コミック書評:『梁山泊弐』(1000夜連続278夜目)
『梁山泊弐』は、水滸伝の後日譚という枠を借りて「ビジネス」を描くという異色作だ。梁山泊という組織が壊滅した後、残されたのは理想でも義侠でもなく、先端の"技術"と、それを扱う人間たちの"知恵"であるという思想のもと、この作品は全く新しい歴史ドラマを提供する。
そもそも『水滸伝』の舞台となる北宋は、軍事的には遼や西夏に圧迫されながらも、経済と文化においては異様な成熟を見せた時代だ。紙幣の流通、都市経済の発達、そして技術革新。特に羅針盤・火薬・印刷という三点は、後世から見れば全地球規模での文明の転換点にあたる。本作はそこに「梁山泊の生き残り」を接続することで、暴力の共同体が知力のネットワークへと変質する過程を描き出す。
面白いのは、これらの技術が決してロマンとして扱われていない点だ。羅針盤は航海を可能にするが、同時に海賊や密貿易を加速させる。火薬は兵器としての側面を持ちながら、建築にも転用される。印刷は知を広めるが、同時に偽書や扇動も拡散する。つまり、技術は常に「統制」と「逸脱」の間で揺れる。本作はその緊張関係を、国家と商人、官と民のせめぎ合いとして描く。
梁山泊の生き残りの一人である李応が率いる『弐』は、武力組織ではない。物流を握り、情報を流通させ、必要とあらば火薬を供給する。国家にとっては便利でありながら危険な存在であり、だからこそ完全には排除されない。この曖昧なポジションこそが、本作の緊張感を支えている。
作風としては「サラリーマン金太郎」に近いと言われるのも納得で、個々のエピソードは商談、交渉、利権争いといったビジネスドラマの形式をとる。ただし舞台が北宋である以上、そこには科挙官僚、塩の専売、軍需といった当時特有の制度が絡み、現代の企業ドラマとは異なるスケールと歪みが生まれる。義ではなく利、しかし利の積み重ねが結果として新しい秩序を生むという構造は、むしろ現代的ですらある。
そして何より、本作の核心は「梁山泊とは何だったのか」という問いの再定義にある。かつては武によって世界に抗った者たちが、今度は知と流通によって世界を書き換える。その変化は成長ではなく、環境への適応だ。だからこそ苦くも現実的な希望がある。
『梁山泊弐』は、英雄譚の後に訪れる空白を埋める物語であり、同時に英雄たちの「武力ではない戦い」を描いたビジネスコミックだ。武器を捨てた者たちが、なお世界を変え得るのか。その問いに対するひとつの回答が、ここにある。
というマンガが存在するテイの書評。
★スキが沢山ついたらホントにコミカライズされるかも★
参考にした記事)
視点。おれ、てっきり全員死んだんだと思ったら離脱して生き残った人が結構いるんですね。というところから完全オリジナルで作ったら面白そうだな、と。
