天才推理小説家の事件録 第20話「宝条豊と神谷正治郎、友情の原点」
第20話「宝条豊と神谷正治郎、友情の原点」
宝条邸・書斎(昼下がり)
大きな書斎。窓から柔らかな光。
書棚の前で遥香が埃を払い、机の上を整えている。
宝条 潤(少し困ったように)
「遥香、そんなことしなくてもいいのに。ここは使用人がやるから」
神谷 遥香(即答)
「ダメ」
宝条 潤
「即答だな……」
神谷 遥香(机の引き出しを拭きながら)
「あなた、気づくと資料と原稿で雪崩起こすでしょ?それに……」
遥香が潤を見る。
神谷 遥香
「私がやりたいの」
宝条 潤(少しだけ微笑んで)
「……はいはい」
その時、書棚の上段を整理していた遥香の手が、1冊の古い本に触れる。
本の間から1枚の写真が、はらりと床に落ちる。
神谷 遥香
「あ……」
遥香が拾い上げる。
白黒で、少し黄ばんだ古い写真。
宝条 潤
「……写真?」
2人で並んで覗き込む。
写真は白黒写真。
大学構内らしき場所で、並んで立つ若い2人の青年。
どちらも19歳前後。
片方は穏やかな笑み、もう片方は少し不器用そうに立っている。
神谷 遥香(じっと見つめて)
「……ねえ、潤」
宝条 潤
「うん?」
神谷 遥香
「この左の青年……潤に似てない?」
宝条 潤(目を細めて)
「……確かに。僕にそっくりだ」
神谷 遥香
「じゃあ、こっちは……」
遥香は写真を少し傾けて、もう1人の青年を見る
神谷 遥香
「……私に似てる」
宝条 潤
「……あ」
2人が同時に息を止めるように沈黙する。
宝条 潤
「そうか……」
神谷 遥香
「思い出した?」
宝条 潤
「父さんと遥香の父さん、確か大学の頃からの親友だったよね」
神谷 遥香(小さく頷く)
「そういえばそうだったわね」
宝条 潤
「この写真……多分その頃のだな」
遥香は写真から目を離さずに言う。
神谷 遥香
「……今度、聞いてみようか」
宝条 潤
「遥香のお父さんに?」
神谷 遥香
「うん。どうやって親友になったのか」
宝条 潤(写真を元の本に戻しながら)
「……そうだな。これは、ちゃんと聞くべき話だ」
2人は視線を交わす。
神谷 遥香
「私たちが生まれるずっと前の話」
宝条 潤
「でも、確実に今に繋がってる」
神谷邸・茶室(夕方)
格式ある茶室。床の間。柔らかな灯り。
正治郎がいつものように穏やかに座っている。
向かいに遥香と潤。
遥香が、白黒の写真を丁寧に両手で差し出す。
神谷 遥香
「父さん。これ」
正治郎は写真を受け取り、覗き込んだ瞬間──目を丸くする。
神谷 正治郎
「お~~~懐かしいな~~~!!」
目を細め、口角が上がり、少年のように笑う。
神谷 正治郎
「これどこで見つけた!?」
宝条 潤(落ち着いた口調で)
「うちの書斎にありました」
神谷 正治郎(写真を指で軽く撫でながら)
「ははは……!あいつ、大事に持っていたのか~~!」
正治郎は余韻に浸るように、しばし写真を眺める。
遥香はすっと正座を整える。
その目が“管理官”の目に変わる。
神谷 遥香
「……さっさと話して?」
神谷 正治郎
「えっ?」
正治郎は顔を上げる。
遥香の“無言の圧”。
神谷 正治郎(冷や汗)
「……は、話す。話すとも。うん」
神谷 遥香
「どういう経緯で撮った写真?」
神谷 正治郎(苦笑いしながら)
「お前……相変わらず容赦ないな……」
正治郎はふっと息を吐き、遠い目になる。
写真を膝の上に置き、畳に手をつく。
神谷 正治郎
「……もう、40年近く前か……」
東京大学 本郷キャンパス(39年前・春/朝)
新歓の張り紙、サークル勧誘の声。春の空気。
スーツの若者が車から降りる――宝条豊(19)。
遠くから見ている学生たちがひそひそ話している。
学生A(小声)
「うわ……宝条家の……」
学生B(小声)
「マジで? あれ宝条家の御曹司?」
学生C(小声)
「顔やば。俳優かよ」
豊は気づいているが、完全に無視して歩く。
宝条 豊(心の声)
(いつものことだ。名前だけで人間を決めつける……この場所も同じか)
別方向から、凛とした青年が歩いてくる――神谷正治郎(19)。
正治郎にも同じように視線が集まる。
学生D
「神谷って…あの茶道の?」
学生E
「え、名家の跡取り?」
正治郎は落ち着いた顔のまま通り過ぎる。
神谷 正治郎(心の声)
(東大に来ても、結局これか。“神谷家の跡取り”としてしか見ない)
廊下の曲がり角。豊と正治郎が同時に曲がり――
ドンッ
肩がぶつかる。
神谷 正治郎
「……失礼」
宝条 豊
「……こちらこそ」
互いに一瞬だけ見る。
宝条 豊(心の声)
(……嫌な目じゃない)
神谷 正治郎(心の声)
(……宝条の御曹司。でも、思ったより…静かな男だ)
その時――
「キャーーッ!!」
悲鳴が聞こえる。
経済学部研究棟・展示室前
人だかり。警備員が慌てている。
“関係者以外立ち入り禁止”の張り紙。
床には展示用のパンフレットが散乱。
警備員
「展示品が……なくなってる!!」
学生たち
「え……盗難!?」
「うそでしょ」
正治郎の顔色が変わる。
神谷 正治郎
「……なくなったって、まさか」
展示室入口を見つめる。そこにある案内表示。
《神谷家所蔵 茶杓(ちゃしゃく)》
神谷 正治郎(心の声)
(神谷家の……茶杓だ)
豊が人混みの隙間から、静かに現場を見ている。
宝条 豊
「……盗難?」
正治郎は豊の声を聞いて振り向き、ハッとする。
神谷 正治郎
「……君、さっきの」
宝条 豊
「肩ぶつけた」
正治郎が視線を戻し、震える声で言う。
神谷 正治郎
「……あれは、うちの家のものだ。神谷家が……東大に貸し出した」
宝条 豊
「へえ。茶道の家か」
神谷 正治郎
「……そうだ。家元だ」
正治郎の拳が小さく握られる。
神谷 正治郎
「もし紛失になれば……神谷家の信用が終わる」
宝条 豊(淡々と)
「じゃあ“紛失”じゃなく、“盗難”として扱わせればいい」
神谷 正治郎
「……簡単に言う」
宝条 豊
「簡単じゃない。だからこそ、盗んだ奴を見つける」
正治郎が目を細める。
神谷 正治郎
「……なぜそこまで?」
宝条 豊(視線を外し)
「……名家の跡取りが困ってると、祭りみたいに騒ぐ奴が嫌いなだけだ」
正治郎が少し驚く。
神谷 正治郎(心の声)
(この男……冷たいんじゃない……同じだ)
展示室入口(数分後)
教授陣と事務員が駆けつける。
現場の責任者らしき女性、工藤奈緒(21)が怒りと焦りで声を張る。
工藤 奈緒
「展示室の鍵は……私が閉めました!入室記録もあります!」
教授
「警察を呼ぶか?」
工藤 奈緒
「……学内の不祥事になります!」
周囲がざわつく。
正治郎が一歩前へ出る。
神谷 正治郎
「……神谷家としては、警察へ正式に届けます」
周囲が凍る。
工藤 奈緒
「え……!?」
教授
「待ちなさい、君……」
正治郎
「これは家の名誉の問題です!隠蔽される方が困ります!!」
その横で、豊が展示室入口を観察している。
宝条 豊(心の声)
(扉……無傷。鍵穴……こじ開けなし。なら――)
豊は工藤を見る。
宝条 豊
「展示ケースは?」
工藤 奈緒
「え?」
宝条 豊
「ケースは壊されてないですか?」
工藤 奈緒
「……もちろん壊れていません!施錠されています!」
豊は少しだけ口角を上げる。
宝条 豊
「じゃあ……面白い」
神谷 正治郎
「……何が?」
宝条 豊
「盗人は“扉を開けてない”」
正治郎が見る。豊の目が本気になっている。
神谷 正治郎(心の声)
(……推理?この男、もう“探し始めている”)
鍵を開けて中へ。
厳重な展示ケースがあり、中が空。
正治郎は息が止まる。
神谷 正治郎
「……本当に、ない……」
工藤は青ざめる。
工藤 奈緒
「そんな……あり得ない……ケースは施錠されてるのに……!」
豊は展示ケースに近づき、しゃがむ。
教授
「君、勝手に触るな」
宝条 豊
「触ってません。見てるだけです」
豊はケースの側面に目を向ける。小さな金属部品だった。
宝条 豊(心の声)
(……点検口)
豊が指差す。
宝条 豊
「ここ。ネジが……新しい。擦れてる」
正治郎が覗き込む。
神谷 正治郎
「……たしかに、ここだけ色が違う」
工藤が焦る。
工藤 奈緒
「そ、それは湿度装置の点検口で……!教授の許可がないと開けられません!」
宝条 豊
「開けた人がいます」
空気が凍る。
教授
「……!」
正治郎が豊を見上げる。
神谷 正治郎
「宝条……君は……」
宝条 豊
「推理ごっこは嫌いなんだが」
豊はケースを見る。
宝条 豊
「……盗難はもっと嫌いだ」
正治郎は静かに頷く。
神谷 正治郎
「……君に協力する」
豊が一瞬だけ驚いた顔をする。
宝条 豊
「いいのか?巻き込まれるぞ」
神谷 正治郎
「もう巻き込まれている……これは俺の家のものだ」
豊は短く笑う。
宝条 豊
「……そうか」
関係者が散り、廊下に静けさが戻る。
展示ケースの前で豊が一歩下がり、全体を見渡している。
腕を組み、顎に手を当てる。立ち位置、視線、間の取り方――今の潤とまったく同じ。
神谷 正治郎(少し驚いたように)
「……宝条?」
宝条 豊(独り言のように)
「盗難事件ってのはな……“何が起きたか”より、“何が起きていないか”を見る」
正治郎が耳を澄ます。
宝条 豊
「扉は壊れていない。鍵穴も無傷。ケースも施錠されたまま。つまり――“力づくの侵入”は起きていない」
神谷 正治郎
「……内部の人間、ということか?」
宝条 豊
「まだ断定はしない」
豊は立ち止まり、床を見る。
宝条 豊
「犯人は“騒ぎを起こしていない”。だから、時間をかけて盗んでいる」
正治郎ははっとする。
神谷 正治郎
「……展示終了後、誰も慌てた様子はなかった」
宝条 豊
「そう。そしてもう1つ」
豊は展示ケース横の湿度装置を見る。
宝条 豊
「“展示ケースを開けていない”」
神谷 正治郎
「……点検口」
宝条 豊(ちらっと正治郎を見る)
「理解が早いな」
神谷 正治郎
「……茶道具は、“触り方”を間違えれば価値が落ちる。盗むなら、一番“安全な手段”を選ぶはずだ」
豊はほんの一瞬だけ笑う。
宝条 豊
「……やっぱり名家の跡取りは違う」
神谷 正治郎
「皮肉か?」
宝条 豊
「褒め言葉だ」
2人が並んで展示ケースを見る。完全に“同じ目線”。
そこへ――2人の同級生の川島修一(19)が拍手しながら、わざとらしく言う。
川島 修一
「おやおや坊ちゃんのお二人さん、な~にしてんの~?」
廊下の奥から歩いてくる。
薄ら笑い。手をポケットに突っ込む。
川島 修一
「まさか……探偵ごっこ?」
正治郎が眉をひそめる。
神谷 正治郎
「川島……」
川島 修一(にやにや)
「宝条の御曹司に、神谷の跡取り。さすがだよな~盗難事件まで“教材”にするなんてさ」
周囲を見回し、声を落とす。
川島 修一
「どうせ誰かが“金で解決”するんだろ?家の力ってやつで」
正治郎、思わず一歩前へ出ようとする。
神谷 正治郎
「……その言い方は――」
だが、豊が片手で正治郎を制する。
宝条 豊(静かに)
「放っておけ」
神谷 正治郎
「宝条?」
豊は川島を見る。感情のない、だが鋭い目。
宝条 豊
「君は……川島修一」
川島 修一
「お、覚えてた?光栄だねぇ」
宝条 豊
「君は“何も起きていない”場所に、やけに詳しい」
川島はピクリと眉を動かす。
川島 修一
「……は?」
宝条 豊
「事件が起きた直後なのに、“金で解決”という結論が随分と早い」
川島 修一
「それが普通だろ?」
宝条 豊
「普通じゃない」
淡々と言う。
宝条 豊
「無関係な人間は、まず“誰が犯人か”を気にする」
正治郎は息を呑む。
宝条 豊
「でも君は、“どう終わるか”を気にしている」
川島が乾いた笑いをする。
川島 修一
「考えすぎだって。さすが宝条家、妄想も一流だ」
川島は肩をすくめて立ち去ろうとする。
川島 修一
「ま、頑張って。坊ちゃん探偵さん」
川島が去る。
神谷 正治郎
「……今の、どういう意味だ?」
豊は視線を展示ケースへ戻す。
宝条 豊
「意味は1つ。“犯人は、この事件の結末を知っている人間だ”」
正治郎ははっとする。
神谷 正治郎
「……つまり」
宝条 豊
「内部関係者、もしくは――“内部と繋がっている学生”」
正治郎は川島が去った方向を見る。
神谷 正治郎(心の声)
(この男……もう犯人の輪郭を掴み始めている)
豊が歩き出す。
宝条 豊
「次は“工具”だ」
神谷 正治郎
「工具?」
宝条 豊
「点検口を開けるには、特殊なドライバーが必要だ」
正治郎は即座に理解する。
神谷 正治郎
「……持っている人間は限られる」
2人は視線を交わす。
宝条 豊
「行こう。犯人は、思ってるより近い」
豊と正治郎が並んで歩く。周囲の学生は遠巻きに見る。
神谷 正治郎
「“工具”って……具体的には?」
宝条 豊
「点検口は一般のドライバーじゃ開かない。ネジの溝が特殊だった」
神谷 正治郎
「確かに……職人向けの形だった」
宝条 豊(淡々と)
「つまりそれを開けられる人間は限られる」
豊は立ち止まり、周囲の掲示板を見る。展示の運営担当名簿が貼られている)
宝条 豊
「展示の管理は誰だ?」
神谷 正治郎(掲示板を見て)
「……経済学部研究室の助手、山崎先生」
宝条 豊
「山崎先生、か」
神谷 正治郎
「でも助手なら……鍵もケースの構造も知ってる。疑うなら、まずそこになる」
宝条 豊
「疑うのは最後だ。最初は確認する」
神谷 正治郎
「……君、変わってるな」
宝条 豊
「よく言われる」
2人は研究室の扉の前へ行く。
経済学部研究室
扉を開けると、資料の山。書類。研究室特有の匂い。
白衣でもスーツでもない中途半端な格好の男――山崎拓也(35) が顔を上げる)
山崎 拓也
「……何だ君たちは?学生がここに来る用件はないだろ?」
正治郎が静かに一歩前へ出る。
神谷 正治郎
「神谷正治郎です。展示品――神谷家の茶杓が盗まれました」
山崎の顔色が一瞬だけ変わる。
山崎 拓也
「……盗まれた? そんなはず――」
宝条 豊(遮るように)
「展示ケースは施錠されたまま。点検口のネジが擦れてました」
山崎はぎくりとする。
山崎 拓也
「……君、勝手に触ったのか?」
宝条 豊
「見ただけです」
豊は部屋の隅にある工具箱の存在に目を向ける。
宝条 豊
「その工具箱。展示ケースの点検用ですね」
山崎 拓也
「……ああ。湿度装置の点検をするからな」
豊が特殊ドライバーを見る。
宝条 豊
「……その特殊ドライバーもですか?」
山崎が妙に早口になる。
山崎 拓也
「あるにはあるが……鍵付きだ。勝手には使えない」
正治郎が目を細める。
神谷 正治郎
「……今日、点検しましたか?」
山崎 拓也
「してない。展示期間中に無闇に触れるわけないだろ」
宝条 豊
「では、誰が触ったんです?」
山崎が言葉に詰まる。
山崎 拓也
「そ、それは……管理は私が……」
宝条 豊
「先生しか触れないなら、先生が盗んだことになりますが?」
空気が凍る。
神谷 正治郎(慌てて)
「宝条……!」
豊は山崎を追い詰めるのではなく、“反応”を見ている。
宝条 豊(静かに)
「……確認をしましょう」
豊が工具箱へ近づき、鍵穴を見る。
宝条 豊
「鍵穴に削れ……最近、開けた」
山崎 拓也
「……っ」
神谷 正治郎
「開けたんですね?」
山崎は汗を拭ってごまかす。
山崎 拓也
「……私だ。だが盗難とは関係ない。午後は教授と打ち合わせをしていた」
宝条 豊
「教授と?」
山崎 拓也
「ああ。教授室で――18時過ぎまで」
豊が一瞬だけ視線を落とす。“潤が嘘をメモする時”の顔。
宝条 豊
「わかりました」
正治郎が驚く。
神谷 正治郎
「……それで終わりか?」
宝条 豊
「終わりじゃない。“教授の証言”を取る」
豊が扉へ向かう。
宝条 豊
「神谷、行くぞ」
神谷 正治郎
「……ああ!」
教授室前
扉が少し開いており、室内から声が漏れる。
教授(室内)
「……つまり財政政策の本質はだね……」
豊が立ち止まる。
宝条 豊
「……聞こえる」
神谷 正治郎
「教授の声だな」
豊が扉の隙間から見える“机の上”に目を凝らす。
宝条 豊(心の声)
(教授は……紙を読んでいるだけだ。会話している相手はいない)
扉をノックする。
教授室
教授が顔を上げる。
教授
「ああ君たちか」
神谷 正治郎
「突然失礼します。展示品盗難の件で……」
教授
「……こちらも今調査中だ」
豊はまっすぐ教授を見る。
宝条 豊
「山崎先生は18時過ぎまで先生と打ち合わせしていた、と言っていました」
教授
「……ああ。いた。確かにいた」
豊は少しだけ間を置いて尋ねる。
宝条 豊
「先生。山崎先生とは“会話”されましたか?」
教授
「ん……?いや……私は資料を読んでいた。山崎君はそこにいて、必要な時に返事をしていた」
豊は視線を教授の机へ向ける。そこには――“小型のテープレコーダー”がある。
宝条 豊
「……先生」
教授
「何だね?」
宝条 豊
「その録音機……普段から使いますか」
教授
「いや……今日、山崎君が持ってきたんだ。“打ち合わせ内容を残したい”と言って」
正治郎がハッとする。
神谷 正治郎
「……!」
豊の表情が変わらないまま、確信の色になる。
宝条 豊
「先生。その録音機、今止まっていますか?」
教授
「……?」
教授が確認しようとした瞬間――
教授
「……動いている?」
正治郎の背筋が冷える。
神谷 正治郎(心の声)
(まさか……これが)
宝条 豊
「先生。山崎先生は“ここにいた”のではありません」
教授
「……何?」
豊が淡々と言い切る。
宝条 豊
「“ここにいるように聞こえる音”を置いただけです」
教授が青ざめる。
教授
「……山崎君が……?」
正治郎は拳を握る。
神谷 正治郎
「……茶杓は、山崎先生が盗んだ可能性が高い」
豊が正治郎を見る。冷静だが、どこか熱を帯びた眼。
宝条 豊
「まだ証拠が足りない。でも、やることは1つ」
神谷 正治郎
「……展示ケースの点検口」
宝条 豊
「そして工具箱。“ドライバーの先端”」
豊が教授へ深く一礼する。
宝条 豊
「先生。失礼します」
教授
「……宝条君だったか。君はいったい……何者だ?」
豊が振り返らずに答える。
宝条 豊
「……ただの学生です」
2人は教授室を出る。廊下の空気が張り詰める。
廊下を走る2人の足音。
神谷 正治郎
「宝条……!」
宝条 豊
「時間がない。犯人は“茶杓の受け渡し”を急いでる」
東京大学 経済学部研究棟・小会議室(夕方)
白い蛍光灯。長机。緊張感。
会議室には3人の容疑者が集められている。
川島修一(19)(同級生)
工藤奈緒(21)(学生代表)
山崎拓也(35)(助手)
部屋の端には教授と事務員、警備員もいる。
扉が開き――豊と正治郎が入室する。空気がさらに重くなる。
工藤 奈緒
「……あなた達、また来たの?」
神谷 正治郎(冷静に)
「言いましたよね?展示品は神谷家の所有物です。返してもらう権利はあります」
川島 修一(鼻で笑う)
「お坊ちゃん2人が揃って、まだ裁判ごっこしてんの?東大ってそんな大学だったっけ?」
豊は一切動じず、机の前に立つ。立ち方、間、目線――まさに“現在の潤”。
宝条 豊
「今から、盗難事件の説明をします」
周りがざわめく。
宝条 豊
「早く終わらせたいのでまず結論から言います」
会議室の全員が息を止める。
宝条 豊
「茶杓を盗んだ犯人は――山崎先生です」
山崎 拓也
「なっ……!」
工藤 奈緒
「……山崎先生が!?」
川島 修一(面白そうに)
「へぇ~~?」
正治郎は山崎をまっすぐ睨む。
神谷 正治郎
「……やっぱり……」
豊は資料と簡単な図を机に置く。
宝条 豊
「展示室は密室に見えた。扉も鍵も壊されていない。ケースも施錠されたまま。だが、ケースには “点検口” がある」
豊は展示ケースの側面写真を提示する。
宝条 豊
「この点検口のネジが擦れていました。つまり、誰かが開けたということ」
工藤 奈緒
「そんなの……点検ならありえる」
宝条 豊
「点検するなら、工具が必要です」
豊が工具袋を取り出す。
宝条 豊
「先生の工具箱にあった特殊ドライバーを見ましたが、その先端に――」
豊が静かに言い切る。
宝条 豊
「“茶の粉” が付着していました」
周囲がざわつく。
山崎 拓也
「違う!!私は――」
宝条 豊
「茶杓は、保管時に微細な粉が付きます。触れれば必ず残る。そしてその粉は……展示ケース内の物にしか付かないんです。」
山崎は顔面蒼白になる。
宝条 豊
「次にアリバイですが……」
豊が教授を見る。
宝条 豊
「山崎先生は『教授室で打ち合わせしていた』と言いましたね?」
教授
「……彼は、確かに“いた”と思った……だが……まさか録音機からの音声だったとは……」
宝条 豊
「そう。あれは、山崎先生が仕掛けたものです」
豊が続ける。
宝条 豊
「録音機を再生させ、教授には“会話している気”にさせた。教授は資料を読むことに集中していた。だから、本人がそこにいなくても成立する……音声アリバイです」
山崎 拓也
「くっ……!」
宝条 豊
「そして決定的におかしいことがある」
豊は山崎を指差す。
宝条 豊
「 “盗難発覚時” に言いましたね?『そんなはずはない』と」
山崎 拓也
「……!」
宝条 豊
「盗難発覚時点で、あなたは展示ケースの中身を見ていない。それなのに、盗まれたと聞いて即座に “否定した”。つまり――」
豊は淡々と締める。
宝条 豊
「盗まれたことを “知っていた”」
沈黙。
山崎がふらつきながら椅子に手をつく。
山崎 拓也
「……っ……違う……違うんだ……!!」
工藤 奈緒
「……どうして……そんなことを」
山崎 拓也(絞り出すように)
「研究費が……足りなかった……!大学は名誉と実績ばかりだ!金がないと、研究は死ぬ……!」
その瞬間――
神谷 正治郎
「黙れ!!」
正治郎が怒りを抑えきれず、机を叩く。
神谷 正治郎
「金がないから茶杓を奪った!?ふざけるな!茶杓は“金”じゃない!神谷家の誇りだ……!人の誇りを、金で踏みにじってまで続けていい研究があるか!!」
正治郎の目に涙はない。だが震えている。
宝条 豊(正治郎を見て、静かに言う)
「……正治郎」
正治郎が驚いて振り向く。
神谷 正治郎
「……っ」
宝条 豊
「怒れるんだな。君は……強い」
正治郎は必死に息を整える。
神谷 正治郎
「……豊」
自然に下の名前が出る。豊の目が一瞬だけ揺れる。
宝条 豊
「……今、俺のこと “豊” って呼んだな」
正治郎
「……ああ。君も俺のこと “正治郎” って呼んだ」
小さな沈黙。
そして2人が同時に微笑む。
宝条 豊
「……いいだろ?その方が、しっくりくる」
神谷 正治郎(少し照れたように笑い)
「だな。豊」
宝条 豊
「……俺たちみたいな人間はさ、名を背負うだけで嫌われる……勝手に妬まれる……勝手に孤独になる」
正治郎が強く頷く。
宝条 豊
「でも今日、初めて思った」
豊が正治郎を見る。
宝条 豊
「――孤独でも、隣に1人いるなら、戦える」
正治郎の瞳が揺れる。
神谷 正治郎
「……俺も同じだ」
正治郎が低く言う。
神谷 正治郎
「豊……君が来なければ、神谷家は終わってた」
豊が笑う。
宝条 豊
「終わらせないよ――友達の家だ」
この言葉に、正治郎が完全に心を許す。
会議室の空気がほどけた瞬間、1人の写真部員が入ってくる。
写真部員(学生)
「あ、あの!すみません!写真、撮らせてもらっていいですか!?」
川島 修一(皮肉っぽく)
「おいおい、スター扱いかよ」
豊が川島を見て、静かに言う。
宝条 豊
「……君も写るか?」
川島 修一
「……いらねーよ」
川島が顔を背ける。
豊が正治郎を見る。
宝条 豊
「撮ってもらうか」
神谷 正治郎(頷き)
「ああ」
2人が並んで立つ。肩が近い。
さっきまでの緊張が嘘みたいに、自然な距離になっている。
写真部員
「いきます……!はい、笑ってくださーい!」
豊が少し照れたように、でも爽やかに笑う。正治郎も普段見せないくらい柔らかく笑う。
写真部員
「……撮れました!!最高です!!」
カシャッ!
神谷邸・茶室(現在/夕方)
回想の最後のフラッシュが消え、画面がゆっくり戻る。
茶室の静けさ。
正治郎は写真を手に、懐かしそうに微笑んでいる。
潤と遥香は息を呑んだまま。
宝条 潤
「……そんなことが、あったんですね……」
遥香が腕を組み、じっと潤を見る。
神谷 遥香
「潤のお父さんの推理の仕方……まんま潤だったわね」
宝条 潤
「うぐっ……」
潤が胸を押さえる。
神谷 遥香
「しゃがみ方も、目線も、間の取り方も、“今から説明します”の言い方まで同じ」
宝条 潤
「やめて……!自分が2人いるみたいで恥ずかしい……!」
正治郎が堪えきれず吹き出す。
神谷 正治郎
「ははははははは!!そりゃそうだ!!親子だもん!!」
宝条 潤
「……僕って、そんなにああいう感じなんですか」
神谷 遥香(にこ)
「うん」
宝条 潤
「即答……」
正治郎はまだ笑っている。
神谷 正治郎
「いやぁ〜……思い出すだけで腹が痛い。あいつ、19であの推理だぞ?そりゃもう、周りの大人が青ざめるのなんのって」
宝条 潤(少し真面目に)
「……父は、昔から父だったんですね」
遥香が潤を横目で見て、少し優しい声で言う。
神谷 遥香
「……潤も、昔から潤ってことね」
潤は何も言い返せない。
その時――
ピンポーン
静かな茶室にインターホンの音が響く。
神谷 正治郎
「おっと。誰だろうな」
正治郎が立ち上がり、廊下へ行く。
正治郎が玄関へ向かい、インターホン越しに応答する。
神谷 正治郎
「はい、神谷です」
音声越しに、軽い声が聞こえる。
男性の声
「おーい神谷、俺だ俺。開けてくれ〜」
正治郎の表情が一瞬で変わる。驚きから喜びへ。
神谷 正治郎
「……お前、まさか……!」
ドアを開ける。
玄関先に立つ1人の男性。身なりは普通だが、目の奥が鋭い。手を軽く挙げて、馴れた調子で挨拶する。
男
「お〜」
正治郎が声を弾ませる。
神谷 正治郎
「何だお前!突然!!……川島修一!!」
ここで“川島”という名を聞いた瞬間――茶室にいる潤と遥香は……
神谷 遥香
「……え?」
宝条 潤
「川島……?」
2人が同時に立ち上がる。
正治郎が男を連れて戻ってくる。
神谷 正治郎
「紹介する。俺の大学の同級生――川島修一だ」
潤と遥香が揃って固まる。
神谷 遥香
「……ええええっ!?」
宝条 潤
「……あの、川島修一!?」
川島が二ニッと笑う。
川島 修一
「よぉ」
気軽に手を挙げる。
潤と遥香はまだ驚きが抜けない)
神谷 正治郎(ニヤニヤしながら)
「ほら、紹介してやる」
正治郎が潤と遥香に向き直る。
神谷 正治郎
「こちら、豊の息子の潤君。宝条家の現当主で、推理作家」
潤が丁寧に一礼する。
宝条 潤
「宝条潤です……父がお世話になったと聞きました」
神谷 正治郎
「そして――」
遥香を示す。
神谷 正治郎
「俺の娘の遥香。警視庁捜査一課の管理官をやってる」
遥香も礼儀正しく会釈をする。
神谷 遥香
「神谷遥香です。父が昔、お世話になりました」
川島が2人を眺め、ゆっくり口角を上げる。
川島 修一
「……へぇ。宝条の息子が、こんな大人になったか」
続いて遥香を見る。
川島 修一
「しかも神谷の娘が、警察官ねぇ……」
神谷 遥香
「はい」
川島(軽く肩をすくめる)
「いやあ2人とも親父にそっくりだな~」
潤が苦笑いで視線を逸らす。
神谷 正治郎
「でな、今日はお前を呼んだわけじゃないんだが……」
正治郎が立ち上がり、懐から写真を出す。
神谷 正治郎
「これ見ろ」
机の上に置かれる、例の白黒写真。
神谷 正治郎
「宝条邸の書斎から出てきたんだと」
川島は写真を見るなり吹き出す。
川島 修一
「……っはははは!!」
写真を手に取る。
川島 修一
「懐かしいな、おい!!お前ら若ぇな~~~~!!」
川島は写真をしみじみ眺めて言う。
川島 修一
「これ確か……神谷家の茶杓が展示室から盗まれたときのやつだろ?確かあの後、山崎先生のロッカーから見つかったんだったな~」
神谷 正治郎(しみじみ)
「そうだなぁ……もう遠い昔だ」
川島がふと思い出したように笑う。
川島 修一
「そういえばさ、俺んちの娘がこの前、19になったんだよ」
宝条 潤
「娘さんが……」
神谷 遥香
「19歳……」
川島 修一(スマホを取り出し)
「ほら」
川島がスマホの写真を見せる.
画面には、19歳の女性。整った顔立ちに少し生意気そうな笑み。
目の奥が妙に鋭い――どこか川島に似ている。
正治郎、スマホを覗き込んだ瞬間、腹を抱える。
神谷 正治郎
「……っはは!!」
川島 修一
「何だよ?」
神谷 正治郎
「いや……これ……あの頃のお前にそっくりだ」
川島が口を尖らせる。
川島 修一
「娘に失礼だろ」
正治郎が笑いながら言う。
神谷 正治郎
「いやいや、褒めてる褒めてる!目つきが特にな!」
潤が吹き出しそうになり口元を抑える。
宝条 潤(小声)
「……確かに」
遥香が冷静に言う。
神谷 遥香
「遺伝子って怖いですね」
場が少し和む。
第20話 完
