【吐露】字の基礎を極めたら逆にそれは… ~泣くなよ私~
ただ基本に忠実な楷書文字を書き
基礎を極めようとしている毎日に
思ったこと…
基礎を極めたら
それは逆に「芸術」なんじゃないかと。
教室開設の際にポスティングした
手書きのチラシを見て来てくださった大人の生徒さんが
「これ、感動しました。」
と興奮して言ってくれたことを覚えている。
感動❓️
基礎で感動を与えられる❓️
独創性や奇抜さの欠片もない
ただ正しいだけの楷書文字でも
人を感動させることができるのかもしれない
と思った。
独自性が尊重され
異端さや斬新さ、突飛な発想が求められる現代に
ただ基本的なことをやり続けていることは
ある意味「芸術」と呼んでいいのではないかと思った。
テクニックで見せかけの「うまい字」を
書きたいわけじゃない。
ただ正しくありたいと願い書いている。
でも
その文字は
人の目に自然と「きれい」に映り
感動を生むことができるのかもしれない。
なぜか
きれい過ぎるものを見ると
自然と涙が溢れることがあるように。
だから
これでいい。
私はこれでいい。と思った。
絵を描くこと
デザインすることは昔から大好きで
心のままに、心に素直に生きるなら
私は本当は
書くことでいろんな表現をしたいと思ってる。
子どもが手を離れたら
やりたいことは絵を描くこと。
(水墨画、水彩画、油絵、鉛筆画…全部やりたい)
だから
深層心理では
きっと私は「書道」の分野のことをやりたいんだと。
それでも今は基礎を極めたくて
楷書文字を徹底的に極めたくて
それは「好きだから」これからもきっと続ける。
でも
基礎的な字は
いつまでも
「作品」と呼ばれることはなく
「アート」と呼ばれることもなく
飾られるようなものではない…
きっと自分の中に何かの葛藤がある…
それは虚しさに似ているのかもしれない…
でも
毎日自分の字を見ていて
同じ字を他に書ける人が少ないなら(いないなら)
それは「芸術」と呼んであげたいと思った。
つまらない
何のクセもない
何の“らしさ”も出さない基本的な文字でも
それを極めれば
その字を「芸術」と呼んであげたいと。
たぶん
自分を慰めているのだろう。
両極端の気持ちが引っ張り合っている。
でも今は「基礎を極める」と決めている。
解っている…
習字(書写)は
芸術ではないから値がつくものではない
解っていて…私は
クリエイティブな表現を完璧に封じ込めた
つまらない基礎的な字を極めていく。
「正しいお手本」と銘打って書かれた
書道風(行書)の文字を
「それ、違うし」と厳しい突っ込みを入れる自分がいるのは、
本当は自分がやりたいことを遠ざけるため、
毛嫌いするように言い聞かせているだけなのかもしれない。
私は
これでいい。
これからも
これでいい。
泣くなよ私。
字はくずせばくずすほど簡単で
くずせばくずすほど
うまく見えます。
完全な下書き


勢いで書いた下書き
「行書なんて
いつでもすぐ書けるから」
本当はデザインやアートを書きたい
それを戒めるかのような心の叫びだと思います。
