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天才推理小説家の事件録 第1話「密室に消えた通報者」

第1話「密室に消えた通報者」

文学賞・授賞式会場(テレビ中継)

煌びやかな会場。拍手に包まれ、壇上に立つ宝条潤。

司会者(TV)
「――第◯回◯◯文学賞、受賞者は……宝条潤さんです!」

大きな拍手。潤のスピーチが始まる。

宝条 潤
「……ありがとうございます。 推理小説というジャンルは、人の嘘と向き合う物語です。今回の作品も、“真実はいつも静かにそこにある”という思いで書きました」

会場が静まり返る。

宝条 潤
「この賞を励みに、次は……もっと厄介で、もっと救いのない事件を書こうと思います」

どよめきと拍手。

警視庁・捜査一課 事務室

壁掛けテレビに授賞式中継。書類整理をしながら見ている神谷遥香。

部下A
「神谷管理官、あの人すごいですね。まだ30前なのに、もう何度目の受賞ですか」

神谷 遥香(穏やかな笑顔)
「ええ……本当にすごい人よ」

少し間を置いて……

神谷 遥香
「……私の幼馴染」

テレビ中継・インタビュー

スピーチ後、壇上横で美人レポーターがマイクを向ける。

レポーター
「宝条先生、今回の受賞、おめでとうございます!お若いのに、ここまでの活躍……秘訣は何でしょうか?」

宝条 潤
「秘訣ですか?……美しい方に質問されると、つい頭が回らなくなること、ですかね」

軽い笑いが起きる。

レポーター(微笑みながら)
「まあ……お上手ですね」

潤がわずかに照れたように微笑む。ほんの一瞬、鼻の下が緩む。
テレビを見つめる遥香の表情が、一瞬だけ険しくなる。

神谷 遥香(小さく、低い声)
「……まったく」

周囲に聞こえないよう、ため息。
しかしすぐに、管理官としての完璧な笑顔に戻る。

神谷 遥香
「ほら、仕事に戻って。事件は小説みたいに待ってくれないわよ」

部下A
「は、はい!」

部下たちが散っていく。
遥香、再びテレビを見る。

神谷 遥香(心の声)
(……昔からそう。肝心なところではまったく変わらない)

画面の中で、スポットライトを浴びる潤。

神谷 遥香(心の声)
(それでも――あなたが事件に関わるなら、私は必ず、あなたの隣に立つ)

遥香の視線が、わずかに柔らぐ。
テレビ画面の潤が微笑む。

宝条 潤(TV)
「次の作品は……現実で起きた、少し困った事件がヒントになるかもしれません」

遥香、ふっと目を細める。

神谷 遥香
「……予感がするわね」

夕方 宝条家の屋敷

高い塀に囲まれた広大な屋敷。車が静かに止まる。
ドアが開き、宝条潤が降り立つ。
重厚な玄関扉が開くと、整列した使用人たち。

執事・黒田
「お帰りなさいませ、当主」

執事やメイドたち
「お帰りなさいませ」

潤、軽く手を上げる。

宝条 潤
「ただいま……みんな、そんなにかしこまらなくていいよ」

黒田
「いえ。本日はご受賞の日ですので」

宝条 潤(苦笑)
「もう屋敷に帰ったんだから、作家じゃなくて“ただの当主”だよ」

使用人たち、微笑みつつ一礼。

応接間は和と洋が調和した広い部屋。
ソファに座る神谷遥香。背筋が伸び、品がある。
潤が入ってくる。

宝条 潤
「……あれ。珍しいね、遥香がもう来てるなんて」

遥香、立ち上がる。

神谷 遥香
「お帰りなさい、潤」

少し間を置いて、微笑む。

神谷 遥香
「それと――受賞、おめでとう」

宝条 潤
「ありがとう。わざわざ警視庁から?」

神谷 遥香
「ええ。“幼馴染の晴れ舞台を祝わない管理官”なんて噂、立てられたくないもの」

宝条 潤
「相変わらず堅いなあ」

潤、ソファに腰掛ける。執事・黒田がお茶を運ぶ。

黒田
「お茶をお持ちしました」

潤が自然に頷く。

宝条 潤
「ありがとう」

遥香、そんな潤を静かに見つめる。

神谷 遥香
「……こうして見ると、もう完全に“宝条家の当主”ね」

宝条 潤
「生まれた時から、逃げ場はなかったからね」

軽く笑うが、どこか達観した表情。

神谷 遥香
「テレビで見たわよ。ずいぶん楽しそうだったじゃない」

宝条 潤
「ああ……レポーターの人?」

神谷 遥香(微笑みつつ)
「……鼻の下、伸びてた」

潤、少しだけ間を置く。

宝条 潤
「はは。あれはサービスだよ、サービス」

遥香、にこやかに微笑むが、声は低い。

神谷 遥香
「……そう」

空気が一瞬だけ張りつめる。

神谷 遥香
「ともあれ、今日はお祝いよ」

宝条 潤
「そうだね。……当主としてじゃなく、幼馴染として受け取っておく」

二人は穏やかな視線を交わす。
屋敷の外、夕焼けが差し込む。
湯気の立つ湯呑み。静かな時間が流れる。

遥香が一口、お茶を入れる。

神谷 遥香
「……美味しい」

もう一口、ゆっくり味わう。

神谷 遥香
「玉露ね。それも――八女。しかも、今年の一番茶」

潤は少し驚いたように眉を上げる。

宝条 潤
「さすが茶道の家元の娘だな。」

神谷 遥香
「香りの立ち方が違うもの。渋みがなくて、後味が静か」

執事・黒田が控えめに一礼する。

黒田
「お分かりいただけて光栄です」

宝条 潤
「……そういえば」

湯呑みに視線を落としたまま。

宝条 潤
「ご両親、元気にしてる?」

神谷 遥香
「ええ。父さんも母さんも相変わらずよ」

少し微笑む。

宝条 潤
「……俺の父さんが亡くなった後さ、君のお父さんがかけてくれた言葉を覚えてる」

遥香は静かに頷く。

宝条 潤
「“当主”とか“名家”とか、そんなことどうでもいいって顔でさ」

小さく笑う。

宝条 潤
「『潤くんは潤くんだ』って言ってくれた」

湯呑みを握る手に、わずかな力。

宝条 潤
「……あの時は、正直、救われたよ」

神谷 遥香
「父さんはね、“立場より、人を見ろ”って人だから」

遥香、潤を見る。

神谷 遥香
「それに――あなたは昔から、一人で背負いすぎる癖があった」

少し沈黙。

宝条 潤
「……そうかもしれない」

神谷 遥香
「今も、ね」

遥香、湯呑みを置く。

神谷 遥香
「でも今は一人じゃないでしょ?」

潤、わずかに目を細める。

宝条 潤
「……そう思える相手がいるなら、悪くないな」

外はすっかり夜

宝条 潤
「また今度、ゆっくり昔話でもしようか」

神谷 遥香
「ええ。その時は――もう少し素直に聞きなさい」

潤、微笑む。
静かな余韻の中、時計の秒針だけが響く。

遥香が一度、深く息を吸う。

ここから本題へ

神谷 遥香
「……潤」

宝条 潤
「ん?」

神谷 遥香
「昔話は、ここまでにしましょう」

潤はすぐに察したように目を上げる。

宝条 潤
「――事件、だね」

遥香、鞄から薄い封筒を取り出す。

宝条 潤
「どんな事件?」

神谷 遥香
「密室殺人」

宝条 潤
「……また、随分と王道だね」

神谷 遥香
「ええ。だからこそ、行き詰まってる」

潤、ようやく封筒を開く。
写真、簡易見取り図、時系列メモ、数秒、無言で目を走らせる。

宝条 潤
「……」

遥香は潤の表情をじっと見る。

神谷 遥香
「どう?」

宝条 潤
「――被害者、“殺される前に通報してる”ね」

神谷 遥香
「ええ。それが最大の謎よ」

潤、資料を指で軽く叩く。

宝条 潤
「でも……この通報、妙に落ち着いてる。本当に“殺される直前”の人間は、こんな話し方をしない」

神谷 遥香
「……感覚?」

宝条 潤
「違う。“人間の嘘”だ」

遥香は目を細める。

神谷 遥香
「……あなたのそういうところ、昔から変わらないわね」

宝条 潤
「褒めてる?」

神谷 遥香
「半分は。もう半分は――あなたにしか頼れないって意味」

潤が軽く肩をすくめる。

宝条 潤
「困ったな。今日は“お祝いの日”のはずだったのに」

神谷 遥香
「ごめんなさい」

潤、ふっと笑う。

宝条 潤
「……いいよ。どうせ、静かな夜は性に合わない……まず、基本からいこう」

潤は指先で資料を軽く揃えながら言う。

宝条 潤
「事件の概要。被害者の素性。それから――今、警察が見ている容疑者」

遥香は背筋を正して事件概要を説明する。

神谷 遥香
「被害者は――黒木 恒一さん、45歳」

資料を一枚、潤の前に差し出す。

神谷 遥香
「大手建設会社の総務部次長。社内の不正を内部告発しようとしていた」

宝条 潤
「……なるほど」

神谷 遥香
「事件発生は、昨夜23時42分頃。警視庁に匿名通報が入った。 “自分はこれから殺される”と」

宝条 潤
「本人からの通報?」

神谷 遥香
「ええ。通報の発信元は、被害者のスマートフォン。現場は都内高級マンション最上階。オートロック完備。部屋は内側から施錠されていた。室内に争った形跡はほとんどなし。被害者は胸部を刃物で刺されて死亡」

宝条 潤
「凶器は?」

神谷 遥香
「見つかっていない」

潤、わずかに口角を上げる。

宝条 潤
「……密室、凶器なし、予告通報。警察が頭を抱えるのも無理はない」
遥香、資料をめくる。

神谷 遥香
「現在、浮上している容疑者は三人。一人目は、西園寺 和也さん、38歳。被害者が勤める会社の顧問弁護士。内部告発が表に出れば、会社も彼自身も致命的な打撃を受ける」

宝条 潤
「動機は十分だね」

神谷 遥香
「二人目は、黒木 美沙さん、34歳。被害者の妻。生命保険の受取人。最近、夫婦仲は冷え込んでいた」

宝条 潤
「……典型的だ」

神谷 遥香
「三人目は、 村瀬 大輔さん、41歳被害者の部下。内部告発が実行されれば、 自分も共犯として処分される可能性がある」

潤、三人の名前をゆっくりなぞる。

宝条 潤
「……なるほど」

少し沈黙の沈黙のあと……

宝条 潤
「で。この三人、全員が――“完璧なアリバイ”を主張してる」

神谷 遥香
「その通り。物証はなく、密室という状況だけが残った。正直、 “事件として立件できるか”の瀬戸際よ」

潤、資料から目を離し、遥香を見る。

宝条 潤
「……いい事件だ」

神谷 遥香
「それ、褒め言葉?」

宝条 潤
「うん。 “嘘が多すぎる”」

遥香はわずかに息を呑む。

宝条 潤
「次は――被害者の“最後の一日”を、最初から最後まで聞かせて」

神谷 遥香
「分かったわ」

二人の視線が重なる。

テーブルの上に、容疑者三名の顔写真が並べられている。
潤が一枚ずつ、静かに手に取る。

宝条 潤
「……ふむ」

1枚目を見て……

宝条 潤
「西園寺……和也」

2枚目……

宝条 潤
「黒木……美沙」

ほんの一瞬、視線が止まる。

宝条 潤(小さく)
「……美人だ」

遥香は無言で潤を見る。

神谷 遥香(ジト目)
「…………」

潤、遥香の視線に気づく。

宝条 潤
「オホン!失礼。あくまで “人物観察”としての感想だ」

神谷 遥香
「へえ」

にこやかだが、目は笑っていない。

仕切り直して3枚目……

宝条 潤
「村瀬……大輔」

写真を戻す。

宝条 潤
「……それでこの三人、それぞれの事件当日の動き、もう少し詳しく聞かせて」

神谷 遥香
「分かったわ。じゃあ、時系列で説明する」

遥香が資料をめくり始める。潤、真剣な表情で聞く。

神谷 遥香
「――事件当日」

遥香は時系列メモを指でなぞる。

神谷 遥香
「被害者は、20時頃に帰宅。その後、外部との接触記録はなし」

神谷 遥香
「23時42分、警視庁に通報。 23時55分、警察が現場に到着。部屋は内側から施錠。応答なし。ドアを破って突入した時にはすでに死亡していた」

潤は黙って聞いている。

潤がもう一度、写真・通報記録・見取り図に目を通す。
ページをめくる音だけが響く。

宝条 潤
「……やっぱりだ」

顔を上げる。

宝条 潤
「この事件―― 密室殺人じゃない」

神谷 遥香
「……え?」
思わず目を丸くする。

神谷 遥香
「でも、部屋は完全に――」

宝条 潤
「“密室”に見えるだけだ」
遥香、言葉を止める。

宝条 潤
「まず、通報内容」

通報記録を指す。

宝条 潤
「『私はこれから殺される』 ――この言い方」

神谷 遥香
「……何かおかしい?」

宝条 潤
「おかしい。 “今まさに命の危機にある人間”は、こんなに文章を組み立てられない」

宝条 潤
「そして何より声が落ち着きすぎてる。 恐怖はあるけど、切迫感がない」

神谷 遥香
「……たしかに」

潤、現場写真を指差す。

宝条 潤
「それに、争った形跡がほぼない。家具の乱れも、床の傷もない」

神谷 遥香
「それは“急襲だった”可能性も――」

宝条 潤
「違う。“他人がいた痕跡”がない」

潤は静かに言う。

宝条 潤
「この事件、“犯人が部屋に入って殺した” という前提そのものが間違ってる」

遥香、息を呑む。

神谷 遥香
「……じゃあ、あなたはどう見てるの?」

宝条 潤
「被害者は――“誰かに殺される”と信じ込まされただけだ」

神谷 遥香
「信じ込まされた……?」

宝条 潤
「うん。この事件の鍵は、“刃物”でも“密室”でもない」

遥香を見る。

宝条 潤
「――“恐怖”だ」

遥香はゆっくりと息を吐く。

神谷 遥香
「……あなた、もう犯人像が見えてるのね」

宝条 潤
「輪郭くらいは」

資料に再び視線を落とす。
雨音が静かに窓を叩く。部屋の照明はやや落とされている。

宝条 潤
「被害者は――“追い詰められていた”」
資料の通報記録を指先でなぞる。

宝条 潤
「でもそれは、物理的じゃない」

神谷 遥香
「……心理的、ということ?」

宝条 潤
「そう。 誰かが“殺意を持って迫っている”と 思い込まされていた」

神谷 遥香
「でも、それだけで人は死なないわ。恐怖が原因だとしても、 死亡原因は刺殺よ」

宝条 潤
「うん。だから重要なのは“刺したのは誰か”ということじゃない。“刺したとき、被害者はどういう状態だったか”ということだ」

宝条 潤
「司法解剖の所見」

資料を軽く持ち上げる。

宝条 潤
「アルコールは微量。でも、“平衡感覚の低下”が記録されてる」

神谷 遥香
「……酔っていた、とは言えない量」

宝条 潤
「でも、 “素面”とも言い切れない」

神谷 遥香
「……混入?」

宝条 潤
「可能性は高い。しかも即効性じゃないもの。それから、 刺し傷の位置」

神谷 遥香
「心臓を正確に――」

宝条 潤
「違う。“誰かを狙って刺した”ならもっと乱れる」

宝条 潤
「これは―― “自分の体を自分で傷つけた角度”だ」

遥香、言葉を失う。そしてゆっくりと息を吸う。

神谷 遥香
「……自殺、という線?」

宝条 潤
「違う、自殺じゃない。“誘導された死”だ。本人の意思を歪め、 恐怖で視界を奪い、“選択肢が一つしかない”と思わせる。それはもう、立派な殺人だ」

遥香はゆっくりと頷く。

神谷 遥香
「……裁判で通すには、相当な証拠がいる」

宝条 潤
「だからこそ、犯人は――“物理的に現場にいない”」

潤、容疑者一覧に視線を落とす。

宝条 潤
「被害者の日常に、 一番近い人物」

黒木美沙の写真に指が止まるが、あえて名前は言わない。

宝条 潤
「被害者の“心”に触れられる人間だ」

遥香、写真を見る。

神谷 遥香(声が低くなる)
「……妻」

宝条 潤
「まだ断定じゃない。でも、“恐怖を日常に持ち込めた人間”は限られてる……恐怖ってね、 突然与えるものじゃない」

神谷 遥香
「……?」

宝条 潤
「“日常の延長線”に置くものだ」

遥香はじっと潤を見る。

宝条 潤
「まず、被害者に“逃げ場がない”と感じさせる。仕事、家庭、人間関係――
全部が崩れ始めている時に……『お前はもう終わりだ』と囁く」

神谷 遥香
「……内部告発。会社からの圧力。家庭不和……確かに被害者は孤立していた」

宝条 潤
「次に、“姿の見えない敵”を作る」

神谷 遥香
「具体的には?」

宝条 潤
「音声、メッセージ、環境の変化」

現場写真を指す

宝条 潤
「照明。エアコン。鍵」

遥香ははっとする。

神谷 遥香
「……スマートロック」

宝条 潤
「そう。部屋に誰もいないのに“誰かがいる”と感じさせられる。そして最後に判断力を奪う」

神谷 遥香
「アルコール……?」

宝条 潤
「“それだけじゃない”」

遥香は表情を引き締める。

宝条 潤
「即効性はなく、違法とも断定しにくい量――でも確実に思考を鈍らせるもの」

遥香、資料を閉じる。

神谷 遥香
「……分かった。彼女の生活、洗い直す」

宝条 潤
「“事件当日”じゃない。“事件までの一週間”だ。人はね、追い詰められると――“自分が選んだ”と思い込む」

遥香、拳を軽く握る。

神谷 遥香
「……卑劣ね」

宝条 潤
「だから、犯人は賢い」

宝条 潤
「直接手を汚していない」

神谷 遥香(はっきりと)
 「……それでも、私は捕まえる。どんな形でも “人を殺した”なら」

宝条 潤
「うん」

潤が静かに微笑む。

宝条 潤
「君なら、そう言うと思った」

遥香が立ち上がる。

神谷 遥香
「明日、美沙さんを呼ぶ」

宝条 潤
「じゃあ僕は、“彼女がどんな嘘をつくか”を考えておくよ」

神谷 遥香
「……ほどほどにして」

潤が軽く肩をすくめる。

宝条 潤
「努力はする」

それから数日後……

窓から柔らかな光。
机には原稿用紙と事件資料が並んでいる。
ペンを走らせていた潤が、来客の気配に顔を上げる。

(ノック)

宝条 潤
「どうぞ」

扉が開き、神谷遥香が入ってくる。

宝条 潤
「……珍しい時間だね」

神谷 遥香
「ええ。報告があって」

遥香が鞄を下ろし、まっすぐ潤を見る。

神谷 遥香
「黒木美沙さんが――犯行を認めたわ」

潤、ペンを置く。

宝条 潤(静かに)
「……そうか」

神谷 遥香
「動機は被害者の浮気……それだけじゃない……問い詰めたとき、彼女は――さんざん暴言を吐かれたって言ってた」

宝条 潤
「……言葉は、刃物より深く刺さることがある」

神谷 遥香
「ええ。“私がいなくなっても、どうせ誰も困らない。”そう言われたのが、最後だったそうよ」

潤、目を伏せる。

神谷 遥香
「衝動じゃない。計画的だった。少しずつ恐怖を与えて、自分の手を汚さずに済む方法を――考え続けていた」

宝条 潤
「……だから、あんなに“静かな事件”だった」

神谷 遥香
「立件はできる。時間はかかるけど、“誘導による殺人”として」

宝条 潤
「裁判は、荒れそうだね」

神谷 遥香
「ええ。同情論も出るでしょう」

しばらく言葉が出ない。窓の外で、風が木を揺らす。

宝条 潤
「……推理小説ならもっと分かりやすい悪役が出てくる」

神谷 遥香
「現実は、そう簡単じゃない……彼女を許すことはできない。でも……彼女が壊れるまで誰も止められなかった」

宝条 潤
「だからこそ警察や探偵がいる。遅すぎても 真実を掴む人間が」
遥香、少しだけ肩の力を抜く。

神谷 遥香
「……ありがとう」

宝条 潤
「何が?」

神谷 遥香
「最後まで一緒に考えてくれたこと」

潤、原稿用紙を一枚めくる。

宝条 潤
「この事件、小説にはしないよ」

神谷 遥香
「……どうして?」

宝条 潤
「誰かの痛みを、“娯楽”にするには――少し、近すぎる」

遥香、潤を見る。

神谷 遥香
「……そうね」

静かな沈黙。遥香が、少しだけ表情を緩める。

神谷 遥香
「ところで……」

鞄に手を伸ばす。

神谷 遥香
「話は変わるけど……」

包みを取り出す。

神谷 遥香
「お弁当、作ってきたの。よかったら、食べて」

潤、一瞬きょとんとする。

宝条 潤
「……え?」

包みを見る。

宝条 潤(少し苦笑)
「忙しいのにいつも悪いな」

神谷 遥香(さらっと)
「いいの」

神谷 遥香
「あなた、どうせ――書斎にこもりきりになってるでしょ」

潤、わずかに視線を逸らす。

宝条 潤
「……否定はできない」

神谷 遥香(小さく笑う)
「でしょうね。事件が終わると今度は原稿で徹夜するんでしょう?」

宝条 潤
「うん。締め切りが、あまり空気を読んでくれなくて」

神谷 遥香
「まったく。せめて、ちゃんとしたものを食べなさい」

宝条 潤
「……管理官命令?」

神谷 遥香
「半分はね」

間を置いて言う。

神谷 遥香
「もう半分は――幼馴染として」

潤、包みを受け取る。

宝条 潤
「……ありがとう」

遥香、ほっとしたように微笑む。

神谷 遥香
「冷めないうちに食べて。味は……保証する」

宝条 潤
「それは信用してる」

書斎の小さなテーブルに弁当が広げられる。
湯呑みの湯気。箸の音。潤が口に運び、目を少し見開く。

宝条 潤
「……うわ」

思わず声が漏れる。

宝条 潤
「うまい!これ、出汁の味が……」

神谷 遥香
「当ててみなさい」

宝条 潤(少し考え)
「……鰹?いや、昆布も入ってる」

神谷 遥香
「正解」

さらりと言うが、どこか嬉しそう。

宝条 潤
「……ちゃんと“食べさせる弁当”だね」

神谷 遥香
「何それ」

宝条 潤
「誰かのために作った味がする」

潤は照れたように笑って、また口に運ぶ。
遥香は湯呑みを手にしたまま、潤を見ている。その視線は優しくて、しかし――逃げ場がない。
遥香の視線が、潤の唇、箸先、指先へ。

神谷 遥香(心の声)
(……この人は昔からそう。誰にでも優しくて、無自覚に人の心を乱す)

潤はおいしそうに食べ続ける。

神谷 遥香(心の声)
(でも、もう逃がさない)

遥香の瞳が静かに燃える。

神谷 遥香(心の声)
(絶対――落としてやる)

潤、最後の一口を口に運び、満足げに息を吐く。

宝条 潤
「……ごちそうさま」

少し照れて笑う。

宝条 潤
「また、作ってくれる?」

遥香、即答

神谷 遥香
「当然」

優しく、しかし決定的に。

神谷 遥香
「あなたが逃げない限りね」

潤、苦笑

宝条 潤
「……逃げないよ。弁当には勝てない」

遥香、にこり。

神谷 遥香
「よろしい」

遥香は潤を見つめ続ける。静かな勝利宣言のように。

第1話 完


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