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天才推理小説家の事件録 第10話「UGAKI HOTEL誘拐事件」

第10話「UGAKI HOTEL誘拐事件」

横浜・宇垣邸

鳥のさえずりに噴水の音。
異国の邸宅のような大豪邸。手入れされた庭。

応接間

潤は綾の家族と対面する。
綾の父、宇垣保治(62)はUGAKI HOTELの経営者にして世界的に有名なホテル王。
その隣には綾の母の宇垣久子(63)と兄の宇垣光宏(34)。

宇垣 保治(にこやかに)
「ようこそ、潤君。宇垣家の屋敷へ」

宝条 潤(心の声)
(……なぜこうなった?本当になぜこうなったんだ?)

宇垣 久子(にこやかに会釈)
「お忙しい中、来ていただいてありがとうございます」

宝条 潤
「い、いえ……こちらこそお招きいただきまして……」

潤は丁寧に頭を下げる。

宇垣 光宏
「あ、どうもどうも!UGAKI HOTELの跡取りの宇垣光宏です!」

光宏が勢いよく名刺を差し出す。

宝条 潤
「宝条潤です。……よろしくお願いいたします」

2人は名刺交換をする。

宇垣 綾
「先生、堅いですね。もっと気楽に」

綾は潤の腕に“当然のように”抱きつく。

宝条 潤
「……っ」

潤が固まる。

宝条 潤(心の声)
(いや、無理だろ……この状況で気楽になれる人間がいたら紹介してほしい……)

そもそもなぜ潤が宇垣家の屋敷にいるのか……?
それは数日前にさかのぼる……

数日前 宝条邸

宇垣 綾
「宝条先生!遥香!ただいまー!」

綾が満面の笑みで登場。

神谷 遥香
「……お帰り。海外はどうだったの?」

遥香は無表情。だが声音は少し柔らかい。

宝条 潤
「宇垣管理官、お疲れ様です」

宇垣 綾
「はいこれ、お土産♡」

綾が潤と遥香に紙袋を渡す。

宝条 潤
「ありがとうございます」

神谷 遥香
「……ありがとう」

受け取るが、目は綾の手元を監視。

宇垣 綾
「あ、そうだ」

綾はニヤリとする。

宝条 潤
「……?」

スッ……

綾が突然、潤の腕に抱きつく。

宝条 潤
「えっ!?!?」

宇垣 綾
「今度、うちの屋敷で家族に会ってほしいの」

宝条 潤
「……は?」

遥香が即反応する。

神谷 遥香(低い声)
「宇垣綾」

宇垣 綾
「何?」

神谷 遥香
「離れなさい」

遥香はにっこりと笑顔を見せるが……目が笑っていない。

宇垣 綾(抱きつき強化)
「いや♡」

宝条 潤(困惑)
「宇垣さん!?」

遥香と綾が火花バチバチ。

神谷 遥香
「……あなた、本当に分かってやってるの?」

遥香の圧が増す。

宇垣 綾
「もちろん。だって遥香、いつも宝条先生を独占してるじゃない」

綾があっさり言い返す。

神谷 遥香(即答)
「独占してない」

宇垣 綾
「じゃあ、なんでそんな怖い顔するの?」

綾がニヤニヤしながら聞く。

神谷 遥香
「……離れなさい」

遥香の圧がさらに増す。

宇垣 綾
「いやって言った♡」

潤は完全に間に挟まれる。

宝条 潤(汗)
「あの……二人とも……」

神谷 遥香
「潤、あなたも言いなさい」

宇垣 綾
「先生は私と一緒に来てくれるよね?」

宝条 潤
「え、いや……」

神谷 遥香
「潤」

潤の中で絶対零度の世界が広がる。

宝条 潤
「……っ」

宝条 潤(心の声)
(無理だ……選べるわけがない……選んだ瞬間、どちらかに殺される……)

宇垣 綾
「決まり♡」

綾が潤の腕を引っ張る。

現在(横浜・宇垣邸)

宝条 潤(心の声)
(……そういう流れで、今ここにいる。しかも、宇垣家の家族と一緒に。俺の人生、一体どうなるんだ……?)

宇垣 保治
「いやぁ、潤君は本当に素晴らしい青年だ。宝条グループの総帥な上に天才推理小説作家」

満足げに紅茶を飲む

宝条 潤
「は、はぁ……」

宇垣 保治
「綾の伴侶としてこれほど相応しい人物もいない」

保治はさらっと爆弾を投下する。

宝条 潤
「っ!?」

潤が紅茶を噴きそうになる。

宇垣 綾
「お父様♡」

綾が嬉しそう。

宇垣 久子
「保治、やめなさい。先生が困っているでしょ」

穏やかだが命令に近い。

宇垣 保治
「……はい」

保治が即座に黙る。

宝条 潤(心の声)
(怖っ。世界のホテル王が、奥さんの一言で犬になるタイプだ……)

警視庁・術科センター剣道場

遥香は無言で竹刀を握る。
柴田と瀬尾が遠巻きに見ている。

柴田 元治
「……ハルちゃん、今日なんかヤバくない?」

瀬尾 隆
「絶対ヤバいっす……近寄るのやめましょ……」

神谷 遥香(心の声)
(……腕を組んで……抱きついて……そのうえ家族に会わせる?)

神谷 遥香
「……ふっ」

遥香が息を吐く。

神谷 遥香
「せえええええい!!」

剣道六段の掛け声と共に、竹刀が唸る。

ドンッ!!

床が揺れるレベルの踏み込みをする。

柴田 元治
「うわっ……」

瀬尾 隆
「床……割れませんよね……?」

宇垣邸

潤は突然ビクッとする。

宇垣 綾
「どうしたの?」

宝条 潤
「……いえ。なんか……急に寒気が」

宇垣 久子
「風邪?」

宝条 潤
「いえ……多分……」

宝条 潤(心の声)
(……遥香だ。絶対、遥香が今、竹刀を振ってる。しかも俺を思い浮かべながら)

宇垣 綾
「……ふーん?」

綾が意味深な笑みを浮かべる。

宇垣 保治
「潤君、今夜は泊まっていきなさい」

宝条 潤
「はっ!?」

宇垣 綾
「やった♡」

潤が「泊まっていけ」と言われ固まっている。
場の空気が一瞬、妙に静まる。

宝条 潤
「……あ、あの……」

潤は戸惑いながらも言葉を選ぶ。

宝条 潤(心の声)
(泊まる……?いや、これはさすがに……)

宇垣 久子(静かに、しかし鋭く)
「保治」

宇垣 保治(ピクリ)
「……は、はい?」

宇垣 久子
「先生が困っているでしょう?」

柔らかな声だが、逃げ場がない。

宇垣 保治
「い、いや私は好意で――」

宇垣 久子
「“好意”と“押し付け”は違います」

宇垣 保治
「……申し訳ありません」

保治が即座に頭を下げる。

宝条 潤(心の声)
(……すごい。この家の力関係、一瞬で理解できた)

久子は潤に言う。

宇垣 久子
「先生、ご無理はなさらないでください。今日はお顔合わせの延長です。泊まりはまた別の機会に」

宝条 潤
「……ありがとうございます」

潤は深く一礼する。

宝条 潤(心の声)
(助かった……この人、只者じゃない)

綾が潤に話す。

宇垣 綾
「ねえ先生?驚いた顔してますね?」

宝条 潤
「え……?」

宇垣 綾
「母が父を一言で黙らせたところ」

綾がクスッと笑う。

宝条 潤
「……正直、かなり」

綾は久子の過去を語る。

宇垣 綾
「実は、母は父と結婚する前は――警察官だったんです」

宝条 潤
「……えっ?警察官……ですか?」

宇垣 久子
「ええ。現場に出ていました。もう随分前の話ですけれど」

宝条 潤(目を見開く)
「それは……知りませんでした」

宝条 潤(心の声)
(この落ち着き、この観察眼……なるほど、元警察官だからか)

綾が少し誇らしげに言う。

宇垣 綾
「私が警察官を目指したのは、母の背中を見て育ったからです。小さい頃から、“正義は逃げない人が守るもの”って言われてました」

久子が少しだけ照れる。

宇垣 久子
「綾。余計なことまで言わなくていいの」

宇垣 綾
「もうお母さま、事実ですから」

綾がにこっと笑う。
潤は改めて敬意を示す。

宝条 潤
「……失礼ですが、とても納得しました」

宇垣 久子
「何がです?」

宝条 潤
「綾さんが、迷いなく前に出る理由です。それと――人の“覚悟”を、すぐ見抜く目」

宇垣 久子(わずかに微笑む)
「観察力は、作家さんらしいですね」

保治が空気を和ませようとする。

宇垣 保治
「は、はは……宇垣家で一番怖いのは、実はこの人なんだよ」

宇垣 久子
「保治」

宇垣 保治
「……はい」

宝条 潤(心の声)
(この家、想像以上に緊張感がある。そして――綾さんは、間違いなくこの人の娘だ)

潤が紅茶を一口飲む。
その表情は、少し引き締まっている。

宝条 潤(心の声)
(この家で何かが起きたら――絶対にただ事じゃ済まない)

すると廊下から小走りする足音が聞こえる。
応接間奥の扉が少し開き、小さな影が覗く。

宇垣 梨沙
「……あ、いた」

光宏の娘、梨沙がちょこちょこと部屋に入ってくる。

宇垣 久子(静かな声)
「……あら梨沙、挨拶は?」

宇垣 梨沙(ビクッ)
「っ!」

梨沙が背筋を伸ばす。

宇垣 梨沙
「……し、失礼します。こんにちは」

梨沙がペコッと頭を下げる。

宝条 潤
「こんにちは」

潤は優しく微笑んで会釈する。

宝条 潤(心の声)
(……礼儀正しい。さすが宇垣家)

宇垣 綾
「梨沙〜♡」

綾が立ち上がって駆け寄り、梨沙を抱きしめる。

宇垣 梨沙
「わっ……綾叔母ちゃん!」

梨沙は嬉しそう。

宇垣 綾
「叔母ちゃんじゃない。綾さん」

宇垣 梨沙(困り顔)
「えぇ〜……」

宇垣 綾(ニコッ)
「綾さん♡」

宇垣 梨沙
「……あ、綾さん……」

梨沙が小声で言い直す。

宝条 潤(心の声)
(……今の笑顔、何?子どもが怯えてる……)

宇垣 綾
「先生、紹介しますね」

綾が梨沙の肩を優しく支えながら潤に紹介する。

宇垣 綾
「宇垣家のプリンセス、梨沙。兄の娘で、私の姪っ子です」

梨沙がペコッと頭を下げる。

宇垣 梨沙
「宇垣梨沙です。よろしくお願いします」

宝条 潤(優しい声)
「梨沙ちゃん、よろしくね」

梨沙がじーっと潤を見る。

宇垣 梨沙
「ねえ、綾さん」

宇垣 綾
「何?」

宇垣 梨沙
「このおじちゃん、だれ?」

潤、軽くショックを受ける。

宝条 潤(固まる)
「……っ」

宝条 潤(心の声)
(おじちゃん……宝条潤29歳、社会的に成功していても、おじちゃん判定)

宇垣 綾
「この方はね、宝条潤先生。とっても頭が良くて、すごい人なの」

宇垣 梨沙
「ふーん……」

綾が潤の腕にスッと手を添える

宇垣 綾(にっこり)
「それにね――綾さんの、大事な人」

梨沙が目だけで綾を見る。

宇垣 梨沙(心の声)
(……やばい。綾さん、今“やばい顔”した)

宝条 潤(汗)
「あ、いや……大事な人というか……」

宇垣 綾
「大事でしょ?」

綾が即詰める。

宝条 潤
「え、ええ……もちろん」

当たり障りない返答をする。

宝条 潤(心の声)
(今のは“質問”じゃない……答えが決まってるやつだ……)

宇垣 梨沙
「……」

梨沙が頷く。

宇垣 梨沙
「……わかった」

妙に大人びた声。

宇垣 綾
「いい子♡」

綾が梨沙の頭を撫でる。

宇垣 梨沙(ニコッ)
「潤おじちゃん」

宝条 潤
「……うん」

潤は複雑な笑顔。

宇垣 梨沙
「よろしくね!」

梨沙はぱぁっと明るい顔で言う。

宝条 潤(微笑む)
「よろしく」

宇垣 綾(笑顔のまま、目だけ鋭い)
「梨沙?」

梨沙がピクッとする。

宇垣 綾(優しい声)
「“おじちゃん”じゃなくて……?」

宇垣 梨沙(小声)
「……潤先生」

宇垣 綾(満足げ)
「うん、よくできました♡」

宝条 潤(心の声)
(怖い……この人、子ども相手でも容赦ない……)

梨沙は潤にペコッと頭を下げ、綾の後ろに隠れる。
だが潤の顔をちらちら見ている。

宝条 潤(心の声)
(……懐かれてる気がする……これ、遥香に見られたら死ぬな)

こうして潤は宇垣家で、久しぶりに心から笑える楽しい時間を過ごした。

団らん後

宇垣 梨沙(ニコニコ)
「先生、また来てね!」

宝条 潤
「うん、またね」

潤が優しく梨沙の頭を撫でる。

宇垣 綾
「梨沙、先生に抱きつきすぎ」

宇垣 梨沙
「えー!だって優しいもん!」

宇垣 光宏
「はは……よかったな、梨沙」

光宏は少し安堵した様子。

宇垣 保治
「潤くんはいい青年だ。宇垣家の未来は明るい」

保治は満足げ。

宇垣 久子
「保治、余計なことを言わない」

宇垣 保治
「……はい」

宝条 潤(心の声)
(この家、結構好きかもしれない……怖い人もいるけど)

次の日 宝条邸

遥香がスマホで料理のレシピを調べている。
その横で潤がどこか嬉しそうに息を吐く。

宝条 潤
「……楽しかったなぁ」

遥香が無言のまま、横目で潤を見る。

宝条 潤(心の声)
(あ、まずい!今の独り言、聞かれた!)

遥香が静かに質問する。

神谷 遥香
「……そんなに楽しかった?」

宝条 潤
「え……?」

神谷 遥香(淡々と)
「宇垣家で」

宝条 潤(少し焦って)
「い、いや……その……」

言い訳を考えるが、時すでに遅し。

宝条 潤
「……うん」

潤は小さく頷く。

神谷 遥香
「……そうなんだ」

遥香の口元が少しだけ上がる。

宝条 潤
「……?」

その時、遥香が不気味に笑い始める。

神谷 遥香(静かに)
「ふふ……」

宝条 潤
「……遥香?」

神谷 遥香
「ふふふ……」

声が少しずつ低くなる。

宝条 潤(心の声)
(……笑ってる。でも、これ、嬉しい笑いじゃない)

潤は恐怖を感じ始める。

宝条 潤(汗が一筋)
「……あの、遥香……?」

神谷 遥香
「よかったね」

宝条 潤
「……え?」

神谷 遥香
「宇垣家のお屋敷で楽しい時間を過ごせて」

潤の背筋が凍る

宝条 潤(心の声)
(……終わった……これは、“優しい声で殺す”やつだ)

宝条 潤
「あ、あの……僕、ちょっと……書斎で整理したい資料が……」

潤は立ち上がろうとするが……

神谷 遥香
「……潤」

遥香がすっと手を伸ばして潤の袖を軽く掴む。

宝条 潤
「ひぃっ」

神谷 遥香(微笑んだまま)
「ねえ。綾とそんなに仲良かったんだ?」

宝条 潤
「な……仲良くは……」

神谷 遥香
「腕、組まれてたよね?」

宝条 潤
「それは不可抗力で……」

神谷 遥香
「……ふふ」

遥香がまた笑う。

宝条 潤(心の声)
(このままだと、頬を引っ張られるどころじゃ済まない)

宝条 潤
「じゃ、じゃあ遥香!資料整理してくるから!」

潤は強引に離脱する。

神谷 遥香(背後から、優しい声)
「潤」

宝条 潤(ビクッ)
「は、はい!」

神谷 遥香(にっこり)
「逃げても無駄だよ?」

潤は顔面蒼白で走り去る。

宝条 潤
「……っ!!」

宝条 潤(心の声)
(助けて……!事件より怖い!)

バタン!

書斎の扉が閉まる。
残された遥香は不気味に笑う。

神谷 遥香
「……ふふふ」

遥香の笑顔が、ふっと消える。
目が真剣な捜査官の目に変わる。

神谷 遥香(心の声)
(……でも、少しだけ安心した。潤は、誰にでも優しいだけ。だからこそ、守らなきゃ)

数日後/UGAKI HOTEL(外観・ロビー)

事件は最悪の形で起きた。
UGAKI HOTELで、宇垣家の孫娘・梨沙が誘拐された。

UGAKI HOTEL VIPフロア

斎藤 恵一
「入口封鎖を維持!この階の出入り全員洗え!カメラの映像は全部確保!ログもだ!」

小野寺 恒一郎
「了解。警備サーバー班、こっちです」

今井 もえ
「通用口、搬入口、地下駐車場……全部押さえました!」

相模 直人
「でも妙っすね。……こんな大ホテルで、人が消えます?」

宇垣家専用サロン

高級ラウンジのような個室。保治・久子・光宏・綾が揃う。
テーブルにはノートPC、スマホ、身代金要求の文面。

宇垣 保治(怒りを抑えた声)
「……身代金、三億」

宇垣 光宏(顔が青い)
「なんだよ……三億って……っ」

宇垣 久子
「金額はどうでもいい。梨沙が無事かどうか――それだけ」

宇垣 保治
「……っ」

保治が拳を握りしめる

宇垣 綾
「……映像。梨沙が最後に映っていたのは?」

警備員「VIPフロアの控室を出たところまでです。その後……監視カメラに姿がありません」

宇垣 綾
「……ありえない」

宇垣 綾(心の声)
(UGAKI HOTELの警備は完璧。それなのに……“消えた”?)

宇垣 光宏(声が震える)
「……妻はショックで寝込んでる」

宇垣 綾
「……」

綾はぎゅっと奥歯を噛む。

刑事たちがホテル内を監視する。
だが――身代金要求は届くのに、受け渡し場所も指示されない。
犯人は姿を見せず、梨沙の監禁場所も一向に掴めなかった。

相模 直人(無線)
「管理官……ロビー、怪しい動きなし」

今井 もえ(無線)
「裏口、業者出入り異常なし」

小野寺 恒一郎(無線)
「警備ログも妙に綺麗すぎます。誰かが……操作してる」

宇垣 綾(唇を噛む)
「……っ」

宇垣 綾(心の声)
(梨沙……お願いだから……無事でいて……!)

誰もいないホテルの控室。綾がスマホを握る手が震える。

宇垣 綾
「……先生」

綾の声がかすれる。

日向邸

和モダンの高級邸宅。潤は雄利と談笑中。

日向 雄利
「兄貴が来るなんて珍しいよな~」

雄利がニヤニヤしながら言う。

宝条 潤(呆れ)
「……お前の生活をチェックしに来たんだよ」

すると潤のスマホに着信が入る。

宝条 潤
「……宇垣さん?」

すぐ表情が変わる。

宝条 潤
「もしもし。どうしました?」

宇垣 綾(必死に抑えた声)
「宝条先生……助けて……」

宝条 潤
「……え?」

空気が凍る。

宇垣 綾
「梨沙が……梨沙が誘拐されたの……!」

宝条 潤
「……っ」

潤は息を呑む。

宇垣 綾
「警察も動いてる……でも……犯人が出てこない……っ」

宝条 潤
「場所は?」

宇垣 綾
「UGAKI HOTEL……」

声が震える。

宇垣 綾
「お願い……私……冷静なつもりだったけど…………もう、無理……助けてください……!」

綾の目から涙が落ちる。

落ち着いた和洋折衷の屋敷。
潤は雄利と書斎で話している。

宝条 潤
「……雄利」

日向 雄利
「兄貴、顔やばいな」

宝条 潤
「車、借りる」

日向 雄利
「……事件か?」

宝条 潤
「UGAKI HOTELを経営してるホテル王のお孫さんが誘拐された」

日向 雄利(即答)
「鍵はそこ」

宝条 潤
「……ありがとう」

日向 雄利
「無事に連れて帰れ。兄貴ならできる」

車のエンジン音
雄利の車に乗り込む潤。夜の道へ。

UGAKI HOTEL 正面玄関(夜)

潤はUGAKI HOTELに到着し、車から降りる。

宝条 潤
「……久しぶりだな、UGAKI HOTEL。以前投資ファンドの桐生さんが殺害されて以来だったかな?」

数秒だけ見上げる。

宝条 潤(心の声)
(懐かしんでる暇はない。梨沙ちゃんが待ってる)

潤はホテル内に入り、エレベーターに向かう。

警備員
「……お客様。VIPフロアは――」

潤は名刺を出す。

宝条 潤
「宝条潤です。宇垣管理官に呼ばれています」

警備員
「……宝条様……!」

警備員はすぐに道を開ける。

宝条 潤(心の声)
(このホテルの人間の動きが、いつもより硬い。“焦り”じゃない。“怯え”だ)

潤がエレベーターに乗り、上に向かう。

宝条 潤
「……急いでくれ」

VIPフロア(控室前)

潤がVIPフロアに到着する。
扉は封鎖され、警察関係者のみ。

宝条 潤(心の声)
(誘拐は時間との勝負。焦った方が負ける)

VIPフロア控室(臨時本部)

控室は簡易捜査本部化。ホワイトボード、監視映像、梨沙の写真が貼られている。
綾は椅子に座り、目が赤い。
その時、潤が控室に入ってくる。

宇垣 綾(ハッと顔を上げる)
「……先生……!」

綾が立ち上がって潤のもとに駆け寄る。

宇垣 綾(必死に気丈を装う)
「……来てくれたんですね……」

宝条 潤(真剣な目)
「宇垣さん。状況は?」

綾は現状を報告する。

宇垣 綾
「犯人はまだ見つかっていません。身代金要求は来てるのに、受け渡しの指示がない……それに、梨沙の監禁場所も……全く……」

綾の声が震える。

宇垣 綾
「兄嫁は……ショックで倒れて……そこの部屋で寝込んでます」

視線を横の部屋へ向ける。

宝条 潤(眉をひそめる)
「……母親がここに?」

宇垣 綾
「梨沙が最後にいた場所に、離れたくないって……」

宝条 潤
「……分かりました。僕が来たからにはもう大丈夫です」

宇垣 綾(涙をこらえた声)
「お願いします……」

潤が控室を静かに見回す。
人の動き、物の配置、警備の位置、空気そのものを見る。

宝条 潤(心の声)
(……なるほど。この部屋には“事件”の匂いがない。だが、逆にそれが……)

宝条 潤(低く)
「……違和感がある」

宇垣 綾
「え……?」

宝条 潤
「このホテルは、“完璧すぎる”」

宇垣 綾
「……完璧?」

宝条 潤
「誘拐事件が起きた場所にしては――」

潤が視線を走らせる。

宝条 潤
「警備の動きが整いすぎている。人間の焦りがない……まるで、最初から台本があるみたいだ」

綾が息を呑む。

宇垣 綾
「……っ」

潤が監視カメラのモニターを見る。

宝条 潤
「カメラ、全て正常記録……?」

宝条 潤(心の声)
(“異常がない”のが異常だ。誘拐は混乱を生む。だがここは――静かすぎる)

宝条 潤(断言するように)
「犯人は外部じゃありません」

宇垣 綾
「……!」

宝条 潤
「このホテルの中にいる」

綾が潤を見つめる。潤の目は確信の色に変わっている。

宝条 潤(心の声)
(犯人は“ここを守る者”だ。そして、梨沙ちゃんはまだホテル内にいる)

宇垣家専用サロン

潤が宇垣家の専用サロンに入る。
宇垣家全員が顔をあげる。潤がお辞儀をする。

宇垣 保治
「……来てくれたのか」

宇垣 久子
「わざわざありがとうございます」

宝条 潤
「いえ、たまたま横浜の弟の家に来ていたものですから」

潤が保治のほうを向く。

宝条 潤(静かに)
「……宇垣会長、1つ確認したいことがあります」

宇垣 保治
「何だね?」

宝条 潤
「このホテルのセキュリティ責任者は誰ですか?」

控室が静まり返る。

宇垣 保治
「……なぜそれを?」

斎藤 恵一(小さく)
「責任者、ですか……?」

宝条 潤
「理由は三つあります」

潤がゆっくりと指を一本立てる。

宝条 潤
「第一に――このホテルの警備は完璧すぎます」

宇垣 保治
「それは当然だ。UGAKI HOTELは警備体制もしっかりさせている」

宝条 潤
「ええ。しっかりしすぎるんです」

潤は二本目の指を立てる。

宝条 潤
「第二に――監視カメラがすべて正常に作動していた」

斎藤 恵一
「……それの、どこが問題で?」

宝条 潤
「誘拐事件です。人が消えたんですよ?」

全員を見渡す。

宝条 潤
「普通なら死角、ノイズ、録画欠損、警備員の動揺、何かしら“乱れ”が出る。ですが、このホテルには乱れが一切ありません」

宇垣 綾(息を呑む)
「……“異常がない異常”」

宝条 潤
「その通りです」

三本目の指を立てる。

宝条 潤
「第三に――それでも、梨沙ちゃんは消えた。つまり、犯人は――この警備システムを、自由に扱える人間です」

宇垣 保治(険しい表情)
「……内部犯行、だと?」

宝条 潤
「はい。外部犯なら、“警備をかいくぐった痕跡”が残る。しかし今回は警備そのものが“犯行を隠している”」

宇垣 綾
「……だから、“警備が完璧すぎる”」

宝条 潤
「ええ。つまり――犯人は、警備を“守る側”」

宇垣 保治(重く息を吐く)
「……だからセキュリティー責任者だと?」

宝条 潤
「はい」

宇垣 保治
「疑いたくはないが……君の話は筋が通っている」

保治は拳を握る。

宇垣 保治
「UGAKI HOTELの中に、孫を奪った人間がいるということか……」

久子が保治の肩に手を置く。

宇垣 久子
「保治」

宇垣 保治
「……久子」

宇垣 久子
「梨沙を救うためよ」

潤が最後の一押し。

宝条 潤
「だからこそ――責任者の名前が必要です。警備を“点検できる人間”。ログを“説明できる人間”。そして、誰も疑わない立場の人間」

保治は覚悟を決め、セキュリティー責任者の名前を告げる。

宇垣 保治
「……三沢圭吾だ」

斎藤 恵一
「セキュリティ責任者……」

宇垣 綾(目を鋭くする)
「……三沢」

宇垣 保治
「……三沢は警備会社からの出向で、UGAKI HOTEL全体のセキュリティ統括を任せていた」

宇垣 綾
「勤務年数は?」

宇垣 保治
「ここ5年。それ以前も、大手ホテルをいくつか渡っている」

潤が即座に掘る。

宝条 潤
「“渡っている”……?」

宇垣 保治
「職歴を見てみたが、どの現場も短期間で辞めている」

宇垣 久子
「……不自然ね」

宝条 潤(うなずく)
「ええ。能力がないなら、ここまで上がれない」

潤が三沢の“立場”を整理する。

宝条 潤
「三沢氏は――警備システムの管理、監視カメラの点検権限ID発行・失効の承認、すべてを握っているということですね」

宇垣 綾
「つまり……“触れない場所がない”」

宝条 潤
「はい」

宇垣 綾
「三沢は、今どこに?」

ホテルスタッフ
「……地下の警備室です」

宇垣 綾
「監視は?」

斎藤 恵一
「これから部下を待機させます」

潤が決定的な違和感を口にする。

宝条 潤
「……宇垣さん」

宇垣 綾
「はい」

宝条 潤
「梨沙ちゃんが最後に映っていたのは、VIPフロアの“控室前”でしたね?」

宇垣 綾
「ええ」

宝条 潤
「その後、カメラは?」

宇垣 綾
「……異常なし」

宝条 潤
「異常がないのに、“人が消える”のは――カメラが“見ていなかった”時間がある場合だけです」

斎藤が気づく。

斎藤 恵一
「……点検モード」

宇垣 綾
「……!」

斎藤 恵一
「確かに……点検中は映像が“静止画”になります。外から見ると、“正常稼働”に見える」

宝条 潤
「その間に、梨沙ちゃんはさらわれた」

宇垣 綾
「……でも、点検ログは?」

宝条 潤
「そこです。点検ログは――“三沢さん本人のID”ではないはずです」

斎藤 恵一
「……なぜ?」

宝条 潤
「自分の名前が残るから。代わりに使うのは――清掃、警備補助、夜勤」

宇垣 綾
「……立場が弱く、ID管理が甘い部署」

斎藤が即座に動く

斎藤 恵一
「清掃スタッフ、夜勤のIDログを洗います!」

宝条 潤
「もう一つ」

宇垣 綾
「?」

宝条 潤
「梨沙ちゃんは、“ホテルの外”には出ていません」

宇垣 綾
「……!」

宝条 潤
「身代金要求が早すぎる。そして、犯人は“姿を見せない”。つまり――移動リスクを負っていない。監視場所はおそらく……人目につかず、音が漏れず、“カメラが不要”な場所……」

潤が視線を落とす。

宝条 潤
「……ホテルの“裏側”です」

綾が即答する。

宇垣 綾
「メンテナンス区画」

宝条 潤
「VIPフロア直下、普段は誰も入らない――“スタッフ専用区画”」

宇垣 綾
「斎藤警部」

斎藤 恵一
「はっ」

宇垣 綾
「地下メンテナンス区画を全て封鎖。三沢圭吾を、“任意同行”で呼んでください」

宇垣 久子
「……孫は、まだ生きている」

宝条 潤(心の声)
(犯人は――もう逃げ場がない)

無線が一斉に鳴り、警察が一気に動き出す。

斎藤 恵一(無線)
「地下で、不審な施錠を確認!」

宇垣 綾
「……そこね」

重い金属扉の前で足が止まる音
薄暗い地下。非常灯が赤く点灯している。

斎藤 恵一
「……この先です。不審な電子ロックを確認」

宇垣 綾(即断)
「解除してください」

斎藤 恵一
「了解」

宝条 潤(低い声)
「……慎重に、驚かせないで」

宇垣 綾(はっきり)
「分かってます」

カチリとロックが外れる音がする。
重い扉がゆっくりと開く。

相模 直人(無線)
「内部、異常なし……いや、待って――」

監禁部屋

簡易的に仕切られた小部屋。
マット、毛布、ペットボトル。
そして――

宇垣 梨沙(小さく)
「……っ……」

宇垣 綾
「……梨沙!」

綾が駆け寄る。

宇垣 綾(しゃがみ込み、優しく)
「梨沙、怖かったね……」

宇垣 梨沙(泣き出す)
「……綾さん……!」

宝条 潤(静かに近づき)
「梨沙ちゃん」

宇垣 梨沙(潤を見る)
「……潤先生……」

宝条 潤
「もう大丈夫。誰も、君を連れていかない」

梨沙が綾に抱きつく。
綾は梨沙を抱きしめる。

宇垣 梨沙
「……うえぇ……」

宇垣 綾
「……よく頑張った」

宇垣 綾(心の声)
(生きてる……本当によかった……)

同時刻・警備室前

無線が一斉に鳴る

今井 もえ(無線)
「容疑者が動きました!」

警備室

警備モニターが並ぶ部屋。
三沢がバッグを掴み出口へ向かう。

三沢 圭吾
「……チッ……」

小野寺 恒一郎
「三沢圭吾!止まれ!」

三沢 圭吾
「……もう終わりか」

乾いた笑い。

三沢 圭吾
「……“守る側”が疑われる時代か」

潤が警備室に入ってくる。

宝条 潤
「守っていたんじゃありません」

三沢 圭吾
「……何?」

宝条 潤
「“守る立場”を利用しただけです」

三沢が動機を吐露する

三沢 圭吾
「……完璧なホテル……誰もが褒める……でもな……そこで切り捨てられた人間は誰も見ないんだ」

宝条 潤
「だから誘拐を?」

三沢 圭吾
「……ああ」

綾が静かに現れる。

宇垣 綾(冷たい声)
「……注目欲しさに誘拐事件?馬鹿げてるわ。手を出しなさい」

綾が三沢に手錠をかける。

ガチャン(手錠の音)

三沢 圭吾
「……はは」

地下 → VIPフロア

毛布に包まれた梨沙を綾がしっかり抱いている。

宇垣 梨沙
「……ママ……」

宇垣 綾
「すぐ会えるわ。大丈夫」

宇垣家専用サロン

光宏の妻がベッドから起き上がる。

光宏の妻
「……梨沙……?」

宇垣 梨沙
「……ママ……!」

母娘が抱き合う。
その場の空気が一気にほどける。

少し離れた場所から潤が見ている。

宝条 潤(静かに息を吐く)
「……間に合った」

宇垣 綾(潤を見る)
「……ありがとう」

綾が深く頭を下げる。

宝条 潤
「僕は……」

宇垣 綾(首を振る)
「いいえ……あなたがいなかったら、私は――」

言葉が切れ、涙があふれる。

宝条 潤
「管理官は泣いていい時もあります」

宇垣 綾(目を伏せ、わずかに笑う)
「……ずるいですね」

こうして、UGAKI HOTEL誘拐事件は解決した。
だが――それは同時に、誰かの心の距離を確実に縮めた事件でもあった。

UGAKI HOTEL 大宴会場(従業員集会)

華やかな宴会場。
従業員全員が緊張した面持ちで壇上を見つめている。

黒瀬 拓真(総支配人)
「――静粛に。宇垣会長より、お話があります」

保治がゆっくり壇上へ。
いつもの紳士的な微笑は消え、厳格な表情。

宇垣 保治
「UGAKI HOTELの全従業員諸君」

保治が低く、よく通る声で話す。

宇垣 保治
「まず――今回の件で不安と混乱を与えたことを、オーナーとして謝罪する」

深く一礼する。

宇垣 保治
「孫の誘拐事件は解決した。孫は無事に保護された」

従業員A(小声)
「……よかった……」

従業員B(小声)
「本当に……」

保治が言葉を強める。

宇垣 保治
「だが――」

空気が締まる。

宇垣 保治
「この事件は、UGAKI HOTELの誇りを傷つけた。なぜなら――犯人は外部犯ではない」

ざわめきが広がる。

従業員C
「内部……?」

従業員D
「まさか……」

宇垣 保治
「犯人は――当ホテルのセキュリティを統括する立場にあった者だ。皆が信頼していた人間が、“守る立場”を利用して犯罪を行った」

従業員が動揺する。

警備スタッフ(拳を握る)
「……信じられない……」

保治が続ける。

宇垣 保治
「今回の件は――一人の裏切り者の責任だ。だが同時に、“仕組み”の責任でもある」

その場で総支配人に指示する。

宇垣 保治
「黒瀬総支配人」

黒瀬 拓真
「はい」

宇垣 保治
「本日より即時、セキュリティ体制を刷新する。点検権限、ログ閲覧権限、ID発行権限――全てを“単独”で持てない仕組みにする」

黒瀬 拓真
「承知しました」

宇垣 保治
「UGAKI HOTELの誇りは、建物でもブランドでもない。諸君らだ。このホテルを誇りに思うなら――今こそ、立ち直る時だ」

最後の締めの言葉。

宇垣 保治
「そして最後に――孫を救い、事件を解決に導いたのは警察と――」

保治が視線を少し横に向ける。

宇垣 保治
「宝条潤先生の力だった」

従業員がどよめく

従業員A
「……宝条家の当主……」

従業員B
「推理作家の……」

保治が深く頭を下げる。

宇垣 保治
「UGAKI HOTELはこの恩を忘れない」

パチパチパチパチ

拍手が広がる(最初は小さく、徐々に大きく)

ホテル王・宇垣保治は、恐怖と疑心暗鬼に沈みかけた従業員たちを“誇り”で立ち上がらせた。
UGAKI HOTELは、再び前を向く。

後日 宝条邸

潤は事件のことを遥香に説明する。

宝条 潤
「――そんなわけで、UGAKI HOTELで誘拐事件があった。誘拐された梨沙ちゃんは無事に保護。犯人はセキュリティ責任者だった」

神谷 遥香(ほっと息を吐く)
「……そう」

宝条 潤
「警備の“点検モード”を悪用して、カメラが正常に映っているように見せてた。監禁場所もホテル内のメンテナンス区画だった」

神谷 遥香
「……人質が無事で、本当によかった」

遥香も安心の表情を浮かべる。

宝条 潤
「うん。宇垣さんも相当限界だった」

神谷 遥香(少し眉をひそめる)
「……そりゃそうでしょうね」

カチ……と湯呑みを置く音。それと同時に空気が少し冷える。

神谷 遥香
「で?」

宝条 潤
「……うん?」

神谷 遥香(にこっ)
「綾とはどうだったの?」

宝条 潤(ピタッ)
「……どうって?」

神谷 遥香
「助けを求められたんでしょ?」

宝条 潤
「う、うん……まあ……」

神谷 遥香
「泣いてた?」

宝条 潤
「……泣いてた」

遥香の目が細くなる。

神谷 遥香
「……ふーん」

宝条 潤(心の声)
(まずい……この“ふーん”はまずい……)

遥香が追撃する。

神谷 遥香
「で、潤は?」

宝条 潤
「え?」

神谷 遥香
「優しくした?」

宝条 潤
「そりゃ……事件だし……」

神谷 遥香
「抱きしめた?」

宝条 潤(即答)
「……してない!」

遥香はさらに潤を問い詰める。

神谷 遥香
「じゃあ、何したの?」

宝条 潤
「……“泣いていい時もある”って言った……」

遥香の顔が、ゆっくり笑顔になる。

神谷 遥香(優しい声)
「……そう」

宝条 潤(ゾクリ)
「……っ」

宝条 潤(心の声)
(終わった)

遥香はにっこりしているが、目が笑っていない。

神谷 遥香
「綾には言うんだ」

宝条 潤
「い、いや……今回は身内の誘拐でかなり弱ってたから……」

神谷 遥香
「私は?」

宝条 潤
「……」

潤が逃走準備をする。

宝条 潤
「……遥香、あの、僕ちょっと……」

神谷 遥香
「どこ行くの?」

宝条 潤
「……資料の整理……」

神谷 遥香(にこ)
「逃げるんだ」

宝条 潤
「逃げないよ!整理だよ!」

神谷 遥香(優しく甘い声)
「いいよ」

宝条 潤
「……え?」

神谷 遥香
「今夜、ゆっくり聞くから」

宝条 潤
「……っ!!」

潤が席を立つ。

宝条 潤(心の声)
(事件より怖い……!)

遥香は湯呑みを持ったまま、静かに微笑む。

神谷 遥香(心の声)
(無事でよかった……でも……綾にだけは、負けない)

第10話 完

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