天才推理小説家の事件録 第8話「東の宝条、西の羽賀」
第8話「東の宝条、西の羽賀」
宝条邸・リビング
宝条邸のリビング。
窓から差し込む光は穏やかで、静かな空間。
だが潤だけが落ち着かない。
普段の彼からは考えられないほど、妙に機嫌が良く、そわそわしている。
神谷 遥香(じっと見て)
「……潤」
宝条 潤(明らかに上機嫌)
「ん?」
神谷 遥香
「何かあったの?」
宝条 潤(咳払いして平静を装う)
「いや、別に」
潤は平然とした顔を作ろうとしているが、
口元が緩みきっている。
遥香はその様子を見て、目を細める。
神谷 遥香
「……絶対何かある顔」
宝条 潤
「いや……ほんとに……」
神谷 遥香(低い声)
「潤?」
宝条 潤(観念して)
「……実は大学時代の後輩と、久々に会うことになった」
神谷 遥香
「後輩……」
宝条 潤(嬉しそうに)
「久しぶりなんだ。連絡が来てさ」
神谷 遥香(じとっと)
「……ふぅん」
遥香の“察し”が働く。
神谷 遥香
「で?」
宝条 潤
「え?」
神谷 遥香
「女の子?」
宝条 潤
「ち、違う!!」
潤、即答。
あまりに早すぎて、逆に怪しい。
神谷 遥香
「……即答すぎない?」
宝条 潤
「即答できる!!男だから!!」
神谷 遥香
「本当に?」
宝条 潤
「本当に!!」
遥香は疑いの目を残しつつ、腕を組む。
神谷 遥香
「……その男の後輩、名前は?」
宝条 潤
「羽賀宙夢(はが ひろむ)」
神谷 遥香
「羽賀……」
遥香の表情が一瞬だけ変わる。
神谷 遥香
「……大阪の」
宝条 潤(うれしそうに頷く)
「そう!羽賀コンツェルンの会長!」
神谷 遥香
「……とんでもない後輩ね」
宝条 潤
「いやほんとにとんでもない。頭も切れるし妙に懐いてくるし」
神谷 遥香(静かに)
「懐いてくる……」
遥香の目がさらに細くなる。
宝条 潤(慌てて)
「いや、そういう意味じゃなくて純粋に後輩としてだ」
神谷 遥香
「……で?どこで会うの?」
宝条 潤
「大阪」
神谷 遥香
「大阪……?」
宝条 潤
「北新地にある小料理屋、浪速庵(なにわあん)」
神谷 遥香
「……浪速庵?」
遥香の口調が変わる。
その店の格を知っている。
神谷 遥香
「あそこ……」
宝条 潤
「知ってるか?」
神谷 遥香(少しだけ誇らしげに)
「当然よ!北新地でも、最上位の店!政財界の会食で使われることが多い!」
宝条 潤
「さすが遥香」
神谷 遥香(さらりと)
「私たちみたいな富裕層ならだれもが知ってると言っていいお店ね」
宝条 潤(苦笑)
「言い方がすごいな」
神谷 遥香(じっと潤を見る)
「……で?」
宝条 潤
「……ん?」
神谷 遥香
「あなたがウキウキしてた理由よ」
宝条 潤
「後輩に会えるのが嬉しいんだよ」
神谷 遥香
「――“男の後輩”に?」
宝条 潤
「男の後輩に!!」
遥香が小さく息をつく。
神谷 遥香
「……分かったわ」
宝条 潤(安堵)
「理解してくれたか」
神谷 遥香(にこやかに)
「私も行く」
宝条 潤
「……え?」
神谷 遥香
「大阪での会食でしょう?あなた一人で行かせる理由がないわ」
宝条 潤
「いや、ただの会食で――」
神谷 遥香(静かに圧)
「潤?」
宝条 潤
「……はい。ご一緒しましょう」
遥香は満足げに頷く。
数日後 新大阪駅・新幹線ホーム〜改札前
新幹線が新大阪駅に滑り込む。
ホームに降り立つ潤と遥香。
関西特有の空気と人波、スーツ姿のビジネスマンたちが行き交う。
潤はどこか機嫌が良いが、遥香は警戒心のある目をしている。
宝条 潤
「……着いたな」
神谷 遥香
「ええ。新大阪ね」
潤はスマホを見て、短く頷く。
宝条 潤
「連絡は入れてあるからそろそろ来るはずだ」
神谷 遥香
「迎えが?」
宝条 潤
「宙夢の」
改札を抜け、駅前のロータリーへ出る。
その瞬間――
黒塗りの大型リムジンが、音もなく滑り込むように停車する。
周囲の視線が一気に集まる。
通行人A(小声)
「……なんやあれ?」
通行人B
「リムジンやん」
通行人C
「芸能人か?」
運転手が降り、後部座席のドアを開ける。
中から現れるのは、
品のあるスーツを完璧に着こなした青年――
羽賀宙夢(28)。
宙夢は降り立つと、真っ先に潤を見つけ、笑う。
羽賀 宙夢
「先輩ーーっ!!」
宝条 潤
「……うるさい。駅だぞ」
羽賀 宙夢(ニヤニヤ)
「いやぁ~!久々に“東の宝条”に会えるんやで?」
宙夢は潤へ近づき、握手というより友人の距離感で肩を叩く。
その自然さが逆に異常な格を感じさせる。
二人は――東京大学経済学部経営学科の先輩後輩。
そして、どちらも首席卒業の天才。
東西を代表する名家の当主。
政財界では彼らをこう呼ぶ。
「東の宝条」
「西の羽賀」
若手資産家の双璧――。
羽賀 宙夢
「相変わらず顔がええなぁ、先輩。さすが“東の宝条”や」
宝条 潤
「お前も変わらないな。口だけは」
羽賀 宙夢
「口も資産や」
宝条 潤
「黙れ」
遥香が一歩前に出て、形式通りに挨拶をする。
神谷 遥香
「はじめまして。警視庁捜査一課管理官、神谷遥香です」
羽賀 宙夢
「おお……!」
宙夢の視線が遥香に止まり、数秒固まる。
そしてにっこり笑って、軽く会釈。
羽賀 宙夢
「羽賀宙夢です。これはこれは……べっぴんさんですなぁ」
遥香の笑顔は崩れない。
だが目がほんのわずかに冷たくなる。
神谷 遥香
「……ありがとうございます」
宝条 潤
「おい」
羽賀 宙夢
「先輩、ええやん。素直に褒めただけや」
宝条 潤
「余計なこと言うなって意味だ」
羽賀 宙夢(悪びれず)
「いやぁ~先輩の隣に立つ人って、そらこうなるわ」
宙夢は咳払いし、車へ案内する。
羽賀 宙夢
「さ、先輩も管理官さんも乗ってください。北新地まで送りますわ。浪速庵、最高の席用意してます」
宝条 潤
「……ありがとな」
潤と遥香がリムジンへ向かう。
リムジン車内/新大阪→北新地(移動中)
黒塗りのリムジンが大阪の街を滑るように走る。
後部座席は広く、高級な革の匂い。
窓の外には大阪らしい看板の光が流れていく。
座席配置は――
左に潤、右に遥香、向かい側に宙夢。
宙夢は楽しそうに、まるで学生時代に戻ったかのように笑っている。
羽賀 宙夢
「先輩」
宝条 潤
「ん?」
羽賀 宙夢(ニヤッ)
「最近な、なんばでええキャバクラ見つけてん」
潤の瞳が一瞬で輝く。
宝条 潤
「……なんば?」
羽賀 宙夢
「せや!ほんま当たりやで」
宝条 潤(食いつき気味)
「どんな店だ…?いや客層は?雰囲気は?ママは美人か?」
宙夢、笑いながら頷く。
羽賀 宙夢
「先輩、さすがや。聞きたいとこ全部聞いてくるやん」
その瞬間、車内の温度が二度下がる。
遥香が、鋭い目つきのまま無言で潤を睨んでいる。
神谷 遥香
「………………」
宝条 潤
「……っ」
潤は瞬時に状況を理解し、咳払いを一つ。
宝条 潤(慌てて)
「ち、違う!これは、地域文化の調査だ!」
神谷 遥香(無表情)
「ほぉ~」
宝条 潤
「大阪の夜の経済を理解することは、現代社会の構造を理解することに繋がる」
羽賀 宙夢
「先輩、めっちゃ早口やん」
宝条 潤
「黙れ宙夢」
神谷 遥香
「……へぇ」
宝条 潤(汗)
「だから、その……行くとかじゃなくて、存在を把握しておくだけだ」
神谷 遥香
「……あなたが把握しなくても大阪の夜は回ると思うけど?」
宝条 潤
「……おっしゃる通りです」
宙夢、空気が危険だと察したのか、話題を変える。
羽賀 宙夢
「そうや、先輩。キャバクラの話より大事な話あった」
宝条 潤
「……何?」
羽賀 宙夢
「先輩の新作小説読んだで」
宝条 潤
「……!」
潤の顔が一瞬で“作家”の顔になる。
さっきまでのキャバクラ顔とは別人。
宝条 潤
「……読んだのか」
羽賀 宙夢
「おう。めちゃくちゃ良かったわ」
宝条 潤(素直に嬉しそう)
「そうか」
羽賀 宙夢
「特にな――あそこの部分」
神谷 遥香
「あそこ?」
羽賀 宙夢(語りだす)
「中盤の、主人公が“嘘の中にある真実”を拾うとこ、あれえげつない。一見ロマンチックやのに、背中ゾッとする」
宝条 潤
「……分かるか」
羽賀 宙夢
「分かるに決まってるやん。先輩、あの回ただの推理やないで。“人間の業”や」
宙夢の真剣な声。
潤は少しだけ、目を伏せる。
宝条 潤
「……わざわざイギリスまで行ってアイデアをひねった。自分の中でも最高の力作だと思ってる」
羽賀 宙夢
「やろな。先輩の小説って事件を解決して終わりやない。解決した後に“誰が一番壊れたか”を突きつけてくる」
遥香が少しだけ表情を柔らかくする。
潤が誇らしげに語る姿を見て、ほんの少し安心したように。
神谷 遥香(小声)
「……ちゃんと読んでるのね」
羽賀 宙夢(ニヤッ)
「当たり前や。先輩の作品は俺の“教科書”やもん」
宝条 潤
「大げさだ」
羽賀 宙夢
「大げさちゃうで」
宙夢は窓の外を見ながら、楽しそうに言う。
羽賀 宙夢
「せやからこそな、今日の会食も楽しみや。久米川会長の顔見ながらどんな地獄が始まるか」
神谷 遥香
「……物騒な言い方」
羽賀 宙夢
「実際物騒な人ですわ」
そのとき、リムジンがゆっくり速度を落とす。
北新地の夜景が近づいてくる。
羽賀 宙夢
「着くで……浪速庵」
北新地/小料理屋「浪速庵」前(夜)
北新地の夜。
華やかなネオンの奥に、ひっそりと佇む一軒の店――
小料理屋「浪速庵」。
看板は控えめ。
だが、漂う空気だけで分かる。「格が違う」。
黒塗りのリムジンが静かに停車し、運転手がドアを開ける。
宙夢が先に降り、潤と遥香が続く。
三人が揃った瞬間、周囲の空気がピンと張る。
羽賀 宙夢
「ほな、着いたで」
宝条 潤
「……相変わらず、異様な店だな」
羽賀 宙夢
「せやろ?ここはな、北新地でも“選ばれた奴”しか入れん」
神谷 遥香(店を見上げて)
「……浪速庵」
宝条 潤
「初めてか?」
神谷 遥香
「ええ。名前は聞いたことがあるけど……来るのは初めて」
三人は静かに暖簾をくぐり、店内へ入る。
店内は静寂。
木の香り、出汁の匂い、そして“金の匂い”。
女将が現れ、深く頭を下げる。
桐谷 千鶴
「羽賀様……本日もおおきにありがとうございます。こちらへどうぞ」
羽賀 宙夢
「千鶴さん、いつもありがと」
潤と遥香も一礼する。
宝条 潤
「宝条潤です。本日はご招待ありがとうございます」
神谷 遥香
「神谷遥香です。よろしくお願いします」
桐谷 千鶴
「……これはご丁寧に。お噂はかねがね」
女将は表情を崩さない。
だが内心の驚きが、わずかに目の揺れに出る。
桐谷 千鶴
「お席へご案内いたします」
三人は奥の個室へ通される。
襖が閉まると、外の喧騒が消え、完全な静寂が生まれる。
座卓に整然と置かれた器。
季節の花。
そして目に見えない圧――
“ここで多くの人間が、決定的な話をしてきた”空気。
神谷 遥香(小声)
「……すごい店ね」
宝条 潤
「話をするための店だ。食事はその添え物」
羽賀 宙夢
「先輩、ええこと言うやん」
神谷 遥香
「あなたは食事目当てでしょ?」
羽賀 宙夢
「当たり前です」
潤が笑いかけそうになるが、遥香の視線を思い出して咳払い。
宝条 潤
「……料理、楽しみだな」
神谷 遥香(ジト)
「……へぇ」
宝条 潤
「純粋な意味でだ」
三人が料理を待つ。
襖の向こうから、静かな足音と器の音が聞こえる。
そのとき――襖が開く。
個室に入ってきたのは――久米川勝(58)
大阪の大手食品卸「久米川フーズ」会長。
肥え太った体格と、食の支配者らしい傲慢な目。
そしてもう一人――西島正彦(52)
大阪府議。政治屋の笑みを貼り付けた男。
二人の登場だけで、室内の空気が濁る。
久米川 勝
「おお~羽賀の若旦那やないか」
西島 正彦
「いやぁ、さすが羽賀会長。ええ店、押さえてますなぁ」
宙夢は立ち上がり、綺麗な所作で会釈する。
羽賀 宙夢
「久米川会長、西島先生。お久しぶりです」
久米川 勝
「相変わらずええツラしとるなぁ。東の宝条も連れてきとるやないか」
久米川の視線が潤に向く。
潤が挨拶をする。
宝条 潤
「宝条です。こいつとは大学の先輩後輩の関係でして」
西島 正彦(探るように)
「ほぉ……宝条先生まで。今日は随分“豪華”な会食ですな」
神谷 遥香(静かに)
「警視庁の神谷です。本日は同行しております」
遥香が名乗った瞬間、久米川が一瞬だけ眉を動かす。
警察の匂いを嫌う人間の反応。
久米川 勝(薄笑い)
「……ほぉ、警察の方まで。ワシ、悪いことしてへんで?」
羽賀 宙夢
「会長、冗談きついわ。今日はただの飯ですやん」
久米川 勝
「せやせや。ただの飯や」
だが久米川の目は笑っていない。
“支配者”の目だ。
宝条 潤(心の声)
(……この男、ただの会食で終わる気がしない)
久米川と西島が座り、会食の空気が整う。
個室の空気が整い、卓上に料理が並ぶ。
上品な器、香る出汁、静かな所作。
女将・千鶴が襖を開け、料理を配膳しながら深く頭を下げる。
桐谷 千鶴
「本日の献立でございます。どうぞ、ごゆっくり」
襖が閉まる。
場にいるのは――
久米川勝(会長)
西島正彦(大阪府議)
羽賀宙夢(羽賀コンツェルン会長)
宝条潤(推理作家)
神谷遥香(警視庁捜査一課管理官)
宙夢が杯を持ち上げる。
羽賀 宙夢
「ほな……皆さん、本日はお忙しい中ありがとうございます。この席が、ええ時間になりますように――乾杯」
全員
「乾杯」
杯が触れ合う、澄んだ音。
そして料理へ箸が伸びる。
宝条 潤(心の声)
(……妙な空気だ。誰も“飯”を食いに来てない)
久米川は一口だけ料理を口にすると、すぐに話し始める。
料理を味わうというより、言葉を吐くために来た男の顔。
久米川 勝
「西島先生……例の件、段取りはついたか?」
西島 正彦(愛想笑い)
「もちろんですわ。会長の顔があれば、話は早い」
久米川 勝(ふんと鼻で笑う)
「そらそうや。“食”の流れを止めたら、政治家なんてすぐ干上がる」
西島 正彦
「……怖いお方や」
久米川 勝
「怖いんやない。現実や」
久米川は箸を置き、酒を一口。
そして宙夢に向かって、見せつけるように笑う。
久米川 勝
「羽賀の若旦那」
羽賀 宙夢
「はい」
久米川 勝
「今日な、“ある人物”を潰したる」
宙夢の目が一瞬だけ冷える。
潤も箸を止める。
遥香は無言で久米川を見る。
久米川 勝(愉快そうに)
「失脚や」
西島 正彦
「誰なんです?その人物は」
久米川 勝
「ワシの秘書や。ワシは今日あいつを切る」
西島 正彦(合わせるように笑う)
「いやぁ会長……それはまた、大仕事ですな」
久米川 勝
「ワシが一言言えば明日から地獄やで」
久米川は笑いながら、もう一度料理を口へ運ぶ。
次の瞬間――
久米川 勝
「……っ」
久米川の顔が歪む。
喉を押さえ、肩を震わせる。
西島 正彦
「……会長?」
久米川 勝(苦しげに)
「……ぐ……っ……!」
久米川は胸を掴み、椅子からずり落ちるように崩れる。
羽賀 宙夢
「……っ!?」
久米川の身体が畳に倒れ込む。
口から泡のような唾液が零れ、呼吸が乱れる。
久米川 勝(断末魔の息)
「……っ……が……」
西島 正彦(動揺)
「お、おい!冗談やろ!会長!!」
遥香が即座に立ち上がる。
神谷 遥香
「どいて!」
遥香は久米川の元へ膝をつき、首元へ指を当て脈を測る。
同時に呼吸の状態も確認。
宝条 潤
「遥香……!」
遥香の表情が、一瞬だけ固まる。
神谷 遥香(低く)
「……」
宝条 潤
「どうだ?」
遥香は言葉を発しない。
ただ――首を横に振る。
宝条 潤
「……っ」
その瞬間、宙夢の顔から血の気が引く。
歯を食いしばり、拳を震わせながらも、声を絞り出す。
羽賀 宙夢(震える声)
「……千鶴さん」
宙夢は襖のほうを向く。
女将が控えているはずの方角。
羽賀 宙夢
「すぐ……警察に連絡して……今すぐや!!」
襖の向こうで、女将・千鶴がハッと息を呑む気配。
桐谷 千鶴(襖の外)
「……っ、はい!」
足音が走り去る。
畳の上で、久米川はもう動かない。
西島 正彦(青ざめ)
「……なんや……これ……」
潤は倒れた久米川の顔をじっと見つめる。
宝条 潤(心の声)
(これは……事故じゃない)
個室に、死と恐怖が満ちる。
浪速庵の夜は――ここから地獄へ変わる。
久米川勝が倒れ、個室は異様な静けさに包まれている。
店内の客は一時的に別室へ誘導され、浪速庵は半ば封鎖状態。
やがて玄関から、慌ただしい足音。
大阪府警捜査一課の刑事たちが雪崩れ込む。
先頭に立つのは――
新庄純貴(34)警部。
新庄は一歩足を踏み入れた瞬間に空気を把握する。
表情は冷静、声は通る。
新庄 純貴
「大阪府警捜査一課、警部の新庄です」
新庄は警察手帳を開いて見せる。
その動作に無駄がない。
新庄 純貴
「通報したんはどなたですか?」
一瞬、場が沈黙する。
女将・桐谷千鶴が一歩前へ出る。
桐谷 千鶴
「……私です。浪速庵の女将、桐谷千鶴でございます」
新庄 純貴
「桐谷さんですな」
桐谷 千鶴
「はい……」
新庄 純貴
「状況を簡潔にお願いします」
桐谷 千鶴(動揺しつつも)
「会食の席で……乾杯のあと、料理を口に運んだ直後です。久米川会長が突然、苦しみはって……そのまま……」
千鶴は言葉が途切れる。
だが新庄は情けを挟まない。現場は待たない。
新庄 純貴
「分かりました」
新庄が背後へ振り返り、部下たちに矢継ぎ早に指示を出す。
新庄 純貴
「東山!時系列組め!誰が何を口にしたか、席順含めて全部や!」
東山 正樹
「了解です」
新庄 純貴
「朝霧!店の従業員を確保せえ!厨房、配膳、出入り口、全員リスト化や!」
朝霧 さやか
「はい!」
新庄 純貴
「染谷!客全員の身分確認!この店は上客ばっかや!肩書きに怯むな!」
染谷 真佑
「了解しました!」
新庄 純貴
「瀧本!監視カメラの確認や!入口、廊下、厨房、個室前、映っとるもん全部押さえろ!」
瀧本 漣(勢いよく)
「了解っす!任せてください!!」
瀧本が走り出そうとして、つまずきかける。
新庄 純貴
「走るな瀧本!滑ったら証拠踏むで!!」
瀧本 漣
「す、すいません!!」
現場に緊張感が戻る。
新庄の号令で、捜査一課が一斉に動く。
新庄は千鶴へ向き直る。
目線が鋭いが、敵意ではなく捜査官の目。
新庄 純貴
「桐谷さん、今日の会食の予約は誰が入れたんですか?」
桐谷 千鶴
「……羽賀宙夢様です」
新庄 純貴
「席を用意したんは誰ですか?」
桐谷 千鶴
「私です。料理は料理長が…配膳は私と仲居で……」
新庄 純貴
「料理長の名前は?」
桐谷 千鶴
「森下哲也です」
新庄 純貴
「森下料理長は今どこに?」
桐谷 千鶴(はっとして)
「厨房に……おるはずです」
新庄は無線を取り、さらに指示を飛ばす。
新庄 純貴
「森下料理長を連れてくるんや!」
捜査員全員
『了解!』
新庄 純貴
「久米川会長が口にした料理は何ですか?」
桐谷 千鶴
「最初は……先付けで……それから、お造りを……」
新庄 純貴
「おしぼりは?」
桐谷 千鶴
「……配っております」
新庄 純貴
「ほな、それも誰が配ったんですか?」
桐谷 千鶴
「仲居が……」
新庄 純貴
「仲居の名前、全員書いてもらえますか?」
桐谷 千鶴
「……はい」
千鶴が震える声で従業員を挙げていく。
新庄はそれを一言一句逃さずメモする。
新庄が改めて個室内を見る。
そして気づく。
潤と遥香、宙夢の格の違う存在感。
新庄 純貴
「……会長さんか」
宙夢が静かに立ち上がる。
羽賀 宙夢
「おお新庄警部。通報したんは千鶴さんやけど。俺もこの場におった」
新庄 純貴
「……あんたが会食の予約入れたんやったな」
新庄は瞬時に理解して視線を変える。
だが怯まない。
新庄 純貴
「事情聴取する。後で別室で話してもらう」
羽賀 宙夢
「分かった」
遥香が静かに身分を見せる。
神谷 遥香
「警視庁捜査一課管理官の神谷です」
新庄 純貴
「……東京の捜一が来とるんか」
そして最後に潤を見る。
新庄の目がわずかに動く。
新庄 純貴
「……宝条潤。噂の推理作家先生やな」
宝条 潤
「宝条です。捜査に協力します」
新庄 純貴
「……頼りにしてええんか?」
宝条 潤
「状況次第です」
新庄が薄く笑う。
新庄 純貴
「ほな、頼りにするわ」
大阪府警の初動捜査が本格化する。
浪速庵は、一夜にして“事件現場”へ変わった。
浪速庵の玄関側が一瞬ざわつく。
新たに到着した刑事が、店内へ足を踏み入れる。
――その姿を見て、空気が変わる。
長い黒髪をきっちりまとめ、
大阪府警のスーツを完璧に着こなした美女。
鋭さと華やかさを同時に持つ存在感。
新庄 純貴(ぱっと顔を上げ)
「……おっ!美優姫ちゃん、来たか」
羽賀 宙夢(即反応)
「来よった……」
美女が歩み寄り、軽く会釈する。
鮫島 美優姫
「お疲れさまです」
彼女は――大阪府警 捜査一課管理官(警視)・鮫島美優姫(30)。
鮫島 美優姫
「状況はどうなってますか?」
新庄 純貴
「被害者は久米川フーズ会長、久米川勝。会食中に急変、死亡確認」
鮫島 美優姫
「……毒の可能性は?」
新庄 純貴
「今のところ高いな。料理・配膳・おしぼり、全部洗っとる」
鮫島 美優姫
「分かりました」
美優姫は一度現場を見回し、
次の瞬間、宙夢に気づく。
鮫島 美優姫
「……宙夢」
美優姫はすっと宙夢の前に来て、
顔をぐっと近づける。
鮫島 美優姫
「大丈夫?」
羽賀 宙夢
「……っ!」
宙夢、分かりやすく顔が赤くなる。
羽賀 宙夢
「だ、大丈夫やって!仕事中やろ、仕事中!」
そっぽを向く宙夢。
美優姫はくすっと笑う。
鮫島 美優姫
「無理してないか聞いただけやん」
そのやり取りを見ていた潤が完全に見とれている。
宝条 潤(心の声)
(……すごいな。大阪、レベル高すぎだろ)
その瞬間――
神谷 遥香(無言)
「……」
遥香が無言のまま、潤の頬をぐいっと引っ張る。
宝条 潤
「いだっ……!?」
神谷 遥香
「……何を見てるの?」
宝条 潤
「いや、これは現場確認で……」
神谷 遥香
「ほう」
美優姫がその様子に気づき、遥香を見る。
鮫島 美優姫
「……あれ?遥香?」
神谷 遥香
「……美優姫」
二人は一瞬見つめ合い、
次の瞬間、自然に笑う。
神谷 遥香
「久しぶり」
鮫島 美優姫
「ほんま久しぶりやな」
宝条 潤
「……知り合い?」
神谷 遥香
「知り合いどころか」
鮫島 美優姫
「警察大学校の同期や」
宝条 潤
「……同期多いなおい」
潤、思わず素が出る。
神谷 遥香
「昔はよく一緒に……」
鮫島 美優姫
「剣道の手合わせしてたな。剣道六段同士で」
神谷 遥香
「ええ。ほぼ毎週」
宝条 潤
「……」
鮫島 美優姫
「あと、神奈川の宇垣綾もおってな」
神谷 遥香
「三人でよく呼ばれてたわね」
鮫島 美優姫
「**“三女神”**って」
遥香が宙夢を見る。
神谷 遥香
「……で、彼とは知り合いなの?」
鮫島 美優姫
「うん。二つ下の幼馴染」
宝条 潤
「……世間、狭いな」
羽賀 宙夢(照れ隠し)
「しゃあないやろ?うちも大きな会社経営しとるし、こいつも大阪に本社置いとる大型食品チェーンの会長の娘や。家柄的に自然と繋がるわ」
鮫島 美優姫
「宙夢ったら、羽賀コンツェルンの会長になっても食べ物の好き嫌いが多いんやで?」
羽賀 宙夢
「苦手なんやもん」
鮫島 美優姫
「あかんよ?食べ物粗末にしたら」
羽賀 宙夢(小声)
「……また始まったわ」
鮫島 美優姫
「何か言うた?」
羽賀 宙夢
「いえ、何も」
潤はふと、今まで会ってきた遥香の同期たちを思い出す。
宝条 潤(心の声)
(遥香は茶道の家元……それとホテル王の娘に神社の宮司の息子……千葉県議の息子。そして……大型食品チェーンの令嬢……やっぱりいいところのおぼっちゃまとお嬢様ぞろいだな)
美優姫は一度、表情を引き締め、現場へ視線を戻す。
鮫島 美優姫
「……昔話は後や。まずは事件やな」
空気が切り替わる。
女神は“管理官”の顔に戻る。
大阪編、本格始動。
美優姫が現場をゆっくり見渡す。
畳、器、箸、酒、料理――
そして倒れた久米川の位置。
空気の“濁り”まで読み取るように視線を動かし、
一度だけ細く息を吐く。
鮫島 美優姫
「……なるほどな」
美優姫は宙夢に視線を向ける。
その目は幼馴染の顔ではなく、“捜査官”の目。
鮫島 美優姫
「宙夢」
羽賀 宙夢
「ん?」
鮫島 美優姫
「どない思う?」
宙夢は少し顎に手を当て、現場を見ながら淡々と話し始める。
羽賀 宙夢
「まず、料理を疑うのが普通やけど、久米川はんは乾杯してすぐ倒れた。ほな、“口に入れたもん”やなくて、“最初に触れたもん”の可能性が高い」
神谷 遥香
「最初に触れたもの……?」
羽賀 宙夢
「この店は格式高い。席についた瞬間、最初に来るもんは決まっとる……おしぼりや」
美優姫が目を見開き、両手を合わせる。
鮫島 美優姫
「……さすがやわ」
宙夢はそっぽを向いて、照れを隠す。
羽賀 宙夢
「別に普通や」
神谷 遥香
「……」
遥香は“分かりそうで分からない”顔をする。
美優姫がそれに気づいて苦笑する。
鮫島 美優姫
「遥香、分からん?」
神谷 遥香
「……推理としては理解できるけど、決め手が弱い」
鮫島 美優姫
「そういうとこが遥香やなぁ」
美優姫が肩をすくめ、宙夢を指して笑う。
鮫島 美優姫
「宙夢はな、推理力、私より上やねん。今回みたいな難事件は宙夢頼みや」
遥香が一拍置いて、ふっと鼻で笑う。
神谷 遥香
「……それ、私も同じ」
鮫島 美優姫
「え?」
遥香は潤の腕をぎゅっと組む。
宝条 潤
「!?」
神谷 遥香(さらりと)
「私も厄介な難事件は潤頼みよ」
鮫島 美優姫
「……宙夢の東大の先輩に、宝条グループの総帥で天才推理作家っちゅう人がおるって聞いたけど、もしかして?」
宝条 潤(焦る)
「は、はい……天才かどうかはさておいて、僕がその宝条潤です……」
神谷 遥香(圧)
「潤」
宝条 潤
「……はい」
鮫島 美優姫
「ほな宝条先生、先生の推論も聞かせて?」
潤は視線を泳がせつつ、咳払い。
宝条 潤(どもりながら)
「え、えっと……宙夢の推論は筋が通っています。ただ、ポイントは“なぜ被害者だけが倒れたか”です」
神谷 遥香
「……」
羽賀 宙夢
「ほう」
宝条 潤
「料理なら全員が口にする可能性があるはず。ですが対象が一人に絞られている。つまり犯人は“最初から被害者だけに触れさせる”手段を取っています」
潤は続ける。
宝条 潤
「おしぼりなら渡す順番、置き方、温度によって被害者に確実に渡すことが可能です。そして“揮発性”なら毒は食べさせる必要すらない」
潤の言葉が終わった瞬間――
パチ、パチ、パチ……
拍手が聞こえる。
場の全員が入口を見ると――そこには男が二人立っていた。
拍手していたのは、鋭い目の大柄な男。
隣には落ち着いた雰囲気で、忠実そうな男が立つ。
二人とも“ただ者ではない”圧を放っている。
稲村 孝雄
「ええ推理やなぁ。羽賀の坊ちゃんと宝条先生、若いのに大したもんや」
倉田 久雄(にやり)
「ホンマや。大阪府警の立場がなくなるで」
刑事たちが一斉に背筋を正し、深くお辞儀。
新庄 純貴
「……っ!本部長に副本部長!」
捜査員全員
「お疲れさまです!!」
遥香も一礼する。
神谷 遥香
「ご無沙汰しております」
宝条 潤
「……???」
潤だけが状況を理解できず固まっている。
遥香が潤の耳元に小声で告げる。
神谷 遥香(小声)
「大阪府警本部長の稲村孝雄警視監、そして副本部長の倉田久雄警視監よ」
宝条 潤
「……本部長!?副本部長!?」
潤の声が少し大きくなる。
宙夢が肩を揺らして笑う。
羽賀 宙夢(小声)
「先輩、会うたことないん?」
宝条 潤(小声)
「地方警察のお偉い方にはあまり顔なじみがいないんだ……!!」
稲村が不敵に笑い、現場を見回す。
稲村 孝雄
「いやぁたまたまこの店で会食しとったら、隣が騒がしくなってな」
倉田 久雄
「したらあの久米川フーズの久米川会長が倒れた言うやないか」
稲村 孝雄
「状況、聞かせてくれ」
美優姫が一歩前へ出て、管理官として報告する。
鮫島 美優姫
「はい、本部長。久米川勝会長が会食中に容体が急変し、死亡。毒殺の可能性が高いです」
稲村 孝雄
「……ほう」
稲村の目が光る。
稲村 孝雄
「間違いなく毒殺やな」
浪速庵の事件は、
ただの店内死亡では終わらない――
大阪府警上層部を巻き込んで、
本格的な闇へ入っていく。
浪速庵の大広間。
低い卓を囲むように、容疑者たちが並んで座らされている。
桐谷千鶴(女将)
森下哲也(料理長)
坂口修太朗(秘書)
久米川康則(息子)
西島正彦(大阪府議)
その前に立つのは大阪府警捜査一課。
新庄が主導し、美優姫が全体を見渡している。
潤と宙夢は少し後ろで、腕を組みながら黙って観察。
新庄 純貴
「ほな、順番に聞きます。事件が起きた時間帯、何をしとったか……まずは女将の桐谷さん」
桐谷 千鶴
「私は……会食の準備と、配膳の指示をしておりました」
新庄 純貴
「会食中は?」
桐谷 千鶴
「途中まで個室におりましたが、料理長の呼び出しで一度厨房へ」
新庄 純貴
「何分くらいですか?」
桐谷 千鶴
「……五分ほどです」
潤と宙夢、無言で視線を交わす。
新庄 純貴
「次、森下料理長」
森下 哲也
「俺は厨房にずっとおりました。仕込みと、料理の最終確認です」
新庄 純貴
「個室には?」
森下 哲也
「入ってません。料理は仲居が運びます」
美優姫が一言挟む。
鮫島 美優姫
「久米川会長の料理だけ特別な指示は?」
森下 哲也
「……ありません。いつも通りです」
森下の声は落ち着いているが、
視線が一瞬だけ泳ぐ。
新庄 純貴
「次、秘書の坂口さん」
坂口 修太朗
「私は会食中、ずっと会長のそばにおりました」
新庄 純貴
「席は?」
坂口 修太朗
「会長の右隣です」
新庄 純貴
「途中で席を外したんですか?」
坂口 修太朗
「一度だけ電話で。すぐ戻りましたが」
新庄 純貴
「何分ですか?」
坂口 修太朗
「……三分ほどです」
ここでも、潤と宙夢の目が細くなる。
新庄 純貴
「次、息子の康則さん」
久米川 康則
「……俺は正直、親父と話す気もなかった。酒飲んで、料理もほとんど口にしてません」
新庄 純貴
「途中で立ったんですか?」
久米川 康則
「トイレに一度」
新庄 純貴
「時間は?」
久米川 康則
「……覚えてません」
新庄は淡々とメモを取る。
新庄 純貴
「最後、西島先生」
西島 正彦
「私は久米川会長と話をしとりました。席も立っていません。失礼なことですが、私に不利なことは何もない」
その言い方が、逆に耳につく。
一通り聴取が終わる。
空気が張り詰める中――宙夢が、低い声で潤に話しかける。
羽賀 宙夢(小声)
「……なあ先輩」
宝条 潤(小声)
「同じこと考えてるな」
羽賀 宙夢
「“外した時間”が全員ある」
宝条 潤
「しかも短い」
羽賀 宙夢
「長時間離れた人はおらん」
宝条 潤
「つまり――」
羽賀 宙夢
「犯行は“その場で完結する”」
潤が小さく頷く。
宝条 潤
「そしてもう一つ」
羽賀 宙夢
「……おしぼりやろ」
宝条 潤
「全員“席に着いた瞬間”は同じ条件だった」
羽賀 宙夢
「けど、久米川会長だけが倒れた」
宝条 潤
「つまり――」
羽賀 宙夢
「被害者だけに渡された“何か”がある」
二人の視線が、女将・千鶴と秘書・坂口、そして料理長・森下を順に捉える。
宝条 潤(心の声)
(触れる機会があった人間……順番を操作できた人間……気づかれず、短時間で済む方法……)
宝条 潤(小声)
「……犯人はもう、かなり絞られてきた」
羽賀 宙夢(小さく笑う)
「大阪まで来た甲斐あったな」
宝条 潤
「……ああ。ここからが本番だ」
その様子を、
美優姫と遥香が静かに見ている。
鮫島 美優姫(小声)
「……見つけたみたいやな」
神谷 遥香
「ええ。いつもの顔してる」
容疑者たちはまだ気づいていない。
だが真相へ至る糸は、確実に掴まれつつあった。
浪速庵の大広間。
容疑者たちは卓の前に並び、空気は重い。
大阪府警捜査一課はそれぞれの役割で動いている。
東山:分析・整理
朝霧:場のコントロール
染谷:情報の記録・整理
瀧本:……なぜか燃えている
そして――潤と宙夢、稲村は表情に出さぬまま、既に「核心」に近づいていた。
東山がホワイトボードに時系列と席順を書き込み、淡々と語る。
東山 正樹
「整理します。久米川会長が倒れたのは、乾杯の直後。料理は全員が口にしとる……しかし倒れたんは会長だけ」
東山がボードを指し示す。
東山 正樹
「この条件で“一人だけ”を狙うには、個別に触れさせるものに順番を操作できるもの、それから短時間で成立する手段、この三つが必要です」
東山が視線を容疑者に向ける。
東山 正樹
「よって怪しいのは――」
東山は言葉を切り、冷静に告げる。
東山 正樹
「“配膳ルート”に関わった者。あるいは、“久米川会長専属”やった者」
容疑者たちがざわつく。
坂口 修太朗
「……っ」
桐谷 千鶴
「……」
森下 哲也
「……なんやそれ」
空気が荒れかけた瞬間。
朝霧が静かな所作でお茶を配り始める。
朝霧 さやか
「皆さん、落ち着いてくださいね」
湯呑を容疑者の前へ置く音が、異様に静かに響く。
朝霧 さやか
「喉、乾きますよね……緊張すると」
容疑者たちはお茶に手を伸ばしかける。しかし誰も飲めない。
“毒”の事件の直後。お茶ですら怖い。
神谷 遥香(心の声)
(上手い…場の空気を整えながら心理を揺さぶってる)
染谷は落ち着いた表情でメモを見返し、情報を整頓していく。
染谷 真佑
「東山警部」
東山 正樹
「ん?」
染谷 真佑
「出入りの回数、整理しました」
染谷は迷いなく言う。
染谷 真佑
「席を外したのは、桐谷さんが厨房へ5分、次いで坂口さんが電話で3分、康則さんがトイレで時間は不明です」
染谷は続ける。
染谷 真佑
「西島先生は“席を立っとらん”と主張し、森下さんは“厨房から出とらん”と主張してます」
東山 正樹
「……完璧やな」
染谷 真佑
「ありがとうございます」
東山が小さく笑って言う。
東山 正樹
「さすがや。捜一の次期エース候補やな」
染谷 真佑
「まだまだです」
神谷 遥香(心の声)
(なるほど……大阪府警にも優秀な刑事がいるのね)
その隣で――瀧本が急に立ち上がる。
瀧本 漣
「よっしゃ!!」
全員
「……?」
瀧本 漣
「俺、分かりました!!!」
新庄 純貴
「……何がや?」
瀧本 漣
「犯人です!!」
新庄 純貴
「お前か!?」
瀧本 漣
「ちゃいます!!」
瀧本、なぜか燃えている。
瀧本 漣
「俺、ホンマこういうの燃えるんですよ!!推理!!正義!!ズバッと!!」
新庄 純貴
「もうええわ瀧本。座れ」
瀧本 漣
「はい!!!」
勢いよく座る瀧本。
その様子を見て、美優姫が少し心配そうに眉を寄せる。
鮫島 美優姫(小声)
「瀧本君……大丈夫……?急にどないしたん……?」
瀧本 漣(小声で決意)
「俺……生まれ変わります」
鮫島 美優姫
「怖いわ!!」
遥香は横目でそれを見ながら、ふっと鼻で笑う。
神谷 遥香(心の声)
(……大阪府警にも奈良君みたいなのがいるわね)
場の空気は一見、まだ混沌としている。
だが――この空間で、既に「事件の全貌」に気づいている者がいる。
潤:表情は穏やかだが、目が笑っていない。
宙夢:口数が減り、視線だけで盤面を読む。
稲村:腕を組み、薄く笑っている。
羽賀 宙夢(小声)
「……先輩」
宝条 潤(小声)
「ああ」
羽賀 宙夢
「“毒”は料理ちゃう」
宝条 潤
「やはりおしぼりしかない」
羽賀 宙夢
「ほな、誰が触れた?」
宝条 潤
「答えは簡単だ――被害者の“右隣”」
宙夢が目を細める。
羽賀 宙夢
「坂口さんやな」
その会話を、少し離れたところで稲村が聞いていた。
稲村は口元だけ笑い、ぽつり。
稲村 孝雄
「……ほぉ。こら、もう終わりやな」
事件は――捜査会議を経ずとも、もう詰みかけている。
容疑者たちは、まだ気づいていない。
“誰が詰んだか”を。
重苦しい沈黙が場を支配する。
容疑者たちは息を潜め、
大阪府警の刑事たちも一切の私語を止めている。
その沈黙を破ったのは――宝条潤だった。
宝条 潤
「……では、整理しましょう」
潤は静かに前へ出る。
その横に、宙夢が並ぶ。
二人の立ち姿は、不思議とよく似ている。
宝条 潤
「久米川会長は料理を食べて倒れたわけではありません。もし料理に毒が入っていれば、同席者の誰かにも異変が出たはずです」
羽賀 宙夢
「せやけど倒れたんは久米川会長一人。つまり犯人は最初から“久米川会長だけ”を狙っとる」
宙夢は畳の上に置かれた、
使用済みのおしぼりを指さす。
羽賀 宙夢
「答えは、これや」
宝条 潤
「席に着いた瞬間、全員に配られた“おしぼり”。ですが久米川会長のものだけが“特別”でした。揮発性の毒を染み込ませ、手で触れた瞬間呼吸と皮膚から吸収させる。だから苦しみ始めるまで、わずかな時間差が生まれたんです」
場がざわつく。
坂口 修太朗
「……待て!そないなことができたのは、女将か、仲居か、料理長やろ!」
羽賀 宙夢
「いや。“それができたのは一人だけや”」
宙夢と潤、同時に坂口を見る。
宝条 潤
「秘書の坂口修太朗さん、あなたです」
坂口 修太朗
「……っ!ふざけるな!俺がどうやってそないなことを――」
羽賀 宙夢
「簡単や。久米川会長の右隣に座っとった秘書はあんただけや。おしぼりが配られた瞬間、“自分のもの”と“会長のもの”を一瞬で入れ替えることができた」
宝条 潤
「秘書ならそれは“不自然な行動”ではありません。誰も疑わない。むしろ、当然だと思います」
坂口 修太朗(声を荒げる)
「証拠はあるんか!!」
坂口の声が裏返る。
坂口 修太朗
「推理だけで人を犯人扱いするなや!!」
その瞬間。
稲村 孝雄
「……あるで」
低く、重い声。
場の空気が一気に凍る。
稲村孝雄警視監が、一歩前へ出る。
稲村 孝雄
「おしぼりを回収したとき、、“被害者のもの”だけ成分が違うとった」
坂口 修太朗
「……!」
稲村 孝雄
「揮発性毒物の微量反応が出た。あんたの指紋と一緒にな」
宙夢がとどめを刺す。
羽賀 宙夢
「さらにや。久米川会長は今夜あんたを切るつもりやった。それをあんたが知っとったとしたら……十分な動機になるで」
沈黙。
坂口の肩が、がくりと落ちる。
坂口 修太朗
「……っ……」
坂口はその場に崩れ落ちる。
坂口 修太朗(自白)
「……全部や。俺は……久米川の影として働いてきた。汚れ仕事も……脅しも……全部、俺がやった……!それなのに、最後は切り捨てる言うてな……許せるか……!」
坂口は顔を覆い、嗚咽する。
その様子を、美優姫は目を閉じたまま、静かに聞いていた。
そして――ゆっくりと目を開く。
美優姫は腰を落とし、坂口の前にしゃがんで手錠を取り出す。
カチャリ。
手錠の音が、はっきりと響く。
坂口 修太朗(力なく)
「……ああ……」
刑事たちが立ち上がり、坂口を引き立てる。
鮫島 美優姫
「連行や」
坂口は俯いたまま、大阪府警に連行されていった。
静まり返る大広間。
羽賀 宙夢(小さく)
「……終わったな」
宝条 潤
「……ああ」
稲村が二人を見る。
稲村 孝雄
「若いのに見事や」
遥香は潤の横で、
誇らしさと安堵が入り混じった表情をしている。
神谷 遥香(心の声)
(……やっぱりこの人は、頼られる運命なのね)
坂口が連行され、場はようやく“事件が終わった”空気を帯び始める。
――しかし、終わっていない者が一人いた。
大阪府議 西島正彦。
汗を浮かべ、ぎこちなく口元を引きつらせたまま座っている。
その前に、稲村本部長が立つ。
稲村 孝雄
「……坂口は確保した。けどなこの事件、これで終わりちゃう」
西島の肩がビクリと跳ねる。
稲村 孝雄
「西島正彦先生」
西島 正彦
「……っ、は、はいっ」
稲村 孝雄
「あんたも重要参考人や」
西島 正彦
「な……何を言うてるんですか本部長!私は被害者と話しとっただけで――」
稲村 孝雄(遮る)
「倉田」
稲村は淡々と、背後の男へ命じる。
副本部長 倉田久雄 が一歩前に出る。
手元の資料に目を落とし、落ち着いた口調で説明を始める。
倉田 久雄
「西島先生」
西島 正彦
「……っ」
倉田 久雄
「久米川会長とあなたの間で過去三年間、複数回に渡って“密会”の記録があります」
西島 正彦
「そ、それは……会食ですよ、会食!」
倉田 久雄
「ホンマに会食なら問題ないです。ただしその会食の直後、久米川フーズと関係する企業が、複数“行政案件”で優遇されとります」
西島 正彦
「…………」
倉田 久雄
「さらに……」
倉田は淡々と資料をめくる。
声の抑揚がない分、言葉が重い。
倉田 久雄
「久米川会長があなたに渡したとされる金の流れ、これも、複数掴みました」
西島 正彦(声が裏返る)
「ま、待ってください!それは誤解です!私は――」
稲村 孝雄(低い声)
「黙っとき」
稲村の一言で、西島の声が止まる。
稲村 孝雄
「今すぐ逮捕するとは言うてへん。せやけど、“白”を証明できるまでは、自由はない」
西島 正彦
「……っ……」
西島の顔面が青ざめる。
稲村 孝雄
「連れていけ」
刑事たちが西島を立たせる。
西島 正彦
「私は府議ですよ!?こないな扱い――」
新庄 純貴
「府議でも関係あれへん。行きますで」
西島は震えながら、連れて行かれた。
その一部始終を見ていた遥香は、
稲村と倉田をちらりと見て、心の中で思う。
神谷 遥香(心の声)
(……似てる。稲村本部長と倉田副本部長、まるで警視庁の石上総監と内海副総監みたい)
稲村が“剣”なら、倉田は“鞘”。
互いの呼吸が完全に合っている。
神谷 遥香(心の声)
(上に立つ人間ほど“孤独じゃない”相棒が必要なのね)
騒がしさが少し落ち着いた頃。
美優姫が宙夢の側へ近づく。
宙夢はまだ表情が硬い。
久米川が死んだ現場を目の前で見た衝撃が、残っている。
鮫島 美優姫(小声)
「……宙夢」
羽賀 宙夢
「……ん」
鮫島 美優姫
「怖かったやろ」
羽賀 宙夢
「……別に」
宙夢は強がるが、視線が落ちている。
美優姫はそれを見抜き、言葉を続ける。
鮫島 美優姫
「……顔、真っ白やったで」
羽賀 宙夢
「……そら目の前で人死んだら、普通はなるわ」
鮫島 美優姫
「普通じゃないふりするから」
羽賀 宙夢
「……」
美優姫は宙夢の袖を軽く掴む。
ほんの一瞬だけ。
鮫島 美優姫(小さく)
「無事でよかった」
宙夢の肩がぴくりと震え、
耳が赤くなる。
羽賀 宙夢
「……心配すんなや。俺は……大丈夫や」
鮫島 美優姫
「……ならええ」
美優姫はそれ以上踏み込まず、
すっと距離を戻す。
――幼馴染だからこその距離感。
羽賀 宙夢(小声)
「……ありがと」
鮫島 美優姫(微笑)
「何か言うた?」
羽賀 宙夢
「何も言うてへん!」
美優姫が小さく笑う。
その様子を、潤が横目で見ている。
宝条 潤(心の声)
(……こっちも大変そうだな)
そして、遥香の視線が潤に刺さる。
神谷 遥香(小声)
「……潤?」
宝条 潤
「え、なに?」
神谷 遥香
「今日もかっこよかった」
宝条 潤
「……ありがとう」
翌日 新大阪駅(新幹線ホーム)
新大阪駅のホームに新幹線が入ってくる。
潤と遥香は東京へ戻るため、並んで立っている。
少し離れた場所に、見送りに来た二人――
宙夢と美優姫の姿。
事件の緊張は解けた。
だが――別の地獄が始まろうとしていた。
羽賀 宙夢(手を振りながら)
「先輩ー!」
宝条 潤
「見送りまで来たのか」
羽賀 宙夢
「当たり前や。礼はちゃんと言うタイプやからな」
鮫島 美優姫(小さく会釈)
「昨日はほんま、ありがとうございました。先生、遥香も」
神谷 遥香
「いいのよ。こっちも勉強になった」
宙夢がニヤリと笑い、潤へ距離を詰める。
羽賀 宙夢(小声)
「なぁ先輩」
宝条 潤(小声)
「……なんだ?」
羽賀 宙夢
「今度また向こうのキャバクラやスナックでおすすめ教えてや」
宝条 潤
「――っ!」
潤の目が一瞬で輝く。
宝条 潤(食いつき気味)
「……向こうって関東のか?」
羽賀 宙夢
「せや!めっちゃ楽しみやで!」
宝条 潤
「そういえば宙夢。実は――」
羽賀 宙夢
「ん?」
宝条 潤
「弟たちがな、自分たちの家の近所で“美人ママのいるスナック”を紹介してくれた」
羽賀 宙夢(目が見開く)
「――ホンマ!?」
宝条 潤
「ああ」
羽賀 宙夢
「え、なにそれ、最高やん!!大阪にもあるけど、向こうのスナックは別格やろ!」
宝条 潤
「僕も聞いたときは驚いた」
羽賀 宙夢
「先輩……!それ、今度絶対連れてって!!」
その瞬間、二人の頬に――
神谷 遥香・鮫島 美優姫(同時)
「……ふんっ!!」
遥香が潤の頬を、美優姫が宙夢の頬を――思い切り引っ張る。
宝条 潤
「いだだだだだ!!」
羽賀 宙夢
「痛ッ!!痛い痛い痛い!!」
神谷 遥香(にこやか)
「潤?」
鮫島 美優姫(にこやか)
「宙夢?」
“笑顔なのに目が笑ってない”
完全一致の女神二人。
宝条 潤
「ちょ、遥香、これは!」
羽賀 宙夢
「美優姫、待って、誤解やって!!」
神谷 遥香
「誤解?」
鮫島 美優姫
「誤解?」
潤と宙夢、同時に黙る。
そのまま頬を引っ張られ続ける。
宝条 潤・羽賀 宙夢
「……っ……」
神谷 遥香(心の声)
(私の気持ちも知らないでほかの女にデレデレデレデレ……!)
鮫島 美優姫(心の声)
(私の気持ちも知らんとほかの女にデレデレデレデレ……!)
二人の心の声が完全に重なる。
宝条 潤
「ま、待て遥香……!」
羽賀 宙夢
「ほんまに待って美優姫……!!」
二人はようやく頬を離す。
潤と宙夢の頬は真っ赤。
完全敗北の顔。
宝条 潤(咳払い)
「……宙夢」
羽賀 宙夢
「……はい」
宝条 潤
「今度は東京に来い」
羽賀 宙夢
「行く!!」
神谷 遥香
「即答ね」
鮫島 美優姫
「即答すぎるやろ」
羽賀 宙夢(潤を見て)
「先輩おるし」
宝条 潤
「……まあ歓迎する」
新幹線がホームに到着する。
扉が開き、アナウンスが流れる。
神谷 遥香
「行くわよ」
宝条 潤
「……はい」
鮫島 美優姫
「気ぃつけて」
羽賀 宙夢
「先輩、またな!!」
宝条 潤
「ああ」
潤と遥香は新幹線へ乗り込む。
ドアが閉まり、列車が動き出す。
ホームに残る宙夢と美優姫。
美優姫は宙夢の袖を小さく掴む。
鮫島 美優姫(小声)
「……今度、東京行こか」
羽賀 宙夢
「……うん」
大阪の事件は終わった。
だが――
東の宝条と西の羽賀、
そして二人の女神の物語は続く。
第8話 完
