデスは足を止め、振り返らずに答える。
ハデス
「ああ……バカ息子と、話をつけねばならん」
その言葉にヘスティアは思わず笑みをこぼした。
ヘスティア
「ふふ……昔から心優しいあなたのことだもの。きっと、大悟も分かってくれるわ」
ハデスは小さく鼻で笑う。
ハデス
「そうだといいがな」
一瞬の静寂。
次の瞬間、ハデスの身体は黒い炎へと姿を変える。
音もなく燃え上がった冥府の炎は、ゆらりと揺れると、そのまま空間へ溶けるように消えていった。
宮殿には再び静けさが戻る。ヘスティアは1人、炉の炎に映る佳織を見つめ続ける。
墨田区・路地
ベロニカの前にポボスとデイモスがいる。
ベロニカ
「ポボスお兄ちゃん……?デイモスお兄ちゃんまで、どうして日本に?」
ポボスは険しい表情を浮かべ、ベロニカの前に立ちはだかる。
ポボス
「ここから先へ行かせるわけにはいかない」
ベロニカ
「え?」
デイモスも横へ移動し、逃げ道を塞ぐ。
デイモス
「大人しくしていろ、ベロニカ。すべてが終われば、自由にしてやる」
ベロニカ
ベロニカは2人の間を抜けようとするが、ポボスの瞳から暗い光が放たれ、周囲の空気が一変する。
ベロニカの胸に、説明できない恐怖が広がった。足が震え、身体が思うように動かなくなる。
ベロニカ
「くっ……!」
ポボス
「すまぬ、ベロニカ……」
ベロニカ
「何!? お兄ちゃんたち、変だよ!?どうして私の邪魔をするの!?」
デイモスは苦しそうに眉を寄せる。
デイモス
「お前を守るためなのだ……」
ベロニカ
「私を守る?こんなことをして、何から守るっていうの!?」
デイモスが答えようとするが、ポボスが視線で制止する。
ポボス
「これ以上は聞くな」
実はこれはアレスの命令だった。
回想 アレスの宮殿
アレスは水晶玉の中に映る佳織を指し示す。
アレス
「……東京へ行くぞ」
3人が顔を上げる。
アレス
「半神たちが揃う前に、ヘスティアの娘を葬る」
デイモスは好戦的な笑みを浮かべる。
ポボス
「ですが……ベロニカのことは、どうするおつもりで?」
その言葉に、アレスの表情がわずかに歪む。
アレス
「お前たちが足止めをしろ。傷はつけるな」
アレスは水晶玉に映る佳織を睨みつける。
アレス
「その間に……」
一瞬、佳織の姿とベロニカの姿が水晶玉の中で重なる。
アレスは迷いを振り切るように剣の柄を握った。
アレス
「ヘスティアの娘は、俺がとどめを刺す!」
現在
ベロニカは恐怖に耐えながら、必死に拳を握る。戦神の血が反応し、彼女の身体から赤い神気が立ち上ると、その手から剣が現れる。
ベロニカ
「お兄ちゃんたちが何かを隠しているなら、私は自分で確かめる!そこをどいて!」
ベロニカが地面を蹴る。しかし、デイモスが放った暗い波動が周囲を包み込む。視界が歪み、どちらへ進めばいいのか分からなくなる。
ベロニカ
「何?これ……」
周囲の建物が何重にも重なって見える。
前へ進んでいるはずなのに、同じ場所へ戻されてしまう。
デイモス
「俺の力からは逃れられん。しばらくここにいてもらう」
ベロニカ
「やめて!私を行かせて!」
ベロニカは何度も前へ進もうとする。
だが、ポボスの恐怖とデイモスの混乱に阻まれ、どうすることもできない。
ベロニカ
「どうして……?どうして、こんなことをするの……?」
ポボスは顔を背ける。
ポボス
「すまない」
その様子を、少し離れた建物の屋上から見つめるレムスがいた。
レムスは腕を組み、初めて会う妹を見下ろす。
レムス
「あいつが……ベロニカ……」
墨田区 河原
穏やかな午後。佳織と蓮は河原に来ていた。
佳織は足元から平たい石を拾い、川面へ向かって構える。
佳織
「よーし……今度こそ!」
佳織は勢いよく腕を振って石を投げるが、石は水面を跳ねることなく、大きな音を立てて沈んだ。
佳織
「あ~、もう!全然うまく跳ねない!」
少し離れた場所で座っていた蓮が、楽しそうに笑う。
蓮
「下手くそ~」
佳織はムッとした表情で蓮を振り返る。
佳織
「うるさいな!蓮だって、最初からできたわけじゃないでしょ?」
蓮
「俺は3回くらいでできたけど?」
佳織
「絶対うそ!」
蓮
「本当だって」
蓮は立ち上がると、足元から平たい石を拾う。軽く腰を落とし、横向きに腕を振る。投げられた石は水面を軽々と跳ね、遠くへ沈んでいった。
蓮
「ほら」
佳織は悔しそうに頬を膨らませる。
佳織
「……たまたまでしょ?」
蓮
「負け惜しみ?」
佳織
「もう1回!」
佳織が新しい石を探そうとした、その時だった。
空が突然暗くなる。先ほどまで穏やかだった風が止まり、周囲の音が消えた。河原の真上に、赤黒い雲が渦巻いていた。
その雲の奥で、激しい雷鳴が轟く。次の瞬間、巨大な雷が河原へ落ちた。
佳織
「きゃっ!」
雷が落ちた場所から、砂埃と赤黒い炎が立ち上る。
炎の中から、戦いの神・アレスがゆっくりと姿を現す。
アレス
「……見つけたぞ」
佳織の顔が強張る。以前にも感じた、身体を押し潰すような神気。
佳織
「アレス……」
アレスは炎の中から歩み出る。その視線は真っすぐ佳織へ向けられていた。
アレス
「ヘスティアの娘。今日こそその命をもらう」
蓮は佳織を守るように一歩前へ出る。
蓮
「伯父さん、また佳織を殺しに来たんですか?」
アレスはムッとした表情を浮かべる。一瞬だけ、戦場には似つかわしくない気まずい沈黙が流れた。
アレス
「……またその呼び方か」
蓮
「親父の兄貴なんだから伯父さんでしょう?佳織を殺そうとするなら、黙って見ているわけにはいきません」
アレス
「俺と戦うつもりか?」
蓮
「必要なら」
蓮は光の弓を出現させ、矢をつがえる。佳織も蓮の隣へ並び、両手に炎を灯した。
佳織
「私も逃げない」
アレスは2人を見つめる。
戦いを避けようとする心、父の命令に従おうとする心、そして東京のどこかにいる娘への想い、3つの感情が彼の中で激しくぶつかり合っていた。
アレス
「……悪く思うなよ。これは、神々の秩序を守るためだ」
アレスは剣を引き抜く。刀身から赤黒い炎が噴き出す。
佳織
「誰かを殺さなきゃ守れない秩序なんて……」
佳織の炎が強く燃え上がる。
佳織
「そんなもの間違ってる!」
アレスの目が鋭く光る。
アレス
「ならば、その身をもって証明してみろ!」
アレスが地面を蹴る。一瞬で間合いを詰め、佳織へ向かって剣を振り下ろす。
蓮
「させるか!」
蓮が光の矢を放つ。矢はアレスの剣へ直撃し、眩い光と赤黒い炎が激しくぶつかる。
衝撃波が河原全体へ広がり、川面が大きく揺れた。
アレスが剣を抜いた瞬間、その強大な神気は衝撃波となって東京中へ広がった。
人間には感じ取れない、神と半神だけが分かる異様な気配。それはまるで、戦争の始まりを告げる鐘の音だった。
墨田区・住宅街
月菜は空を見上げ、佳織と蓮の危機を感じる。
月菜
「……佳織さんが危ない!」
月菜は走りながら右手を空へ掲げる。淡い月光が集まり、銀色の弓へと形を変えた。
月菜
「待っていて、佳織さん!今、助けに行きます!」
月菜は建物の屋根へ飛び乗り、障害物を飛び越えながら一直線に河原を目指す。
隅田川沿い
海斗
「……助けに行くか!」
海斗は助走をつけ、橋の欄干を飛び越えて川に潜る。大きな水しぶきが上がった次の瞬間。水中で青い神気が爆発した。
海斗は水を蹴り、魚雷のような速度で泳ぎ始める。水の流れが海斗の身体を包み込み、さらに速度を上げていく。
墨田区・大通り
祥雲の両足に、緑色の神気が集まる。
祥雲
「仲間が戦ってるなら……行くっきゃねえ!」
祥雲が地面を蹴る。その姿は一瞬で消え、次の瞬間には大通りの反対側へ移動していた。
周囲の人々には、強い風が吹き抜けたようにしか見えない。
壁を蹴り、歩道橋を飛び越え、屋根の上へ駆け上がり、祥雲はさらに加速する。
墨田区・商店街
冬子はアスファルトの下にある植物の根へ、両手から緑色の神気を送り込む。
冬子
「お願い。私を佳織ちゃんのところまで連れていって!」
冬子の足元で、アスファルトに小さな亀裂が走る。亀裂の中から、太い植物の蔓が勢いよく伸びた。
冬子は蔓につかまり、空中を移動する。
墨田区・人気のない路地
大悟は険しい表情で拳を握り、先ほどハデスと交わした会話を思い出していた。
回想
路地裏で黒い炎をまとったハデスが、大悟の前に立っている。
ハデス
「お前は、いずれ選ばなければならぬ」
大悟
「何をだよ?」
ハデス
「自分のために戦うのか。仲間のために戦うのか」
大悟は不機嫌そうに顔を背ける。
大悟
「説教なら聞かねえぞ」
ハデス
「説教ではない。お前がどのような男になるのか見定めているだけだ」
大悟
「俺は俺だ。あんたに決められる筋合いはねえ」
ハデスはわずかに笑う。
ハデス
「ならば行動で示せ。12人が揃う時、お前の力が必要になる」
大悟
「ずいぶん勝手な話だな」
ハデス
「親とは勝手なものだ」
大悟は目を細める。
ハデス
「だが覚えておけ。お前が守ろうとした者は、いつかお前を暗闇から引き上げる」
現在
大悟の足元から黒い炎が立ち上る。
大悟
「仲間のために戦え、か……相変わらず、偉そうに言いやがって」
大悟は拳を強く握る。その腕に冥府の紋様が浮かび上がった。
大悟
「……やってやるよ……親父……!」
黒い炎が大悟の全身を包み込む。
大悟が一歩踏み出す。その足元に、冥府へ通じる黒い影が広がった。
大悟の身体は影の中へ沈み込み、次の瞬間には姿を消す。
一方、河原から放たれたアレスの強大な神気は、まだ出会っていない半神たちにも届いていた。
荒川沿い
ユチカは河原の方角を見る。空には赤黒い雲が渦巻き、何度も雷光が走っていた。
ユチカ
「あそこから強い力を感じる……」
一瞬、母みやびから言われた言葉を思い出す。
回想
ユチカはスマホで母と電話をしていた。
みやび
「無理をしちゃだめよ。神様の事情に巻き込まれて、あなたが傷つくなんて絶対に嫌よ」
ユチカは足を止める。少しだけ寂しそうな顔をした後、穏やかに微笑んだ。
ユチカ
「ありがとうお母さん。ちゃんと無事に帰るから」
現在
しかしユチカは、その場から逃げようとはしなかった。
ユチカ
「ほかの半神たちがいるなら……なおさら行かなくちゃ」
ユチカが走り出す。その足元から葡萄の蔓が伸び、彼女の進む道を示した。
錦糸町駅前
突然吹き抜けた熱風に、周囲の人々がざわめき始めた。
そんな中、ジョンだけは河原の方角へ歩き出す。
ジョン
「行ってみれば分かるか」
その歩みは次第に速くなり、やがて全力の走りへと変わっていった。
カフェ前
フリックはカフェの前で背負っていた金属製の箱を地面へ置く。
フリック
「あっちの方角か……」
箱が自動で展開し、機械仕掛けの脚部が現れた。
フリックは装置を背中に装着し、その噴射の勢いで飛び上がり、建物の屋根を伝って河原へ向かう。
墨田区・路地
一方、ベロニカもそれを感じていた。
ベロニカの身体に流れるアレスの血が、その力の正体を伝える。間違えるはずがない。父の力だった。
ベロニカ
「……!」
ベロニカはポボスとデイモスの間を抜けようとする。
ベロニカ
「どいて!」
しかしポボスが前へ出て道を塞ぐ。
ポボス
「悪いがそれはできない」
ベロニカ
「どうして!?」
ポボスは答えない。代わりにデイモスが静かに武器を構える。
デイモス
「ここで大人しくしていろ」
ベロニカ
「嫌よ!」
ベロニカは腰に下げていた剣を抜く。デイモスの表情が険しくなる。
デイモス
「どうしても行くなら……」
黒い神気が、デイモスの全身から噴き出す。
デイモス
「お前を倒すしかない……」
ベロニカ
「お兄ちゃん……」
ポボス
「許せ、ベロニカ」
ポボスの瞳が暗く光る。強烈な恐怖がベロニカの全身を襲う。
ベロニカ
「くっ……!」
ベロニカの手から剣が落ちかける。その隙を狙い、ポボスとデイモスが同時に飛び出した。
ポボス
「はあっ!」
デイモス
「そこを動くな!」
左右から2人の攻撃がベロニカへ迫る。
その瞬間、黄金の光が路地を照らし、巨大な盾がポボスとデイモスの攻撃を受け止めた。
衝撃波が路地を駆け抜け、黒い霧を吹き飛ばす。
ベロニカ
「何!?」
ポボスとデイモスは盾から距離を取り、着地する。
ポボス
「この盾は……!」
デイモス
「またアイギスの盾か!」
ベロニカの後ろから、手から光を放つ愛梨が現れた。
ポボス
「アテナの娘か!」
愛梨
「2人がかりで女の子1人を襲うなんてね」
愛梨は振り返らず、背後のベロニカへ声をかける。
愛梨
「立てる?」
ベロニカ
「う、うん……」
ベロニカは落としかけた剣を握り直し、愛梨の隣へ並ぶ。自分を助けた少女の横顔を、不思議そうに見つめる。
ベロニカ
「あなた……何者?」
愛梨
「私は宇保方愛梨。知恵と戦の女神アテナの娘よ」
ベロニカも剣を胸元へ寄せ、自らの名を告げる。
ベロニカ
「私は……ベロニカ・スミルノフ……軍神アレスの娘……」
ポボスとデイモスが再び神気を高める。
ポボス
「話は終わりだ!」
デイモス
「2人まとめて止める!」
愛梨は周囲を素早く確認する。ここで戦い続ければ、佳織のもとへ向かうのが遅れてしまう。
何より目の前の2人はベロニカを殺そうとしているわけではない。狙いはあくまで足止めだ。
愛梨
「ここは危ないわ!」
愛梨はベロニカの手をつかむ。
愛梨
「行きましょう!」
ベロニカ
「う……うん……!」
愛梨とベロニカは路地を駆け出す。黒い霧が晴れたことで、河原へ続く道が見えていた。
愛梨
「こっちよ!」
2人は並んで走る。
墨田区・河原
赤黒い神気をまとったアレスが、剣を手に佳織へ迫る。
アレス
「はあああっ!」
アレスが地面を蹴る。踏み込んだ場所が大きく陥没し、その巨体が一瞬で佳織との距離を詰めた。
蓮
「佳織!」
アレスの剣が、佳織の頭上へ振り下ろされる。
佳織は両手を前へ突き出した。炎がドーム状に展開して佳織を包む。
アレスの剣が炎のバリアへ激突する。
激しい轟音とともに、赤黒い炎と橙色の炎がぶつかり合う。衝撃波が河原を駆け抜け、周囲の石や砂を吹き飛ばした。
佳織
「くっ……!」
佳織は歯を食いしばり、両足を踏ん張る。
バリアはアレスの剣を受け止めている。アレスはわずかに目を見開いた。
アレス
「ほお。以前よりも強度が増したようだな」
佳織の額に汗が浮かぶ。それでも彼女は炎を絶やさないように両手へ力を込める。
佳織
「私だって……何もしてなかったわけじゃないんだから!」
アレスは剣を押し込みながら、口元に薄い笑みを浮かべる。
アレス
「確かに成長した。半神の身で、俺の一撃を受け止めたことは褒めてやろう……だが……!」
アレスが1度剣を引く。急に圧力が消えたことで、佳織の身体が前へ傾く。
佳織
「えっ……?」
その一瞬の隙を突き、アレスは腰を落とした。赤黒い神気が剣の刀身へ集中する。
河原の空気が重く沈み、川面が大きく波打つ。
蓮
「まずい!」
アレスは全身を回転させ、先ほどを遥かに上回る一撃を叩き込んだ。
アレス
「砕けろ!」
剣が炎のバリアへ激突する。爆発のような音が響き、佳織たちの周囲から巨大な火柱が立ち上った。
佳織
「きゃあああっ!」
佳織の両腕に激痛が走る。障壁の表面に小さな亀裂が生まれた。
その亀裂は音を立てながら、蜘蛛の巣のように全体へ広がっていく。
蓮
「バリアにひびが……!」
アレスは剣を押しつけたまま、冷たい目で佳織を見据える。
アレス
「確かに強くなった。だが無意味だ」
アレスの赤黒い神気がさらに膨れ上がる。
アレス
「神と半神の間にある差は、その程度で埋まるものではない!」
アレスが剣へ力を込めるたび、亀裂が深くなっていく。炎の欠片が、砕けたガラスのように周囲へ散った。
佳織
「うっ……!」
佳織の膝が地面につく。アレスはとどめの一撃を放とうと、剣を大きく振り上げる。
アレス
「終わりだ、ヘスティアの娘!」
蓮は弓を捨て、佳織を庇うように前へ飛び出した。
蓮
「佳織!」
アレスの剣が振り下ろされる。
その瞬間、遠くから、銀色の光をまとった1本の矢が飛来した。矢はアレスの剣へ命中し、その軌道をわずかに逸らす。
アレスの刃は佳織を外れ、河原の地面へ突き刺さった。大地が割れ、巨大な亀裂が川まで走る。
アレス
「誰だ!?」
佳織と蓮が矢の飛んできた方角を見る。建物の屋根から月光をまとった月菜が、銀色の弓を構えながら降り立つ。
月菜
「佳織さんから……離れてください!」
佳織の表情に安堵が広がる。
佳織
「月菜ちゃん……!」
アレスは地面から剣を引き抜き、新たに現れた半神を睨みつける。
アレス
「アルテミスの娘か……」
月菜は佳織たちの前へ降り立ち、弓へ次の矢をつがえる。
月菜
「これ以上、佳織さんには指一本触れさせません」
アレスは地面へ突き刺さった剣を引き抜く。その顔には、隠しきれない怒りが浮かんでいた。
アレス
「おのれ……!半神ごときが、次々と俺の邪魔をしおって!」
アレスは剣を両手で握り、月菜へ向けて振り上げる。
蓮
「月菜、下がれ!」
月菜
「でも……!」
アレスが地面を蹴ろうとした、その瞬間……アレスの足元に、黒い影が広がった。
アレス
「何……?」
影の中から、白い手が現れる。無数の青白い腕が地面から伸び、アレスの足首や鎧へ絡みついた。
亡霊たち
「オオオオオ……」
低く不気味なうなり声が、河原に響き渡る。
土の中から、半透明の亡霊たちが次々と姿を現した。彼らはアレスの腕や脚へしがみつき、その動きを封じようとする。
アレス
「くっ……!」
アレスは力任せに腕を振り数体の亡霊を吹き飛ばすが、霧のように散った亡霊はすぐに形を取り戻し、再びアレスへ襲いかかった。
アレス
「冥府の亡者どもが!」
アレスが赤黒い神気を爆発させる。
衝撃によって亡霊たちが吹き飛ぶが、地面の影からさらに多くの腕が伸びてきた。
佳織
「亡霊……?」
蓮
「この力は……」
佳織たちの背後にあった黒い影が大きく揺れる。その中から、大悟がゆっくりと姿を現した。
大悟はポケットへ片手を入れたまま、亡霊に囲まれているアレスを眺める。その口元には、余裕のある笑みが浮かんでいた。
大悟
「お~本当に亡霊を操れるとはね~」
大悟は自分の手を眺める。
指先から黒い炎が揺らめき、その炎に引き寄せられるように亡霊たちが動いていた。
大悟
「親父とお袋にゃあ感謝しねえとな」
佳織
「大悟君!」
佳織の表情が明るくなる。
大悟
「ずいぶん派手にやられてるじゃねえか」
佳織
「だ、大丈夫だよ!」
佳織は力が抜け、その場へ膝をついた。
蓮
「どこが大丈夫なんだよ!」
蓮が慌てて佳織の身体を支える。大悟は小さくため息をついた。
大悟
「強がる元気はあるみてえだな」
アレスは亡霊を引きずりながら、大悟を睨みつける。
アレス
「ハデスの息子か……!」
大悟
「正解」
アレスが剣を振り回し、まとわりついていた亡霊たちを一気に薙ぎ払う。
赤黒い炎が亡霊を焼き、周囲の影を消し飛ばした。自由を取り戻したアレスは、怒りのまま剣を構える。
アレス
「まとめて冥府へ送ってやる!」
アレスが佳織たちへ踏み出そうとする。
その時、遠くから誰かの大きな声が聞こえてくる。
海斗
「お~い!」
佳織たちが声のした方角を見る。
海斗
「危ねえよ~?」
佳織
「え?」
アレスも眉をひそめ、背後を振り向く。最初に見えたのは、河原よりも高く盛り上がった青い水の壁だった。
川の流れが逆巻き、巨大な波となってアレスの背後から迫っている。
そしてその波の頂上には――
海斗
「どけどけどけ~!」
海斗が立っていた。まるでサーフボードに乗るように水の上へ立ち、楽しそうに片手を上げている。
アレス
「何だ!?」
巨大な波は川岸を越え、そのまま河原へ押し寄せてくる。
佳織
「海斗君!?」
アレスは海斗へ剣を向ける。しかし、巨大な波はすでに目の前まで迫っていた。
海斗が両腕を前へ突き出すと波がさらに膨れ上がり、巨大な水の竜のようにアレスへ襲いかかった。
アレス
「ぬおおおっ!」
アレスは剣で波を切り裂こうとする。だが、水は斬られてもすぐにつながり、アレスの全身を包み込んだ。
激しい水しぶきが河原一帯へ降り注ぐ。
佳織
「ちょ、ちょっと待って!」
巨大な波が河原を通過する。佳織たちは直撃を免れたものの、頭から大量の水をかぶってしまった。
波が引いた後、海斗が水の上から河原へ飛び降りる。佳織はびしょ濡れのまま、呆然と海斗を見つめる。
佳織
「こんなのってあり~!?」
海斗
「助けに来てやったのにその反応!?」
蓮
「せめて味方には当てないようにしろよ!」
海斗
「急いで来たのに!」
その時、川の中から赤黒い神気が噴き上がり、水柱からアレスが姿を現す。全身から水を滴らせ、怒りで身体を震わせている。
アレス
「貴様ら……!」
海斗の笑顔が引きつる。
海斗
「う~わ……怖っ……」
アレスは剣を握り締め、半神たちを睨みつける。
アレス
「1人残らず叩き潰す!」
アレスは剣を大きく振り上げた。
アレス
「消え失せろ!」
その瞬間、アレスの足元で濡れた地面が大きく割れた。アスファルトの隙間や河原の土の中から、太い植物の蔓が一斉に飛び出す。
無数の蔓はアレスの両腕、両脚、胴体へ絡みついた。
アレス
「何!?今度は何だ!?」
振り上げられていた剣にも蔓が巻きつき、その動きを封じる。
さらに別の蔓がアレスの身体を後方へ引き、地面へ押さえ込んだ。
アレス
「ぐっ……!」
アレスは力を込めて蔓を引きちぎろうとする。
しかし1本を切れば2本が伸び、2本を切ればさらに多くの蔓が巻きついてくる。
佳織が蔓の伸びてきた方向を見る。そこには、両手を地面へ向けた冬子が立っていた。
額には汗が浮かび、肩で大きく息をしている。
冬子
「はあ……はあ……間に合った……」
佳織の表情が明るくなる。
佳織
「冬子ちゃん!」
冬子は佳織の無事を確認し、安心したように笑う。
冬子
「佳織ちゃん、大丈夫?」
佳織
「うん!ちょっと疲れたけど大丈夫!」
冬子は地面へ手を当て、蔓へさらに神気を送る。アレスを拘束する蔓が太くなり、何重にもその身体へ巻きついた。
冬子
「今のうちに離れて!長くは押さえられない」
アレスは歯を食いしばり、全身へ力を込める。赤黒い神気によって蔓の表面が焼け始めた。
その時、河原へ続く堤防の上から、軽快な声が聞こえてくる。
祥雲
「到ちゃ~く!」
全員が声の方を見る。堤防の上に祥雲が立っていた。その隣には、ユチカ、ジョン、フリックの姿もある。
祥雲は3人へ振り返ると、河原にいる佳織を指さした。
祥雲
「これが佳織ちゃんだよ」
佳織
「これって何!?」
祥雲は笑いながら堤防を駆け下りる。
ユチカたちも祥雲に続き、河原へ下りてくる。ユチカは少し緊張した様子で佳織の前に立つ。
ユチカ
「初めまして……」
佳織
「は、初めまして……」
ユチカは佳織の顔を見つめる。
佳織の身体から感じられる、温かく穏やかな炎の気配。
ユチカ
「あなたが……ヘスティア様の娘なんですね」
佳織
「うん」
続いてジョンが、明るい笑顔で片手を上げる。
ジョン
「こんにちは~♪」
佳織
「こ、こんにちは」
ジョン
「こんな状況で会うことになるとは思わなかったよ」
ジョンは蔓で拘束されているアレスを見る。
ジョン
「ずいぶん強烈な歓迎役だね」
フリックは佳織の周囲を観察するように見つめる。
背中の装置から小さな機械音が鳴り、神力の数値が表示された。
フリック
「この子が例の半神……」
佳織
「例の半神って……」
佳織は突然増えた半神たちを順番に見る。
月菜、蓮、大悟、海斗、冬子、祥雲。そして、初めて会うユチカ、ジョン、フリック。話したいことも、聞きたいことも山ほどある。
佳織
「えっと……自己紹介したいところなんだけどね……」
その時、アレスの身体から強烈な神気が爆発する。
冬子
「っ!」
アレスを押さえていた蔓が、次々と切断される。
1本、2本、最後に剣へ巻きついていた蔓が斬り落とされた。
冬子は反動で後ろへよろめく。
佳織
「冬子ちゃん!」
佳織が冬子の身体を支える。蔓の残骸を踏みつけながら、アレスがゆっくりと立ち上がった。
アレス
「貴様ら……!」
切断された蔓が、赤黒い炎に包まれて燃えていく。アレスは河原に集まった半神たちを見回す。
アレス
「半神が揃って、俺の邪魔を……!」
アレスは怒りに任せ、剣を横へ振りかざす。
赤黒い斬撃が生まれ、半神たちへ向かって一直線に飛んでくる。
全員が身構えたその瞬間、アイギスの盾が地面へ突き立てられる。
盾から広がった黄金の障壁が、アレスの斬撃を正面から受け止めた。
激しい衝突音が響き、赤黒い光が四方へ弾け飛ぶ。
アレス
「何!?」
アイギスの盾は、アレスの斬撃を完全に防いでいた。佳織は驚きながら、盾の後ろを振り返る。
佳織
「愛梨ちゃん!」
愛梨が手から光を放っている。
愛梨
「遅くなってごめんなさい」
佳織
「ううん、助かったよ!」
愛梨の隣には、赤い神気をまとった見知らぬ少女が立っている。
長い旅をしてきたような服装。その手には、戦神の力を宿した剣が握られていた。
佳織
「それとあの子は……」
アレスは愛梨を睨みつけようとする。しかしその隣に立つ少女の姿を見た瞬間、完全に動きを止めた。
剣を握る手から僅かに力が抜ける。怒りに染まっていた瞳が、大きく見開かれた。
アレス
「ベロ……ニカ……?」
ベロニカは父の姿を見つめる。いつも自分に見せていた父親の姿とは、まるで違っていた。
ベロニカは震える声で問いかける。
ベロニカ
「パパ……何をしてるの……?」
アレスは答えられない。佳織を殺すために来たこと。自分の息子たちへ、ベロニカを足止めするよう命令したこと。
どちらも、娘の前では口に出すことができなかった。
アレス
「なぜ……」
アレスは周囲を見回し、ベロニカの後ろに息子たちがいないことに気づく。
アレス
「ポボスたちは……一体何をしていた……?」
その直後、ポボスとデイモスがアレスの近くへ着地した。2人とも息を切らし、悔しそうな表情を浮かべている。
ポボス
「申し訳ありません、父上……」
ポボスはアレスへ向かって頭を下げる。
デイモス
「止められませんでした……」
続いて堤防の上からレムスが飛び降りる。レムスは兄たちの隣へ着地し、軽く肩をすくめた。
レムス
「兄上たちは頑張ったんですが……途中でアテナの娘の邪魔が入りました」
佳織がベロニカを見る。
佳織
「あの子が……アレスの娘……」
愛梨が心配そうに手を伸ばす。
愛梨
「ベロニカ……」
ベロニカ
「大丈夫。パパと話をさせて」
ベロニカはアレスの目の前で立ち止まった。目の前には誰よりも尊敬していた父がいる。
しかし、その手に握られた剣は佳織たちへ向けられている。
ベロニカ
「どういうことなの、パパ?お兄ちゃんたちに、私を止めるよう命令したの?」
アレスはベロニカから目を逸らす。
アレス
「それは……」
ベロニカ
「その子を殺そうとしていたの?」
佳織は驚いてベロニカを見る。
アレスは剣を握り締める。
ベロニカ
「説明してよ。どうしてパパが半神たちを傷つけてるの?」
ポボスとデイモスは俯き、レムスもいつもの軽い表情を消している。
アレスは佳織を見る。次に、周囲へ集まった半神たちを見る。最後に、自分を信じてきた娘の顔を見た。
アレス
「ベロニカ……これはな……」
アレスの声は、先ほどまでの軍神のものとは思えないほど弱かった。
ついに半神が12人揃った。しかし事態は切迫していた……
第11話 完
