宝条潤と九条蓮 推理の交錯 -音楽家たちの連続殺人- 第5話「白磁の聖域にて」
第5話「白磁の聖域にて」
翌朝 東京都府中市 久遠寺雅臣邸
朝。豪邸の周囲は規制線で囲まれている。
警察車両や鑑識車両が次々と到着し、現場は騒然としていた。
既に遺体は搬送されている。
しかし現場には、犯人が残した不気味なメッセージが残されていた。
床に記された文字。
「A」
警視庁捜査一課の松岡遼が現場へ到着する。
松岡 遼
「おはようございます」
田村 水咲
「おはようございます」
都築 真也
「また大変なことになりましたね」
松岡は現場写真を受け取る。
田村 水咲
「遺体の傍には"A"の文字が残されていました」
松岡 遼
「……」
松岡は写真を見る。
天堂事件の"G"。
茂呂事件の"D"。
そして今回の"A"。
松岡 遼
「ん~」
松岡は顎に手を当てる。
松岡 遼
「天堂さん、茂呂さんを殺害した犯人と同一人物とみて、間違いありませんね」
田村 水咲
「私もそう思います」
都築 真也
「完全に連続殺人です」
松岡 遼
「ええ」
松岡は頷く。
松岡 遼
「しかも犯人は律儀です」
田村 水咲
「律儀?」
松岡 遼
「G、D、A、ちゃんと順番を守っています」
都築 真也
「そこ感心するとこですか?」
松岡 遼
「私は規則性が好きなので」
その時、奈良が勢いよく手を挙げる。
奈良 修平
「わかりました!」
全員(心の声)
(始まった)
奈良は得意げに胸を張る。
奈良 修平
「犯人はヴァイオリン職人です!」
沈黙。
田村 水咲
「……理由は?」
奈良 修平
「ヴァイオリンの弦に詳しいからです!」
都築 真也
「雑」
奈良 修平
「じゃあ音楽教師!」
田村 水咲
「雑」
奈良 修平
「楽器店の店長!」
都築 真也
「もっと雑になった」
奈良 修平
「いや待ってください!実は犯人はヴァイオリンそのものなんです!」
全員
「違う」
奈良 修平
「なんでですか!?」
松岡はため息をつく。
松岡 遼
「君のへっぽこ推理はあてになりません」
奈良は心の中で全力でツッコむ。
奈良 修平(心の声)
(この人に言われたかねえよ!)
一方松岡は真面目な顔に戻る。
松岡 遼
「しかし問題はここからです」
田村 水咲
「ええ」
松岡 遼
「ヴァイオリンの弦は4本」
都築 真也
「残るは"E"だけですね」
現場の空気が重くなる。
奈良 修平
「……」
さすがの奈良も黙る。
田村 水咲
「つまり……」
都築 真也
「次の犠牲者が出る可能性が高い」
松岡 遼
「はい」
松岡は写真の"A"を見る。
松岡 遼
「犯人の演奏はまだ終わっていません」
警視庁前
警視庁の前で車から潤が降りてくる。すると潤は五味を見かけた。
宝条 潤
「五味さん」
五味 剛
「!宝条先生、おはようございます」
潤の姿を見た五味は、ぺこりと頭を下げる。
宝条 潤
「おはようございます……久遠寺さんが、殺されたそうですね」
五味 剛
「はい、さっき現場に行ってきました。やっぱり連続殺人で間違いないですね」
「やっぱりそうですか……九条先生が検証を?」
五味 剛
「2日連続で家を出てたんで、今日はさすがにリモートですけどね。ただ検証はきっちりやってもらったんで、間違いはないと思います」
宝条 潤
「大丈夫です、僕も九条先生の目は信頼してますから。犯人ついては、なにかおっしゃってましたか?」
五味 剛
「まだ断定はできないそうです、ピースというか、証拠が足りないとかで」
宝条 潤
「なるほど……」
潤は顎に手を当て、何やら考え込む仕草を見せる。五味が首を傾げていると、徐に顔を上げた。
宝条 潤
「今から九条先生に連絡を取ることは出来ますか?」
五味 剛
「えっ……まあ、基本ずっと家にいるんで、それは大丈夫ですけど……」
宝条 潤
「手間をかけますがお願いします。すぐ僕に変わってもらっていいんで」
五味は戸惑いながらも、スマホで九条の連絡先を呼び出す。数秒の間を置いて、通信が繋がる音が聞こえた。
九条 蓮
『五味君、今度は何の用だ?』
五味 剛
「すいません何回も。宝条先生が九条先生と話がしたいって」
九条 蓮
『……宝条先生が?』
さすがの九条も予想していなかったのか、返事に少しだけ間が開いた。
潤が目配せすると、五味はスマホの画面を手早く拭いて潤に手渡した。
宝条 潤
「九条先生、おはようございます。宝条です」
九条 蓮
『九条だ。君も久遠寺氏の件は聞いているだろうな』
宝条 潤
「はい。遥香からの連絡と、さっき五味さんからも聞きました。残されていたのは、A線ですよね」
九条 蓮
『ああ、その通りだ。これで第三弦までの切断が完了してしまっている……次は当然E線だな』
宝条 潤
「僕もそう思います……でも、全部がわかってる訳じゃないです」
九条 蓮
『すべての『整理』の目録を埋めるには、まだ圧倒的にデータが足りていない。犯人を特定することも、現段階では困難と言わざるを得ない』
宝条 潤
「――そのことなんですが」
九条が言いかけたところで、潤が何故かその言葉を遮った。予想外のことに、九条の眉がぴくりと動いた(ように五味は感じた)。
宝条 潤
「事件のことについて、お話させていただきたい内容(データ)があります。この後、どうしても直接、お会いさせてもらえませんか」
九条 蓮
『……この電話越しでは難しいということか?申し訳ないが、私は外出をする気はない』
宝条 潤
「承知しています。九条先生はご自宅で待機してください……僕がそちらに行きますので」
九条 蓮
『……何?』
九条の声が、僅かに上ずった。五味がぎょっとした様子で潤を見た。
完璧にコントロールされていた九条の思考の周波数が、初めて激しく乱れる。
九条 蓮(心の声)
(私の聖域に、五味くん以外の不純物を自ら招き入れるというのか? 論理的ではない。だが……彼の掴んだデータは、私の目録(インベントリ)に今すぐ記述しなければならない――)
五味 剛
「ちょ……!宝条先生、何を無茶な……!」
宝条 潤
「捜査会議室や捜査一課みたいなところに、九条先生が行ける訳がない。かと言って、僕の家のように他人の領域でも難しいはず……それなら、選択肢は1つだけ……九条先生の領域であるご自宅だけです」
九条 蓮
『……本気で言っているんだろうな』
宝条 潤
「ええ、僕は大真面目ですよ。先生からしても、悪いお話ではないでしょう。五味さんがいるので、ルール等は事前に聞いておきますから」
潤はちらりと五味を見て、軽く頷いた。その表情は真剣そのもので、五味も思わず息を呑む。
九条は端末の向こうで随分と押し黙った後、やがていつもの口調で答えた。
九条 蓮
『……そこから私の自宅までは、最短距離でも21分。タイムラグは前後1分だ、それが守られなければ不純物の侵入とみなし、即座にセキュリティをロック(施錠)する 』
宝条 潤
「それで構いません。ありがとうございます。五味さんとすぐに向かいます」
潤はほっと頬を緩ませ、意気揚々と通話を切った。呆気に取られている五味をよそに、まるで子どものように顔を輝かせた。
宝条 潤
「五味さん、急ぎましょう。運転とルートは任せます!」
五味 剛
「え?ああはい、車用意します」
我に返った五味が、急いで車へと戻っていく。潤はその後を追い、アンロックを確認すると助手席へと身体を滑り込ませた。
車が駐車場を慌てたように出ていく。潤はシートベルトを装着しながらも、今更のように困ったような顔を見せた。
宝条 潤
「……あんなこと言っちゃいましたけど……九条先生の言う通り……指定時間を1分でも過ぎたら、閉め出されますよね?」
五味 剛
「1分どころか、10秒でも無理です」
五味の返答は食い気味であった。ハンドルを握る手の力は相当強く、横顔も焦りが滲み出ていた。
(経験あるんだろうな……)と五味に同情しつつも、自分の提案が相当な無茶であったことを今更ながらに感じる。九条のことなので、21分という数字も平均的な混雑具合を加味したものだろうが、それでも猶予はほとんど残されていないはずだ。
五味 剛
「まあなんとか間に合わせます。任せてください」
宝条 潤
「すみません、ありがとうございます」
頭を下げながら、今度は九条の自宅へと思考を巡らせた。外界を『汚濁』と呼ぶ、極度の潔癖症の鑑識官。その自宅には、どのような空間が広がっているのだろうか。
九条自宅
2人は九条の家に来ていた。
地下駐車場に車を滑り込ませ、1階のエントランスにあるインターホンを五味が必死の形相で押下した。
応答自体はなかったものの、オートロックの解除音が無事に鳴り響く。
五味 剛
「あ、あっぶねえ……ギリギリ間に合った……」
心からの安堵の呟きを洩らし、五味はエレベーターホールへと続くドアを押し開ける。
潤も慣れないダッシュをしたせいで少し息を切らしながら、その後に続いた。
宝条 潤
「ありがとうございます……助かりました」
五味 剛
「いや、こちらこそ走らせてすいません。まあ、ある意味ここからが本番ですけど」
エレベーターに乗り込み、五味が大きな溜め息を吐いた。『本番』の意味がわからず、潤は首をひねる。
宝条 潤
「本番って?」
五味 剛
「部屋に行けば嫌でもわかりますよ……到着します」
指定の階でエレベーターが停止し、並んで降りる。九条の自宅は、廊下を進んで最も奥まった場所に位置していた。
五味は再びインターホンを鳴らし、返答を待たずにドアを開けた。先に潤を通し、ドアを閉めるとしっかりと施錠する。
五味 剛
「宝条先生、上着脱いでもらっていいですか?こっちに掛けるんで」
申し訳なさそうにする五味に、潤は大人しく従う。五味もスーツの上着を脱ぐと、手慣れた様子でそばにあったハンガーラックに掛けた。
それから、シューズボックスの上に置かれているスプレー缶を手に取った。ラベルも何もない、ただの銀色のスプレー缶である。
宝条 潤
「それは?」
五味 剛
「除染スプレーです。これを全身に浴びないと入れてもらえないんですよ」
宝条 潤
「……ちなみに、どれくらい浴びれば……」
五味 剛
「一応全身に行き渡れば大丈夫です。足りないと先生が追加で浴びせてきますけど」
プシュー、と勢いよく噴射されたのは、アルコール臭すら完全にカットされた業務用の無臭除菌剤だった。
外界のあらゆる有機的な『生活臭(ノイズ)』を強制的にリセットする、聖域へのパスポートである。
五味は自分が浴びた後、潤にも断って満遍なく浴びせた。更には、脱いだ上着の裏表にも浴びせるという徹底ぶりである。
そこまで終えたところで、ようやく玄関から抜け出すこととなる。使い捨てだと言うスリッパを履き、何もない廊下を進む。
本当に人が住んでいるのかと思ってしまうほど、殺風景な廊下であった。潤は興味津々な様子で眺めつつ、五味の後ろを歩いた。
五味 剛
「先生、五味です。宝条先生もいらっしゃいます」
九条 蓮
「――入りたまえ」
1つのドアをノックして声を掛けると、中から返答があった。間違いなく九条の声である。
五味がゆっくりとドアを開けると同時に、潤は少しだけ緊張感を抱いた。
広がっていた空間は、黒と白に覆われたモノトーンの聖域であった。
床には純白のラグが敷かれ、その上に堂々と鎮座するのは重厚な造りの漆黒のデスクと椅子。
壁一面は本棚が設置され、寸分の狂いもなく黒色のファイルが整然と並べられている。書斎か、あるいは仕事部屋だろうか。
それにしても、生活臭や生活感と言ったものは完全に排除されている。気温も湿度も、外界とはまるで異なっていた。
九条は、その部屋の中央で2人を待っていた。皺1つない白いワイシャツに、隅々までプレスがかかっているであろう黒のスラックス。
マスクやコートがない姿を見るのは初めてであったが、真っ白な手袋だけは現場と変わらない。
思っていた以上に肌は白く、コートの上からはわからなかったが一般的な男性よりも線は細いだろう。
だが瞳に湛える光の鋭さと冷たさは、今まで逢ったどの人間よりも勝っていた。
宝条 潤
「……すみません九条先生。押しかけてしまって」
我に返った潤は、慌てて頭を下げた。九条は表情を1つ変えず、しかし不本意であることを滲ませながら口を開いた。
九条 蓮
「事件の整理のためだ。君の中にあるデータを私の目録に入れなければならないための特例措置であることはわかっていただきたい」
宝条 潤
「はい、重々承知してます」
潤は背筋を伸ばし、頷きながらそう答える。九条は事前に用意していた椅子に視線をやり、2人を無言で促した。
五味が座るのを見届けた後、潤もそっと腰を下ろした。どうやら、スプレーの追加噴射はなさそうだ。
宝条 潤(心の声)
(……ん?)
ふとそこで、何か違和感を覚えた。モノトーンで支配されているはずの空間に、イレギュラーな存在があることに気付いたからである。
純白のラグに溶け込むように、真っ白な猫が伏せていた。毛並みに乱れは1つもなく、宝石のように美しいコバルトブルーの瞳で潤を見ている。
どこかこちらを値踏みするような視線であったが、その顔には静謐さが現れていた。
九条 蓮
「灰、気にすることはない。私の目録のデータの1人だ」
潤の視線に気づいたらしく、九条が猫に言う。猫は応答するかのように、ゆっくりと身体を起こした。
宝条 潤
「ハイ、ですか」
九条 蓮
「『ash』の灰だ。個体データはラグドールの雌となっている」
宝条 潤
「真っ白なラグドールに灰……叙情的ですね」
九条 蓮
「小説家らしい表現だ」
九条が感心したようなしていないような声で言うと、灰は優雅に歩き出した。潤の方へ歩み寄り、そっと鼻先を足へと近付ける。
五味がはらはらした様子で見守り、潤もどうしていいかわからずにその場で固まるしかなかった。
灰
「ナオ」
灰は一声上げると、ひょいと潤の膝に飛び乗った。
五味 剛
「えっ!?」
五味が驚く。九条も今までにないほどに大きく目を見開く。
潤はそのリアクションに戸惑いつつも、とりあえず灰の頭を撫でてみた。特に拒むこともなく、灰は甘んじて受け入れている。
九条 蓮
「……灰。君のインベントリに、そのノイズを許可した覚えはないぞ。なぜだ、理解不能だ」
九条は手に持っていたスタイラスペンを完全に止め、固まっていた。
彼の脳内タクソノミー(分類学)において、最も『完璧な白』であるはずの愛猫が、『不純な色彩』を持つ男に懐いている。
その論理的破綻に、天才の頭脳が数秒間、完全にフリーズした。
宝条 潤
「あはは……ま、まあ、ラグドールは人懐っこくて甘えん坊だって言いますから……」
五味 剛
「俺には1回も乗ってくれたことないのに」
九条どころか、五味も何故かショックを受けている。潤は苦笑いを浮かべながらも、その触り心地のよさに撫でる手が止まらない。
灰は異様な空気感も無視し、潤の膝の上で丸くなった。完全に身体を潤に委ねながら、膝の上で丸くなった。
九条 蓮
「――話を、進めよう」
沈黙を打開したのは九条だった。タブレット端末を操作し、データをスクリーンに映し出す。
膨大な量の数値と文字列が、画像と共に溢れんばかりに記述されていた。
九条 蓮
「私に話したい内容(データ)があると言っていたな。そちらから聞かせてもらおうか」
宝条 潤
「わかりました。昨日、茂呂さんの現場検証が終わった後、遥香と綾さんと一緒に久遠寺さんに話を聞きに行ってきました。事件のことを知らせることは勿論ですが、天堂さんの時の事情聴取で言っていた『心当たり』を話してもらおうと思って」
九条 蓮
「先ほどの口ぶりからすると、聞き出せたということだな」
宝条 潤
「はい。久遠寺さんの話によると、一連の事件は、3年前のとあるピアニストの自殺が関係しているのではないかということでした」
『ピアニストの自殺』という言葉に、九条の眉が微かに動いた。スタイラスペンを滑らせ、スクリーンに画像を投影させる。
それは、検証を終えたばかりの久遠寺の殺害現場の画像であった。真っ二つに引き裂かれたパンフレットを拡大する。
九条 蓮
「そのピアニストは……篠宮奏介という名前か」
五味 剛
「篠宮奏介、ってパンフレットに載ってた名前ですよね」
五味も思い出したらしく、驚いたような声を上げる。潤は小さく頷いた。
宝条 潤
「篠宮さんは3年前、自宅で自ら命を絶っていたそうです。事件性もなく、警察の捜査でも自殺で間違いないとされています」
五味 剛
「その篠宮さんって人が、もしかして3人と関係あるんですか?」
宝条 潤
「その通りです。久遠寺さん曰く、自分や天堂さん、茂呂さんが彼を追い詰めたのが自殺の原因ではないかと言っていました。本人たちも自覚するほど、相当ひどいことを言っていたそうです」
五味 剛
「なるほど……じゃあ3人への復讐が動機ってことですか」
宝条 潤
「そうだと思います。【ルクス国際音楽祭】は篠宮さんの命日が開催日……天堂さんは自分の過ちを名乗り出ようとしていたそうですが、久遠寺さんも茂呂さんも拒否したそうです」
九条 蓮
「己の体裁が崩壊する恐怖からの拒否か、実に矮小だ。それが原因で見立てを施されるとは……皮肉なものだな」
九条の手が滑らかにタブレットを操作する。天堂と茂呂、そして久遠寺の3名の画像がスクリーンに並べられた。
九条 蓮
「天堂氏は、不協和音を奏でるオーケストラに見立てられていた。自身の命である指揮棒(タクト)を折られ、独壇場だった指揮台(ピット)で絶命。『皇帝』の最期を飾るには、相応しいと考えたんだろう」
宝条 潤
「茂呂さんは、商売道具を壊され、指を生きたまま折られています。まるで調律師の資格がないと、真正面から叩きつけられたも同然です」
九条 蓮
「久遠寺氏は、自らの威厳を披露するための音楽祭のパンフレットを断裂させられている。こちらもやはり、そのようなくだらない虚勢は脆弱なものだとでも訴えているのだろうな」
潤の表情が徐々に険しくなる。昨日の久遠寺の話を思い出し、膝の上の拳にぐっと力が入った。
それに気づいた灰が、そっと前足を置いてやる。少しひんやりしたその感触に、力が僅かに緩んだ。
宝条 潤
「自身が狙われているかもしれないと言う久遠寺さんに、犯人は誰だと思うかストレートに訊いてみました。そうしたら久遠寺さんは、朝比奈さんが犯人かもしれないとおっしゃっていました」
五味 剛
「朝比奈さん……確か指揮者でしたっけ」
宝条 潤
「そうです。朝比奈さんは篠宮さんの親友だったそうで、彼が亡くなった時にも相当悲しんでいたようです。動機としては、十分ですが……」
九条 蓮
「犯人と断定可能か……確率を表記するなら、その値は低いな」
朝比奈のデータを引き出しながら、九条が言葉を引き継ぐようにして口を開く。五味が不思議そうに首を傾げた。
五味 剛
「なんか根拠あるんですか?」
九条 蓮
「事情聴取の際、朝比奈氏に見えたのは『恐怖』だけだ。もしも彼が犯人ならば、『焦燥』あるいは『警戒』が少なからず見て取れる。だが彼のデータには存在しない……自身を脅かす狂気そのものに対する、純度の高い『恐怖』のみが彼のタクトを乱していた」
宝条 潤
「僕も久遠寺さんの話を聞いて、九条先生の話を思い出しました。確率としてはゼロではないですが、可能性は薄いと思います」
九条の目が微かに細められる。スタイラスペンが動き、朝比奈の画像に『動機:強、確率:低』という青白い文言が添えられた。
五味 剛
「じゃあ、他に動機持ってそうな人はいるんですか?」
宝条 潤
「動機だけで見るなら……五味さんも九条先生も確認してる、【ルクス国際音楽祭】のパンフレットです。如月さんのページに篠宮さんの名前があったでしょう。如月さんは彼の恋人で……しかも、篠宮さんの遺体の第一発見者だったんです」
五味 剛
「えっ!?」
五味が素っ頓狂な声を上げる。九条はあからさまに嫌そうな顔をしつつ、面倒なのか苦言を呈することもしない。
五味 剛
「その点からすれば、如月さんは最も疑わしいとも言えなくはありません。恋人を死に追いやった人物たちが、反省することなく自身のプライドと栄誉だけを守ろうとしていると知ったら……普通なら、はらわたが煮えくり返るような怒りを覚えるでしょうね」
九条 蓮
「――しかし、私の目録に致命的なエラーが残っている」
九条は理解不能なデータに不機嫌そうにしながら、如月の顔写真を拡大した。『No data』の無機質な文字が、スクリーンで淡く光っている。
九条 蓮
「『悲哀』も『動揺』も『悔恨』も、彼女の肉体からは何の動揺も検出されなかった。恋人を殺された人間の数値ではない……バグが起こっているとしか考えられない」
宝条 潤
「……いや九条先生。彼女は何も感じていない訳じゃない」
潤はゆっくりと首を横に振った。短いが言葉を交わした彼女の、美しく穏やかな表情を思い出す。
宝条 潤
「3年前、篠宮さんが死んだ瞬間に、彼女の心の時間は止まってしまっている。だから、今の現実に対して一切の反応を示さない……示せないんです」
九条 蓮
「物理的な肉体は生存していても、精神は3年前に置き去りにされている、か。皮肉なものだな。彼女は過去の檻から一歩も動いていない……過去を清算するために復讐を記述している犯人ではない、とするならば、だが」
九条のペンが、如月のデータに『感情の欠落、あるいは死亡』と記載した。なんとか話についていこうと、五味は必死で頭を回転させている。
五味 剛
「でも……それなら、天音さんや黒崎さんはどうなります?」
九条 蓮
「黒崎氏に見えたのは『困惑』のみ、自身が置かれている状況への戸惑いだ。ヴァイオリンの見立てを行っているという点では関係も少なからずあるが、特段感情のエラーはない」
九条は言いながら、ちらりと潤に視線をやる。天音の画像データを映し出すと、いくつかの矢印が表示された。
九条 蓮
「天音氏に関しては、人物によって向けられている値が異なる。『焦燥』は宝条先生だが、『憤怒』と『煩苛』は如月氏だ」
五味 剛
「宝条先生を見て焦ってるってことですか」
九条 蓮
「しかも彼が推理小説家だと口にした時、発声や瞳孔に明らかなエラーが検出されている。人間の動機や物語(プロット)を暴く宝条潤という存在が、彼女の犯行シナリオを揺るがすバグとして機能している証拠だ」
潤が『天才』であるため。九条は頭の中でそう口にしてみるものの、自身がそれを言葉として発する違和感が拭えず、そのまま飲み込んだ。
宝条 潤
「如月さんに対する『憤怒』や『煩苛』は、僕も心当たりがあります。天音さんと如月さんは、共演するたびに険悪な空気になるそうです。しかも、天音さんからの一方的な当たりが強くて、理由が誰にもわからないとか」
九条 蓮
「……なるほど」
九条は天音から如月に伸びている矢印に『不明データ有 要検証』と追加記載した。
九条 蓮
「この根底を覗けば、目録のピースが埋まる可能性は高い」
宝条 潤
「僕もそう思います。本当は天音さんから聞き出せればいいんでしょうけど……あの態度からして、おそらく無理ですね。なので、如月さんにもっと詳しく訊いてみようと思ってます」
九条 蓮
「もっとも現実的で論理的な方法だな、今回も私は拒否するが」
宝条 潤
「任せてください」
潤がふっと微笑んだ。ねだるように見上げてくる灰の頭を優しく撫でてやる。
宝条 潤
「感情を読み取るのが、この事件の僕の役目ですから」
お互いの推理(データ)を共有したところで、潤と五味はようやくお暇することとなった。
潤が椅子から立ち上がると、灰はひらりとラグの上へ降りる。しかし名残惜しいらしく、潤を見上げて「クゥ」と甘えたような声を言って聞かせた。
九条 蓮
「……灰、何故そのような惜別の声を上げている……やはり理解できない……」
宝条 潤
「はは……チャンスがあるかどうかはわからないけれど、またね」
ひらひらと手を振り、潤は五味を伴ってモノクロの空間を後にする。九条は大きく息を吐き、ドアをじっと見つめている灰を抱き上げた。
スクリーンとタブレットの電源を落とし、椅子の背もたれに身を預けた。
九条 蓮
「灰が気を許すとは……私の脳内分類学(タクソノミー)に加えなければならない……不本意だ」
第5話 完
