世界とお付き合いスピンオフ⑫ 反時計回りの回想──Father Figure

娘のアイナは小さい頃に、私の実家でよく預かってもらっていた。
私たちに対する両親の心遣いもあったが、やはり初孫と一緒に過ごしたい、間近で愛でたい、世話をしたい、そんな祖父母としての深い愛情がそこにはあった。
年の瀬も押し迫ったその日も、私たち夫婦で出席した取引先の新社屋落成記念のパーティーからの帰りに、いつものようにアイナを迎えに実家に立ち寄った。
「親父は?」
親父が顔を見せないのを不思議に思い、私はお袋に尋ねた。
「……寝室で休んでる。今日はかなりしんどいみたい。元気なときと臥せっているときの差が最近激しくなってるわ」
お袋の表情には翳りがあった。
ある種の懸念が私の脳裏をよぎった。
「去年の夏ぐらいやったよな。大腸癌の手術を受けたのは?」
「そうね、手術後二、三か月ぐらいはすごく元気で、その間に…丁度アイナちゃんも生まれたやん。『孫娘がこんなに、可愛いとは思わへんかった。手術も成功したし、これから第二の人生を謳歌するで』って言ってたんよ」
横に座るアネッテをチラ見すると、案の定涙ぐんでいる。
「なぁ、術後も通院してるんやろ。どういう状況やの?」
「…あんまり細かいこと、あなたたちに言わんとこ思って…先月肺に転移が見つかってね。定期的に放射線治療に行っとーよ」
「おい!聞いてへんぞ。どこが細かいことやねん」
私は疎外感から、語気を荒げてしまった。
「ちょっと、たくちゃん!」
私はアネッテの声で我に返った。
「スマンお袋。けど、どないなっとんねん。転移したところを放射線で治療してんのは、手術した病院と同じとこ?」
「いや、別の病院。役割を分担してるみたい」
「たしか、手術した時、ステージⅢのかなり進んだ段階やったよな」
私はつとめて冷静に状況整理しようとした。
すると、アネッテが声をあげた。
「お父さん! 大丈夫なんですか!」
親父が寝室から起きてリビングに入ってきた。
「たく…おまえ声デカいねん。ビールぐらい飲んでいかんかい。オレも喉が渇いた、ハハ」
一見すると、想像したより元気そうな顔色だった。
少し狐につままれたような気がした。
「親父、大丈夫なんか?」
「な〜んや、それ? もっと気の利いたこと言えへんのか、『お父さん、いつ見ても男前ですね』とか。な、アンちゃん!」
「私、西部劇が大好きなんですけど、前からお父さんはジェームズ・コバーンに似てると思ってました」
親父は、可愛い嫁の持ち上げに喜色満面になり、
「ホンマ⁉️ ジェームズ・コバーンか…懐かしいな。荒野の七人やで。たく、アンちゃんのほうがよっぽどわかっとるやないか、ハッハッハッハ」
私はなんか、心配して損した気がした。
「何、鼻の下伸ばしとんねん、親父。ええ歳して気色悪いねん」
「アホ、こんなグレース・ケリーみたいな嫁に言われたら誰かてそうなるわ。さっさとビールつげ。あっ、やっぱちょっとまて、アンちゃん注いで頂いてよろしいでしょうか?」
「もちろん! なんぼでも、注がせていただきます」
アネッテが関西弁を交えて応えた。
「うひょー、やっぱべっぴんに注いでもらったら、3倍うまいで! いやアンちゃんなら、300倍やな、ハッハッハッハ」
「あっそれ、たくちゃんもよく言ってるわ。やっぱりお父さんの影響だ」
彼女が目を丸くして驚いた。
「毎日、子どもの頃から聞かされてきたセリフだからな。よくお袋に言ってたよな『多岐川裕美みたいなべっぴんに注いでもらったビールは美味い』って。いったいどこにおんねん、多岐川裕美? って思たわ」
「たく…目の前におるやろ。古手川祐子が」
今度はお袋が凄んできた。
「全然系統がバラバラやんけ! もうええわ、オレもビール飲むわ。……それにな、敢えて言わせてもらえば、お袋は麻生祐未よりやろ」
「あら、そう…ビール注がしてもらうわ」
お袋が私のコップにビールをなみなみと注いだ。
麻生祐未が効いたらしい。
「餃子でも焼こかな。あんたらパーティーでなんか食べてきたん? まだ食べれるやろ」
お袋がキッチンに向かった。
「いただきまーす! 餃子は別腹なんで。あっ、お母さん手伝います」
アネッテが立とうとすると、
「アンちゃん、こんなん焼くだけやから。座っといて」
結局、その夜は両親と少し飲んで、アネッテの運転で自宅マンションに戻った。

ベッドに入ってからも、今日の親父の様子を振り返って考え込んでいると、
「たくちゃん、今日のお父さん……あれ、強がってるんじゃないのかな」
「ああ。やっぱそう思うよな」
「ビール、いっぱいコップに残してたもん。お父さん、あんなに私が注いだビール美味しい美味しいって何杯も飲んでくれてたのに…」
彼女は両手で顔を覆ってしまった。
「……どあほうや、ホンマに。カッコつけよってからに」
「たくちゃん…」
「昔からそうなんだ。歴史が大好きでね。歴史上の英雄を書いた小説をよく読んでた。たまに小学生のオレに、その小説の英雄の名台詞のところにわざわざ赤線引いて、見せるんだ。正直読めない漢字もまだたくさんあった」
彼女が囁いた。
「聞かせて…お父さんのこと」
「それで、親父が言ったんだ『たく…おまえは視野も根性も狭いやつになったらあかん。この英雄を見てみぃ。家臣には優しく、自分の息子には厳しいやろが。もちろんこの英雄自身、自分にはもっと厳しい。せやからみんなついていくんや』って。ハハ、ほとんど理解できなかった」
「……」
「あと、小学生の頃、明らかに顔中腫らして、『僕今日喧嘩しました』みたいな時によく言われたのが、『お前、相手はお前より強いやつとやったんか』って。当たり前だろ、だって強いやつからしか理不尽な目にあわないじゃない。だからそうだ、って言ったら。大きな手でね、こう、ぐしゃぐしゃって頭を撫でてくれた」
「それ、弱いものイジメはするなって、たくちゃんに伝えたかったのよ」
「そうだね。ま、当時のオレはそこまで考えられてなかったけど。きっとそうだよ」
私は少し間を置いてから、再び話し始めた。
「そんな親父が、あんなことに…」
「えっ」
「少し長くなりそうだから、なんか淹れてくるわ」
私は、キッチンに行きお湯を沸かして、手っ取り早くミルクココアを作った。
寝室に戻る途中、ベビールームのアイナの寝顔を覗いた。
しばらくアイナを見ていると、アネッテがそばに来ていた。
「この子にもお父さんの血が流れてるのよ。ちゃんと伝えないと」
私はココアの入ったマグカップの一つを彼女に手渡した。
そのまま私たちは、リビングのソファに座った。
「そんな性格の親父だったから、会社でも部下に慕われたんだと思う。40代で大手メーカーのアメリカ現地法人の社長になって、丁度オレが大学に入学する直前に、辞令が出て日本に帰り、本社で本部長に栄転した」
「え、ジェームズ凄いじゃない」
「ハハハ、ジェームズな。けど、ハッピーエンドで終わらなかった」
私は、ココアを一口飲んでから続けた。
「日本の大手企業には派閥というものがあって、本社に戻って間もなく、親父の属していた派閥のトップが失脚した。すると親父側の派閥からどんどん人が対抗派閥側に移っていった。そん中に親父の部下もいた。そして、最後まで残った親父側の要人は左遷の憂き目にあった。無論、親父もね。そしてそのまま定年を迎えた。……だいぶ後になって、お袋から聞かされたよ」
彼女が驚きを隠せない。
「あなた、サラッと言ったけど…なんでよ!!」
「おいおい、君が怒ってどうするんだよ」
「だって、腹が立つじゃない!」
「勿論、息子としては誰よりもムカついてるよ。ただ、企業にはよくあることなんだ。いや、多分どんな組織にも存在することだよ。対抗派閥に移った人たちにも、それぞれの大義があったのかもしれない。ただ、親父は親父の生き方から最後までブレなかった、それだけはわかる。けど、果たして、自分の生き方を変えなくて幸せだったのか、今どう思ってるのか……それを考えると苦しくて、わからなくなるんだ」
アネッテが黙って私の首に手を回し、そのまま私の顔を自分の胸に軽く押し当てた。
「聞かせてくれて、ありがとう。…お父さんと話そうよ。それしかない」
「わかってる。あのええカッコしいにちゃんと喋ってもらうよ」
「ええカッコしいじゃなくて、ちゃんとカッコいいわ、お父さんは。彼の血がアイナに流れていることを、私は誇りに思う」
私は彼女の胸の中で危うく涙をこぼしそうになった。
「泣いてもいいのよ。たくちゃん」
「ばっかやろ。だ〜れに言ってんだよ…」
「あ〜あ、強がっちゃって。ほんと、お父さんそっくりね」
翌日、私は考えた末、実家のお袋に電話して、両親にある提案をした。
「今度の土曜日に、親父とお袋が新婚当時住んでいた場所を車で見て回らへんか? そんなに遠くないし、オレが生まれた場所でもあるしな。ま、軽くドライブや。朝早くに迎えに行くわ」
「ええけど。なんで急に……けどまあ言われてみたら、久々に行ってみたいな。懐かしいし……わかった、お父さんに言うとくな」
それだけ言って電話を切った。

ドライブの当日は、冬らしい曇天だったが、雨の降る気配はない。幸い、目的地にも降雪などはないようだった。
実家で両親をピックアップし、高速を飛ばすと、2時間で、親父が新入社員として初めて配属された工場のある街に着いた。
最初に向かったのは、両親が新婚時代を過ごした社宅であった。
その社宅はまだあった。
車を止めて辺りを見回すと、田園風景の中に、ぽつんとその社宅があった。
大人になってあらためて見ると、こんなに小さかったかな、と錯覚するほどだった。
「いやぁ懐かしい。一番向こう側の二階に住んでたんよね」
お袋が陽気に笑った。
「ああ、楽しかったな。よう喧嘩もしたな」
親父も目を細めて懐かしんでいる。
「あら、喧嘩になると、最後はいつもお父さん黙っちゃうのよね」
「アホ、オレは平和主義者なんや。ま、単に松坂慶子似の母さんに、とことん嫌われたくないからやけどな。寸止めってやつや、ハッハッハッハ」
「親父。またお袋のソックリさん変わっとるやんか」
アネッテも爆笑していた。
「アイナのおじいちゃんホントに面白い人ね!」
ベビーカーのアイナも、天使のような笑顔を見せていた。冬の寒さでほっぺたが赤く染まっていた。
お袋が私に言う。
「たく…あんたも丁度アイナちゃんと同じぐらいやった。あんた、ポンポン弱くて、しょっちゅう小児科連れて行ったわ。田舎やから、結構離れたとこにあってね。私は気が動転して、大泣きするアンタを前に抱えて、自転車を立ち漕ぎで走らせたわ」
話が聞こえないフリをする私をよそに、アネッテが聞いた。
「ポンポンってなんですか?」
「あっ、ごめんごめん。ポンポンはお腹のことよ。あの子はお腹が弱くてね〜。そのくせに、いやしいからその辺に落ちてるモノまで拾い食いしてたんよ」
アネッテはまた大笑いする。
本当に私は良い面の皮だ。
「見た見た。オレはコイツが床にこぼしたりんごジュースを舐めてるとこ見た。今、思い出したわ!」
親父が大声を出した。
「親父、もう黙ってくれ。次行くぞ」
いたたまれなくなった私は、真っ先に車に戻った。
私たちは、次に社宅から10キロ近く走ったところにある、親父が勤務していた工場に着いた。
真っ先に親父が車から飛び出して、道を隔てた工場の正門を真っ直ぐに見つめたまま立ち尽くした。
そんな親父の背中を、ほかの三人は黙って見守るしかなかった。
人には言葉がなくても、伝わることがある。
10分も経つと、親父が振り返った。
「母さん、覚えてるよな。この先真っ直ぐ行ったとこのラーメン屋。まだあるかな」
「……ああ! 思い出したわ。大きなチャーシューが乗っかった中華そばの」
「それや、たく、案内するから連れてってくれや」
私たちは再び車に乗り込み、ラーメン屋を探した。
奇跡的にそのラーメン屋は、工場前の道をそのまま500メートル程進んだところに、まだ存在していた。
小さな駐車場に車を止めて店内に入ると、厨房からの熱気が温かく私たちを包んだ。
年季の入った店内には、カウンターしか座る場所がない。
「母さん、あるわ。中華そば」
親父が腰を下ろしながら、独り言のように言った。
「ホンマや。他のメニューもそんなに当時と変わってへんのとちゃうかな」
お袋も夢を見ているように呟いた。
私たちは、全員その『中華そば』を頼んだ。
ラーメンを待つ間も、両親はずっと黙って店内を見まわしていた。
ようやく『中華そば』が運ばれてくると、なるほど、分厚くでかいチャーシューが1枚だけ載っていた。
ほかに具らしい具は、ネギとモヤシくらいしかなく、スープは鶏ガラベースの醤油か。昔懐かしい感じがした。
味は、ごく普通に美味しい、という程度であった。
アネッテを見ると、スープを、もらったお湯でかなり薄め、口で冷ましてから、レンゲの先でアイナに少しだけ味見させていた。
あらためて、両親を見やると私は一瞬言葉が出なかった。
親父が目を真っ赤にしていた。
お袋ももらい泣きしていた。
「…なぁ、オヤジ……そんなに懐かしいのか?」
「勿論、それもある。けど、それだけやない」
「他に何があるんや?」
お袋が言った。
「あんたは今、アンちゃんとアイナに囲まれて、毎日幸せで、気づいてないかもしれへんけどな。実は、あんたを魅力的に、生き生きとさせてるもんがあるねんで」
「母さんの言う通りや。たく、おまえを輝かせてんのは、夢や。今のおまえは夢で溢れてる。アンちゃんとアイナはその象徴や。ほんでまた、そんな象徴が、おまえと一緒にさらにでっかい夢を育てていくわな」
私は両親の間に、これほど相通じるものがあったことに驚いていた。
「当時のオレと母さんの夢が、しょっちゅう食べたこのラーメンにも投影されとんのや。無論、そん時おまえが生まれて、オレたちの夢はさらにデカくなった。だから感極まっとるんや」
私は親父というものを初めて一人の人間として見た気がした。
今回の小旅行で一番聞きたかったことへの答えが、朧げながら見えた。
私たちは、両親にゆっくり話がしたいことを伝えた。
結果、京都で一泊してから帰ることになった。

高速を走り、京都市内に入ると蹴上に向かった。
そこにある老舗ホテルに到着すると、私たち夫婦と両親それぞれに部屋をとった。
その後、コーヒーラウンジの洋食で夕食を済ませ、あとでバーで一杯飲もうと両親を誘い、一旦わかれた。
部屋に入ると、アイナは元気なもので、ふらつきながらも一人歩きを楽しんでいる。
ここ数週間で、その足取りも力強さを増していた。
「あなた、アイナを見てると、お父さんが言ってたことがよくわかるわね」
「うん、夢か」
「そう。夢が人の原動力になってる。家族がそれを増幅する。あなたのお父さん、やっぱり凄いわ。その一番大事なことをお母さんと通じ合っている。本当に視野の広い方よね」
「うん。良かった、二十代の親父と話せた気がした」
アネッテが黙って、私にキスをした。
「でも、そのお父さんを、彼の原点を巡ることで、あなたが引き出した……さすが私の旦那さん」
「素敵なママに負けてられないから…」
「ンマ、マ…マ」
私は、一瞬自分の耳を疑った。
(なぞったのか…オレが言った『ママ』を!?)
大きく見開かれたアネッテの瞳は、潤んでいた。
「嘘でしょ…アイナ。もう一度言って……お願い。ママだよ、アイナ。私があなたのママ…お願いだよ」
「ンマッマァ…フー」
アネッテがアイナを抱きしめた。
もう涙で顔がくしゃくしゃになっていた。
私は愛おしい二人をそのまま抱きしめた。私の目からも涙が流れていることに気づいたが、隠すつもりはなかった。
「ありがとう…ありがとう」
私は、無意識のうちに同じ言葉を繰り返し呟いていた。

両親との約束の時間近くになり、アイナを寝かしつけ、ホテルにお願いしたベビーシッターに託してから、私とアネッテはバーへ向かった。
2階にある落ち着いた雰囲気のオーセンティックバーだった。
私たちがソファ席に座って待っていると、親父が一人でやってきた。
「あれ、お袋は?」
親父は優しい笑顔で答えた。
「母さんは遠慮したわ。『私がいたら、照れて本音で喋れへんやろ』って。その通りや」
私はお袋の配慮を噛み締めた。
「ほな、聞かせてもらいます…」
「はやっ。イラチか、おまえは! 絶対各駅停車でゆっくり旅を楽しめんタイプや! ハハハ、ちょっと先に飲ませてーや」
私たちはウエイターにそれぞれドリンクを頼むと、お互い無口になった。
(親父、よく見るとやはり痩せたな。学生時代ヨットで鍛えたガタイが、一回り縮んでみえる)
そう考えていると、ドリンクが運ばれてきた。
親父が言った。
「たく、それにアネッテさん…今日はオレのためにいろいろ心を尽くしてくださって、ホンマにありがとうございます」
なにか強い違和感を感じた私は、それを打ち消したかった。
「何、急に敬語なんか使ってるねん! こっちは、あたりまえの…」
「だーっとれ!! ……最後まで喋らせてくれ」
私は、親父の気迫に圧されて沈黙した。
ビールのグラスを片手で持ち上げ、一口飲んでから、親父は続けた。
「今日は、あんたらに別れを言いに来た。勿論今すぐは死なん。でもな、とうとう転移が肺だけやのうて、脳にも見つかった。これから、どんどん頭がワヤになっていく。オレがオレでいられる間に、全部喋っとこう思てな。せやからお別れや」
この言葉に、アネッテが取り乱してしまった。
「嫌!! お父さん、絶対にいや!! そんなこと言わないで…お願いですから…私、ビールもいっぱい注ぐから……前みたいにいっぱい飲んでよ……ずっと私のパパでいてよ」
彼女は号泣していた。
泣き崩れる彼女を落ち着かせようと、私は後ろから抱きしめた。
「アンちゃん、こんなオレのこと、パパゆーてくれんのか。オレの人生、捨てたもんやなかったなわ。……なあ、たくよ、こんな素敵な人、よう嫁さんにしたな。ホンマに立派になりよった。
昼間も言ったけど、おまえはオレの夢や。夢は生きとる。せやから、これからオレに起こることも、なんも怖ないわ」
私は込み上げるものを必死で抑えて言った。
「親父。どうしても聞きたいことが一つある。親父は親父の生き方を最後までブレずに貫いたと思う。でもな、自分が情をかけた人間が離れても、自分の出世がなくなっても、それでも悔いはないんか。教えてくれ」
「アホか。あるわけないやろ。おまえが言いたいんは、オレがおった派閥が崩壊して、腹心が離れ、オレが出世の機会を逃したことに悔いはないのか、ってそんなとこやろ。も一回ゆーたるわ、アホ。誰が出世が夢やと言った」
「……」
「オレの夢は、オレが正しい、好きやと思えることをやって、それが人様から好かれたらこの上ないけど、全部、自分の責任の上に成り立っとる。裏切り? 成功? そんなもん結果に過ぎんわ。オレにとって大事やったんは、仕事でも恋愛でもオレらしく生きること。おまえみたいな息子が欲しかった。これもオレの夢や。わかったか!アホ」
「親父…さんざんアホゆーてくれたけどな……
ホンマにオレ、アホやったよ。まだなんも恩返しできてへん。」
「あのな、おまえ、アンちゃんと立派に家族築いたやろ、あんなに可愛いアイナちゃんオレに見せてくれたやろ、おまえのビジネスマンとしての勇姿も見せてくれたやないか。もう十分、受け取っとるよ。」
アネッテが顔を上げて言った。
「さっき、アイナ……初めて喋ったんです。『ママ』って。私、胸がいっぱいになって……お父さんが、たくちゃんのことを夢だと言う意味が、喋ったアイナを見てわかったんです」
親父が目頭を抑えた。
「そうか…アイナちゃん『ママ』ゆーたんか…かいらしいなぁ……。全部アンちゃんのおかげやな。たく、おまえの嫁さん、イングリッド・バーグマンのこと、頼んだで」
「いや、もう突っ込む気力がないわ。一応話は聞いたけどな。勝手にお別れすんな。好きに生きんのやったら、脳腫瘍なんかにエエようにされんなや。アイナにジジイって呼んでもらえるまで粘れよ。こんだけようさん喋れんのやったらなんとかせえ」
親父は笑いだした。
「そこはせめて『ジージ』な、ハッハッハッハ……。残りの時間は、愛おしい母さんのために使おう思てんねん。おまえとは、一旦お別れや…けじめや。それに…オレの方こそ、なんの財産も残せんで、スマンかった。けどな、おまえに教育は残せたで」
「ああ、わかっとるよ。だから、アネッテとも出会えた。親父のおかげや……。オレ、親父の息子で幸せやったよ……とっくにわかってたのに…もっと、早く言えば良かった……ごめん…父さん…ありがとう」
そう言って、私は俯いてしまった。
自分の無力さと、タイミングの悪さが悔しかった。
力なく下を向くと、ポタポタ涙が落ちた。
「お父さん、私からも言わせてください。あなたがいなければ、私は、たくちゃんのいない世界で生きていくことになったでしょう。それは、彼を知ってしまった私にとって、絶望です。でも、こうして彼と家族になれた。心から感謝してます……ほんっとに、ありがとう、私の……私のパパ」
アネッテのその言葉に、親父は一瞬言葉を失ったように目を見張り、それから照れくさそうにグラスの結露を指で拭った。
「おおきに、アンちゃん。あんたも、オレのかけがえのない可愛い娘や」
親父はビールのグラスを静かにテーブルに置くと、少し背筋を伸ばした。その顔には、どこか大きな仕事をやり遂げた後のような、清々しい男の表情が浮かんでいた。
「よし、たく。おまえと話せてスッキリしたわ。オレは先に部屋に戻るぞ。母さんが一人で待っとるからな」
そう言って立ち上がった親父の足取りは、昼間の疲れを感じさせないほど確かなものだった。
背中を見送りながら、私は深く息を吐き出した。
隣でアネッテがそっと私の手に自分の手を重ねてくる。
その温もりが、今自分が生きている現実と、目の前で受け継がれたものの重みを教えてくれていた。
部屋に戻ると、ベッドでアイナが気持ちよさそうに小さな寝息を立てていた。
「たくちゃん……本当にお父さんを連れて来てよかったね」
横で、アネッテが静かに囁いた。
「ああ。親父の言ってたこと、全部は理解できてないかもしれないけど……でも、彼がどうしてあんなにカッコよく生きられたのか、少しだけ分かった気がする」
「ううん。たくちゃんも同じよ。自分らしく生きて、私とアイナを愛して、夢を育てていく。あなたは、お父さんがこの世界に残した最高の作品だわ」
「え〜責任重大やな……」
私は照れくささを隠すようにアイナの頬に触れた。
昼間、冬の寒さで赤くなっていたほっぺたは、部屋の暖房でぽかぽかと温かかった。
「アイナ」
語りかけると、まるで夢の中で答えるように、小さな手がもぞもぞと動いた。
「おまえのおじいちゃんはな、めちゃくちゃ凄いやつなんだぞ。ジェームズ・コバーンくらい、カッコいい男なんだ」
アネッテがくすっと笑い、私の肩に頭を預けてきた。
「ジェームズ以上よ…」
ふと彼女を見ると、さっき泣きはらしたせいで、まぶたがうっすら赤くなっていた。
「アンちゃん、泣きすぎてまぶたが腫れてるな。なんか冷やすもんもらおうか」
アネッテが私の顔を覗き込んだ。
「あら、あなただって目が充血して真っ赤よ。ぷっ、お互いに外は歩けないわね」
「今日はよく泣いたからなぁ…じゃあ、明日も一泊して、あらためてみんなでゆっくりするか。いいホテルだし、館内で過ごしても楽しめそうだ」
彼女の表情がパッと華やいだ。
「それ、大賛成‼️ 私、フロントに確認してから、お母さんに伝えるね」
冬の京都の夜は静かに更けていく。
父から引き継いだ『自分らしく生きる』という目に見えぬ遺産を抱いて、私はこれから築いていく家族と、その未来に描く夢に思いを巡らせていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。 気に入っていただけたら、ぜひスキやフォローで応援していただけると嬉しいです。
\ 📣 新しいお知らせ /
Instagram『ミンミのはこ』がオープンしました! 🎉
noteでは語りきれない、ミンミのちょっとした日常や
世界のひみつをゆる〜くお届け。
コミックには登場しない仲間たちや、遊び心あふれるコンテンツたち。
noteのコミックとはひと味違う「ミンミの世界」を
ぜひのぞいてみてください。
一緒にミンミの箱、開けてみましょう!
🔍 Instagram【ミンミのはこ】
https://www.instagram.com/minmi_no_hako

🌏 自分にふさわしい場所が、世界の中にある。
子どものうちから 世界の仕組みを知る
✈️教養コンテンツ KTE(Kids Trade Easy)
🐱【ミナ編】世界の中に自分の居場所を見つける物語
子どもと一緒に読みたい 国際教養コミック。 世界を知るたびに 未来が広がっていく。 オールカラー・ふりがな付き
最新話 第8話公開中
「年齢はただの数字、画面の向こうに広がる世界」
〜ゲーミングチェアと、おばあちゃんの挑戦状〜
⬇︎⬇︎⬇︎
(第3話・第7話 期間限定無料公開中)
第1話からマガジンでまとめてお読みいただけます。
⬇︎⬇︎⬇︎
⚡【カケル編】世界の仕組みを知る国際教養コンテンツ
→STORESにて公開中

