芥川龍之介「地獄変」えこひいきな語り手の視点
芥川龍之介の名作「地獄変」を「語り手の視点」という点に着目して考察していく。
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「地獄変」の簡単なあらすじ↓
見たものしか満足のいく絵は描けないという絵師の良秀に、堀川の大殿様は「地獄変の屏風」を描くように依頼する。
良秀は絵の中央に、びろうげの車(牛車)が空から落ちてくるところが描きたい、車の中には一人の艶やかな女性が猛火に黒髪を乱しながら悶え苦しんでいる、その様子を見たい、と申し出る。
承知した大殿様は良秀の一人娘を牛車に乗せ、良秀の前で火をつけた。
良秀は地獄変の屏風を仕上げると、命を絶った。
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この小説で語られる感想の多くは、娘を目の前で焼かれた良秀が、地獄の責めに苦しむ様子から一転、芸術家として恍惚とした輝きをしわだらけの満面に浮べながら炎を見つめて佇む様子への変化に衝撃を受ける点だ。
良秀の狂気と芸術至上主義が感想として多く語られる。
しかし私(みゆ)は別の角度から書く。
「語り手のえこひいきな視点」という点に着目していく。
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「地獄変」の小説の語り手は「大殿様に二十年来ご奉公している」人間だ。
大殿様のことを「下々の事までお考えになる、云わば天下と共に楽しむ方」と言い、めちゃくちゃ大殿様を尊敬している「えこひいきな視点」だ。
これは芥川龍之介による仕掛けである。
良秀には十五になる一人娘がいる。
いたずら盛りの若殿様は飼っている猿に良秀と名前をつけ、いじめて遊ぶようになった。
良秀の娘は「父がご折檻を受けますようで見ていられませぬ」と猿をかばう。
大殿様は良秀の娘を気に入り、若い侍女としてそばに置く。
この時、「えこひいきな視点」の語り手は、
「大殿様が良秀の娘をご贔屓になったのは、(父と同じ名前の)猿を可愛がる孝行恩愛の情をご賞美なすったので、決して世間でとやかく申しますように、色をお好みになった訳ではございません。」
と言う。さらに、
「いかに美しいとした所で、絵師風情の娘などに想いをおかけになる方ではないという事を、申し上げます。」
とまで言い切る。
大殿様への妄信ぶりに必死さを感じる。
どれだけ大殿様のお人柄が素晴らしいか、それを語り手として押し通して(読者を惑わして)いくのだ。
一方、良秀のことを語り手はめちゃくちゃデイスっていく。
「良秀は見た所が卑しかったばかりではなく、人に嫌がられる悪い癖がある。」
「吝嗇(ケチ)で恥知らずで怠け者で強欲で横柄で高慢だ。」
ここまで言うかというほど、見た目から人間性まで貶めていく。
しかし語り手は、
「良秀にもたった一つ人間らしい情愛があった。一人娘をまるで気違いのように可愛がっていた。」
と語る。
大殿様の言いつけで見事な絵を描き、
「褒美に望みの物を取らせるぞ。」と言われた良秀は、「なにとぞ私の娘をお下げくださいますように。」と臆面もなく申し上げた。
「それはならぬ。」と大殿様に言われるが、良秀は何度も頼むので、大殿様の良秀をご覧になる眼はだんだん冷やかになっていった。
さらに語り手は語る。
娘は父親の身が案じられるせいか、よく着物の袖を噛んで、しくしくと泣いていた。
そこで大殿様が良秀の娘に懸想(けそう)なすったという噂が拡がるようになった。
地獄変の屏風の由来も、実は娘が大殿様の御意に従わなかったからと申すものもいるが、さようなことがあるはずはございません。
と、大殿様の悪い噂はきっぱりと否定する。
懸想(けそう)とは、特定の人に恋愛感情を抱き、その人を切望することだ。
語り手のえこひいきの視点は置いといて、
真実はどうだか知らないが、事実として、
良秀の十五歳の娘(大殿様の若い侍女)はよく着物の袖を噛んで、しくしくと泣いている。
良秀は娘をお下げください、と何度も頼んで大殿様に断られる。
大殿様は、「見たものしか描けない良秀に」地獄変の屏風を描けと依頼する。
娘が大殿様の御意に従わなかったという噂話が立つ。
これは噂話がスムーズな想像の流れに沿ったものだと言える。(真実は藪の中)
しかし大殿様びいきの「えこひいきな視点」の語り手は、こう言う。
大殿様が良秀の娘をお下げにならなかったのは、娘の身の上を哀れに思ったからで、あのような頑な親の側へやるよりは御邸に置いて、何の不自由なく暮らさせてやろうというありがたいお考えだったようです。
色をお好みになったと申すのは、跡形もない嘘と申した方がよろしい。
このように徹底的に大殿様を持ち上げ、良秀を下げるのだ。
果たして本当に語り手は大殿様を素晴らしいお方だと信じているのであろうか?
しかし語り手は、この小説の最初の方にこんなことを語っている。
「大殿様は後々までも語り草になりますようなことがたくさんございました。」
その例として良いことを語りながら、さらっとこんな恐ろしいことを語っている。
「長良橋の橋柱(はしばしら)にご寵愛の童を立てた事もございます。」
ちょっと語り手さん!
ご寵愛の童を橋柱(はしばしら)に立てたって、あなた、大殿様の怖ろしさを知ってるんじゃん!
知った上で大殿様を持ち上げて妄信していく。まるでカルト宗教の信者だ。
つまり芥川龍之介は読者に大殿様の恐ろしさを教えている。
その上で語り手のえこひいきな視点で、読者を翻弄していくのだ。
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一方、語り手は良秀が地獄変の屏風絵を創作する中での狂気を語る。
良秀は見たものしか描けないので、鎖で縛られた人間が見たいと思えば、
「細い鉄の鎖をざらざらと手繰りながら、ほとんど飛びつくような勢いで弟子の背中へ乗りかかりますと、否応なしにそのまま両腕を捻じあげて、ぐるぐる巻きに致してしまいました。」とか、
耳のある猫ほどの大きさの鳥(みみずく)をけしかけて弟子を襲わせ、その様子を描いていたとか、創作のための良秀の狂気に弟子たちは脅かされていたことを語る。
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やがて冬の末に良秀は一層陰気になり、物言いも荒々しくなっていく。
そして、あの強情な親爺(良秀)がなぜか妙に涙もろくなって、人のいない所では時々独りで泣いていた。
と語り手は語る。
「何かの用で弟子の一人が庭先へ参りました時なぞは、廊下に立ってぼんやり春の近い空を眺めている師匠の眼が、涙でいっぱいになっていたそうでございます。」
「傲慢なあの男が屏風の画が思うように描けないくらいの事で、子供らしく泣き出すなどと申すのはずいぶん異なものでございませんか。」
語り手はなぜ良秀が泣くのか疑問を語る。
「一方ではあの娘が、なぜかだんだん気鬱になって、私どもにさえ涙を堪えている様子が眼に立って参りました。」
良秀が子供らしく泣くのと、娘が気鬱になって涙を堪えているのが、同じ頃に起きている。
良秀は娘の気鬱になる悩みを知っているのだろう。
そして語り手は噂話を語る。
「あれは大殿様が御意に従わせようとしていらっしゃるのだという評判が立ち始めて、それからは誰も忘れたように、ぱったりあの娘の噂をしなくなりました。」
いつもなら即座に噂を否定し、大殿様を持ち上げることばかり語る語り手が、この親子の涙のことに関しては、何も触れない。
そして語り手は傍観していた立場から一転、娘が可愛がっている猿によって、舞台上へと引っ張り出されるのだ。
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ある夜、猿の良秀は私(語り手)の袴の裾を引っ張り、真っ白な歯をむき出しながら、けたたましく啼き立てる。
ただ事とは思われないので、語り手は猿について行く。
すると、近くの部屋で人の争っている気配が私の耳を脅した。
その部屋の中から良秀の娘が、弾かれたように駆け出そうとしてきた。
外へ飛び出た娘は膝をついて、私の顔を何か恐ろしいものでも見るように、おののき見上げている。
娘の眼は大きくかがやき、頬も赤く燃え、しどけなく乱れた袴やうちぎ(着物)が、いつもの幼さとは打って変わった艶かしささえ添えている。
慌ただしく遠のいて行くもう一人の足音を指さして、誰ですと語り手は眼でたずねた。
娘は唇を噛みながら悔しそうに黙って首をふった。
語り手は再び「誰です」と尋ねるが、娘は首を振るばかりで返事をしない。
長いまつげの先へ涙をいっぱいためながら、前よりもかたく唇を噛みしめている。
愚かな私には何一つのみこめない、と語り手は語る。
「もうお帰りなさい。」と語り手は優しく娘に申し、何か見てはならないものを見たような不安な心持ちに脅されて、誰にともなく恥ずかしい思いをしながら、語り手は立ち去る。
すると猿の良秀が、語り手の足もとに来て、人間のように両手をついて丁寧に頭を下げた。
語り手は明らかに「揺れ」を見せている。
噂話をばっさり否定しないし、
「愚かな私には何一つのみこめない。」と愚かをよそおって言い訳して自らをごまかそうとするが、
「何か見てはならないものを見たような不安な心持ちに脅されて、誰にともなく恥ずかしい思いをしながら」
語り手は自分の思考を解放しようともせず、閉じ込めることもできず、猿に感謝されながら、恥を感じるのだ。
「誰です」と尋ねるのが精一杯だった語り手。
娘は語り手にその名前を答えることはできない。
語り手は大殿様に二十年来ご奉公している人間だからだ。
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良秀は大殿様へ御目通りを願う。
「地獄変の屏風はあらましは出来上がりましたが、ただ一つ、私には描けぬ所がございまする。」
そう言う良秀に、大殿様は聞く。
「何が描けぬと申すのじゃ。」
「屏風のただ中に、びろうげの車が空から落ちてくる所を描こうと思って居りまする。その車の中には一人のあでやかな女性が、猛火の中に黒髪を乱しながら悶え苦しんでいるのでございまする。どうか私の見ている前で火をかけて頂きとうございまする。」
大殿様は御顔を暗くなすったと思うと、突然けたたましくお笑いになりました。
「おお万事その方が申す通りに致して遣わそう。」
語り手は言う。
「私はその御事を伺いますと、虫の知らせか、何となく凄まじい気が致しました。大殿様のご様子も、御口の端には白く泡がたまっておりますし、御眉のあたりにはびくびくといなずまが走っております。」
「炎と黒煙とに攻められて、車の中の女が悶え死をする。それを描こうと思いついたのは、さすがに天下第一の絵師じゃ。褒めてとらすぞ。」
と言う大殿様に、
良秀は「ありがたい仕合でございまする。」と聞こえるか聞こえないかわからないほど低い声で丁寧にお礼を言う。
良秀を観察する語り手は語る。
「大方自分の考えていた目論みの恐ろしさが、大殿様の御言葉につれてありありと目の前へ浮かんで来たからでございましょうか。私は一生の中にただ一度、良秀が気の毒な人間に思われました。」
先ほどまで「愚かな私には何一つのみこめない」と逃げていた語り手が、良秀の「目論みの恐ろしさ」に気づき、その上で良秀を「気の毒な人間」に思うと語る。
良秀がなぜこんな恐ろしいことを申し出たのか、それは天下第一の絵師としてのプライドを守るためではなく、別の悲しい意図があることに気づいたことを、語り手は隠さなくなった。
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月のない真っ暗な晩。
洛外の山荘。
大殿様がお約束を果たすため、良秀をお召しになった。
語り手は良秀を観察する。
「星空の重みに圧されたかと思うくらい、いつもよりなお小さく、みすぼらしげに見えました。」
「良秀。今宵はその方の望み通り、車に火をかけて見せて遣わそう。」
大殿様はこうおっしゃって、御側の者たちの方を流し目にご覧になった。
語り手はさらに言う。
「その時何か大殿様と御側の誰彼との間には、意味ありげな微笑が交わされたようにも見うけましたが、あるいは私の気のせいかもわかりません。」
大殿様は今から行うことを面白がり、意味ありげな微笑を側の者と交わすことで、面白さの共有をしようと働きかけている。
そう語り手は観察するが、「私の気のせいかもわかりません。」と、まだ大殿様の俗悪さを認めたくはないのである。
「よう見い。車には罪人の女房が一人、縛って乗せてある。車に火をかけたら四苦八苦の最期を遂げるであろう。屏風を仕上げるにはまたとない良い手本じゃ。予もここで見物しよう。良秀に中の女を見せて遣わさぬか。」と大殿様。
車の中に縛られていたのは良秀の娘だった。
語り手による良秀の観察。
「あの男は車の方へ思わず走りかかろうと致しました。」
「火をかけい。」大殿様。
火は見る見る中に車を包んだ。
語り手は自分の心情を語る。
「前に危うく叫ぼうとした私も、今は全く魂を消して、ただ茫然と口を開きながら、この恐ろしい光景を見守るほかはございませんでした。」
魂を消す、という表現が凄まじく、恐ろしさを突き抜けた向こう側へ行ってしまった自分の心を自身が観察しているのである。
魂を消した語り手は良秀を観察する。
「良秀のその時の顔つきは今でも私は忘れません。その大きく見開いた眼の中と云い、引き歪めた唇のあたりと云い、絶えず引きつっている頬の肉の震えと云い、良秀の心に往来する恐れと悲しみと驚きは歴々と顔に描かれました。首をはねられる前の盗人でも、ああまで苦しそうな顔を致しますまい。」
良秀という名の猿は、火の中に飛び込んで娘の肩にすがった。
猿の娘への感謝と愛情を目撃した語り手は、再び良秀を観察して「なんという不思議な事でございましょう。」と言う。
「さっきまで地獄の責め苦に悩んでいたような良秀は、今は云いようのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、しわだらけな満面に浮べながら、両腕をしっかり胸に組んで佇んでいるではございませんか。」
「不思議なのはあの男が一人娘の断末魔を嬉しそうに眺めていた、そればかりではございません。その時の良秀には、なぜか人間とは思われない、夢に見る獅子王の怒りに似た怪しげな厳かさがございました。」
あの男(良秀)の頭の上に、不可思議な威厳が見えた、と語り手は語る。
その夜、語り手の良秀への見方が変化したのである。
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大殿様が車をお焼きになったことが世上へ洩れた。
「なぜ大殿様が良秀の娘を御焼き殺しなすったか」
これは
「叶わぬ恋の恨みからなすったのだ」
という噂が一番多かった。
しかし語り手は大殿様をかばう。
「大殿様の思し召しは車を焼き人を殺してまでも、屏風の画を描こうとする絵師根性のよこしまなのを懲らすおつもりだったのに相違ございません。」
そう信じる根拠は、
「現に私は大殿様の御口からそうおっしゃるのを伺った事がございます。」
大殿様が言うからそうなのだ、と語る。
日常に戻り、大殿様に二十年来ご奉公している語り手は、再び「えこひいきな視点」で語るのだ。
横川の僧都様は、
「いかに一芸一能に秀でようとも、人として五常をわきまえねば、地獄に堕ちるほかはない。」と良秀のことをおっしゃった。
五常とは、人の守るべき仁、義、礼、智、信の五つの道徳である。
ところがひと月ばかり経って、地獄変の屏風が出来上がり、良秀が御邸へそれを持って行くと、ちょうど居合わせた僧都様は屏風の画をご覧になりますと、思わず膝を打って「でかしおった」とおっしゃった。
屏風の出来上がった次の夜、良秀は自ら命を絶った.。
語り手は言う。
「一人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑として生きながらえるのに堪えなかったのでございましょう。」
