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『猛暑の結界で出会った一匹のカエルが、私の「当たり前」を全部書き換えた日』


肌をなでる灼熱と、日常という名の「過酷な巡礼」


現在の気温は36度。

一歩、家の外に踏み出した瞬間、まるで誰かの体温そのものが触れてきたかのような、重く生暖かい空気が全身にまとわりつきます。

空気そのものが質量を持って迫ってくるような、圧倒的な夏の自己主張。

アスファルトからは容赦ない熱気が立ち上り、頭上から降り注ぐ強烈な日差しと挟み撃ちにするかのように、体力をじわじわと奪っていきます。

ほんの少し歩いただけで、頭がクラクラとし、体がふらつくのを感じます。

ふと視線をやると、神社の前に流れる小さな川のほとりで、5、6人の高齢者の方々が草刈りをされていました。

全員がしっかりとヘルメットをかぶり、手に草刈り機を握りしめて、生い茂る草を黙々と刈り取っています。

この尋常ではない暑さの中、誰かのために、地域の美しさのために、額に汗を流して肉体労働に従事するその姿。

その過酷さと尊さに、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような、深い敬意がこみ上げてきます。

「九州、四国、中国、近畿、みんな梅雨明けしたんだな……」

この場所の梅雨明けも、もうすぐそこに迫っているのでしょう。

それにしても、容赦のない熱気です。

私の頭の中は、いつの間にか「ひんやりとした救い」でいっぱいになっていました。

冷たいアイスクリーム、喉を冷やすビール、甘く瑞々しいスイカ。

お昼ご飯は冷やし中華にしようか、それとも涼しげなそうめんにしようか。

暑さに耐えかねた脳裏を、ひたすら五感を満たす冷涼なごちそうたちが駆け巡っていきます。

鳥居が紡ぐ静寂の結界、そして小さな「命」との邂逅


ふらふらとした足取りのまま、神社の鳥居の前に辿り着き、その下に一歩足を踏み入れました。

その瞬間、信じられないことが起こります。

「……涼しい」

杜の深い緑が強い日差しを完全に遮り、一瞬にして空気が一変したのです。

さっきまでの肌にまとわりつく湿気と熱風が嘘のように消え去り、神聖で、冷涼で、澄み切った大気が体を包み込みます。

それはまさに、目に見えない「結界」が張られているとしか思えないほどの不思議な劇的変化でした。

つい先日までは美しい鶯(うぐいす)の声が響いていたこの参道に、今日はじめて、今シーズン最初の蝉(せみ)の鳴き声が響き渡っているのを聞きました。

そういえば、去年からずっと、風雨に耐えて木の幹にしがみついていた古い蝉の抜け殻があったことを思い出します。

今年、新しく羽ばたいていった蝉たちの「生命の旅立ちの殻」がどこかにないだろうかと、私は宝探しをするような気持ちで、参道をゆっくりと歩み進めました。

残念ながら、新しい抜け殻は見当たりません。

けれど、見上げれば、青々と繁茂した木々が太陽を包み込み、木漏れ日はほんのわずかに、山肌を優しく照らすのみ。

光と影が織りなすコントラストは、どこか厳かで、私の波立っていた心を静かに、平らかに、洗い流してくれます。

思考はいつの間にか、食べ物への渇望から、大自然の精妙な美しさへと移り変わっていました。

手水舎(ちょうずや)に近づくと、それは大きな凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)をくり抜いて作られた見事な岩の佇まいをしていました。

竹筒からこんこんと湧き出る井戸水に手を浸すと、息をのむほどの冷たさが全身に駆け巡ります。

体に直接浴びてしまいたいほど心地よいその冷たさに、魂までが瑞々しく生き返るような感覚を覚えました。

ふと、井戸水が流れ落ちる竹筒の口の上に目をやると、そこには、私の小指の先程の大きさの、本当にちいさな、ちいさなアマガエルが一匹、ちょこんと腰掛けていました。

「なんて愛らしいんだろう……」

私は、その小さな背中にそっと、冷たい井戸水をかけてやりました。

驚いて逃げてしまうかと思いきや、カエルは逃げるどころか、むしろ気持ちよさそうに、小さな喉をぷくぷくと膨らませたり凹ませたりして、全身でその潤いを受け止めているのです。

その瞬間、私の胸の奥に、言葉にならない愛おしさと癒しが満ち溢れていきました。

この過酷な暑さの中で、こんなに小さな命が、自分の役割を一生懸命に生きている。

そして、私が差し伸べた「冷たい水」という恵みを、確かに「心地よい」と感じて受け取ってくれている。

人間と小さな両生類という壁を超えて、ひとつの命の通い合いが生まれたような、そんな温かい奇跡に、涙が出そうなほどの喜びを感じたのです。

白い世界へ戻る時、気づかされた「奇跡」という名の日常


心を優しく満たされ、お参りを終えた私は、再び参道を下り、元の鳥居の前まで戻ってきました。

鳥居の向こう側を見つめると、そこは、息をのむほど眩しい「白い世界」でした。

強烈すぎる太陽の光がアスファルトや周囲の景色を白く飛ばし、直視できないほどにギラギラと輝いています。

視界の先には、先ほどと変わらず、耳をつんざくような草刈り機の音と、黙々と刈り取った草をかき集める高齢者の方々の姿がありました。

結界の外へ、一歩。

瞬時に、あの人肌のぬるい大気が再び体を包み込み、容赦ない灼熱がどっと押し寄せてきます。

体が急激に熱を帯び、ドクドクと心臓が波打つのを感じます。

思考は一気に現実に引き戻され、またしても頭の中が「冷たいビール」と「冷やし中華」でいっぱいになっている自分に気づき、思わずクスッと笑ってしまいました。

けれど、この瞬間の「ビールが飲みたい」「冷やし中華が食べたい」という思いは、先ほど鳥居をくぐる前の乾いた渇望とは、まったく異なる温かな光を帯びていました。

「ああ、食べたいものを食べることができ、飲みたいものを飲めるということは、なんて贅沢で、なんて幸せなことなんだろう」

私たちは普段、喉が渇けば蛇口をひねり、冷たい水を飲み、お腹が空けば好きなものを食べる生活を「当たり前」だと思っています。

しかし、この過酷な暑さの中で働き、その後に疲れを癒す冷たい飲み物や美味しい食事があり、帰るべき安全で涼しい家があること。

それは決して「当然の権利」ではなく、無数の条件と、誰かの労働と、地球の恵みが奇跡的に噛み合って用意された、究極のギフトなのです。

今この瞬間も、地球のどこかでは、そのささやかな幸せすら奪われ、渇きや飢え、不安に直面している人々がたくさんいます。

そう思ったとき、生暖かい空気の中で、私の心には温かく光り輝く「感謝の波動」が満ちていました。「与えられていること」にただ感謝し、今手の中にあるすべての奇跡を、愛おしく抱きしめよう。

そんな誓いのような温かさが、魂に深く刻まれたお参りとなりました。

私たちが本当に求めている豊かさとは、遠くにある特別な何かを手に入れることではありません。

この猛暑のなか、涼しい風に、冷たい水に、小さなカエルの瞳に、そして一杯の冷たい飲み物に「神聖なる宇宙の愛」を見出し、胸を震わせること。

その瞬間に、あなたの波動は最高潮に達し、世界の無限の豊かさと共鳴し始めるのです。

『知は争いに出ず』〜エゴを手放し、命を祝福する真の叡智へ〜


私たちは生きている中で、たくさんの「知恵」や「知識」を身につけます。しかし、その知恵は一体、どこから、何のために生まれてくるのでしょうか。

荘子の教えに、「知は争いに出ず(ちはあらそいにいず)」という言葉があります。

人間の都合の良い「知恵」や「ずる賢さ」というのは、往々にして「他者と争うとき、自分を守ろうとするとき」に生まれやすい性質を持っています。

幼い子どもを観察しているとよく分かります。

一日一日と知恵がついてくると、子どもは自分のわがままや要求をなんとか通そうとして、泣き真似をしたり、大人の顔色を窺って笑ったり、時には乱暴を働いたりするようになります。

思い通りにいかない他者との「小さな争い」のなかで、自己防衛やコントロールのための「知恵」を学習していくのです。

そして私たちは大人になる過程で、その「争いの知恵」をさらに研ぎ澄ませていきます。

学校というシステムの中では、知識と点数を競い合い、友人たちと席を争って「良い成績」をもぎ取ろうとします。

社会に出れば、会議室に集まり、「いかにして競合他社に勝つか」「他社より抜け出すか」という闘争に負けないための知恵を必死に絞り出します。

知識や教養を深めることは、本来、自らの心を耕し、人格を磨き、世界をより深く愛するための美しい営みのはずです。

それなのに、現代を生きる私たちはいつの間にか、「他人に負けないため」「ライバルを蹴落として勝つため」に、知恵を武器として開発してしまってはいないでしょうか。

誰かの幸せを願い、世界の調和と平和を守るために使われる知恵は、本当に美しく、天界の光そのものです。

しかし、ただ「エゴ(自己)の勝利」のためだけに、自然の法則を歪め、大自然が与えてくれた神聖な「命」を賭けてまで争いの武器を磨くことは、私たちの本質である「愛」から最も遠ざかる行為です。

あの神社の鳥居の中にあった、静寂。

あの小さなカエルが教えてくれた、ただ生を全うし、与えられた水を喜ぶ無垢な姿。

争うための知恵を手放し、ただ「今、生かされていること」を祝福し合うとき、私たちはエゴの檻から解放されます。

争う知恵ではなく、お互いを生かし合い、感謝を循環させる「愛の叡智」へとシフトしていきましょう。

それこそが、私たちがこの地球という学び舎で思い出すべき、究極の真理なのです。


【幸せを呼ぶ3つの方法】


  • 1.五感を味わう: 水の冷たさや温かさを「宇宙のギフト」として、10秒間だけ目を閉じてじっくりと感じてみましょう。

  • 2.小さな命に感謝する: 道端の花や流れる雲など、日常のささやかな命の輝きに、心の中で「ありがとう」と伝えてみてください。

  • 3.3つの奇跡を数えて眠る: 布団に入ったら「ご飯が美味しい」など、当たり前だけど幸せなことを3つ思い出して眠りにつきましょう。




参考文献:「老子・荘子の言葉100選」 境野勝悟筆 三笠書房


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