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宝条潤と九条蓮 推理の交錯 -音楽家たちの連続殺人- 第1話「3年前の自殺」

第1話「事件の始まり」

3年前 都内・篠宮奏介のマンション

雨の音が静かに窓を叩いている。薄暗い部屋。

床には散乱した楽譜、飲みかけの水、無数の書き込み。ピアノの前に、1人の青年が座っていた。
篠宮奏介、当時28歳。かつて“天才ピアニスト”と呼ばれた男。しかしその顔に、かつての輝きはない。
机の上には、一通の遺書。奏介は震える手で、それを見つめていた。

篠宮 奏介
「もう……耐えられない……」

脳裏に蘇る。

「君の演奏には“格”がない」
「商品価値がないんだよ」
「優勝?最初から決まってるに決まってるだろ」

奏介は耳を塞ぐ。

篠宮 奏介
「やめろ……やめてくれ……」

ピアノの鍵盤に涙が落ちる。

篠宮 奏介
「……レイ……ごめん……」

最後に恋人の名を呟く。
そして――天井から垂れるロープへ手を伸ばした。
暗転。
静かなピアノの単音だけが響く――

現在 宝条邸・リビング

午後。豪華なリビング。
潤はソファでコーヒーを飲みながら原稿を読んでいる。
そこへ勢いよく扉が開く。

三谷 新太
「兄貴ーーー!!」

宝条 潤
「うおっ!?びっくりした!」

潤の弟、三谷新太が満面の笑みで入ってくる。
手には高級感ある封筒。

三谷 新太
「見ろこれ!!」

宝条 潤
「ん?」

新太がチケットを取り出す。

宝条 潤
「これって……『ルクス国際音楽祭』のチケットか?」

三谷 新太
「そう!世界最高峰のクラシック音楽祭として名高いルクス国際音楽祭のチケットだ!」

新太は興奮気味にパンフレットを広げる。

三谷 新太
「音楽に身を置く身としては一度行ってみたかったんだ~!」

宝条 潤
「まじか!あれめちゃめちゃ抽選の倍率高いんだろ!?」

三谷 新太
「ああ!だけど俺、『三谷コーポレーション』の社長として招待されててさ~」

新太がニヤッと笑う。

三谷 新太
「兄貴も一緒に行かね!?」

宝条 潤
「お~!絶対行く行く!」

潤が食いつく。

三谷 新太
「だろ!?」

新太がパンフレットをめくる。
そこには出演者たちの写真。

三谷 新太
「どの人たちもすごいけど、俺はピアニストの如月レイに注目してる」

宝条 潤
「若いのに世界的に有名なんだよね」

潤はレイの写真を見る。
黒髪の美しい女性ピアニスト。鋭くも儚げな瞳。

宝条 潤
「……やっぱり美人だな――」

その瞬間……

ぐいっ!!!

宝条 潤
「いででででででででっ!!!」

潤の頬が横に引っ張られる。
いつの間にか背後に、エプロン姿の遥香がいた。

神谷 遥香
「ふぅん。確かにすごい美人ね~」

笑顔だが目が笑っていない。

宝条 潤
「は、遥香!?ちょ、痛い痛い!!」

神谷 遥香
「潤ってほんと美人に弱いわよねぇ?」

宝条 潤
「だ、だって実際美人じゃん!」

神谷 遥香
「へぇ~?」

さらに頬が伸びる。

宝条 潤
「ぎゃああああああ!!」

三谷 新太(心の声)
(あ、これ地雷踏んだやつだ)

遥香が新太を見る。

神谷 遥香
「ねえ新太君?」

三谷 新太
「は、はい!」

神谷 遥香
「私も行っていいよね?」

三谷 新太
「え!?い……いやそれは……」

神谷 遥香
「い、い、よ、ね?」

三谷 新太
「はい……」

即答。
遥香は満足そうに微笑む。

神谷 遥香
「ありがとう♪」

潤は頬を押さえながら涙目。

宝条 潤
「理不尽だ……」

神谷 遥香
「何か言った?」

宝条 潤
「いえ何も!!」

その様子を見て新太が苦笑する。

三谷 新太
「相変わらず仲良いなあ」

神谷 遥香
「仲良くなんてないわ」

宝条 潤
「頬引っ張る幼馴染がいるか普通……?」

神谷 遥香
「潤が悪い」

宝条 潤
「えぇ……?」

だが遥香はどこか嬉しそうだった。

九条蓮の書斎

静寂。
白を基調とした閉鎖空間。
磨き抜かれた床。寸分の狂いなく並ぶ本。空気清浄機の低い駆動音だけが響く。窓は閉ざされ、外界の音は一切入ってこない。

部屋の中央で九条蓮は白いソファに腰掛け、飼い猫の灰を静かになでていた。灰は気持ちよさそうに喉を鳴らす。

九条 蓮
「……やはりこの中が一番落ち着く」

九条はゆっくり目を閉じる。

九条 蓮(心の声)
(外界は汚濁に満ちている。音、臭気、感情、欲望……だがここは違う。整理され、分類され、浄化された空間だ)

灰が九条の膝の上で丸くなる。

九条 蓮
「君もそう思うだろう?灰」

その時――

バンッ!!

勢いよく扉が開く。

五味 剛
「先生!!」

灰がびくっと耳を立てる。
九条はゆっくり目を開いた。

九条 蓮
「……五味君」

五味 剛
「すいません!!」

九条 蓮
「騒がしいな」

五味 剛
「いやでもびっくりするもん手に入れちまって!」

九条は無言でテーブル脇の除染スプレーを手に取る。

シュウウウウ……

五味 剛
「うわっ!冷てっ!」

九条 蓮
「外界から帰還した者はまず除染だ」

五味 剛
「毎回やりますよねそれ……」

九条 蓮
「当然だ」

九条は灰を抱き上げ、五味から少し距離を取る。

九条 蓮
「それで?その“びっくりするもの”とは何だ?」

五味 剛
「これです!」

五味が得意げに封筒を取り出す。中から高級感あるチケットが出てくる。
九条の視線が止まる。

九条 蓮
「……これは?」

五味 剛
「『ルクス国際音楽祭』のチケットです!」

九条 蓮
「世界最高峰のクラシック音楽祭……ルクス国際音楽祭」

五味 剛
「そうなんです!なかなか抽選の倍率高いんですが、ダメ元で応募したら当たっちまって!」

五味は興奮気味にパンフレットを広げる。

五味 剛
「いや~俺クラシックとか詳しくないんですけど、せっかくだから行こうかなって!」

九条 蓮
「それはおめでとう」

淡々とした口調。

九条 蓮
「楽しんでこい」

五味 剛
「え~!?」

五味がずっこける。

五味 剛
「一緒に行かないんですか~!?」

九条 蓮
「私が“外界という名の汚濁”を嫌っているのは知っているだろう」

五味 剛
「まあ……」

九条 蓮
「コンサート会場など、汚濁にまみれた人間が大量に集結する場所だ」

五味 剛
「クラシックファンに怒られますよそれ」

九条 蓮
「事実だ」

灰が「にゃあ」と鳴く。

九条 蓮
「ほら灰も嫌がっている」

五味 剛
「いや猫はたぶん関係ないっす」

九条は紅茶を一口飲む。

九条 蓮
「私はここで静かに過ごす」

五味 剛
「ふーん……」

五味がニヤリと笑う。

九条 蓮
「……何だその顔は?」

五味 剛
「あれぇ~?いいんですか~?」

九条 蓮
「何がだ?」

五味 剛
「あの世界的ピアニスト――」

五味がパンフレットをめくる。そこには黒髪の女性、如月レイ。

五味 剛
「如月レイの演奏も聴けるんですよ~?」

その瞬間、九条の指が止まる。灰も九条を見上げる。

九条 蓮
「……」

五味 剛
「お?」

九条 蓮
「……それは本当か?」

五味 剛
「はい」

五味がニヤニヤしながら頷く。

五味 剛
「彼女のピアノ演奏を生で聴けるのに~?」

九条は静かにパンフレットを見る。

九条 蓮
「……」

数秒の沈黙。
そして九条は静かに立ち上がった。

九条 蓮
「……当日は儀式を念入りに行わなければな」

五味 剛
「おっ!?」

九条 蓮
「除染用アルコール、携帯空気清浄機、予備手袋、滅菌シート……」

五味 剛
「行く気満々じゃないですか先生!!」

九条 蓮
「誤解するな」

九条は顔を背ける。

九条 蓮
「私はただ、“音”の配置を確認しに行くだけだ」

五味 剛
「はいはい」

五味は嬉しそうに笑う。
灰はそんな九条の膝へ飛び乗る。九条は灰をなでながら、小さく呟く。

九条 蓮
「……如月レイ」

その声はどこか、わずかに興味を含んでいた。

数日後 ルクス国際音楽祭 メインホール

巨大なコンサートホール。赤い座席。天井には豪華なシャンデリア。
世界中の一流音楽家たちが集まり、開演前の緊張感が漂っている。
舞台上では、リハーサルが行われていた。静かなピアノの旋律。その音だけで、会場の空気が変わる。
潤たちは関係者席からその様子を見ていた。

三谷 新太
「……やっぱいいな、如月レイ……」

宝条 潤
「ああ……」

ステージ中央では黒いドレス姿の如月レイ。指先が鍵盤を滑るたび、ホール全体に透明な音が響く。

宝条 潤(心の声)
(すごいな……音が“見える”みたいだ)

三谷 新太
「これが世界レベルか……」

宝条 潤
「しかもあの年齢で世界トップクラスだからな……」

潤は思わず感心する。

宝条 潤
「それにやっぱり――」

その瞬間……

ぞわっ……

潤の背筋に悪寒。

宝条 潤(心の声)
(……来た)

潤が恐る恐る横を見る。
そこには――遥香が静かに座っている。
だが目だけが完全に笑っていない。鬼のような形相。

神谷 遥香
「……へぇ」

宝条 潤
「……」

神谷 遥香
「そんなに見惚れるくらい綺麗なんだ?」

宝条 潤
「い、いや!?演奏を!演奏を見てたんだって!」

神谷 遥香
「ふぅん?」

圧。

三谷 新太(心の声)
(兄貴終わったな……)

潤は慌てて前を向く。

宝条 潤
「お、音楽って素晴らしいよな!!」

神谷 遥香
「急にどうしたの?」

宝条 潤
「いや!?別に!?」

神谷 遥香
「……」

遥香はじーっと潤を見る。潤はもう視線を合わせられない。
新太は苦笑する。

三谷 新太
「兄貴、顔引きつってる」

宝条 潤
「気のせいだ」

その時、ステージ上でレイの演奏が止まる。
指揮者の朝比奈響が指揮台から声を上げる。

朝比奈 響
「第二小節。ヴァイオリン、0.2秒遅れてる」

演奏者たちがざわつく。

黒崎 真音
「……すみません」

朝比奈 響
「もう一度」

冷たいほど完璧主義な声。
空気が張り詰める。

宝条 潤
「すごい耳だな……」

三谷 新太
「“神の耳”って言われるだけあるよな」

再び演奏開始。その時、レイがふと観客席を見る。
一瞬だけ潤と目が合う。

宝条 潤
「……」

レイは何も言わない。
だが、ほんのわずかに興味を持ったような視線。

神谷 遥香
「……」

宝条 潤(心の声)
(やばい。今見られた)

神谷 遥香
「潤?」

宝条 潤
「はい!!」

神谷 遥香
「随分嬉しそうね」

宝条 潤
「そ、そんなことないって!」

三谷 新太(心の声)
(完全に修羅場だこれ)

会場には再び、美しいピアノの旋律が響く。
しかしその裏で――誰にも見えない“殺意”が、静かに動き始めていた。

リハーサル終了後、演奏者たちが舞台袖へ下がり、ホールには余韻のように静かな空気が残っていた。潤、新太、遥香は関係者席付近で話している。

そこへ、1人の男が近づいてくる。
高級スーツに身を包み、洗練された雰囲気を漂わせる男。ルクス国際音楽祭総合プロデューサー――久遠寺雅臣。

久遠寺 雅臣
「これはこれは。宝条先生に三谷社長」

宝条 潤
「どうも」

三谷 新太
「初めまして!」

久遠寺が穏やかに微笑む。

久遠寺 雅臣
「リハーサル、いかがでしたか?」

宝条 潤
「とてもいい演奏でした」

潤は舞台の方を見る。

宝条 潤
「弟に誘われた形でしたが、本番を見るのが楽しみです」

少し間を置く。

宝条 潤
「特に……如月レイさんの演奏に」

神谷 遥香
「……」

久遠寺 雅臣
「そうでしょう」

久遠寺はどこか誇らしげに笑う。

久遠寺 雅臣
「彼女のピアノは世界にも通用するものですから」

その時、久遠寺が後ろを振り返る。

久遠寺 雅臣
「如月さん」

黒いドレス姿のレイが静かに歩いてくる。
その場の空気が少し変わる。

如月 レイ
「……」

宝条 潤(心の声)
(やっぱりすごい雰囲気だな……)

レイは潤たちの前で立ち止まる。

如月 レイ
「初めまして。如月レイです」

宝条 潤
「は、初めまして!」

潤が少し慌てて頭を下げる。

如月 レイ
「先生のお噂は聞いています」

宝条 潤
「本当ですか!?うれしいです!」

潤は笑顔になる。

宝条 潤
「今日は素晴らしい演奏でした!」

潤が新太を見る。

宝条 潤
「だろ?」

三谷 新太
「はい!生のピアノ演奏は迫力がありました!」

如月 レイ
「ありがとうございます」

静かな口調。だが、どこか柔らかい。
レイは潤を見る。その視線がわずかに優しくなる。

如月 レイ
「……宝条先生は、音をよく聞いてくださるんですね」

宝条 潤
「え?」

如月 レイ
「演奏中、“音を見るような目”をしていましたから」

宝条 潤
「そ、そうですか?」

潤は少し照れる。

神谷 遥香
「……」

遥香の眉がぴくっと動く。
レイは微笑む。
その笑顔は、舞台上で見せた冷たい表情とは違っていた。
すると……

すっ――

遥香が自然に潤の隣へ移動する。

宝条 潤(心の声)
(来た)

神谷 遥香
「警視庁の神谷です」

如月 レイ
「え?」

神谷 遥香
「如月さんのご活躍はお聞きしています」

如月 レイ
「警察官なんですか?」

宝条 潤
「こいつは警視庁の警視でして……僕の1つ上の幼馴染なんです」

如月 レイ
「あら!」

レイが少し驚く。

如月 レイ
「そうだったんですね!」

神谷 遥香
「はい」

遥香は上品に微笑む。

神谷 遥香
「私の実家が茶道の家元でして、それとお互い父同士が親友ですので、潤とはその縁で幼いころから一緒に遊んだ仲なんです」

遥香の笑顔。だが潤には分かる。

宝条 潤(心の声)
(“幼馴染アピール”だこれ……)

三谷 新太(心の声)
(完全に牽制してる……)

如月 レイ
「素敵な関係ですね」

神谷 遥香
「ええ。今日の演奏、とても素晴らしいものでした。本番も楽しみにしていますね」

如月 レイ
「ありがとうございます」

レイは丁寧に頭を下げる。
しかしその直後、遥香が微笑んだまま……

ちらっ――

ほんのわずかに鋭い目で潤を見る。

宝条 潤(心の声)
(怖っ)

潤は思わず背筋を伸ばす。

宝条 潤(心の声)
(何もしてないのに怒られてる気分なんだけど!?)

新太は横で必死に笑いをこらえている。
その時、遠くからスタッフがレイを呼ぶ。

スタッフ
「如月さん、次の打ち合わせお願いします!」

如月 レイ
「はい」

レイは去り際、潤を見る。

如月 レイ
「……本番、楽しみにしていてください」

宝条 潤
「は、はい!」

レイが去っていく。
その背中を見送る潤。

神谷 遥香
「……」

宝条 潤
「……」

神谷 遥香
「随分嬉しそうね」

宝条 潤
「い、いや!?純粋に演奏家として尊敬してるだけで――」

神谷 遥香
「ふぅん?」

宝条 潤
「すいませんでした!!」

三谷 新太(心の声)
(兄貴、生存本能だけは高いな……)

だがその時、遠くで久遠寺が無表情でレイの背中を見つめていた。その視線には、どこか不穏な色が宿っていた――。

レイが潤たちと別れ、舞台袖へ戻ろうとする。
その時――1人の女性が、ゆっくり歩み寄ってくる。鮮やかなドレスで圧倒的な存在感を放つ。世界的ソプラノ歌手――天音美玲。

天音 美玲
「あら、いいわねレイ」

レイの足が止まる。

如月 レイ
「……美玲さん」

美玲は口元に笑みを浮かべる。だが、その目は冷たい。

天音 美玲
「宝条グループの総帥で、推理小説家の宝条先生に声をかけてもらえるなんて」

如月 レイ
「……」

天音 美玲
「ずいぶん楽しそうだったじゃない」

少し離れた場所から潤たちはその様子を見ていた。

宝条 潤
「あれは確か……ソプラノ歌手の天音美玲……」

三谷 新太
「世界的に有名な人だよな?」

遥香は静かに目を細める。

神谷 遥香
「でもあの2人……何か様子が変ね……」

美玲はレイへ一歩近づく。

天音 美玲
「相変わらずね。男に気に入られるのは得意みたい」

如月 レイ
「……何が言いたいんですか?」

天音 美玲
「別に?」

美玲は肩をすくめる。

天音 美玲
「ただ、“また同じこと”にならないといいわねって」

その瞬間、レイの表情がわずかに曇る。

宝条 潤(心の声)
(……今の言葉)

神谷 遥香
「“また”……?」

すると――朝比奈が慌てて割って入る。

朝比奈 響
「天音さん!やめてください!」

天音 美玲
「あら」

美玲が振り向く。

天音 美玲
「なあに朝比奈君?」

朝比奈 響
「こんな場所でやめてください!」

天音 美玲
「あなたもこいつに味方するの?」

朝比奈 響
「そんなのは関係ありません!」

朝比奈は強い口調で言う。

朝比奈 響
「如月さんは……!」

朝比奈はレイを見る。

朝比奈 響
「愛する彼を亡くして、3年経ってやっと……!」

如月 レイ
「……」

レイの瞳が揺れる。

宝条 潤(心の声)
(愛する彼……?)

神谷 遥香
「……」

美玲も黙る。
だが次の瞬間、レイが静かに口を開く。

如月 レイ
「……もういいの、朝比奈君」

朝比奈 響
「ですが――」

如月 レイ
「彼のことは関係ないわ」

朝比奈 響
「……」

天音 美玲
「く……っ!」

美玲が悔しそうに唇を噛む。
レイは静かに続ける。

如月 レイ
「それに、公演の開催日は、彼の命日」

周囲の空気が重くなる。

如月 レイ
「彼の追悼演奏だってあるんだから」

潤たちも黙る。

三谷 新太
「命日……」

神谷 遥香
「……」

レイはそれ以上何も言わずに静かに背を向ける。黒いドレスが揺れる。

如月 レイ
「失礼します」

そのまま舞台袖の奥へ去っていく。
残された美玲は拳を握り締めていた。

朝比奈 響
「天音さん……」

天音 美玲
「……うるさい」

美玲は低く吐き捨てる。
そしてそのまま反対方向へ歩き去る。

沈黙。

潤はレイが消えた方向を見つめていた。

宝条 潤
「……何かあるな」

神谷 遥香
「ええ」

遥香の表情も真剣になる。

神谷 遥香
「3年前に何があったのか……」

重い空気。レイが去ったあとも、その場には妙な緊張感が残っていた。
そんな中、朝比奈が潤たちへ向き直る。

朝比奈 響
「皆さん、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」

宝条 潤
「いえ」

潤は静かに首を振る。

宝条 潤
「それより……」

潤は先ほど去っていった美玲の方向を見る。

宝条 潤
「天音さんは、如月さんに以前からあたりが強いんですか?」

朝比奈の表情が曇る。

朝比奈 響
「はい……天音さん、以前から如月さんを敵視してて……」

三谷 新太
「えぇ……」

朝比奈 響
「でも、その理由が誰にもわからないんです」

神谷 遥香
「理由がわからない……?」

朝比奈 響
「ええ」

朝比奈は困ったように眉を下げる。

朝比奈 響
「共演のたびに空気が悪くなるんです。ただ、如月さんは基本的に誰とも揉めない人なので……余計に不自然で」

三谷 新太
「怖いですねそれ……」

潤は黙って考え込む。

宝条 潤(心の声)
(ただのライバル意識……って感じじゃなかったな)

潤はもう1つ気になっていたことを尋ねる。

宝条 潤
「それともう1つ」

潤はパンフレットを開く。
そこには……

『特別追悼演奏 故・篠宮奏介』

の文字。

宝条 潤
「先ほどのお話で出てきた“如月さんの彼”って……このパンフレットに名前のある、篠宮奏介さんという方ですか?」

朝比奈の目がわずかに伏せられる。

朝比奈 響
「……はい」

ホールの空気が静かになる。

朝比奈 響
「この公演の開催日――奏介の命日なんですよ」

三谷 新太
「……!」

神谷 遥香
「命日……」

朝比奈はゆっくり語り始める。

朝比奈 響
「あいつと僕は親友でした。学生時代から、ずっと音楽について語り合った仲です」

朝比奈の表情に、懐かしさと苦しさが混じる。

朝比奈 響
「奏介は、本当にすごいピアニストでした。才能だけじゃない。誰より音楽を愛してました」

潤たちは静かに聞いている。

朝比奈 響
「でも3年前……」

朝比奈の拳がわずかに震える。

朝比奈 響
「あいつは、自殺しました」

宝条 潤
「……」

三谷 新太
「……っ」

遥香も表情を曇らせる。

朝比奈 響
「遺書を残して……首を吊って……」

沈黙。

遠くでスタッフの声がかすかに聞こえる。

朝比奈 響
「その時首を吊ったあいつの遺体を、最初に見つけたのが……」

朝比奈はゆっくり視線を向ける。
少し離れた通路の奥で、レイが1人立っていた。レイは背を向けたまま動かない。

朝比奈 響
「……如月さんなんです」

宝条 潤
「……!」

三谷 新太
「そんな……」

遥香は静かにレイを見る。
レイの肩が、ほんのわずかに震えている。しかし彼女は振り向かない。

如月 レイ
「……」

何も言わず、そのまま歩き去っていく。
その背中は――世界的ピアニストとは思えないほど、孤独に見えた。

九条の自室

九条は五味が置いていった【ルクス国際音楽祭】のパンフレットをめくっていた。
世界的にも有名な音楽祭であるが故、出演する人物たちは勿論主催者サイドにも著名人の名前が連なっている。
九条の目は、パンフレットの中身をすべて記録するように正確に動いていた。

『特別追悼演奏 故・篠宮奏介』

九条 蓮(心の声)
(篠宮奏介…将来を有望視されながら、28歳という若さで自ら命を絶ったピアニスト)

九条は手袋を嵌めた指先で、そっとその名前をなぞる。灰はその傍らに座り、九条の指先を追っていた。

九条 蓮(心の声)
(亡くなって3年の月日が経過した今、命日に音楽祭が行われる。篠宮氏が愛した音楽を、篠宮氏を想い演奏する)

九条はゆっくりと目を閉じる。
コンサートホールを埋め尽くす観客たち。背筋を伸ばし、今まさに音楽を奏でようとしている演者たち。指揮棒(タクト)を構える指揮者。
それらの情景が目に浮かぶ。

九条 蓮
「……何も、なければいいが」

小さな呟きが、書斎の中を微かに揺らす。その揺らぎを感じ取った灰が「ナオ」と呼応した。

九条 蓮
「…何か、感じるか?大丈夫だ、君はいつも通りにしていたまえ」

九条は手を伸ばし、完璧な指の力で灰の耳の裏を撫でる。灰は目を細め、安心したようにデスクの上に伏せた。

この時は、九条でさえ気づいていなかった。殺意の手が、復讐という悲劇の幕を開けようとしていたことに。

ルクス国際音楽祭 関係者控室

リハーサル終了後、出演者たちはそれぞれの控室へ戻り、本番へ向けた準備を進めていた。
豪華なソファが並ぶVIP用控室では、ルクス国際音楽祭総合プロデューサー・久遠寺雅臣、世界的調律師・茂呂敬四郎、そして世界的指揮者・天堂響一が集まっていた。
この3人は音楽学校の頃の同級生である。

重苦しい沈黙。
誰も口を開こうとしない。

やがて――天堂が静かに口を開く。

天堂 響一
「……なあ?久遠寺君、茂呂君」

久遠寺 雅臣
「何だ?」

天堂 響一
「やっぱり名乗り出ないか?」

茂呂 敬四郎
「……」

天堂 響一
「篠宮君のことだ」

空気が凍りつく。
久遠寺の表情が険しくなる。

久遠寺 雅臣
「何を言っているんだ?」

天堂 響一
「……」

久遠寺 雅臣
「彼は自殺じゃないか」

茂呂も苛立ったように言う。

茂呂 敬四郎
「そうだ。それにもう3年前のことだろう?」

天堂は苦しそうな表情を浮かべる。

天堂 響一
「だがな……」

天堂は視線を落とす。

天堂 響一
「正直……彼には言い過ぎたと後悔しているんだ」

久遠寺 雅臣
「……」

天堂 響一
「コンクール前も厳しく叱責した。才能が足りないだの、精神が弱いだの……。今思えば、追い詰めていたのかもしれん」

茂呂 敬四郎
「天堂……」

天堂 響一
「もし我々が――」

バンッ!

久遠寺が机を叩き、天堂が黙る。

久遠寺 雅臣
「今更何になる!」

久遠寺の声が響く。

久遠寺 雅臣
「我々だってまさか彼が自殺するなどと思っていなかった!」

茂呂 敬四郎
「久遠寺の言うとおりだ!」

茂呂も同調する。

茂呂 敬四郎
「厳しい指導など音楽界では珍しくもない!」

久遠寺 雅臣
「彼が勝手に思い詰めただけだ!」

天堂 響一
「……」

久遠寺 雅臣
「今さら過去を掘り返してどうする!」

茂呂 敬四郎
「警察だって自殺と結論づけている!」

天堂は黙ったまま拳を握る。その顔には後悔が浮かんでいた。
しかし久遠寺と茂呂は、その感情を振り払うように言葉を重ねる。

久遠寺 雅臣
「忘れろ天堂。ルクス国際音楽祭に傷をつけるわけにはいかない」

茂呂 敬四郎
「そうだ。もう終わった話だ」

沈黙。
その時――控室の外では廊下の壁越しに、誰かがその会話を聞いていた。
姿は見えない。
だが、その人物の拳は強く握られている。

???
「……くっ……!」

怒り。憎しみ。そして悲しみ。押し殺した息遣い。

???(心の声)
(終わった話……?)

その人物は震える拳を握ったまま、その場を離れていく。
一方、控室の中では誰もその存在に気づいていなかった。
そしてこの時、3年前に埋もれたはずの事件が、静かに再び動き始めていた――。

第1話 完

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