【noteマネー掲載】第6章:投資で最も危険なのは"古い理解"だ。ソニーグループ(6758)で学ぶ忘却曲線と反復学習
前回の最後に、こう問いかけました。
「ソニーは何の会社ですか?」
いま頭に浮かんだ答えを、覚えておいてください。この記事の途中で、答え合わせをします。
前回は「思い出す」話でした。忘れることへの対策です。
今回はその逆側の話をします。忘れていないのに、間違っているという状態についてです。
※本記事は公開情報の整理であり、特定銘柄の売買を推奨するものではありません。数値は各時点のもので、投資判断はご自身の責任でお願いします。
1. 忘却曲線が本当に示していたこと
まず、記憶研究の古典から入ります。
ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスが19世紀に行った実験から導かれた「忘却曲線」です。よくこういう数字で紹介されます。
20分後に42%を忘れる
1日後に67%を忘れる
1週間後に75%を忘れる
「一度学んだだけでは、ほぼ全部忘れる」という、なかなか残酷なグラフです。
ただし、この数字には注釈が必要です
投資家として数字を扱うなら、出所を確認する癖はここでも活きます。
エビングハウスの実験は、「意味のない音節」を自分ひとりで暗記したものでした。「zok」「ryd」のような、意味を持たない文字列です
そして測定したのは「忘れた割合」ではなく、再び覚え直すときにどれだけ手間が減るか(節約率)でした
つまり「1日後に67%忘れる」は、厳密には「1日後に覚え直すと、最初の33%程度の手間で済む」という意味に近い
前回書いた「一度調べた会社は、二度目が速い」は、この節約率のことです。
そして、ここからが本題です
忘却曲線には、投資家にとって決定的に重要な性質があります。
忘却は測定できる。
エビングハウスは「どれだけ忘れたか?」を数字にできました。私たちも「あの会社の売上、いくらだったっけ?」と思った瞬間に、自分が忘れたことを自覚できます。
でも、こういう曲線は存在しません。
「理解の古さ」を測る曲線。
自分の持っている知識が、いつの時点のものなのか?
それは何%ズレているのか?
これを測る方法は、記憶の中にはありません。
だから、こういう非対称が生まれます。
忘れた場合:「よく知らない」と自覚できる。だから調べ直す
古い理解が残った場合:「知っている」と思い込んでいる。だから調べ直さない
自覚のなさが、この問題の本質です。
しかも厄介なことに、古い理解ほど強固です。何度も繰り返され、他人との会話で使われ、自分の中で確信に育っている。新しい情報が入ってきても、古い理解のほうが脳内で勝ってしまう。
2. 投資で起きる「古い理解の固定化」
典型的なパターンを挙げます。
社名から受ける印象で事業を推測する:「電機」「重工」「製薬」といったラベルで判断してしまう
昔の主力事業を今の主力だと思っている:「稼ぎ頭」が入れ替わっているのに気づかない
一度作った評価を更新しない:「あそこは万年赤字」「あそこは安定高配当」という固定観念
知名度の高い製品で会社全体を代表させる:一般消費者向け製品は目立つが、利益の主力とは限らない
この4つ全部に当てはまるのがソニーです。
3. ソニーの「古い理解」を3段階で解体する
面白いのは、ソニーの古い理解には世代があることです。それぞれ「一世代前は正しかった」ので、たちが悪い。
古い理解①:ソニー=家電メーカー
ウォークマン、テレビ、オーディオ。この印象は昭和から平成にかけて完全に正しいものでした。
しかし現在、テレビやカメラなどのエレクトロニクス製品は「エンタテインメント・テクノロジー&サービス」分野に含まれ、全社の利益を牽引する立場ではありません。2026年3月期も、ディスプレー販売は不振でした。
現在の主力事業ではありません。
古い理解②:ソニー=PlayStationの会社
これは「半分正しい」タイプの古い理解です。だからこそ厄介です。
ゲーム&ネットワークサービスは確かに主力の一つで、2026年3月期には円安とネットワークサービスの好調により最高益を記録しています。
でも「ゲームの会社」と要約すると、これが見えなくなります。
2026年3月期に過去最高益を更新したのは、ゲーム&ネットワークサービス、音楽、イメージング&センシング・ソリューションの3分野
とくにイメージセンサーは、スマートフォン向けの大判化・高画質化を背景に伸び続けています
ソニー自身が、イメージセンサーにおける「世界No.1ポジション」をさらに強固にすると明言しています
スマートフォンのカメラ、車載、産業用。あなたが今持っているスマホの中に、ソニーの部品が入っている確率は相当高い。でもそれは目に見えません。
古い理解③:ソニー=ゲーム・音楽・映画・半導体・金融の5本柱
そして、ここが今回いちばん重要なところです。
この理解も、もう古いです。
ソニーは2026年3月期に、ソニーフィナンシャルグループのパーシャル・スピンオフを実行しました。金融事業は連結から外れ、会計上は「非継続事業」に分類されています。
この影響は、決算数字の見え方を大きく変えました。
スピンオフに伴う会計処理で、1兆3,777億円規模の非資金的損失が認識されました
そのため、連結の最終損益と継続事業ベースの数字が乖離しています
2026年3月期(2026年5月8日発表)の数字はこうです。
売上高:12兆4,796億円(前期比3.7%増)
営業利益:1兆4,475億円(同13.4%増)で過去最高を更新
最終利益:1兆308億円(同3.4%減)。前期の最高益1兆1,416億円には届かなかったものの、1兆円の大台は確保
減益要因として、ソニー・ホンダモビリティの電気自動車発売中止に伴う449億円の損失を計上
ほかにBungieの無形資産等の減損1,201億円なども発生
あわせて5,000億円を上限とする自社株買いを発表
ソニーは「複合企業」から「エンタメと半導体で稼ぐ会社」へ純化した。 これが2026年時点の姿です。
この3段階が示していること
①の理解は30年古い
②の理解は10年古い
③の理解は1年古い
そして厄介なのは、③のような「つい最近まで正しかった理解」です。
「ソニーは金融もやっている複合企業」と説明している記事や書籍は、今も大量にあります。それを読んで学んだ人は、古い理解を新しく仕入れてしまうわけです。
冒頭で頭に浮かべた答えは、どの世代のものだったでしょうか?
4. なぜ古い理解は上書きされないのか?
新しい情報に触れているはずなのに、なぜ理解が更新されないのか?
理由がいくつかあります。
理由①:ニュースは「差分」しか伝えない
決算のニュースは「営業利益が13.4%増えた」と伝えます。でも「そもそもこの会社の利益はどこから来ているのか?」は説明しません。
差分の情報は、土台の理解がある人にしか意味を持ちません。
土台が古いまま差分だけ足していくと、古い土台の上に新しい数字が乗るという奇妙な状態になります。
理由②:確認する機会がない
「ソニーは家電の会社だ」という理解は、日常生活で否定されません。むしろテレビ売り場に行けば補強されます。
間違った理解ほど、日常的に反証されにくい。
理由③:ラベルは便利すぎる
「ソニー=家電」は短くて使いやすい。「ソニー=イメージセンサーとゲームと音楽と映画で稼ぐ会社」は長い。
認知の経済性が、正確さを犠牲にします。
理由④:一度言語化したものは記憶が固い
前回書いたとおり、思い出す作業は記憶を強化します。皮肉なことに、これは間違った理解にも効きます。
「ソニーは家電の会社だよね」と何度も口にするたび、その理解は強化されていきます。
反復学習は、中身が正しいときにだけ武器になるということです。
5. 反復学習が「上書き」として機能する条件
ここが前回からの発展です。
前回は「思い出す」ことの効果を書きました。でも古い理解を持っている場合、ただ思い出すだけでは古い理解が強化されるだけです。
必要なのは、思い出した内容を、外部の事実と照合することでした。
手順にすると
ステップ1:資料を見ずに、その会社について思い出す(=検索練習)
ステップ2:実際の資料と突き合わせる(=答え合わせ)
ステップ3:ズレていた部分を特定する
ステップ4:ズレていた理由を考える。いつの情報で止まっていたのか?
前回は「外していた部分を記録し、違う切り口で再訪する」という方向でステップを紹介しました。でも古い理解の解体には、もう少し掘り下げた問いが要ります。
ソニーでやってみると
資料を見ずに「ソニーの利益はどこから来ているか?」を書き出してから、決算短信のセグメント情報を開く。
多くの人は、こうズレるはずです。
家電の比重を、実際より高く見積もっている
イメージセンサーの規模を、実際より小さく見積もっている
金融事業がまだグループ内にあると思っている
3つ目に気づいた瞬間が、いちばん価値があります。「自分は1年前の理解で止まっていた」と自覚できるからです。
6. ソニーは「反復学習に向いている企業」
ソニーが教材として優れているのは、理解が壊れる機会が多いからです。
四半期決算:セグメント別の利益構成が更新される
新型ゲーム機やソフトの発売
映画のヒット・不振
音楽事業のM&A
半導体の設備投資発表
事業の再編・分離:今回の金融スピンオフのように、会社の形そのものが変わる
とくにソニー・ホンダモビリティの件は象徴的です
数年前、「ソニーがEVを作る」というニュースは大きく報じられました。当時それを覚えた人は、「ソニーはEVをやる会社」という理解を持ったままかもしれません。
でも2026年3月期には、発売中止に伴い449億円の損失が計上されています。
期待を覚えた人は、その撤回も覚えないといけない。
でも撤回のニュースは、開始のニュースほど大きく報じられません。ここに古い理解が生まれる構造的な原因があります。
反復するとソニーの本質が見えてくる
複数回、違う切り口で見ると、こう整理されていきます。
半導体としての顔:イメージセンサーで世界No.1ポジション。スマホ・車載・産業用に不可欠な部品を供給する
IPとしての顔:音楽、映画、ゲームソフト。作ったものが長期にわたって稼ぐ資産になる
プラットフォームとしての顔:PlayStationはハード・ソフト・ネットワークの統合モデル。ネットワークサービスが利益を安定させる
そして今、金融という安定収益の柱を外した
最後の一点が、投資判断に直結します。
金融事業は市況に左右されにくい安定収益源でした。それを外したということは、業績の振れ幅が大きくなる方向への変化を意味します。エンタメと半導体は、どちらも景気やサイクルの影響を受ける事業だからです。
「純化してわかりやすくなった」と評価することもできるし、「クッションを失った」と評価することもできる。
どちらの評価をするにせよ、スピンオフを知らなければ議論の入口にも立てません。
7. 投資家が確認したい「古い理解のチェックポイント」
自分の保有銘柄で試してみてください。
① 社名と実態がずれていないか?
社名に「電機」「重工」「化学」が入っていても、稼ぎ頭は別かもしれない
確認法:決算短信のセグメント情報で、営業利益の構成比を見る
② 有名な製品を主力事業だと思い込んでいないか?
一般消費者に見える製品は目立ちますが、利益の主力とは限りません
確認法:売上構成比ではなく、営業利益の構成比を見る。売上は大きいのに利益は薄い事業がよくあります
③ 事業の分離・買収を追えているか?
会社の形は変わります。売却、分離、買収
確認法:直近2年のIRニュースリリースを一覧で眺める。数分で済みます
④ 発表された計画の「その後」を確認しているか?
「やる」というニュースは大きく報じられ、「やめた」は小さく報じられます
確認法:印象に残っている大きな計画について、その後どうなったかを確認する
⑤ 解説記事の日付を見ているか?
企業解説は、書かれた時点の姿を写しています
確認法:記事の日付を必ず見る。1年前の記事は1年前の会社を説明しています
⑥ 自分の理解の「賞味期限」を意識しているか?
確認法:「この理解は、いつの情報に基づいているか?」を自問する
8. まとめ:投資は「忘却 × 再学習 × 更新」で強くなる
忘却曲線は「どれだけ忘れたか?」を測れた。でも「理解がどれだけ古いか」を測る曲線は存在しない
忘れることより厄介なのは、古い理解を正しいと思い込むこと。前者は自覚できるが、後者は自覚できない
ソニーの古い理解には世代がある。家電(30年前)、ゲーム中心(10年前)、金融を含む複合企業(1年前)
つい最近まで正しかった理解が、いちばん危ない。 確信が強く、疑う理由がないから
反復学習は強力だが、中身が正しいときにだけ武器になる。間違った理解も、思い出すたびに強化される
だから検索練習には「答え合わせ」が要る。思い出す→資料と突き合わせる→ズレを特定する→いつの情報で止まっていたかを考える
ソニーは理解が壊れる機会が多いため、この訓練に向いた教材
「知っている会社」ほど、調べ直す価値がある
知らない会社より、知っているつもりの会社を
前回、記録には「一文でのコアコンピタンス」を残しておこうと書きました。
今回は、もう一段だけ踏み込んだ提案です。
自分が一番よく知っていると思っている会社を、ゼロから調べ直してみてください。
知らない会社を調べるのは、新しい知識が増えるだけです。でも知っているつもりの会社を調べ直すと、間違った知識が減ります。
投資において、後者のほうがずっと価値があります。知らないことは、知らないと自覚できるので大きな判断ミスにはなりにくい。知っているつもりのことが、判断を狂わせるからです。
そして調べ直すたびに、自分にこう問いかけてみてください。
「この理解は、いつの情報でできているか?」
ソニーは2026年に金融を切り離しました。サッポロは不動産開発子会社を手放しました。ヤマダHDは1,300億円の資産を売りました。
会社は、あなたが覚えた姿のまま止まっていてくれません。
忘れる。思い出す。そして、更新する。
この3つ目まで回して、ようやく理解は現在に追いつきます。
次回に向けて
ここまで、投資の考え方を一つずつ増やしてきました。
コアコンピタンス:企業価値の本質はどこにあるか?(第1章:アサヒグループHD)
評価の枠組み:株価は企業価値ではなく、市場のレンズで動く(第2章:ヤマダHD)
需給:インデックスと日程が、値動きの一部を決めている(第3章:夏枯れ相場)
制度:開示・上場維持基準・資金政策が、企業行動を変える(第4章:ヤマダHD)
ガバナンス:誰が株を持ち、経営者がどう応じるかで結果が変わる(第5章:ヤマダHD)
学習:その理解を、どう維持し、どう更新するか?(第6章:アサヒグループHD・ソニーグループ)
でも、ここまではバラバラに使ってきました。
アサヒグループHDではコアコンピタンスを、ヤマダHDでは評価の枠組みと制度とガバナンスを、ソニーグループでは学習を。一つの会社に、一つの考え方という使い方です。
実際の投資判断は、そうはいきません。
この会社の強みは何か?(コアコンピタンス)
市場は今、それをどう評価しているか?(評価の枠組み)
その評価は、需給や制度で歪んでいないか?(需給・制度)
経営陣は、その歪みに対して何をしようとしているか?(ガバナンス)
そして、自分のこの理解は、いつの情報でできているか?(学習)
”全部を、同時に使う。”
次回は、スケールを上げます。企業から産業へ、産業からインフラへ。一段ずつ構造の階層を登りながら、ここまでの考え方を統合していきます。
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参考
ソニーグループ「2026年3月期 決算短信〔IFRS〕(連結)」(2026年5月8日)ほかIR資料
共同通信、ビジネス+IT、マイナビニュース、電波新聞デジタル 各記事
Rawson, K. A., Dunlosky, J., & Sciartelli, S. M. (2013). The power of successive relearning: Improving performance on course exams and long-term retention. Educational Psychology Review, 25, 523-548.
Ebbinghaus, H. (1885). Über das Gedächtnis ほか記憶研究に関する一連の文献
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