「着物は鎧だ」と言われた日。自分を守るための服があってもいい
「あなたが着物を着ていると、鎧を着ているように見える」
かつて、行きつけのカフェバーで常連さんに言われたその言葉が、ずっと胸の奥に刺さっていた。
当時の私は、今とは全く違う仕事をしていて、人生のステージとしても考えることが多く、若くて弱かった。そんな悩み相談をその頃話していて、言われたのである。
――「あなたは着物を着て、鎧をまとっているように見える」と。
もう昔のことなので、その前後は記憶にはないけれど、私はその言葉が突き刺さった。
仕事のない週末、着物を羽織って鏡を見て笑みが溢れる。
癒しの時間である。
それを鎧と言われたのだ。正直なところ悲しかった。
高そうな着物を着ていたら萎縮する人もいるかもしれない。それは私も意図することではない。だけど、好きな服を着て心を安定させることはいけないことなのだろうか?
確かに着物という安定剤を纏っている私は武装しているのかもしれないのだけど、他の人から鎧のように見えるのかもしれないことに戸惑っていた。
そもそも服で武装することは悪いことなのだろうか?
人間にとって衣服は体温調節をしたり怪我から守ったりするだけではない。
場面に応じた服を着ることで社会に適応したり、好きな服を着ることで自己表現をしたりする。
スーツを着たら仕事モードになる。
お化粧をしたら表の顔に切り替わる。
そんなことを何も考えずに多かれ少なかれ誰もがやっているのではないだろうか?
思えば当時の仕事の時の服装は重装備だった。
コムサのスーツ、小さなダイヤのピアス、高いリキッドファンデ、ネイル等々、立場のある人間であることを示すための鎧であり、こちらも必要なものだった。
自意識過剰なのでは?とは言わないでほしい。なんの装備もないカットソーとチノパンの姿で初めて会うベンダー様との打ち合わせに出たことがある。
しばらくアイスブレイクの話題をしていたら、
「担当者様はまだですか?」
と聞かれてしまった。
社会では装いで判断されることだってあるし、場所に相応しい装いが必要な場合だってある。
私はなかなか切り替えができない人間で、休みの日でも仕事のストレスに絡め取られていたと思う。
でも、着物を着るようになって初めて、
「良き❤️」
と笑みを浮かべる鏡の中の自分に出会えるようになった。
ようやく私は休日にちゃんと休むことができるようになって、少しずつ安定するようになっていった。
着物だけが鎧になるわけではない。それは他の誰かのロリィタファッションかもしれないし、コスプレかもしれない。近年、心理学の分野では、着る服が人の認知や行動を変えることを「衣服認知効果」、好きな服で気分を上げることを「ドーパミン・ドレッシング」と呼ぶそうだ。
難しい言葉はさておき、身に纏って鏡の中の自分が
「良き❤️」
と言っているなら同じなのではないかと思う。
あの頃、着物を着て自分の心を守っていた。
確かに鎧だったのかもしれない。でも、あの時、必要な鎧だったのだ。
中に弱く脆いものがあることがわかっているのに「鎧を脱げ」と言うのは暴力的ではないだろうか。
自分を守る権利は誰にでもある。
今なら笑って「鎧上等」と言えるくらいには、年齢を重ねた。
そして気づけば、着物は鎧を通り越して、もう皮膚みたいなものになっている。
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