天才推理小説家の事件録 第16話「会食での連続殺人事件 福岡編」
第16話「会食での連続殺人事件 福岡編」
福岡空港
機内。着陸の衝撃が軽く響く。
シートベルト着用サインが消え、乗客がざわつき始める。
潤は座席でぐっすり眠っている。
首が少し傾き、完全に落ちている。
遥香はそれを見て、思わず小さく微笑む。
神谷 遥香(心の声)
(……子どもみたい)
遥香が指先で、潤の肩を軽く叩く。
神谷 遥香(小声)
「潤……着いたわ」
反応なし。
遥香は少しだけ近づいて、もう一度叩く。
神谷 遥香(優しく)
「潤。福岡よ」
潤がうっすら目を開ける。
宝条 潤(寝ぼけ)
「……ん……北海道……?」
遥香が即ジト目で返す。
神谷 遥香
「もう北海道は終わったでしょ」
潤がゆっくり起き上がり、ぼさぼさ頭で周りを見る。
宝条 潤
「……あ、福岡か」
ふわぁ…と欠伸をする。
神谷 遥香
「完全に落ちてたわよ」
宝条 潤
「気持ちよかったからな」
遥香の表情が一瞬だけ柔らかくなる。
神谷 遥香
「……そうね」
福岡空港・到着ロビー
到着口を出る。
博多らしい活気、案内板の人波。空気が北海道より湿っている。
潤が軽く伸びをする。
宝条 潤
「……暑い」
神谷 遥香
「九州だもの」
遥香は潤の顔を覗き込む。
神谷 遥香
「眠気は取れた?」
宝条 潤
「……半分」
神谷 遥香
「じゃあ半分は私が守るわ」
宝条 潤
「物騒な言い方すんな」
タクシー乗り場
2人は列に並び、少しだけ沈黙。
遥香がチラッと潤を見る。
神谷 遥香
「ねえ」
宝条 潤
「ん?」
神谷 遥香
「今回の会食の相手、誰なの?」
潤が眠そうに目を擦りながら答える。
宝条 潤
「……鷹野宗司。鷹野貿易の会長」
神谷 遥香
「鷹野貿易……」
遥香が少し眉を寄せる。
神谷 遥香
「港の利権で有名な?」
宝条 潤
「そう。博多の貿易王だ」
タクシーが停まり、係員が手招きする。
係員
「次のお客様どうぞー!」
2人がタクシーへ向かう。
遥香が小声で潤に釘を刺す。
神谷 遥香
「いい?福岡でも――」
宝条 潤
「美人を見るな、だろ」
遥香が満足げに微笑む。
宝条 潤
「うん……無理だな」
遥香の目がギラッとなる。
神谷 遥香
「……何?」
潤が慌てて訂正する。
宝条 潤
「冗談冗談!!“努力する”って意味だ!!」
神谷 遥香
「よろしい」
2人はタクシーに乗り込む。
タクシーのドアが閉まる。
車内に柔らかいエアコンの音、静かなラジオ。
運転手がルームミラー越しに微笑む。
運転手
「どちらまで行かれますか?」
潤がさらっと答える。
宝条 潤
「鷹野邸までお願いします。鷹野貿易の会長の家です」
運転手の顔が一瞬だけ固まる。
しかしすぐ笑顔に戻る。
運転手
「……かしこまりました。鷹野さんのお宅ですね」
タクシーが滑るように走り出す。
窓の外には博多駅方面のビル群。
遥香が外を眺めながら言う。
神谷 遥香
「福岡って……北海道と全然違うわね」
宝条 潤
「空気も人もな」
遥香がちらっと潤を見る。
神谷 遥香
「来たことあるの?」
潤は窓から目を離さず、静かに返す。
宝条 潤
「……昔な。両親が生きてた頃に」
潤の視界がふっと霞み、回想へ。
幼い潤。隣には父・豊。母・有希子。
そしてまだ小さな弟たち――雄利、風真、新太。
同じように車窓から博多の街を眺めている。
宝条 潤
「父さん、あれ何?」
宝条 豊
「港だ。博多は昔から玄関口なんだよ」
宝条 雄利
「すごーい!」
宝条 風真
「船!船!」
宝条 新太
「ブーブー!ブーブー!」
宝条 有希子
「潤、弟たち見ててあげてね」
潤が少し得意げに胸を張る。
宝条 潤
「うん!」
回想の街並みが輝いている。
現実の潤の目が少し沈む。
遥香はそれに気づき、何も言わず隣で静かに外を見る。
潤がぽつりと口を開く。
宝条 潤
「……そういえば」
遥香が振り向く。
神谷 遥香
「うん?」
宝条 潤
「今回会う鷹野宗司会長も、父さんと会ったことがあるらしい」
遥香の眉が上がる。
神谷 遥香
「潤のお父さんと?」
宝条 潤
「ああ。昔、宝条グループが港湾関係の案件をやった時に会って話したことがあるらしいんだ」
潤は記憶を辿る。
宝条 潤
「父さんが言ってた。『豪快に笑う男だった』って」
遥香が頷く。
神谷 遥香
「いかにも貿易王ね」
しかし潤は続ける。
宝条 潤
「……でも『どこか黒い部分を感じた』って」
遥香の表情が一段鋭くなる。
神谷 遥香
「……黒い部分」
宝条 潤
「父さんはああいう言い方をほとんどしない人だった」
遥香が確信したように息を吐く。
神谷 遥香
「なら相当ね」
潤がふと考え、前の座席へ視線を向ける。
宝条 潤(心の声)
(……地元民の方が詳しいはずだ)
潤が運転手に話しかける。
宝条 潤
「運転手さん」
運転手
「はい」
宝条 潤
「鷹野会長について……何か噂とか、聞いたことありますか?」
遥香が横目で潤を見る。
神谷 遥香(心の声)
(……さすが。こういう時、聞き込みが上手い)
運転手が少し沈黙し、ミラー越しに潤を見てから慎重に口を開く。
運転手
「……あくまで“噂”ですよ」
宝条 潤
「構いません」
運転手は声を少し落とす。
運転手
「鷹野さんは……表向きは港を支える大物です。でも昔から――“黒い荷物も通す”って話はあります」
遥香の目が細くなる。
神谷 遥香
「密輸……?」
運転手は首を振るように、曖昧に言う。
運転手
「そこまでは分かりません。ただ、港湾関係の人間の間では……『鷹野に逆らうと港で仕事できん』って有名です」
潤が静かに問う。
宝条 潤
「港湾利権ですね」
運転手が頷く。
運転手
「ええ。あと……献金とか裏金とか、そういう話も聞きます」
運転手が続ける。
運転手
「ただ、本人はすごく“人当たり”がいいんです。豪快に笑って、羽振りが良くて、困ってる人には金も出す」
潤が小さく息を吐く。
宝条 潤(心の声)
(父さんの印象と一致する)
運転手は最後に、ぼそっと言う。
運転手
「……でも、誰も“逆らわない”」
車内が静まり返る。
宝条 潤
「……ありがとうございます」
運転手
「……いえ」
遥香が低い声で潤に言う。
神谷 遥香
「潤。今回の会食、絶対に油断しないで」
潤が小さく笑う。
宝条 潤
「お前がいる時点で油断なんかできないよ」
遥香が少しだけ満足げに微笑む。
タクシーが大きな門の前へ近づく。
運転手
「……鷹野さんのお宅、もうすぐです」
鷹野邸
タクシーが高級住宅街の一角に入る。
塀が高く、門が大きい。監視カメラが複数。
運転手
「……こちらが鷹野さんのお宅です」
潤が代金を払い、タクシーを降りる。
宝条 潤
「ありがとうございました」
運転手
「……どうかお気をつけて」
運転手は意味深な視線を残して走り去る。
門の前。潮の匂いが微かに混ざっている。
屋敷の奥から、革靴の音が近づく。
遥香が周囲を警戒するように見渡す。
神谷 遥香(心の声)
(警備が…堅い。これは“金持ち”の堅さじゃない)
潤は黙って門を見上げる。
宝条 潤(心の声)
(……まるで要塞だな)
門が開く。
現れるのは――白髪交じりの大男、鷹野宗司(62)。
背筋が伸び、腹の底から自信が滲み出ている。
鷹野 宗司
「おおおお!!よう来たな!!宝条先生!!」
鷹野が豪快に笑いながら潤に近づく。
鷹野 宗司
「いやぁ~!!この日をどれだけ楽しみにしとったか!!」
宝条 潤
「……鷹野会長。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
鷹野が潤の肩をバンバン叩く。
鷹野 宗司
「かたかたしい!!先生は“博多の恩人”ばい!!」
宝条 潤
「……恩人、ですか?」
鷹野 宗司
「宝条グループさんが港湾の件で動いたおかげで、博多の流れが1回変わったけんねぇ!」
鷹野が目を細める。
鷹野 宗司
「そして何より――宝条豊会長の息子さんやろ?」
潤の胸が微かに痛む。
宝条 潤
「……はい」
鷹野は懐かしむように笑う。
鷹野 宗司
「先生の親父さんは凄か男やった。あん人が笑うと、場が“正しく”なる」
潤の表情がわずかに和らぐ。
鷹野 宗司
「ワシはあの人が好きやった」
遥香がそこに割って入るように丁寧に挨拶する。
神谷 遥香
「鷹野会長。警視庁捜査一課管理官、神谷遥香です」
鷹野が遥香を見てニヤッとする。
鷹野 宗司
「……おお!噂の“剣の女神”がここにおるやないか!」
神谷 遥香
「光栄です」
鷹野が豪快に笑う。
鷹野 宗司
「はははは!!博多は情報回るの早かとよ!!」
鷹野が笑っているが、その笑顔の奥には“冷たさ”がある。
宝条 潤(心の声)
(父さんが言ってた通りだ……この人、“人を道具として見てる”目をしている)
鷹野が腕を広げる。
鷹野 宗司
「さあさあ!立ち話は終わりたい!今日は美味いもんを揃えとる!先生のために“港の最上”を集めた!」
玄関に入ると、使用人が一斉に頭を下げる。
屋敷は和の美しさと洋の重厚感が混ざる迎賓館。
2人は奥へ案内される。
鷹野邸・会食の間
豪華な和洋折衷の大広間。博多らしい海鮮、酒器、床の間には掛け軸。
扉が開き、鷹野宗司が潤と遥香を伴って入る。
鷹野 宗司
「さあ先生!こっちたい!」
潤と遥香が一礼しながら畳へ上がる。
すでに部屋には数人が揃っている。
鷹野が腕を広げて言う。
鷹野 宗司
「ほんなら紹介するばい。まずは――うちの家族たい!」
長男の鷹野始(33)。スーツ姿で整った顔だが、表情が硬い。
目線は父を見ているようで、どこか怯えがある。
鷹野 宗司
「長男の始(はじめ)。一応“社長”たい!」
始が立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
鷹野 始
「鷹野貿易社長の鷹野始です。宝条先生、本日はお越しいただきありがとうございます」
礼儀正しいが、声が若干こわばる。
潤は微笑んで返す。
宝条 潤
「こちらこそお招きいただき光栄です」
しかし鷹野が肩をバンと叩く。
鷹野 宗司
「こいつはなぁ、頭は悪くないんやが……まだまだ“器”が小さいとよ!!」
始の眉がピクッと動く。
遥香がそれを見逃さない。
神谷 遥香(心の声)
(息子を公の場で貶す……家庭崩壊パターンね)
妻の鷹野玲子(58)。上品な着物姿で顔立ちは整っているが、笑顔が硬い。
視線の奥が冷たい。完璧な“会長夫人”。
鷹野がわざとらしく優しい声を出す。
鷹野 宗司
「そして妻の**玲子(れいこ)**たい」
玲子が穏やかに微笑み立つ。
鷹野 玲子
「ようこそお越しくださいました。宝条先生、神谷様……本日はどうぞごゆっくり」
遥香も礼儀正しく一礼する。
神谷 遥香
「ありがとうございます」
玲子の目が潤にだけ向く。ほんの一瞬、深く。
鷹野 玲子
「……宝条豊様のご子息にお会いできるなんて…」
潤は小さく会釈する。
始の妻の鷹野翔子(35)。知的で美人。落ち着いた服装だが、どこか緊張している。
鷹野が妙に嬉しそうに言う。
鷹野 宗司
「で、こっちが始の嫁の**翔子(しょうこ)**たい。ほら先生、よう見てみぃ。美人やろ?」
鷹野が翔子の肩に手を置こうとする。
翔子がさっと身を引き、一礼する。
鷹野 翔子
「……初めまして。翔子と申します。本日は…よろしくお願いいたします」
潤は礼儀正しく返す。
宝条 潤
「こちらこそ」
潤が美人だと思って一瞬だけ表情が緩む。
遥香の視線が刺さる。
神谷 遥香(小声)
「……見たわね?」
宝条 潤(小声)
「見てない!」
常務の立花雄二(45)。無駄のない立ち姿。完璧なスーツ。
表情は穏やかだが、目が全く笑っていない。
鷹野が当然のように紹介する。
鷹野 宗司
「うちの常務、**立花雄二(たちばな ゆうじ)**たい」
立花が一歩前に出て、完璧な角度で頭を下げる。
立花 雄二
「鷹野貿易の常務、立花です。宝条先生、本日はお時間を賜りありがとうございます」
声は丁寧だが、機械のように正確。
港湾組合の城戸三郎(48)。体格が良く、腕に刺青を隠している気配。
笑っているが目つきが悪い。
鷹野が軽く手を振る。
鷹野 宗司
「最後は港湾組合の城戸三郎(きど さぶろう)」
城戸が乱暴に立ち上がり、軽く頭を下げる。
城戸 三郎
「……城戸です。先生、よろしくお願いします」
口調が荒い。
だが潤を見る目は値踏み。
城戸 三郎
「宝条の先生ってのは……噂通り若いな」
城戸がニヤッとする。
城戸 三郎
「……ま、博多じゃ“若いだけ”じゃ生き残れんが」
鷹野がドンと笑う。
鷹野 宗司
「はははは!!こいつは口が悪か!だが仕事は一流たい!」
全員が席につく。
鷹野がグラスを手に取り、豪快に言う。
鷹野 宗司
「さあさあ!今日は“宝条先生”に来てもろうたけん!」
声が響く。
鷹野 宗司
「博多の酒と料理で、もてなすばい!!」
会食の間。全員が席につく。
高級な料理が次々と運ばれてくる。刺身、明太子、玄界灘の魚、鯨、馬刺しなど。
鷹野がグラスを掲げる。
鷹野 宗司
「宝条先生!遠いところ、よう来てくれた!!」
豪快な笑い。
鷹野 宗司
「そして神谷さん!!警視庁の剣の女神!実物はもっと美人たい!!」
神谷 遥香
「……ありがとうございます」
鷹野が乾杯の音頭。
鷹野 宗司
「ほんなら――乾杯!!」
全員
「乾杯!」
グラスが鳴り、宴が始まる。
料理が広がり、空気は一度和む。
鷹野 宗司
「先生、食べんしゃい!!このイカは今朝港から上げたやつたい!!」
潤が箸を取る。
宝条 潤
「……美味しい」
鷹野が満足そうに頷く。
鷹野 宗司
「よかろ?博多は“港が命”やけんねぇ!!」
城戸がニヤッとする。
城戸 三郎
「港を握ったもんが勝つ。昔からそうたい」
始が終始、父の顔色を伺っている。
翔子は小さく背筋を伸ばし、必要以上に笑わない。
玲子は微笑みを貼り付けたまま、淡々と酒を注ぐ。
鷹野が翔子に酒を注ぐ。
鷹野 宗司
「翔子ちゃん、飲みんしゃい」
翔子が慌てて断ろうとする。
鷹野 翔子
「いえ…私は…」
鷹野が笑いながら距離を詰める。
鷹野 宗司
「なんね?こういう楽しい場じゃけん?」
翔子が困り顔で手を伸ばす。
鷹野の手が翔子の手首に触れる。
鷹野 宗司
「……ほんと綺麗な手しとるなぁ」
翔子が顔を引きつらせる。
鷹野 翔子
「……っ」
始が堪えきれず立ち上がる。
鷹野 始
「父さん」
鷹野が笑顔のまま振り向く。
鷹野 宗司
「なんや?」
始は震える声で言う。
鷹野 始
「……その辺にしてくれ」
部屋の空気が一瞬で凍る。
鷹野の笑みが消え、低い声で笑う。
鷹野 宗司
「……始?」
圧が部屋に落ちる。
鷹野 宗司
「今、誰にもの言うた?」
始が一瞬怯むが、歯を食いしばる。
鷹野 始
「……翔子は俺の妻だ」
鷹野がゆっくり立ち上がる。
その瞬間、全員が息を止める。
鷹野 宗司
「お前の妻?それは“鷹野家の嫁”たい」
目が冷たく光る。
鷹野 宗司
「鷹野家の嫁は、鷹野家のもんやろが」
翔子が目に涙を溜める。始が拳を握る。
潤は目を細める。
宝条 潤(心の声)
(……父さんが言う“黒さ”はこれか)
立花が静かに割って入る。
立花 雄二
「会長。宝条先生をお招きしている席です」
鷹野が睨む。
鷹野 宗司
「立花。口出すな」
立花は一歩も引かない。
立花 雄二
「……今日の席は、商談です」
城戸が面白そうに笑う。
城戸 三郎
「おーおー、家族会議か?」
立花の目が一瞬だけ城戸に刺さる。
城戸が軽く肩をすくめる。
城戸 三郎
「冗談たい冗談」
鷹野が急に表情を変え、豪快に笑う。
鷹野 宗司
「はははは!!すまんすまん!!」
始が拍子抜けする。
鷹野は潤の方へ向き直る。
鷹野 宗司
「先生、見苦しかとこ見せたねぇ!!家のことは気にせんでよか!!」
潤は礼儀正しく微笑み、言葉を選ぶ。
宝条 潤
「……いえ。どのご家庭にも、色々あります」
鷹野が急に立ち上がり、酒を一口飲む。
鷹野 宗司
「……ちょっと席を外す」
全員が顔を上げる。
鷹野 玲子
「あなた?」
鷹野が乱暴に手を振る。
鷹野 宗司
「すぐ戻る。“書斎”に行ってくるだけたい」
立花が即座に立ち上がる。
立花 雄二
「会長、何か――」
鷹野が睨む。
鷹野 宗司
「1人になりたか」
鷹野はスタスタと部屋を出ていく。
鷹野が去った後――部屋には妙な沈黙。
翔子は俯き、手元の箸に触れもしない。
玲子は微笑みを貼り付けたまま、淡々と酒器を整える。
立花は姿勢を崩さず、城戸は酒をあおる。
翔子を見守っていた始がゆっくり立ち上がる。
鷹野 始
「……宝条先生、神谷さん」
深く頭を下げる。
鷹野 始
「今日は、本当に申し訳ありませんでした」
さらに頭を下げる。
鷹野 始
「父のあの態度は……招いた客人に対しても、家族に対しても――」
苦しそうに言葉を切る。
鷹野 始
「……許されるものじゃない」
潤は静かに始を見つめる。
宝条 潤
「顔を上げてください。あなたが謝ることではありません」
始が顔を上げる。
鷹野 始
「……いえ。鷹野貿易の社長として……息子として……」
拳を握る。
鷹野 始
「……俺が止められなかった」
翔子が小さく首を振る。
鷹野 翔子(小声)
「始さん……」
玲子が静かに、しかし刺すように言う。
鷹野 玲子
「……止められる人なら、そもそもこうはなってないわ」
始の肩がびくっと震える。
神谷 遥香(心の声)
(……地獄みたいな家)
潤が場の空気を整えるように、柔らかく口を開く。
宝条 潤
「……今日の席は、会食です。気にしないでください」
始が恐縮する。
鷹野 始
「……ありがとうございます」
潤は気になって尋ねる。
宝条 潤
「……ただ」
声のトーンが少しだけ低くなる。
宝条 潤
「鷹野会長はよく書斎にお1人で入られるんですか?」
始が少し驚きつつ答える。
鷹野 始
「……はい。父は昔からそうです」
潤が続ける。
宝条 潤
「“怒った時”ですか?」
始は苦い顔で頷く。
鷹野 始
「……ええ。“頭を冷やす”って言って」
潤は淡々と質問を重ねる。
宝条 潤
「具体的に書斎では何をしてるんですか?」
始は答えづらそうに目を逸らす。
鷹野 始
「……電話です。それと……」
翔子が苦しそうに補足する。
鷹野 翔子
「……タバコ、です」
潤は動揺せず頷く。
宝条 潤
「なるほど。電話とタバコですか」
玲子が上品に、しかし冷たく言う。
鷹野 玲子
「書斎は……あの人の“城”です。家族であっても、勝手に入ると怒鳴られます」
潤は全員に聞こえるように、確認する。
宝条 潤
「……まとめると」
指折り数えながら言う。
宝条 潤
「書斎はいつも鍵をかける、書斎は基本1人、怒ると書斎に行く、中でタバコを吸う……というのが会長の行動ですね?」
全員が沈黙のまま頷く。
潤は最後に始の目を見る。
宝条 潤
「会長は、最近――誰かと強く揉めていましたか?」
始は耐えきれず言いかける。
鷹野 始
「……父は最近、港の件で――」
その瞬間――廊下の方から足音。
仲居が慌てた様子で駆け込んでくる。
仲居
「……あのっ!!」
全員が立ち上がる。
仲居
「旦那様が……書斎で……!」
潤の目が鋭く光る。
宝条 潤
「……案内してください」
遥香も即座に立つ。
鷹野邸・2階廊下
床は磨かれた木。重厚な絵画。足音がやけに響く。
仲居が先導し、潤・遥香・始・玲子・翔子・立花・城戸が続く。
全員の表情が硬い。
仲居(焦り気味)
「こちらです……!」
廊下の奥に、重い木の扉。
遥香が横目で潤を見る。
神谷 遥香(小声)
「……来たわね」
宝条 潤(小声)
「ああ」
仲居が扉の前で立ち止まり、躊躇しながらノックする。
コン、コン…
仲居
「旦那様……?失礼いたします……会長?」
――返事がない。
仲居の顔が青ざめる。
仲居
「……旦那様……?」
もう一度、強めにノック。
コン!コン!
仲居
「旦那様っ……!!」
沈黙。
廊下の空気が張り詰める。
誰も息をしない。
始が一歩前へ出る。
鷹野 始
「父さん……!!返事しろよ!!」
扉の取っ手を掴んで回す。
ガチャ…ガチャ…
鷹野 始
「……っ、開かない……!」
玲子が小さく息を呑む。
鷹野 玲子
「……鍵をかけてる」
城戸が舌打ちをする。
城戸 三郎
「チッ……また1人芝居か?」
立花が一歩前に出る。
いつも通りの整った声。
立花 雄二
「会長……失礼します」
立花も扉をノックする。
コン、コン
立花 雄二
「会長。お返事を」
沈黙。
遥香が即、指揮を取る。
声のトーンが完全に捜査一課管理官。
神谷 遥香
「確認させてください。鍵は内側からかかっているんですか?」
翔子が震えながら頷く。
鷹野 翔子
「はい……必ず内側からかかっています……」
潤は扉を見つめながら、ふと小さく呟く。
宝条 潤
「……返事もない」
遥香が潤を見る。
神谷 遥香
「潤?」
潤の目が鋭い。
宝条 潤
「……嫌な予感しかしない」
廊下の空気がさらに冷たくなる。
始が合鍵を取り出すが手が震えている。
鷹野 始
「……っ、開けるぞ」
ガチャ…!
扉が開く。
書斎内
扉の向こうは薄暗い。
重厚なデスク、書棚、革張りの椅子。そして――床に倒れている鷹野宗司。
片腕がだらりと伸び、顔は青白い。
鷹野 翔子
「……っ!!」
鷹野 玲子
「……っ……」
鷹野 始
「父さん……!?」
仲居が口を押さえて後ずさる。
潤は状況を見極める。
宝条 潤(心の声)
(倒れ方が……不自然に早い)
遥香が真っ先に駆け寄る。
膝をつき、鷹野の首元へ指を当てる。
沈黙。
遥香の目が細くなる。指先がゆっくり離れる。
潤が低い声で聞く。
宝条 潤
「……ダメか?」
遥香は一度だけ、はっきり頷く。
神谷 遥香
「……うん」
その一言で全員が凍る。
鷹野 始
「……うそだろ……」
遥香が立ち上がる。
涙も動揺も出さず、完全に“警察官の顔”。
神谷 遥香
「たった今死亡を確認しました」
鋭く周囲を見る。
神谷 遥香
「警察が来るまで遺体には誰も触らないでください」
始が呆然とする。
鷹野 始
「……警察……っ……」
遥香がスマホを取り出す。
神谷 遥香
「……ちょうどいい」
潤が遥香を見る。
宝条 潤
「?」
遥香は短く言う。
神谷 遥香
「福岡県警にも同期がいる」
宝条 潤(心の声)
(ここにも同期か……)
遥香が電話をかける。
プルル……
神谷 遥香
「もしもし?神谷だけど。今、博多。事件――今すぐ来て」
数分後……車が停まり、足音が複数。
スーツ姿の男が現れる。福岡県警捜査一課管理官、高藤悠介(29)、背が高く爽やか、しかし鋭い目。
高藤 悠介
「――神谷!」
遥香が廊下に出て迎える。
神谷 遥香
「来たわね、高藤君」
高藤が素早く現場状況を察し、顔が引き締まる。
高藤 悠介
「……本当に起きたか」
遥香が短く。
神谷 遥香
「ええ。ついてきて」
2人で書斎へ行く。
書斎前で高藤が立ち止まり、関係者へ向けて手帳を開く。
高藤 悠介
「福岡県警 捜査一課管理官、高藤悠介(たかとう ゆうすけ)です」
始が眉をひそめる。
鷹野 始
「……ん?」
記憶を探る顔。
鷹野 始
「高藤って……どこかで聞いたような……」
ハッとする。
鷹野 始
「あ~思い出した!うちと同じく博多で貿易をやってる企業――」
指をさす。
鷹野 始
「『高藤グループ』の!!」
場が少しざわつく。
高藤がにっこり笑う。
高藤 悠介
「お~!鷹野貿易さんとは、長らく仲良くやらせてもらってます!」
潤は静かにそのやり取りを見ている。
宝条 潤(心の声)
(また遥香の同期が増えた……)
脳内にリストが浮かぶ。
《潤の脳内・同期リスト》
遥香:茶道家元の娘
綾:横浜ホテル王の娘
神宮蒼馬:神社の次男
久坂遼生:県議の息子
美優姫:食品チェーン令嬢
織田正長:武道家元の息子
郷田猛人:札幌高級料亭の息子
――そして
高藤悠介:博多貿易会社の御曹司(高藤グループ)
潤が遠い目になる。
宝条 潤(心の声)
(……何なんだよこの世代。国家の上澄みしかいねぇ……)
ふと我に返る。
宝条 潤(心の声)
(……あ、俺も宝条家の当主だった)
潤が静かにため息をつく。
高藤がふと視線を動かし――潤を見つける。
高藤 悠介
「ん?」
次の瞬間、高藤の顔がパッと明るくなる。
高藤 悠介
「おおお!宝条先生じゃないですか~~!!」
廊下に響くレベルの大声に、潤がビクッとして肩を揺らす。
宝条 潤
「えっと~……」
潤が戸惑い顔で小さく手を上げる。
宝条 潤
「……僕のこと、知ってるんですか?」
高藤は胸を張って即答する。
高藤 悠介
「もちろんですとも!!天才推理作家にして――宝条グループの総帥!!」
さらに声がでかくなる。
高藤 悠介
「うちは宝条グループさんとも長年の取引がありますから!!」
潤がハッとして内心で頷く。
宝条 潤(心の声)
(……そういえばそうだった。宝条グループの貿易関連、けっこう広いんだよな……)
高藤が書斎前の関係者全員に向き直り、堂々と宣言する。
高藤 悠介
「皆さん!!ご安心ください!!」
指をビシッと潤へ向ける。
高藤 悠介
「宝条先生がいらっしゃるからには!!もうこの事件は解決間違いありません!!」
潤が慌てて両手を振る。
宝条 潤
「いや、えっと……!」
しかし時すでに遅し。始が潤を見て、震える声で言う。
鷹野 始
「……そうだ」
潤の前に進み出る。
鷹野 始
「宝条先生のお力があれば……父さんを殺した犯人も……すぐ見つかる」
翔子も恐る恐る潤を見る。
玲子も微笑みの仮面のまま目だけが潤を捉える。
宝条 潤(心の声)
(……何だこの視線?羨望、期待、依存……全部混ざってる)
始が膝をつく。
鷹野 始
「……お願いします」
翔子も続いて膝をつく。
鷹野 翔子
「どうか……真実を……」
玲子も遅れて、静かに膝を折る。
鷹野 玲子
「……この家の“罪”を、終わらせてください」
異様な光景が広がる。廊下で鷹野家の人間が整列土下座をしている。
潤は完全に固まる。
宝条 潤
「え、え……?」
遥香が額に手を当てる。
神谷 遥香(心の声)
(何この宗教のような感じは……?)
高藤は感動している。
高藤 悠介
「……やっぱり宝条先生、すげぇ……」
神谷 遥香
「あなたが煽ったんでしょ!!」
潤が慌てて両手を前に出す。
宝条 潤
「あの……皆さん、頭を上げてください!」
潤が必死に説得する。
宝条 潤
「僕は神様じゃないです……!」
全員恐る恐る顔を上げる。
潤は真剣な目になる。空気が一段、引き締まる。
宝条 潤
「……でも、犯人は必ず見つけ出します」
遥香が小さく頷く。
神谷 遥香(心の声)
(……この瞬間だけは、本当に頼もしい)
高藤が勢いよく頷く。
高藤 悠介
「福岡県警も総力でサポートします!!」
潤が小さく震える。
宝条 潤(心の声)
(……圧がすごい……また胃が痛くなりそうだ)
鷹野家全員の土下座騒ぎが収まり、空気が少し落ち着く。
しかし現場は依然、緊張状態。
高藤が一度深呼吸し、顔つきが変わる。
さっきまでのテンションが消え、完全に“捜査一課管理官”。
高藤 悠介
「――よし」
高藤が振り向き、声をかける。
高藤 悠介
「みんな、入ってきてくれ!」
すると3人のスーツ姿の男たちが素早く現場へ入る。
先頭は落ち着いた眼差しの若い警部、内野幸生(28)。
次に、鋭い視線の警部補、松下文也(27)。
最後に、体格の良い巡査部長、白野旬(26)。
高藤が姿勢を正す。
高藤 悠介
「宝条先生。うちの捜査一課のメンバーを紹介します」
高藤がまず内野を指す。
高藤 悠介
「まずは内野幸生(こうせい)。準キャリアで階級は警部です」
内野が一歩前へ出て、深く頭を下げる。
内野 幸生
「福岡県警捜査一課の内野です。宝条先生……お噂はかねがね」
高藤が補足する。
高藤 悠介
「内野は観察眼が鋭くて、現場の違和感はまずこいつが拾うんです」
内野が即答。
内野 幸生
「必ず手掛かりを見つけます」
高藤が次に松下を指す。
高藤 悠介
「次は松下文也。警部補です」
松下が一歩前へ出て敬礼気味に頭を下げる。
松下 文也
「松下です。聞き込みなら任せてください」
高藤がニヤッとする。
高藤 悠介
「こいつの聞き込みはえげつないです。口が勝手に喋り出します」
松下が抗議。
松下 文也
「管理官!それ言い方悪いっす!」
遥香が小声で。
神谷 遥香(小声)
「福岡も割とノリ軽いわね」
高藤が最後に白野を見る。
高藤 悠介
「最後に白野旬。巡査部長です」
白野が笑顔で一礼。若いが頼もしい。
白野 旬
「白野です!車、すぐ出せます!」
高藤が言う。
高藤 悠介
「白野はドライブテクニックが優秀で、追跡も送迎もこなす、動く足です」
白野が胸を張る。
白野 旬
「任せてください!」
宝条 潤(心の声)
(……福岡県警、優秀だな)
高藤が一歩前に出て、空気を切り替える。
高藤 悠介
「よし。捜査開始!」
部下の目が一斉に鋭くなる。
刑事全員
「はい!」
高藤が最後に、潤へ頭を下げる。
高藤 悠介
「宝条先生。こちらは現場を固めます」
潤が頷き、静かに言う。
宝条 潤
「お願いします。僕は……この部屋を見ます」
遥香が潤の横に立つ。
神谷 遥香
「私も」
高藤が笑いながらも真剣に。
高藤 悠介
「心強すぎるだろ……」
福岡編の捜査が本格的に動き出す。
鷹野邸・廊下〜応接
現場は書斎前で封鎖され、鑑識が到着準備中。
内野が淡々と言う。
内野 幸生
「……聞き込みなら松下だろう」
松下が即座に嫌そうな顔をする。
松下 文也
「うわあ~そういう押し付けよくないと思いま~す!」
内野 幸生
「適材適所だ」
松下 文也
「言い方ァ!!」
そこへ――遥香が満面の笑顔で近づく。
だが目が笑っていない。
神谷 遥香
「どっちでもいいから早くやって?」
内野と松下が凍り付く。
内野 幸生
「……は、はい」
松下 文也
「……は、はいっ!!」
潤がボソッと言う。
宝条 潤(小声)
「……怖」
神谷 遥香(小声)
「何か言ったかしら?」
宝条 潤
「いえ何でも」
松下は会食の間で容疑者全員の事情聴取を行う。
書斎は立入禁止ラインが張られ、部屋の中には内野・潤・遥香・高藤が入る。他の者は廊下で待機。
机、ソファ、灰皿、換気扇、窓、床――内野が静かに視線を走らせる。
内野 幸生(心の声)
(……書斎は密室……毒物反応は、食事から出てない……じゃあ――どこから?)
内野がふと、灰皿を見て眉をひそめる。
内野 幸生
「……管理官」
高藤 悠介
「ん?」
内野が灰皿を指差す。
内野 幸生
「これ……不自然です」
潤が近づく。
宝条 潤
「灰皿?」
内野は淡々と言う。
内野 幸生
「さっき家の仲居さんに確認したんですが、会長は書斎でタバコを吸うと言っていました。なのに、吸い殻の数が、少なすぎます」
遥香がピクッと反応する。
神谷 遥香
「“少なすぎる”…?」
内野が頷く。
内野 幸生
「話の感じだと、習慣的にかなり吸うはず。なのに……ここだけ“整理されすぎている”んです」
潤が静かに目を細める。
宝条 潤(心の声)
(……生活の痕跡が薄い。ここに“手を入れた人間”がいる)
潤が部屋の空気を吸い込み、わずかに顔をしかめる。
高藤 悠介
「……先生?」
潤は答えず、換気扇の方へ視線を向ける。
遥香が察する。
神谷 遥香
「潤……においが気になるの?」
潤が小さく頷く。
宝条 潤
「……タバコのにおいが薄い」
高藤が驚く。
高藤 悠介
「え?」
潤は淡々と続ける。
宝条 潤
「さっき“ここで吸う”って言ってた。なのに直後に死ぬほどの中毒になるなら、もっと濃い残り香があるはず」
内野が補足するように。
内野 幸生
「……確かに」
遥香が呟く。
神谷 遥香
「つまり……タバコの有無が“鍵”?」
潤は「その通り」と言わず、別の方向から刺す。
宝条 潤
「……“空気そのもの”が鍵です」
廊下から松下が駆け込む。
松下 文也
「管理官!一通り聞き込み終わりました!」
高藤 悠介
「どうだった?」
松下が手帳を見る。
松下 文也
「容疑者全員、“会食の間にいた”で一致です。書斎前に来たのは、異変に気づいた仲居さんが最初。その後、皆で来て扉を開けたそうです」
高藤が尋ねる。
高藤 悠介
「全員の具体的なアリバイは?」
松下が再び手帳を見る。
松下 文也
「まず長男の始さんは、会長が席を外された後に奥さんの翔子さんの体調が悪くなり、部屋に一緒にいたそうです。奥様の玲子さんも会食の間でお客さんのお相手をしており、秘書の立花さんと港湾組合の城戸さんも同じく会食の間にいました」
遥香が目を細める。
神谷 遥香
「……この中の誰が会長を?」
鑑識担当が到着し、高藤へ報告する。
鑑識
「管理官。一次所見です」
高藤が受け取る。
高藤 悠介
「毒物反応は?」
鑑識が首を振る。
鑑識
「……会食の飲食物、皿、酒器からは毒は出ていません」
潤が低く呟く。
宝条 潤
「……やっぱり」
高藤が眉を寄せる。
高藤 悠介
「急性中毒なのに、飲食物から毒が出ない?」
鑑識が頷く。
鑑識
「ええ。死因は心停止に繋がる急性中毒で間違いないはずですが……」
潤が静かに言う。
宝条 潤
「……毒が“消えている”」
松下が首をかしげる。
松下 文也
「消えてる?」
潤は答える代わりに、高藤へ視線を向ける。
宝条 潤
「高藤管理官。死んだのはここ――書斎の中です」
高藤 悠介
「はい」
宝条 潤
「なら毒は――ここにあります」
潤が書斎の空気を指す。
宝条 潤
「飲ませても食べさせてもいない。でも急性中毒。そして密室」
言葉を区切る。
宝条 潤
「――吸わせたんです」
遥香が即座に理解する。
神谷 遥香
「……また吸入毒」
潤が頷く。
宝条 潤
「揮発性。空気に溶けて、短時間で中毒を起こす」
内野が静かに言う。
内野 幸生
「……だから飲食物に毒が残らない」
宝条 潤
「そうです」
潤は換気扇を見る。
宝条 潤
「そして、空気の毒は時間で消える。換気されればなおさら」
遥香がピンとくる。
神谷 遥香
「……換気扇」
宝条 潤
「うん」
潤が核心へ寄せる。
宝条 潤
「会長が書斎に入って“内鍵をかける”のはいつものこと。だから密室は成立するんです。その密室に――外から毒を流し込めばいい」
松下が青ざめる。
松下 文也
「外から……!?」
宝条 潤
「換気口、もしくは隙間」
高藤の目が鋭くなる。
高藤 悠介
「……つまり犯人は、扉を開けずに殺した」
宝条 潤
「はい」
高藤が即座に指示を飛ばす。
高藤 悠介
「内野!換気口・換気扇まわり徹底的に確認しろ!」
内野 幸生
「はい!」
高藤が潤に深く頭を下げる。
高藤 悠介
「……先生、助かります」
潤は淡々と言う。
宝条 潤
「まだです」
高藤 悠介
「え?」
潤の目が鋭く光る。
宝条 潤
「吸入毒の装置を仕掛けるには――時間と準備が要る。そして、この家でそれができる人間は……限られる」
遥香が口を開く。
神谷 遥香
「……つまり、犯人は“鷹野家の中の人間”」
宝条 潤
「そういうことだ」
書斎内の換気扇の音だけがかすかに響く。
内野が椅子を踏み台にし、換気口を覗き込む。
内野 幸生
「……ここだ」
換気口のフチに、極小の“擦れた跡”。
ネジの頭が1つだけ新しい。
内野が目を細める。
内野 幸生(心の声)
(新品のネジ…?この家だけ浮いてる)
内野が換気口のカバーを外す。
カチャ……
その瞬間――
内野 幸生
「……あった」
換気ダクトの奥に、小型の機械が固定されている。
黒い円筒(カートリッジ)と細いチューブ、タイマーのような簡易装置。
内野 幸生
「管理官、装置です」
高藤が即入る。
高藤 悠介
「……マジか」
遥香も覗き込む。
神谷 遥香
「……完全に“流し込み”」
潤は静かに見る。
目だけで、構造を理解する。
宝条 潤(心の声)
(揮発性毒のカートリッジ……タイマー……短時間で作動し換気で消える……密室でも成立する)
高藤が息を吐く。
高藤 悠介
「これは……会長が入った直後に作動してる」
内野が頷く。
内野 幸生
「おそらく」
鑑識が素早く装置を撮影し、袋詰めする。
鑑識
「カートリッジ内に揮発性の化学薬品反応が出ました。吸入で心停止を引き起こすタイプです」
松下が青ざめる。
松下 文也
「やっば……」
潤が一言。
宝条 潤
「……毒が“消える”理由はこれです」
高藤が即決断する。
高藤 悠介
「よし。会食の間に行くぞ!」
松下が反射的に動く。
松下 文也
「はいっ!」
会食の間
容疑者5名が会食の間に集められる。
空気はさっきよりさらに重い。
高藤が前に立つ。
高藤 悠介
「皆さん、重要な物証が出ました」
高藤が写真と簡易資料を出す。
高藤 悠介
「書斎の換気口から――この“装置”が見つかりました」
全員の顔色が変わる。
鷹野 翔子
「……装置…?」
鷹野 始
「……そんな…」
城戸が舌打ちする。
城戸 三郎
「んなもん、誰が…」
立花だけが無言。だが視線が一瞬だけ下がる。潤はそれを見逃さない。
高藤が言い切る。
高藤 悠介
「この装置は、換気口を開けて設置しないと不可能」
全員を見る。
高藤 悠介
「つまり――会食中、誰かが“会食の間を抜けた”ということになります」
始が動揺。
鷹野 始
「でも……皆、ずっとここに……」
潤が静かに言う。
宝条 潤
「“ずっといた”んじゃない。“ずっといたことにした”だけです」
城戸が怒鳴る。
城戸 三郎
「ふざけんな!!俺は席を立ってねぇ!!」
潤が視線を向ける。
宝条 潤
「ええ。城戸さん、あなたは立っていない」
城戸 三郎
「……あ?」
潤は淡々と続ける。
宝条 潤
「あなたは、酒を飲んでる最中ずっと不満を漏らしていた。あなたの性格ならその場で喧嘩するでしょう」
城戸の口が止まる。
潤が玲子を見る。
宝条 潤
「玲子さんも立っていない。会長が書斎に行った後に酒器を整えていました」
玲子が頷く。
潤が翔子に向かう。
宝条 潤
「翔子さんも立ってない。立てる精神状態じゃない。そんな状態で犯行はできません」
翔子が震えて頷く。
最後に始に向かって言う。
宝条 潤
「始さんも立ってない。あなたは妻を守るので精一杯だった。犯行は不可能です」
始が歯を食いしばる。
鷹野 始
「……っ」
潤が静かに結論へ。
宝条 潤
「会食の間を抜けられたのは――“いつ抜けても不自然じゃない人間”だけ」
潤が全員の前に立つ。完全に“推理作家の顔”。
宝条 潤
「ここからは推理です」
高藤が嬉しそうに。
高藤 悠介
「出た……!!」
潤が説明する。
宝条 潤
「会長は怒ると書斎に行く、書斎は内鍵で密室になる、死因は急性中毒ですが飲食物から毒は出なかった。なぜか?」
言葉を区切る。
宝条 潤
「答えは1つ、毒は空気から入ったんです」
潤が換気口写真を見せる。
宝条 潤
「犯人は換気口に装置を仕掛け、会長が書斎に入ったタイミングで作動させた。そして毒は換気で消えた。だから飲食物には残らなかったんです」
潤は続ける。
宝条 潤
「では問題。誰がその装置を仕掛けられるでしょう?」
沈黙。
潤が淡々と告げる。
宝条 潤
「換気口カバーを外すには工具が要る。そして、作業には最低でも数分。さらに作業後に手が汚れる。ほこりが舞えば、服や靴だって汚れてもおかしくありません」
立花の眉がピクッと動く。
潤が言う。
宝条 潤
「会食中、唯一“席を外しても不自然ではない人間”。それは――会長の秘書役、業務補佐の常務」
松下が思わず口にする。
松下 文也
「……立花さん?」
立花は静かに言う。
立花 雄二
「根拠は?」
潤は逆に質問する。
宝条 潤
「その靴の汚れはどうしたんですか?」
立花の靴には小さな汚れの跡。
立花 雄二
「これは……」
宝条 潤
「換気口カバーを外す時についた汚れでは?」
潤の目が鋭くなる。
宝条 潤
「靴をそのままにしていたことが仇になりましたね」
立花の表情が僅かに歪む。
潤が結論を言い切る。
宝条 潤
「犯人は――立花雄二さん。あなたです」
立花は目を伏せ、ふっと息を吐く。
そして――ゆっくり目を閉じる。
立花 雄二
「……そうです」
全員が息をのむ。
立花 雄二
「私が、会長を殺しました」
鷹野 始
「……っ!!」
翔子が口を押さえる。
鷹野 翔子
「うそ……」
立花は静かに続ける。
声に熱はない。ただ乾いている。
立花 雄二
「私は鷹野会長の“裏”を処理してきた。密輸まがいの案件、献金、裏金、港湾利権――」
立花は淡々と、まるで報告書のように。
立花 雄二
「会長は言いました。“責任は全部、お前が被れ”と」
始が震える声で。
鷹野 始
「……父さんが……?」
立花が目を閉じたまま、かすかに笑う。
立花 雄二
「会長は天才でしたよ……人を使い潰す才能だけは」
鷹野 玲子
「……そう。あの人の行いは想像以上にひどかったものね……」
高藤が静かに前へ出る。
さっきの軽さは消え、声は冷たい。
高藤 悠介
「立花雄二……」
手錠を構える。
高藤 悠介
「殺人の容疑で逮捕する」
立花は目を開ける。
その瞳にようやく“人間の感情”が宿る。
立花 雄二
「……捕まるわけにはいかないんです」
高藤が眉をひそめる。
高藤 悠介
「は?」
立花が小さく呟く。
立花 雄二
「――私は、まだ終われない!」
次の瞬間、立花が体を捻り、内野の死角を突く!
内野 幸生
「……っ!!」
内野が腕を伸ばすが、立花はスルリと抜ける。
松下 文也
「うおっ!?速っ!!」
立花が一直線に――屋敷の窓ガラスへ走る!
高藤 悠介
「止めろ!!」
神谷 遥香
「……っ!!」
遥香が踏み込むが、距離がある。
宝条 潤
「まさか……!!」
立花はためらいなく窓へ突っ込む。
ガシャァァァン!!!
ガラスが派手に砕け散る。
破片が雨のように舞う。
鷹野 翔子
「きゃっ!!」
立花は窓ガラスを破って外へ飛び出す。
屋敷の外には、黒い車。
運転席の鍵は――立花が持っている。
立花がドアを開け飛び乗る。
キュルルン!
エンジンが吠える。
高藤が窓へ駆け寄り、外の車を視認する。
顔が険しい。
高藤 悠介
「白野、追え!!」
白野 旬
「了解!!」
白野が窓から飛び降りて別の車へ走る。
白野 旬(心の声)
(逃がさない!)
立花の車が急発進。
ブォン!!
砂利を跳ね上げ、門へ向けて突っ込む。
高藤 悠介
「絶対に逃がすな!!」
立花の車が門を抜け、スキール音を響かせて走り去る。
ブォォン!!
白野がパトカー(覆面仕様)に飛び乗る。
白野 旬
「――逃がすかよ」
シートベルトを装着し、赤色灯とつける。
白野 旬
「白野旬、追跡開始!!」
白野がアクセルを踏み抜く。
ブオオオオオッ!!
無線が入る。
高藤 悠介(無線)
『白野!単独追跡するな!位置を報告しろ!』
白野が口元だけ笑う。
白野 旬
「了解!……でも距離詰めます!」
市街地
博多の街並み。夜のネオンに車の流れ。
立花の車が車線を縫うように加速する。
立花 雄二
「……追ってくるか!」
バックミラーに白野の車が見える。立花はハンドルを切り、わずかな隙間へ突っ込む。
ギャギャッ!!
対向車のクラクション。
パァァン!!
立花 雄二
「……邪魔だ!」
白野も同じ隙間へ。
ギュォン!!
運転が異常に滑らか。
白野 旬
「そういう抜け方するなら――」
白野はスッと車線変更する。
白野 旬
「俺も同じことが出来る」
立花が狭い路地へ急旋回。
キキィィッ!
立花 雄二
「……地元の道は全部頭に入ってる!」
車は裏道へ。だが――白野も迷わず追従。
白野 旬
「抜け道なら、こっちのほうが詳しいっすよ」
立花の目がピクリと動く。
立花 雄二
「……警察か!」
ついに道路が開ける。
港方面へ続く一直線の幹線道路。
立花がアクセルを踏み込む。
ブォン!!
白野も並ぶ。
ギュァァッ!!
2台が横並びに走っている。
白野が窓越しに立花を見る。
白野 旬
「止まってください!」
立花が冷たく笑う。
立花 雄二
「……止まるわけがないだろう!」
白野 旬
「じゃあ――捕まえます」
立花の車が少しだけ前へ出る。白野も並走維持。
立花 雄二(心の声)
(しつこい……だが、このまま港に入れば――)
港湾道路
港が見えてくる。クレーンの影が夜にそびえる。
白野の車が――距離を取って、後方に下がった。
立花は勝ちを確信する。
立花
「……終わりだ」
アクセルをさらに踏む。
立花 雄二
「逃げ切った」
その瞬間――港の入口付近に消えたはずの白野の車がいた。
ドン!!と道を塞ぐ位置。
立花の顔色が変わる。
立花 雄二
「……何……!?」
白野は車から降りている。
そして道路脇に立ち、腕を組んでいる。
白野 旬
「こんばんは」
立花が慌ててハンドルを切る。
立花 雄二
「――くそっ!!」
急ハンドルでタイヤが滑る。
ギャアアアッ!!
車は制御不能になり、港の縁石へ――
ドンッ!!
そのまま海へ。
立花 雄二
「うわああああっっっ!!!!!」
ザッパァァァン!!!
水柱が上がる。
しばらくすると海面から立花が顔を出す。
ずぶ濡れ。息が荒い。
立花 雄二
「……っ、はぁ……っ……!!」
岸へ泳ぐ。
ザバッ……
立花が岸壁に手をかけたその時――岸壁の上に、白野が立っている。
白野はすでに準備していたかのように、立花の顔の前に――警察手帳を突き出す。
白野 旬
「観念してください。逃走は終わりです」
立花は肩で息をしながら、
呆然と白野を見る。
立花 雄二
「……なぜ……」
白野が淡々と答える。
白野 旬
「港はね……」
指で海を示す。
白野 旬
「逃げ道じゃない」
目を細める。
白野 旬
「袋小路です」
立花は観念するように、目を閉じる。
立花 雄二
「……っ……」
そして――
立花 雄二
「……負けました」
白野が手錠を見せる。
白野 旬
「殺人罪および道交法違反で逮捕」
カチャン――
手錠がかかる。
白野が無線を取る。
白野 旬
「管理官。立花雄二を確保しました」
無線の向こうから高藤の声。
高藤 悠介(無線)
『よし……!よくやった白野!!』
白野が小さく笑う。
白野 旬
「……任務完了です」
波音が静かに響く。
翌日 機内
潤はシートにもたれ、深く息を吐く。
宝条 潤
「……とんだ会食だった」
隣で遥香が腕を組んだまま、涼しい顔。
神谷 遥香
「“会食”っていうより、事件の出張よね」
宝条 潤
「だよな……北海道でも福岡でも事件って、どんな確率だよ」
遥香がちらっと潤を見る。
神谷 遥香
「……潤が事件に愛されてるのよ」
宝条 潤
「嬉しくないわ!!」
機内アナウンスが流れる。
「まもなく羽田空港に着陸いたします――」
羽田空港/到着ロビー
潤と遥香が出口へ向かう。潤はまだどこか疲れた顔。
宝条 潤(心の声)
(やっと帰ってきた……)
出口が見えた、その時――遥香が足を止める。
神谷 遥香
「……ん?」
潤も顔を上げる。
そこに立っていたのは――綾だった。スーツ姿で完璧に整った美貌。
綾が見つけた瞬間、にっこり笑って手を振る。
宇垣 綾
「おかえりなさい、潤君」
潤が目を丸くする。
宝条 潤
「……綾さん!?え、なんでここに!?」
綾が当然のように、さらっと言う。
宇垣 綾
「北海道でも福岡でも事件があったって聞いたの。心配で迎えに来たのよ」
潤は言葉を失う。
宝条 潤
「心配で……迎え……」
遥香の表情がスッ……と冷える。
神谷 遥香(心の声)
(……は?)
その綾の後ろから――見慣れた巨体の男が「すみませーん」と出てくる。それは柴田だった。
宝条 潤
「柴田警部まで!?」
柴田が手を軽く上げる。
柴田 元治
「よっ!宝条先生」
綾が可愛く言う。
宇垣 綾
「事情を話して、柴田警部に連れてきてもらったの」
遥香の視線がすっと柴田へ向く。
笑っているのに、目が一切笑ってない。
柴田は背筋に寒気を感じる。
柴田 元治(心の声)
(うわ……ハルちゃんの視線……)
遥香が何も言わずただ見ている。
柴田がたまらず頭をかきながら言い訳する。
柴田 元治
「いやあ、綾ちゃんに頼まれちゃって……ついね」
柴田がへへ、と笑う。
遥香が一歩前へ出る。
神谷 遥香(にこやか)
「柴田さん」
柴田 元治
「は、はいっ」
神谷 遥香
「“つい”って何ですか?"つい"でこいつを連れてきたんですか?」
柴田 元治
「い、いや、その……」
遥香がさらに笑顔。
神谷 遥香
「仕事、でしたよね?」
柴田が直立不動になる。
柴田 元治
「し、仕事だ!!仕事!!」
綾が潤の袖をちょん、と掴む。
宇垣 綾
「潤君、大丈夫?怪我してない?」
潤が慌てる。
宝条 潤
「だ、大丈夫!全然!」
遥香の額に青筋(脳内)が走る。
神谷 遥香(心の声)
(袖を掴むな……)
柴田が空気を変えようと咳払い。
柴田 元治
「えーっと……とりあえずみんな帰ろうぜ!」
綾が微笑む。
宇垣 綾
「そうね。潤君、車用意してるの」
宝条 潤
「えっ?」
神谷 遥香
「……えっ?」
潤が恐る恐る遥香を見る。
宝条 潤(小声)
「……遥香?」
遥香は満面の笑顔で言う。
神谷 遥香
「……帰ろうか、潤」
宝条 潤
「はい……」
柴田 元治(心の声)
(この空気……仕事より怖ぇ)
第16話 完
