オトナ帝国と現代社会──“自己実現”に酔う敗北者たちへ
昭和の懐メロが流れ、レトロな団地でのんびり暮らす。
子どもを放り出してまで“過去の記憶”にすがる大人たちの姿が描かれた映画──『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』。
あの映画を笑って観ていた我々こそ、今では笑えない側に立っている。
そう、2025年の僕らは、あの頃の「オトナ帝国」に限りなく似てきてしまっている。
しかも厄介なのは、当の本人たちがそれに気づいていないこと。
いや、むしろ「俺たちは進化してる」と思ってる節すらある。
滑稽で、悲劇的で、むしろ芸術的だ。
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1. 自己実現という名の“自己陶酔”
「やりたいことをやる」「好きなことを仕事に」「自分らしく生きる」
なんて麗しい響き。もはや現代人の呪文である。
けれどその実態はどうだ?
自己実現なんて大層な言葉の裏に隠されたのは、“ただのわがまま”であり、“責任放棄”でしかない。
昭和の大人たちは過去に逃げた。
現代の大人たちは「自己実現」というふわふわした未来に逃げている。
どっちも現実から目を背けてることに変わりはない。
「今の仕事が自己実現じゃないから辞めます」
「自分に素直になって、独立します」
──いや、それただの現実逃避やろ。
自己実現じゃなくて、自分大好き実現、だ。
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2. おもちゃに夢中の“大きな子ども”たち
あの映画で、団地の大人たちはテレビの前で「懐かしい〜」と目を潤ませていた。
現代の僕らはどうか?
・推し活に月10万使う40代
・開封すらしないガンプラを積み上げる独身貴族
・深夜にYouTubeでゲーム実況を見て「勉強になるなあ」とか言ってる自称インテリ
笑えない。
マジで笑えない。
おもちゃの形が変わっただけで、やってることはあの団地のおじさんたちと大差ない。
しかも今は、それを「趣味の充実」とか「自分へのご褒美」とか言って正当化する時代。
本当に自分にご褒美をあげるべき人って、もっと泥臭く生きてる人じゃないか?
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3. 仕事という名のロールプレイングゲーム
「転職したら年収が50万上がった!」
「資格取ってキャリアの可能性が広がった!」
「副業が月5万の不労所得に!」
おめでとう、レベル5から6になったね。
でもさ、それ本当に“人生が前進”してるんだろうか?
多くの人が、仕事を“RPG化”している。
職位=レベル、報酬=アイテム、上司=ボスキャラ。
そうやってゲーム感覚で“努力”してる自分に酔っている。
けど、そのゲームの“エンディング”がどこにあるか、ちゃんと考えたことある?
・社畜のレベル99
・年収1,200万のメンタル崩壊
・子どもに「パパの顔、あんまり知らない」と言われる最終回
──そんなバッドエンドが、画面の外で待っている。
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4. 怒られないようにするために生きている大人たち
オトナ帝国の住人たちは、「怒られない」世界に引きこもった。
上司もいない。妻も怒らない。昭和の子ども番組が微笑んでくれるだけ。
今の社会も大差ない。
「失敗しないように」「上司に嫌われないように」「SNSで炎上しないように」
──まるで小学生だ。
それでいて、「自由に生きてます!」とか言っちゃうんだから、なかなかのジョークだ。
本当の自由って、「怒られる」可能性がある場所で、自分の意志で立つことじゃないの?
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結論:大人とは、子どもに戻らない勇気を持った“子ども”である
あの映画でひろしが語った「俺には未来がある」って台詞。
あれこそが、大人の定義だった。
過去にしがみつくでもなく、
自己実現という名の快楽に溺れるでもなく、
家族から逃げるでもなく。
目の前の小さなしんのすけを、未来へ連れて行こうとした“覚悟”。
それが「カッコイイ大人」ってやつだ。
──さあ、どっちを選ぶ?
「趣味充してるオレ、自己肯定感高っ!」って思いながら、団地のテレビの前に座り続けるか。
それとも、汗臭くて、面倒で、不器用でも、“誰かの未来”に責任を持つ道を選ぶか。
僕は、そろそろリモコンを置こうと思う。
あのオトナ帝国の入り口で、くるりと踵を返す勇気を、持ちたい。
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