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【自己紹介・断片】 えんぴつと紙があればいい ー2

私は
書道歴を聞かれても
習字歴を聞かれても
「ありません。」
です。
(公文書写の指導者になるために開設前、数年間、公文書写教室には通いましたが)

では
如何にしてこの字は作られたのか…
私が
・硬筆
・楷書
・ひらがな
・お手本の見方
にこだわる理由に繋がります。
「私はそれしか習ったことがないから」です。
5才の時に半年間くらいか…
習っただけです。
それは父から。

私は5才の時
小学校教師だった両親(特に父親)から
ひらがなを習いました。
それはそれは厳しく…
厳しいというかそういう言葉ではなく…

完全模写しなければ飛んでくる手があった…
時に
できないからでなく
気分で飛んでくる手もあった…
(そっちの方が多かったかな…)
5才の私にとっては生きるか死ぬかで…
泣いても泣いても
飛んでくる手だった…まぁ足も…
本当の「命がけ」で
ひらがなを書き続けました。

幸いにも
私は書くことが好きでした。
怯えながらも
書くことは苦しくはなかったと思います。
そして
奇しくも私は模写が得意でした。
見たものをそのまま書いて再現することが
多分…得意でした。

鉛筆もノートも買ってもらったことはなく
父の学校の落とし物の鉛筆で
新聞チラシの裏に
書写の教科書のひらがなを
書き続けました。
できなければ愛されないと思っていたから…
褒めてほしかったから…
完璧に模写することだけを目指して
書き続けました。

ひらがなを書き続けて
そこで私が学んだことは
「ひらがな」
ではなく
「お手本の見方」でした。

きれいなお手本さえあれば
どんな字(漢字)も
自分で見て分析して同じように書けることが判りました。

私の「きれいな字」までに辿った経路で
結果としてずっと実証されてきたこと…
だから私がうるさいのは
「お手本の見方」
「硬筆」
「楷書」
「ひらがな」です。

たまたまですが、
実際、大人になって一番使うところが
一番得意です。
そして、
たまたま、そこが得意な人が少ないため(そう感じているため)それが活きているだけで…

子どもの頃から
書道教室に通っている子より字がうまかった
集中力もある子どもだった
礼儀も正しい子どもだった
書く習慣も身に付いていた
静かで落ち着いている子どもだった
美術・技術が得意な子どもだった
忍耐力もある子どもだった
大人になっても
書道教室に通っていた人より明らかに字がうまかった…

ずっとずっと…
「書道教室(習字教室)ってなんだろう…」と思っていました。
何を学ぶところなんだろう…
何を身につけるところなんだろう…


親が学校の先生なら「育ちがいい」と…
私の字を知らない人からも
「どっかのお嬢様だよね」と…

実際、私の雰囲気がそんな感じのようで、
よく言われますが
「・・・・」でしかない…

教室の大人の学習者さんにも 
「先生も冗談とか言うんですね」
と言われたこともありました
「・・・・」でしかない…

どこがですか…
私は名もなき雑草です。
きっと雑草ですらない…

「きっと、親御さんから
素晴らしい教育を受けられて…」
ではないんです。
「順風満帆な…」ではないんです。

私のスタートはゼロでなく
マイナスです。
マイナスからのスタートでした。
生きるか死ぬか…
そんな場所でただ書き続けた
それだけです。

「書道の先生に習って、
おうちでも先生に教えてもらって、
環境を整えてもらって、
さぞ……
さぞかし…」
ではないんです。

環境も何もない…
それどころじゃない

だからこそ
だからこそ
と思います。

私にできて
他の人にできないわけがない
と思います。

だからこそ
たからこそ
私は
優しい字を書きたい、と思います。
正しいだけでなく優しい字を書きたい、
と思います。
その「優しさ」は
ゼロをプラスにする優しさでなく
マイナスをゼロにする優しさでありたい
そう思っています。

小林正観さんが言っていた…
「本当の優しさとは
権威がある者が権威がない者に
その力を行使しないことである」と。
「そして
その本当の優しさを持っている人は
権威がある者から
その力を行使された経験がある人だけだ」と。

それが「本当の優しさ」かどうかは
私はわかりませんが
それが本当なら
私はきっと優しい…。(はずです。)

きれいな字を書くために
優しい字を書くために
みんながみんな
私と同じ境遇だったらたまったものじゃない。
同じ道をなぞる必要はない。

誰でも必ず
字はきれいになる。

だから
「やっぱり…」とか
「どうせ…」とか
思わないでいてほしい
です。

私が持っていたものは
父の学校の落とし物の鉛筆で、
書いていた紙は
新聞のチラシです。
それが私の「書」の始まりです。

それでも5才の私はきっと楽しかった…
これで教科書と同じように書けたら
父も笑ってくれるんじゃないか…
その未来を描いていたから
きっと楽しかったでしょう。

ずっと
何かができないと愛されないと思っていた…
そうして
何でもできる「優等生」が出来上がりました。
命がかかっているから必然とも言えます。
そして
その反動でグレるのも必然だったのでしょう。


目が見えて
動く腕があり
持てる指があり
そこに鉛筆と紙があった
あの時に
あの時に
それを幸せと呼べたなら
傷はもっと早く治ったのだろうか…。

物心ついた時から今日まで
私はずっと
書写と共に生きてきました。

教室に通うことだけを
「書写歴」と呼ぶのでないのなら
私の書写歴は誇れます。

暴力の嵐の中で生まれたこの字は
いつか誰かを救えるだろうか…。

私は
「さぞ書写教室に長く通われて…」
「まぁそれはそれは
どっかのお嬢様で…」
ではありません。


今なら解ります。
それでも私は
それでも私は…
満たされていたと…今なら解ります。

いつも
そこには
えんぴつと紙があったから。



【自己紹介・断片】えんぴつと紙があればいいー3に
ちょっとだけ続きます。


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