宮廷賢者アルトリア 第5話「14年前の記憶」
第5話「幼き日の記憶」
アルトリアの屋敷 応接室
暖炉の火が静かに揺れている。
向かい合って座る二人。
バーンズ・フィリア(71)
そして
アルトリア・フィリア(19)
父と子。14年ぶりの本当の意味での再会。
しばらく、沈黙が続く。
暖炉の薪がパチリと音を立てる。
バーンズが静かに、しかし確かめるように話す。
バーンズ
「……無事でよかった」
アルトリアはわずかに目を伏せる。
バーンズ
「ちゃんと……食事は取っているのか?」
かつてと変わらぬ、父としての問い。
アルトリアは小さく頷く。
アルトリア
「はい……」
その声は落ち着いているが、わずかに震えている。
バーンズはその様子を見つめる。
目の前にいるのはもう幼かった息子ではない。
一人の賢者だった。
しかし同時に、守れなかった息子でもある。
短い沈黙。
アルトリアは静かに口を開く。
アルトリア
「……母上や、ピエール叔父上も……」
わずかに言葉を選ぶ。
アルトリア
「……お元気ですか?」
バーンズはゆっくりと頷く。
バーンズ
「ああ」
暖炉の火が揺れる。
バーンズ
「お前の母も叔父も……」
一瞬、間を置き――
バーンズ
「元気にしている」
アルトリアの瞳に、わずかな安堵の色が浮かぶ。
アルトリア
「……そうですか」
それだけで十分だった。
母が生きている。
それだけで。
再び、沈黙。
しかし今度の沈黙は、避けて通れない話題を前にした沈黙だった。
アルトリアの手が、わずかに握られる。
そして――アルトリアは父をまっすぐ見た。
アルトリア
「……父上」
バーンズは答えない。
ただ、静かに息子を見る。
アルトリア
「シャルル兄上も……ハンス兄上も……」
そして、真実へ踏み込む。
アルトリア
「……殺されたのですか?」
暖炉の火が大きく揺れる。
沈黙。
長い沈黙。
バーンズは目を閉じる。
14年間、胸に閉じ込めてきた真実。
守るために、語らなかった真実。
しかし今目の前にいるのは、守られるだけの子供ではない。
王国の賢者。
そして、フィリア家の正統後継者。
バーンズは、ゆっくりと目を開く。
その瞳には悲しみと、怒りと、決意があった。
バーンズ
「……そうだ」
その一言は、あまりにも重かった。
空気が凍る。
アルトリアは微動だにしない。
バーンズは続ける。
バーンズ
「いつか……」
一度、言葉を切る。
バーンズ
「いつか話すべき時が来ると思っていた」
アルトリアの瞳に覚悟が宿る。
彼は逃げない。
真実を受け止める覚悟。
バーンズは、ゆっくりと語り始める。
バーンズ
「これは……フィリア家が粛清された日の話だ」
14年前 ― フィリア家別宅
王都から少し離れた森の中。
静かな湖のほとりに佇むフィリア家の別宅。
豪華ではないが、気品と温かみのある屋敷。
食堂のテーブルの上には、誕生日を祝う料理。
果物
焼き菓子
温かいスープ
そして、小さなケーキ。
その前に座るのは黒髪の幼い少年。
アルトリア・フィリア(5)
まだあどけない顔。
しかし、その瞳はすでに蒼く澄んでいる。
周囲には、家族全員が揃っている。
父――バーンズ・フィリア
母――アンジュ・フィリア
長兄――シャルル・フィリア
次兄――ハンス・フィリア
フィリア家が揃っている。
バーンズはアルトリアの前に立つ。
その表情は宰相ではなく、一人の父のものだった。
バーンズ
「もう5歳か」
アルトリアを見つめる。
バーンズ
「おめでとう、アルトリア」
アルトリアは嬉しそうに背筋を伸ばす。
アルトリア
「ありがとう、父上」
その声には、誇らしさと喜びが混ざっている。
普段は離れて暮らしている父。
その父が今、目の前にいる。それだけで嬉しかった。
シャルルが一歩前に出て小さな箱を差し出す。
シャルル
「アルトリア」
アルトリアが見上げる。
シャルル
「誕生日プレゼントだ」
アルトリアの目が輝く。
アルトリア
「本当!?」
シャルルは微笑む。
シャルル
「ああ」
アルトリアは箱を受け取る。
その手は小さくまだ幼い。
そこへハンスが勢いよく近づく。
明るく親しみやすい笑顔。
ハンス
「おいおい、シャルルだけじゃないぞ」
もう一つの包みを差し出す。
ハンス
「お兄ちゃんからもだ」
アルトリアは驚き、そして笑顔になる。
アルトリア
「ハンス兄上も!?」
ハンスはしゃがみ、アルトリアと同じ目線になる。
ハンス
「当たり前だろ」
ハンスはアルトリアの頭を優しく撫でる。
ハンス
「今日は特別な日なんだからな」
アルトリアは包みを受け取り、大事そうに抱きしめる。
アルトリア
「シャルル兄上……ハンス兄上……」
満面の笑顔。
アルトリア
「ありがとう」
その言葉は、心からのものだった。
アンジュがその様子を見て静かに微笑む。
アンジュ
「よかったわね、アルトリア」
アルトリアは母を見る。
アンジュの瞳は、愛情に満ちている。
アルトリア
「うん!」
アンジュはそっとアルトリアの肩に手を置く。
アンジュ
「開けてごらんなさい」
アルトリアはまずシャルルの箱を開ける。
中には一冊の本。
革表紙の、美しい本。
まだ幼いアルトリアでもそれが特別なものだとわかる。
アルトリア
「本……?」
シャルルは頷く。
シャルル
「これは、父上が私にくださったものだ」
アルトリアは驚く。
アルトリア
「父上が……?」
バーンズは静かに頷く。
シャルルは続ける。
シャルル
「そして今日からは、お前のものだ」
アルトリアは本を見つめる。
まだ難しくて読めない文字。
しかし、それが大切なものだと理解する。
シャルル(静かに)
シャルル
「アルトリア」
アルトリア
「?」
シャルル
「知識は剣より強い」
アルトリアはその言葉を真剣に聞く。
シャルル
「いつか、その意味がわかる日が来る」
次にハンスの包みを開ける。
中には小さな木彫りの駒。
王の駒だった。
アルトリア
「これ……」
ハンスは笑う。
ハンス
「王様だ」
アルトリア
「王様……」
ハンス
「でもな」
ハンスはアルトリアの肩に手を置く。
ハンス
「本当に国を動かすのは、王だけじゃない」
アルトリアは見上げる。
ハンス
「賢い者が国を支えるんだ」
アルトリアの瞳がわずかに揺れる。
バーンズは、その光景を静かに見ている。
三人の息子たちがそろって笑い合っている。
バーンズ(心の声)
「この子たちがいれば……この国は……」
アルトリアは、本と駒を胸に抱きしめる。
家族を見回す。
父
母
兄たち
全員がいる。
それが、何より嬉しかった。
アルトリア(心の声)
「ずっと……このままがいい」
14年前 ― 王宮・謁見の間
玉座に座る男。
レオニス・レグナード(36)
まだ壮年に差し掛かったばかりの王。
鋭い眼光。
王としての威厳と、理知を兼ね備えた存在。
その前に立つのは、バーンズ・フィリア(57)
宰相として王国を支える男。
堂々とした佇まい。
バーンズは一礼し、報告書を差し出す。
バーンズ
「西部領における穀物不足の件ですが、既に対策を講じました」
レオニスは報告書に目を通す。
しばらく沈黙。
そして頷く。
レオニス
「……うむ」
報告書を閉じる。
レオニス
「迅速だな」
バーンズ
「当然の務めにございます」
レオニスはバーンズを見る。
その目には絶対的な信頼があった。
レオニス
「この件はそなたに任せよう」
バーンズは深く頭を下げる。
バーンズ
「仰せのままに」
それは、王と宰相の関係を超えた完全な信頼関係の証だった。
レオニスはふと表情を緩める。
王ではなく、一人の父の顔になる。
レオニス
「……そういえば」
バーンズは顔を上げる。
レオニス
「そなたの末息子」
わずかに考える。
レオニス
「名前は……なんと言ったかな?」
バーンズの表情がほんの少し柔らぐ。
バーンズ
「アルトリアです」
レオニス
「アルトリア……」
その名を確かめるように繰り返す。
バーンズ
「先日、5歳になりました」
レオニスは驚いたように目を細める。
レオニス
「もう5歳か……」
玉座の背にもたれ、遠い記憶を思い出す。
レオニス
「赤ん坊の時に会って以来だが……」
小さく微笑む。
レオニス
「元気に育っているようだな」
バーンズ
「はい」
バーンズは短く答える。
しかしその声には父としての誇りが含まれていた。
レオニスはしばらく何かを考える。
王としてではなく、未来を見据える者の目。
そして――
レオニス
「……私にも娘がいる」
バーンズはわずかに眉を動かす。
レオニス
「どうだろう?」
バーンズは静かに待つ。
レオニス
「いずれは……そなたの末息子と、結婚させては」
空気が止まる。
それは、単なる冗談ではない。
王の言葉。
未来の王族と宰相家の結びつき。
国家の未来を左右する提案。
バーンズは一瞬王を見つめる。
その瞳には驚きがあった。
しかしすぐに、いつもの冷静な表情に戻る。
バーンズ
「……何をおっしゃいます」
レオニスはバーンズの反応を楽しむように見ている。
バーンズ
「ユリナ姫様は、まだ生後9ヶ月」
レオニスは小さく笑う。バーンズは続ける。
バーンズ
「セリア姫様も、エリス姫様も……まだ幼いとはいえ、剣術に優れておられます」
レオニスの目がわずかに鋭くなる。
バーンズ
「あの子程度では……」
バーンズは深く頭を下げる。
バーンズ
「ご満足いただけないかと」
レオニスはしばらくバーンズを見つめる。
そして、静かに笑う。
レオニス
「謙遜するな、バーンズ」
バーンズは顔を上げない。
レオニス
「私は知っている」
レオニスの声は低い。
レオニス
「フィリアの血が、どれほどのものか」
バーンズの瞳が、わずかに揺れる。
レオニス
「その子も……」
窓の外を見る。
レオニス
「いずれ、この国に必要な存在になる」
それは、
言にも似ていた。
バーンズ
「……恐れ多きお言葉にございます」
レオニスは微笑む。
レオニス
「機会があれば、また会わせてくれ」
バーンズ
「は」
バーンズは頭を下げる。
フィリア家本家・庭園(14年前)
庭の奥に立つ一本の大きな木。
枝には赤く熟した木の実がいくつも実っている。
幼いアルトリア(5)が、その木の下に立っている。
小さな体で必死に手を伸ばす。
アルトリア
「ん……!」
ぴょん、とジャンプするが届かない。
もう一度ジャンプ。
やはり届かない。
アルトリア
「もう少しなのに……」
唇を噛む。それでも諦めない。
もう一度ジャンプする。
しかし――届かない。
アルトリアは少し悔しそうに木を見上げる。
その時、後ろから穏やかな声。
ピエール
「アルトリア」
アルトリアは振り返る。
そこに立っていたのは、ピエール・フィリア(46)
知的な雰囲気を持つ男。
アルトリア
「叔父上」
ピエールはアルトリアの隣に歩み寄る。
ピエール
「あれを取りたいのかい?」
アルトリアは頷く。
アルトリア
「うん」
木の実を見上げる。
アルトリア
「母上が……」
少し照れながら。
アルトリア
「喜ぶと思って」
その言葉に、
ピエールは目を細める。
優しく微笑む。
ピエール
「そうか」
ピエールは木を見上げる。
そして、
しゃがみ込む。
ピエール
「アルトリア」
アルトリア
「?」
ピエール
「少しだけ、手を貸そう」
アルトリアの前に背を向ける。
ピエール
「登るんだ」
アルトリアは目を見開く。
アルトリア
「いいの?」
ピエールは笑う。
ピエール
「もちろんだ」
アルトリアは慎重にピエールの背に乗る。
ピエールはゆっくりと立ち上がる。アルトリアの視界が高くなる。
木の実が近づく。
アルトリア
「わあ……」
手を伸ばす。届く。
木の実を握る。
アルトリア
「取れた!」
嬉しそうな声。
ピエールはゆっくりとアルトリアを下ろす。
アルトリアは木の実を両手で大事に持つ。
宝物のように。
ピエールはアルトリアを見る。
ピエール
「優しい子だね」
アルトリア
「?」
ピエール
「自分のためではなく、誰かのために動く」
アルトリアは少し考える。
アルトリア
「母上が、いつも優しいから」
ピエールの表情が柔らかくなる。
ピエール
「……そうか」
一瞬、遠くを見る。
まるで未来を見ているように。
ピエール
「きっと君は……立派な人間になる」
アルトリアは首をかしげる。
アルトリア
「叔父上みたいに?」
ピエールは笑う。
ピエール
「いや」
アルトリアの頭に手を置く。
ピエール
「私などより、もっと偉大に」
アルトリアは嬉しそうに笑う。
木の実を胸に抱える。
アルトリア
「母上、喜んでくれるかな」
ピエール
「ああ。きっと、喜ぶ」
アルトリアは屋敷へ走っていく。
数日後 ― 王宮・宮廷賢者執務室
高い窓から光が差し込む宮廷の執務室。
机に向かうシャルル・フィリア(28)
書類に目を通している。
側近の文官が報告を終える。
文官
「以上が南部領の報告です」
シャルルは頷く。
シャルル
「ご苦労だった」
文官が一礼し、退出する。
部屋にはシャルル一人。
静寂。
シャルルは次の書類に手を伸ばす。
しかし――その手が止まる。
シャルル
「……?」
胸元を押さえる。違和感を感じる。
呼吸が浅くなる。
シャルル
「……っ」
立ち上がろうとするが体が揺れる。
机に手をつく。汗が額を伝う。
シャルル
「……おかしい……」
視界が揺れる。呼吸が苦しい。
シャルル
「……誰か……」
その時、近くにいた文官が気づく。
文官
「シャルル様!?」
シャルルは倒れそうになり、文官が支える。
文官
「医官を!医官を呼べ!!」
周囲が騒然となる。
シャルルの意識が遠のく。
数日後の夜 フィリア家本邸・寝室
重苦しい空気。
ベッドに横たわるシャルル。
顔色は青白く、呼吸は浅い。
ベッドの横にはバーンズ。
父としての顔。
その手は、シャルルの手を強く握っている。
周囲には医官たち。
しかし、誰も何もできない。
医官
「……申し訳ございません」
バーンズ
「……何だと」
医官
「原因が……わかりません」
バーンズの瞳が揺れる。
医官
「これほど急速に衰弱する症例は……」
言葉を濁す。
医官
「我々にも……」
バーンズの拳が震える。
バーンズ
「原因がわからない……?今にも死にそうなんだぞ……!」
怒りと恐怖が混ざった声。医官は頭を下げるしかない。
医官
「……申し訳ございません」
医官たちは静かに退出する。
部屋には、父と息子だけが残される。
バーンズはシャルルの手を握る。その手は冷たい。
バーンズ
「シャルル……」
シャルルの瞳が、わずかに開く。
シャルル
「……父上……」
かすれた声。
バーンズ
「話すな……無理をするな」
シャルルは微かに首を振る。
シャルル
「……申し訳……」
息が乱れる。
シャルル
「ありません……」
バーンズ
「何を言っている……!」
シャルルは、必死に言葉を紡ぐ。
シャルル
「……フィリア家を……」
呼吸が止まりそうになる。
バーンズ
「シャルル!」
シャルルは父を見る。
その瞳には、恐怖はなかった。
ただ悔しさと無念があった。
シャルル
「……先立つ不幸を……」
息が途切れる。
シャルル
「お許し……ください……」
その瞬間――シャルルの手から、力が抜ける。
バーンズ
「……シャルル?」
反応はない。
バーンズ
「シャルル……?」
バーンズの声が震える。
バーンズ
「……シャルル」
握る手は冷たい。動かない。
すべてを理解する。しかし受け入れられない。
バーンズ
「……シャルル」
そして――
バーンズ
「シャルル!!」
バーンズの叫びが、屋敷中に響く。
バーンズ
「シャルル!!返事をしろ!!」
バーンズは息子の体を抱き起こす。
バーンズ
「まだ……まだ何も教えていない!!お前が……フィリア家を継ぐのだと……」
声が崩れる。
バーンズ
「この国を……変えるのだと……」
バーンズの視界が涙で歪む。
バーンズ
「約束したではないか……!」
バーンズは息子を抱きしめる。
しかし、もう温もりはない。
バーンズ
「……シャルル……」
声が掠れる。
バーンズ
「私を……置いていくな……」
バーンズは声を上げて泣いた。
宰相ではなく、父として。
バーンズ
「……ああああああああああああああああああ!!」
慟哭。
それは、フィリア家粛清の始まりだった。
フィリア家本邸 ― シャルルの葬儀
空は灰色の雲に覆われており、静かな雨が降っている。
フィリア家本邸の大広間。黒い布で覆われた壁。
シャルルが棺の中で眠っている。
周囲にはフィリア家の使用人たち、宮廷関係者、貴族たち。
誰もが沈黙している。
王国の未来を担うはずだった男の死、その重さを理解していた。
棺の近くに立つ一人の女性。
シャルルの妻。
まだ若い。
そして――彼女は大きくなったお腹を、そっと撫でている。
それはシャルルの子。
妻の瞳から静かに涙が流れる。
妻(小さく)
「……あなた……」
震える声。
妻
「どうして……」
彼女は、もう二度と夫の声を聞くことはできない。
しかし、彼の命はこのお腹の中に残っている。
妻はお腹に手を当てる。
妻(心の声)
(この子は……私が守る……)
アルトリア(5)が、棺の前に立つ。
小さな体。まだ、死を完全には理解できない年齢。
アルトリアは、棺の中の兄を見る。
いつも優しく笑っていた兄。本をくれた兄。頭を撫でてくれた兄。
今は――動かない。
アルトリア
「……兄上?」
返事はない。
アルトリアは首をかしげる。
アルトリア
「……寝てるの?」
沈黙。
その後ろに立つバーンズ。
バーンズの顔は、まるで石のように動かない。
しかし、その瞳の奥は壊れていた。
バーンズは、ゆっくりと口を開く。
バーンズ
「……お前の兄は」
一瞬言葉が止まる。
それでも言わなければならない。父として。
バーンズ
「亡くなった」
アルトリアの瞳が揺れる。理解できない。
バーンズ
「……もう」
バーンズの声がわずかに震える。
バーンズ
「起きることはない」
沈黙。
アルトリアは、棺の中の兄を見る。
動かない。呼んでも返事がない。触れても動かない。
アルトリア
「……え?」
理解がゆっくりと追いつく。
アルトリア
「……兄上?」
アルトリアの手が棺に触れる。
冷たい。
アルトリア
「……兄上……?」
アルトリアの視界が歪む。涙が溢れる。
アルトリア
「……兄上……兄上……!」
そして――
アルトリア
「兄上ぇぇぇぇぇ!!」
アルトリアは泣き崩れ、棺にしがみつく。
アルトリア
「起きてよ!!兄上ぇぇぇ!!」
その泣き声は屋敷中に響く。
バーンズはその姿を見ることしかできない。
フィリア家本邸・別室
ハンスは床に座っている。
ハンス
「……兄上……」
声が震える。
ハンス
「どうして……」
ハンスの拳が床を叩く。
ハンス
「どうしてなんだ!!」
涙が落ちる。
ハンスは歯を食いしばる。
ハンス
「これは……」
呼吸が乱れる。
ハンス
「病気なんかじゃない……」
ハンスの瞳に怒りが宿る。
ハンス
「誰かが……」
拳を強く握る。
ハンス
「兄上を殺したんだ……」
半年後 ― フィリア家本邸・書斎(夜)
ハンスは机の上に広げられた資料を見ている。
医官の診断記録、宮廷の勤務記録、食事記録、毒物一覧、あらゆる記録を見る。
その目は真実を追う賢者の目。
ハンス
「……おかしい」
紙を握る。
ハンス
「兄上が、健康だったのは確かだ」
震える声。
ハンス
「突然死ぬなど……ありえない」
ハンスは立ち上がる。
ハンス(心の声)
(兄上……)
拳を握る。
ハンス(心の声)
(必ず……真実を見つけます)
数週間後 ― フィリア家本邸・廊下
ハンスが歩いている。
すると突然――
ハンス
「……っ」
胸を押さえる。呼吸が乱れる。
ハンス
「……これは……」
視界が揺れる。
ハンス
「まさか……」
壁に手をつく。
すべてを理解する。兄と同じ症状であった。
ハンス
「……毒……?」
ハンスは倒れる。
使用人
「ハンス様!!」
フィリア家本邸・寝室(数日後)
ベッドに横たわるハンス。
顔色は青白く、呼吸は浅い。
すでに助からない状態。
その横にいるのはバーンズ。そしてハンスの妻。彼女もまた大きなお腹を抱えている。
バーンズは息子の手を握る。
バーンズ
「ハンス……」
ハンスはゆっくり目を開ける。
ハンス
「……父上……」
バーンズの声が震える。
バーンズ
「何も話すな……」
しかし、ハンスは首を振る。
ハンスは隣にいる妻を見る。
妻は涙を流している。
ハンス
「……すまない……」
妻
「やめてください……!」
妻は首を振る。
妻
「治ります……必ず……」
しかし、ハンスは理解していた。
自分の死を。
ハンスは震える手を妻のお腹に置く。
ハンス
「……生まれてくるこの子の成長を……」
涙が流れる。
ハンス
「見届けることはもうできない……」
妻はハンスの手を握る。
妻
「そんなこと……言わないで……」
ハンスはバーンズを見る。
その目には恐怖ではなく、確信があった。
ハンス
「……父上……」
バーンズ
「……ここにいる」
ハンス
「これは……」
呼吸が止まりそうになる。
ハンス
「……兄上と……同じです……」
バーンズの瞳が見開かれる。
ハンス
「……誰かが……」
息が乱れる。
ハンス
「フィリア家を……」
最後の力を振り絞る。
ハンス
「消そうと……しています……」
バーンズの拳が震える。
ハンス
「……アルトリアを……」
一瞬息が止まる。
ハンス
「守って……ください……」
そして――
ハンス
「……父上……」
バーンズ
「ハンス!」
ハンス
「……申し訳……」
ハンスの声が消える。
ハンス
「ありません……」
ハンスの手から、完全に力が抜ける。
沈黙。
永遠の沈黙。
バーンズ
「……ハンス?」
返事はない。
バーンズ
「ハンス……?」
理解する。また奪われた。
バーンズ
「……ハンス」
そして――バーンズはその場に崩れ落ちる。
バーンズ
「……あ……」
バーンズの体が震える。
バーンズ
「……ああ……」
涙が溢れる。
バーンズ
「……なぜだ……」
拳で床を叩く。
バーンズ
「なぜだぁぁぁぁぁ!!」
バーンズは叫ぶ。
バーンズ
「私の息子たちが……何をした!!なぜ奪う!!」
バーンズは泣き叫ぶ。
バーンズ
「シャルルも……!ハンスも……!なぜだぁぁぁぁぁぁぁ!!」
慟哭。
それは、父としての完全な崩壊だった。
フィリア家本邸 ― バーンズの書斎(夜)
屋敷は静まり返っている。外では風が吹いている。まるで、何かが終わった後のような静けさ。
バーンズの顔は、わずか半年で別人のように老いていた。
目の下には深い隈、背中はわずかに丸まっている。
机の上には二つの遺品。シャルルの本とハンスのペン。
バーンズはそれらを見つめている。
動かない。ただ見つめている。
バーンズ
「……シャルル……」
指が本に触れる。
バーンズ
「……ハンス……」
ペンを握る。
その手は震えている。
バーンズ(心の声)
(なぜだ……なぜ……)
拳を握る。
バーンズ(心の声)
(なぜ私の息子たちが……)
バーンズの呼吸が乱れる。
目を閉じる。
すると――記憶が蘇る。
ハンスが最期の瞬間に放った言葉を思い出し、バーンズは目を見開く。
その言葉が胸に突き刺さる。
バーンズの呼吸が荒くなる。
バーンズ
「……フィリア家を……消す……?」
理解する。これは偶然ではない。
病でも、事故でもない。
――粛清だ。
バーンズ(心の声)
(奴らは……)
拳を強く握る。血が滲むほどに。
バーンズ(心の声)
(私の血を……絶やそうとしている……)
バーンズの瞳に、怒りが宿る。
しかし――その怒りの奥にあるのは、恐怖だった。
残された末の息子、アルトリア。
バーンズの脳裏に、幼いアルトリアの姿が浮かぶ。
小さな手、純粋な瞳、無邪気な笑顔。
バーンズの呼吸が止まる。
バーンズ(心の声)
(……アルトリア……)
バーンズの手が震える。
バーンズ(心の声)
(奴らは……アルトリアも……)
その瞬間、バーンズの中で心が決まる。
バーンズはゆっくりと立ち上がる。
その動きは、先ほどまでの老人のものではない。
父の動きだった。
バーンズ
「……これ以上」
一歩、前へ。
バーンズ
「これ以上……」
拳を握る。
バーンズ
「息子を……」
目に決意が宿る。
バーンズ
「失うことはできない」
バーンズ(心の声)
(何を失ってもいい。地位も、名誉も、すべてを失っても)
バーンズの瞳が、鋭く光る。
バーンズ(心の声)
(アルトリアだけは……守る!)
王宮・謁見の間(夜)
バーンズがレオニスに謁見する、
しかし今、その姿にはかつての威厳はなかった。
疲れ果てた男の姿。
バーンズは玉座の前まで歩く。そして、深く跪く。
バーンズ
「……陛下」
レオニスはバーンズを見てその異変に気づく。
レオニス
「バーンズ……」
バーンズは頭を下げたまま、動かない。
しばらく沈黙。
そして――
バーンズ
「本日は……お願いがあり、参りました」
レオニスの表情が引き締まる。
レオニス
「……申してみよ」
バーンズはゆっくりと顔を上げる。
その目は、すべてを決めた者の目だった。
バーンズ
「私は……宰相の任を……辞したく存じます」
レオニスの瞳が見開かれる。
レオニス
「……何だと」
信じられない。
王国の柱が、自ら崩れようとしている。
レオニス
「バーンズ……今……何と言った」
バーンズは、まっすぐに王を見る。
バーンズ
「宰相を……辞任させていただきたく存じます」
レオニスは玉座から立ち上がり、バーンズの傍による。
レオニス
「なぜだ!?」
その声には明らかな動揺があった。
レオニス
「なぜ今なのだ!?」
バーンズは答える。その声は静かだった。
バーンズ
「……今のこの国は」
バーンズの瞳が曇る。
バーンズ
「汚職に走る臣下が……多すぎます」
レオニスの目が鋭くなる。
バーンズ
「私は……」
言葉が重い。
バーンズ
「それを止められなかった」
バーンズの拳が震える。
バーンズ
「宰相として……失格です」
レオニス
「違う!!」
王の叫びが謁見の間に響く。
レオニス
「そなたほど、この国のために尽くした者はいない!!」
バーンズは目を伏せる。
バーンズ
「……しかし」
そして、最も重い言葉を口にする。
バーンズ
「私自身……息子たちの死から……立ち直れておりません」
沈黙。
王は何も言えない。バーンズは続ける。
バーンズ
「私は……父です」
その言葉は、すべてを捨てる宣言だった。
バーンズ
「一国の宰相である前に……私も父親なのです」
レオニスはバーンズを見る。
長年共に国を支えてきた男。
信頼してきた、誰より失いたくない男。
レオニス
「バーンズ……」
レオニスがバーンズの肩に手を置く。
レオニス
「この国は……そなたを必要としている」
バーンズは答えない。
レオニス
「私は……」
王の声が揺れる。
レオニス
「私には、まだそなたが必要なんだ」
しかし、
バーンズは静かに首を振る。
バーンズ
「……陛下」
バーンズの瞳には揺るぎない決意。
バーンズ
「どうか……」
深く頭を下げる。
バーンズ
「お許しください」
沈黙。
長い沈黙。
レオニスは理解する。
この男はもう戻らない。
レオニスはゆっくりと目を閉じる。
そして――
レオニス
「……わかった」
王としての答え。
レオニス
「そなたの辞意を……」
声が重い。
レオニス
「受け入れよう」
バーンズは深く頭を下げる。
バーンズ
「……ありがたき幸せ」
バーンズは立ち上がる。
そして最後に王を見る。
バーンズ
「陛下……どうか……この国を……お守りください」
レオニスは答えない。
ただ静かに頷いた。
バーンズは踵を返す。
そして歩き出す。
その背中は王国の宰相のものではなかった。
一人の父の背中だった。
レオニス(心の声)
(バーンズ……)
拳を握る。
レオニス(心の声)
(私は……そなたを守れなかったのか……)
フィリア家別宅 ― 居間(夕方)
アンジュが立っている。
その隣にはアルトリア
アンジュの手を、小さな手で握っている。
無邪気な瞳。
まだ、何も知らない。
扉が開く。
バーンズが入ってくる。
その顔は完全に変わっていた。
優しい父ではなく、すべてを失った男の顔。
アンジュはその表情を見て、すべてを悟る。
アンジュ
「……あなた」
バーンズはアルトリアを見る。
その姿を目に焼き付けるように。
アルトリア
「父上!」
アルトリアは嬉しそうに駆け寄ろうとする。
しかしバーンズは動かない。
その場に立ったままアルトリアは立ち止まる。
違和感を感じる。
バーンズはゆっくりと、アルトリアの前に立つ。
そして――膝をつく。アルトリアと同じ目線になる。
バーンズ
「……アルトリア」
アルトリア
「はい、父上」
バーンズは、息子の顔を見つめる。
シャルルとハンス亡き今、自分に遺された最後の息子。
バーンズの声は、わずかに震えていた。
バーンズ
「……アルトリア」
言葉を選ぶ。
バーンズ
「この王都は……」
一瞬、言葉が止まる。
バーンズ
「今……危険がいっぱいだ」
アルトリアは理解できない。
ただ、父の顔を見る。
バーンズ
「父も……」
拳が震える。
バーンズ
「母も……」
声が震える。
バーンズ
「お前を……守ってやれない」
アンジュの瞳から涙が溢れる。
アルトリア
「……?」
アルトリアは首をかしげる。バーンズは続ける。
バーンズ
「だから……」
その言葉は、父として最も残酷な言葉だった。
バーンズ
「ここを離れ……安全な場所で暮らせ」
沈黙。
アルトリアは意味を理解し始める。
アルトリア
「……え」
小さな声。
アルトリア
「……父上と……」
アンジュの手を握る。
アルトリア
「母上と……」
震える声。
アルトリア
「離れるの?」
アンジュはその言葉を聞いた瞬間――アルトリアを強く抱きしめる。
アンジュ
「アルトリア……!」
アンジュは首を振る。涙が止まらない。
アンジュ
「嫌よ……離れたくない……!」
母としての本音。
しかし――バーンズは目を閉じる。
そしてゆっくりと開く。
その瞳には揺るがない決意。
バーンズ
「……アンジュ」
アンジュはバーンズを見る。
バーンズ
「この子を……守るためだ。シャルルもハンスももういない……この子まで失いたくない」
その言葉はすべてを断ち切る刃だった。
アンジュの瞳が揺れる。
理解している。これが、唯一の方法だと。
アンジュはアルトリアをさらに強く抱きしめる。
アンジュ
「……ごめんなさい……」
アルトリア
「母上……?」
アンジュはアルトリアの顔を見つめる。
涙で濡れた顔。
アンジュ
「アルトリア……あなたは……」
声が震える。
アンジュ
「生きて」
アルトリアの瞳から涙が溢れる。
アルトリア
「……嫌だ……父上も……母上も……一緒がいい……」
バーンズの拳が震える。
しかしその決意は変わらない。
バーンズは息子を強く抱きしめる。
バーンズ
「……アルトリア」
その声は優しい父の声だった。
バーンズ
「必ず……また会える」
それは約束だった。バーンズ自身にとっても。
アルトリアは泣きながら父を見る。
アルトリア
「……本当に?」
バーンズは頷く。
バーンズ
「ああ、約束だ」
アルトリアは、涙を流しながら頷く。
フィリア家別宅 ― 正門前(早朝)
一台の馬車が止まっている。旅立ちのための馬車。
その馬車の前に、アルトリアが立っている。
その前に立つ、
バーンズ、アンジュ、そしてピエール。
さらに――シャルルの妻。腕の中には赤子がいる。
そしてハンスの妻。同じく赤子を抱いている。
沈黙。
誰も言葉を出せない。
その時――バーンズが一歩前に出てアルトリアの前に立つ。
バーンズ
「……達者で暮らせ」
それは父としての最後の言葉だった。
アルトリアは父を見る。
アルトリア
「……父上……」
バーンズはそれ以上何も言わない。
言えば決意が揺らいでしまうから。
アンジュがアルトリアの前にしゃがむ。
アルトリアの頬に触れる。
アンジュ(涙をこらえながら)
「落ち着いたら……」
アンジュの声が震える。
アンジュ
「会いに行くわ」
アルトリアの瞳から涙が溢れる。
アルトリア
「……母上……」
アンジュはアルトリアを抱きしめる。
アンジュ
「愛しているわ……アルトリア」
アルトリアも母を抱きしめる。
アルトリア
「僕も……母上が大好き……」
アンジュは、息子の温もりを決して忘れないように抱きしめる。
アンジュはゆっくりと離れる。
その時――ピエールが前に出る。
ピエールは何も言わない。
ただアルトリアの前に立つ。
そして――アルトリアの頭に手を置く。
優しく撫でる。
ピエールの瞳は静かだった。
ピエール(心の声)
(……生きろ。アルトリア)
ピエールは手を離す。
アルトリアは叔父を見る。
アルトリア
「……叔父上」
ピエールは小さく頷いた。
ピエール
「私には……お前と歳の近い息子がいる。」
アルトリア
「叔父上の息子……?」
ピエール
「お前の従弟だ。あの子に会ったら、弟みたいに想ってあげてくれ」
アルトリア
「うん」
ピエールはゆっくりと離れる。
シャルルの妻が前に出る。
腕の中には赤子。シャルルの遺児。
シャルルの妻はアルトリアを見る。
涙を浮かべながら微笑む。
シャルルの妻
「……アルトリア」
アルトリア
「義姉上……」
妻は赤子を見る。
そしてアルトリアを見る。
シャルルの妻
「いつか……」
声が震える。
シャルルの妻
「この子とも……」
涙が溢れる。
シャルルの妻
「遊んであげて」
アルトリアは頷く。
アルトリア
「……うん」
その約束は未来へ繋がる約束だった。
ハンスの妻も前に出る。
同じように赤子を抱いている。ハンスの血を継ぐ命。
ハンスの妻は優しく微笑む。
ハンスの妻
「……元気でね」
アルトリアを見る。
ハンスの妻
「アルトリア」
アルトリアの瞳から涙が流れる。
アルトリア
「……義姉上達もね」
その言葉には子供とは思えないほどの強さがあった。
御者が静かに言う。
御者
「……時間です」
沈黙。
その時が来た。
アルトリアは、振り返る。
父。
母。
叔父。
家族。
すべてを見る。
そして――馬車へ向かう。
一歩、また一歩、アルトリアは馬車に乗り込む。
そして扉が閉まる。
それは家族との別れの音だった。
馬車が動き出す。ゆっくりと、ゆっくりと。
アンジュ
「アルトリア!!」
アンジュが叫ぶ。
アルトリアは窓から顔を出す。涙を流しながら手を振る。
アルトリア
「父上ぇぇぇ!!母上ぇぇぇ!!」
バーンズはその姿を見つめる。
動かない。
しかし――拳を強く握っている。
バーンズ(心の声)
(……生きろ、アルトリア)
馬車は遠ざかる。
そして――見えなくなる。
アンジュはその場に崩れ落ちる。
アンジュ
「……アルトリア……」
バーンズは空を見上げる。
バーンズ(心の声)
(必ず……必ず守る……)
現在 ― フィリア家別宅・応接室(夜)
アルトリアは視線を落としている。
握られた拳がわずかに震えている。
しかしその顔に涙はない。
ただ深い思考の中にいた。
アルトリア
「……これが」
一度、息を吐く。
アルトリア
「事の全貌ですね?」
バーンズは息子を見る。
もう幼子ではない。すべてを理解できる男。
バーンズはゆっくりと頷く。
バーンズ
「そうだ」
短い言葉。
しかしそれは十四年の真実の重みを持っていた。
沈黙。
暖炉の火が揺れる音だけが響く。
アルトリアの瞳は炎を見つめている。
その瞳の奥では記憶が繋がっていた。
長兄シャルルと次兄ハンスの死。
そして――最近起きたユリナ毒殺未遂事件。
アルトリア(心の声)
(症状は一致している……)
呼吸困難、急速な衰弱、原因不明、医官でも特定できない毒。
アルトリア(心の声)
(ユリナ姫に使われた毒と……同じ……)
アルトリアの瞳がわずかに鋭くなる。
バーンズはそんな息子を見ている。
バーンズ
「……アルトリア」
アルトリアは顔を上げる。
バーンズの表情は父のものだった。
バーンズ
「落ち着いたら……いつでも……我が家に来い」
アルトリアの瞳がわずかに揺れる。
バーンズ
「お前の母も……」
バーンズの声が、
わずかに柔らかくなる。
バーンズ
「お前に会いたがっている」
その言葉は、十四年間離れていた時間を埋めようとする言葉だった。
アルトリアの脳裏に母アンジュの姿が浮かぶ。
アルトリア
「……母上が……」
バーンズは頷く。
バーンズ
「ああ。ずっと……お前を想っていた」
沈黙。
アルトリアは目を閉じる。
十四年間、守られた命。託された未来。
そして――奪われた家族。
アルトリアは目を開ける。
その瞳には、もう迷いはなかった。
その光は新たな時代の始まりを示していた。
王宮・国王私室(朝)
アルトリアは扉の前に控える。
扉の前で一礼する。
アルトリア
「アルトリア・フィリア、入室の許可を願います」
中から声。
レオニス
「入れ」
アルトリアは扉を開ける。
そして中へ入る。
アルトリアは王の前まで進んでお辞儀をする。
アルトリア
「陛下」
レオニスはアルトリアを見る。
アルトリア
「……昨日は早退をしてしまい……申し訳ございませんでした」
完全な礼。王への忠誠。しかし――レオニスの目は、別のものを見ていた。
レオニス
「……体調は?」
アルトリア
「問題ございません」
アルトリアは顔を上げる。
アルトリア
「ご心配をおかけしました」
レオニスはしばらく沈黙する。
そして静かに頷く。
レオニス
「無理はするな」
アルトリア
「はい」
アルトリアは一礼する。
アルトリア
「それでは、失礼いたします」
アルトリアは扉を開ける。
そして――出ていく。
扉が閉まる。
レオニスはその扉を見つめ続ける。
やがてゆっくりと口を開く。
レレオニス
「……バーンズ」
レオニス(心の声)
(やはり……アルトリア……そなたは……)
レオニスの瞳に、確信が宿る。
レオニス(心の声)
(バーンズの三男……)
レオニスは椅子にもたれる。
そして静かに呟く。
レオニス
「……生きていたか」
その声には安堵と、そして――新たな決意が含まれていた。
王宮・回廊
(昼)
白い石造りの回廊。
アルトリアは静かに歩いている。
その表情は冷静。
しかしその内側では、真実が動いていた。
その時――後ろから声。
セリア
「アルトリア」
アルトリアは立ち止まって振り返る。
アルトリア
「姫様。」
セリアはアルトリアの前に歩み寄る。
その表情は王女ではなく、一人の女性のものだった。
セリア(少し心配そうに)
「あなた……昨日、体調が悪くて早上がりしたそうだけど……大丈夫なの?」
アルトリアは一瞬だけ驚く。
王女が自分を気にかけている。
しかしすぐにいつもの表情に戻る。
アルトリア
「はい」
軽く頭を下げる。
アルトリア
「もう大丈夫です」
セリアは、アルトリアの顔をじっと見る。
何かを感じ取ろうとするように。
セリア
「……そう」
しかし完全には安心していない。
セリア
「無理はしないで」
その言葉は純粋な心配。
アルトリアはわずかに目を見開く。
アルトリア
「……ありがとうございます」
現在 ― フィリア家別宅・居間(夜)
静かな別宅。
かつて、幼いアルトリアが暮らしていた場所。
暖炉の火が静かに揺れている。
その前に座る、アンジュ・フィリア(59)
手には古い小さな本。それは、幼いアルトリアが読んでいた本だった。
アンジュは、その表紙を優しく撫でる。
アンジュ(心の声)
「アルトリア……」
その時――扉が静かに開く。
バーンズが入ってくる。
アンジュは顔を上げる。
アンジュ
「……あなた」
バーンズはゆっくりと歩み寄る。
アンジュは、すぐに気づく。
アンジュ
「……会ったのですね」
バーンズは小さく頷く。
バーンズ
「ああ」
アンジュの瞳が揺れる。
アンジュ
「……あの子は……」
声が震える。
アンジュ
「元気でしたか?」
バーンズは暖炉の火を見る。
その炎の中に息子の姿を重ねる。
宮廷賢者として立つ姿、まっすぐな瞳、揺るがぬ意思。
バーンズ
「ああ」
短い言葉。
しかしそこには確かな誇りがあった。
バーンズ
「あの子はもう……幼かった頃とは違う」
アンジュは息を止める。
バーンズは続ける。
バーンズ
「迷いのない目だった」
その言葉はすべてを物語っていた。
守られる子ではない。自ら歩く者。
アンジュの瞳に涙が浮かぶ。
アンジュ
「……そう……」
アンジュは微笑む。
涙を流しながら。
アンジュ
「あの子は……強くなったのですね」
バーンズは頷く。
バーンズ
「ああ。シャルルとハンスのように」
そして静かに続ける。
バーンズ
「……いや、それ以上に」
アンジュは涙を拭う。
アンジュ
「会いたい……」
その言葉は、十四年間抑え続けた想いだった。
アンジュ
「今すぐ……あの子を抱きしめたい……」
バーンズは妻を見る。
バーンズ
「会える」
アンジュの瞳が揺れる。
バーンズ
「必ず」
その言葉には確信があった。
アンジュ
「……本当に?」
バーンズは頷く。
バーンズ
「あの子は……」
暖炉の火を見る。
バーンズ
「戻ってくる」
バーンズの瞳に確信が宿る。
バーンズ
「すべてを取り戻すために」
アンジュは目を閉じる。そして静かに祈る。
アンジュ(心の声)
(どうか……守ってください……私たちの……息子を……)
暖炉の炎が静かに揺れている。
それは、消えなかったフィリア家の意志だった。
第5話 完
